北村さんの家まで徒歩で十分。自転車ならば五分もかからない程度の距離をこの日は三十分かかってしまった。

 子供の頃は母の代わりに一日に何件も林檎を届けていたけれど、久しぶりの自転車は車体のバランスを取るだけで精一杯。息が上がり全身から噴き出す汗に手拭いを巻いてこなかったことを後悔した。

 途中、小川を見つけた私は化粧も気にせずに顔を洗った。
 ここは東京ではない。ならば着飾る必要もない。と、突然スイッチが切れたように全てがどうでもよくなった。
 そして、気を取り直し休みながらもやっとの思いで北村さんのお宅に辿り着いたのだった。

 敷地内に自転車を止めると林檎の入った段ボールを両腕で抱えながらインターホンのボタンを押す。
 __ドクンドクン。
 速くなる鼓動が耳元で騒いでいる。

「はい」

「こ、小林です」

 懐かしいおばさんの声。途端に暑さで渇いた喉が緊張で締め付けられる。絞り出した声は震えていたけれどインターホン越しでは気づかれてはいないようだった。

「ちょっと、お待ち下さいね」

 我が家と同じ平屋の中から聞こえてくる足音と自分の鼓動の音が合わさり、ジージーと頭上で哭く蝉の声すら掻き消す程に大きく聞こえる。
 生唾を飲み込んでいるとガラガラと音を立てながら開いた横開き扉からは、懐かしい匂いがして胸がきつく締め付けられた。