啓太とならば安定した生活が望める。それこそが、私にとっての「それなりの幸せ」。そう頭では理解しているのに、心が窒息していくのは何故だろう。

「……一人の時間が欲しいの」

 ぼそりと呟くと母が再び大きな溜め息をつく。

「昔はそんなこと言ってなかったじゃないの」

 __昔。
 それが時間ではなく、ある人物を差していることに気づいた私は黙り込む。
 すると母は何も言わずに背を向けると止めていた手を動かした。トントンと包丁がまな板を叩く音がこの頭の奥に響く。
 “__ゆっくりでいいんだからね。結婚だって夏実のタイミングでいいんだから”
 そう言っていたくせになかなか手厳しいじゃないか。不貞腐れそうになった瞬間、ぶーちゃんの言葉を思い出す。

 “__でも、男にもリミットはあるから”

 自分のことだけを考えてはならない。啓太だって、引き返すならば早いほうがいいに決まっている。
 きっと母は結婚する気があるならば、焦らなくてもいいと思っている。だけど、もし迷っているのならば早く答えを出せ。そう言いたいのだろう。
 __結婚は相手ありきの問題だ。

「運んで」

「はい」

 次々と料理を作る母の姿に自分の将来の姿を重ねてみる。
 大学を卒業して。結婚して。家庭に入って。子供を生んで。母親になって……。正直、想像すらできない。それはまだ現実から逃げている証拠なのかもしれない。
 __秋雄のいない現実。
 ふと母の服装に目をやると洗い晒しのグレーのTシャツにデニムという、いつもと何ら変わらぬ格好をしている。自分自身が服装に拘らなくなると他人に対しても無頓着になる。
 私は、もう外見を着飾ることに疲れた。そして自分に嘘をついて生きて行くことにも……。