「ご無沙汰してます」

 私は咄嗟に頭を下げる。おばさんの顔を見るのが怖かった。だから蟀谷から伝う汗がアスファルトにつくる染みを眺めていた。

「……もしかして、夏実ちゃん?」

「はい」

 ゆっくりと顔を上げると、おばさんは昔と同じ笑顔を浮かべている。そしてすぐに私の背中に手を回した。

「まさか夏実ちゃんが来てくれるなんて。とりあえず中に入って? それより林檎重いわよね。えっと、ここに置いてもらえるかしら」

「あ、はい」

 おばさんは動揺しているようで玄関をウロウロしながらも、林檎の置き場を指差すとすぐに家の中へと消えていった。

「……お邪魔します」

 靴を脱ぎゆっくりと廊下を歩くと、すぐ右にあるリビングの扉を開ける。
 幼い頃によく昼寝をした黒い皮の大きなソファー。ゲーム機を繋いで遊んだテレビ。カウンターの向こうには一緒におやつを作ったキッチン。記憶の中にある光景と何も変わらない。なのに……。

 “__おう。ナツ!”

 いつも、私を出迎えてくれたあの声だけは聞こえない。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 おばさんと向かい合うようにダイニングテーブルの椅子に腰かけると、私の目の前に置かれたコップを見つめる。麦茶とは異なる色の液体にふと思い出す。


 “__母さんが、最近血圧を気にしてさ。家では蕎麦茶しか出ないんだよな”

「……血圧、大丈夫ですか?」

 ふと尋ねると、おばさんは少し驚いた顔をした後にクスクスと笑い出す。