「大丈夫よ。ただ歳をとると健康のことが気になって、結局はずっと蕎麦茶」

 おばさんは母と同じ今年で五十三歳。健康のことが気になるのも無理はない。

秋雄(あきお)が言ったのね。あの子ったら夏実ちゃんには何でも話しちゃうから」と、苦笑しながら襖で仕切られた和室に視線を向けた。

「夏実ちゃんが来てくれて秋雄も喜んでると思う」

「すみません。ご無沙汰してて」

 私は再び頭を下げながら考える。最後にこの家の敷居を跨いだのはいつだっただろうか。
 秋雄が亡くなってから頻りに母の作った食事を持たされた記憶がある。でもそれは玄関先でのやりとりで、いつも上がってと言ってくれるおばさんを遠慮という呈の良い言葉で拒絶した。

「いいのよ。東京で頑張ってるんでしょ?」

「……色々と忙しくて」

 自分で口にしておきながら後悔が胸を締め付ける。
 一年に一度、帰省していた。一年に一度、訪ねることもできた。

 __忙しい。

 その言葉程、狡い言葉はないことに気づいている。結局私は、その言葉で全てから逃げている。

「久しぶりに秋雄に会ってあげて?」

 立ち上がるとキッチンから林檎と蕎麦茶の入ったコップの乗ったトレイを片手に戻ってきたおばさんと一緒に和室へと向かう。

「秋雄。夏実ちゃんよ」

 あの頃と同じように声を掛けることが悲しかった。おばさんが襖を開いた瞬間、和室から漂うお線香の匂いに胸が苦しかった。
 もう返事をしてくれない。いつも漫画を読んでいた秋雄はどこにもいない。わかっていたはずなのに、この家に入るとその姿を探してしまう。