「生きる為には捨てないといけない想いがある。だけど、どうしたって捨てられなかった。私は心の奥でずっと秋雄を想い続けてた」

「……ナツ」

「ごめん。今日は帰るね」

 残りわずかな時間を本当は少しでも長く一緒に過ごしたかった。だけど、今の私は口を開けば秋雄を傷つける言葉しか出てきそうにないから。公園の外に停めておいた自転車に跨ぐと震える手でサドルを握る。そして後ろを振り返ることなくペダルを強く踏み込んだ。

 未来のない関係に、さっきの自分の発言がどれ程までに無意味なものなのかはわかっている。だけど、何も悩まずに婚約者とただ楽しく生きてきたなんて思われたくはなかった。
 私は秋雄が死んで生きていくことの難しさを知って、生きるために踠き苦しんだ。なのに、いくら踠いてもいくら疲れ果てても婚約者に身体を許すことも全てを委ねることもできなかった。

 プラトニックだからこそ、いつまでも初恋の煌めきはこの心の中に色鮮やかに刻まれている。
 初めて肩が触れた時に跳ねた心臓の鼓動や、じゃれあった時に触れた柔らかな温もり。
 __忘れたくない。忘れてはならない。
 上書きのように誰かの温もりで塗りつぶされてしまうのは、秋雄の生きた証しがこの身体から消えてしまうのと同じことのように思えて、頭では流されることを望みながらも心が拒否し続けた。