「夏実は自分の幸せを考えなさい」

 そう言うと母は父の手伝いをする為に農園へと出かけて行った。
 私はこの農園に育ててもらったようなもの。なのに、今までろくな手伝いをしてこなかった。そんな自分が今更恥ずかしい。
 __農園のこと。
 __結婚のこと。
 __そして秋雄のこと。
 考えなければならないことは沢山たある。ゆっくりとキッチンの横にある小窓を開ける。そして苦しくなった息をそっと吐き出す。
 生暖かい風は青々とした木々と甘い蜜の混じった匂いがする。懐かしい匂いに、今度は大きく深呼吸をしていると少し離れた場所で紅色が揺れるのが見えた。
 まさかと思い目を凝らしていると、木々の間からひょっこりと現れた秋雄が笑いながら近づいてくる。

「見つかったか」

 驚いた私は言葉が出てこない。今日は啓太がいるから来ないと言っていたのに。

「見納めだよ。この農園とも最後だからな」と、切れ長の目を細めながら一面に広がる農園を見渡している。
 __見納め。
 何も言えない私と秋雄の間には沈黙が流れる。二度目のお別れは、どんな気分なのだろうか。秋雄も同じように寂しいと思っているのだろうか。

「もし、成仏できなかったらこの農園の自縛霊にでもなるかな」

 なんて、ふざけて幽霊が幽霊のポーズをするものだから思わず笑ってしまう。

「秋雄って、本当に昔からこの農園が好きだよね。あと、林檎も」

「それは、ナツがそうだったから」

「私?」

 確かにクラスメイトに軽トラをバカにされるまでは、この農園のことも両親が作る林檎のことも大好きだったし自慢だった。大人になって人の目を気にするようになってからは「恥ずかしい」なんて間違った感情を抱いていたけれど、幽霊の秋雄と再会して大切なことを思い出した今の私は子供の頃のように素直に農園も林檎も好きだと言える。
 だけど、過去の私の感情が何故秋雄に影響していたかがわからずにいると秋雄は唇を尖らせる。