師匠の声が遠くに聞こえる。それと同時に意識が薄れていくのを感じた。どうやら出血し過ぎたようだ。このままじゃマズイと頭では分かっているものの、身体が言うことを聞いてくれない。まるで自分の身体じゃないみたいだった。
僕は必死に手を伸ばすと、どうにか師匠に触れようとした。だけど、
「ぐっ……!」
次の瞬間、視界が真っ赤に染まったかと思うと、凄まじい衝撃と共に目の前が真っ暗になったのだった。
次に目が覚めた時、最初に視界に入ってきたのは見慣れない天井だった。周囲を見渡してみると、ここが医務室のような場所だと気付くことができた。ただし、置かれている家具などはどれも質素なものばかりで、
「おや、目を覚ましたかい?」
不意に声を掛けられたので視線を向けると、そこには一人の老婆が立っていた。見たところ七十代後半くらいだろうか?白髪混じりの長い黒髪を後ろで束ねていて、顔には深いシワが刻まれている。一見するとかなり高齢に見えるものの、実際にはまだ四十代前半だという話だ。
「えっと……、あなたは?」
僕が尋ねると、彼女は穏やかな笑みを浮かべたまま言った。「私はこの城の専属医をしている者だよ」
「あぁ、そうだったんですね」
「怪我の方はもう大丈夫そうだね」
「はい、おかげさまで助かりました」
「それなら良かったよ」
老婆はそう言って微笑んだ。「それにしても驚いたねぇ」
「何がですか?」
「あの魔術師部隊を倒したのはお前さん達だと聞いたんだよ」
それを聞いて僕は首を傾げた。「それってどういうことですか?」
確かにあの場に居合わせたことは事実だ。だが、僕達は決して戦ったわけではないのである。どちらかと言えば逃げるための時間稼ぎをしていたに過ぎないのだ。なのに何故そんな話になっているのだろうか?もしかして勘違いされているとか? そんな風に考えていると、目の前の老婆は言った。「その様子だと何も知らないみたいだね」
「えぇ、実はですね――」
それから僕は自分が気を失っていた間に起きた出来事について教えられた。それによると、どうやら僕と師匠の活躍によって敵を退けることに成功したらしいのだ。その際、僕の放った一撃が敵のボスである吸血鬼を討ち取る決め手となったのだとか。にわかには信じられない話である。しかし、それが事実だとすると辻褄が合う点もあった。あの時感じた謎の力は間違いなく『闇属性魔法』だったし、僕自身が瀕死の重傷を負っていたにも関わらず生き延びていたというのも頷ける話だった。要するに全て合点がいくのである。
「――という感じなんですよ」
僕は一通り説明を終えると一息ついた。「ところで、一つ質問してもよろしいですか?」
「何だい?」
「師匠は今どこに?」
すると、老婆の表情が僅かに曇ったような気がした。「彼は今別の場所にいるよ」
「別の場所というのは?」
「……こことは別の医療室だね」
それを聞いて嫌な予感がした。僕は慌てて立ち上がると、彼女に詰め寄った。
「一体どういうことなんですか!」僕は大声で怒鳴った。「なんで師匠だけが別の部屋にいるんだ!」
すると、彼女は目を伏せたまま答えた。「それは私にも分からないんだよ」
「……どういう意味です?」
「私が聞いた話によると、アルスは意識を失って倒れているあんたを抱えて戻ってきたそうなんだ。ただ、他の兵士の話だとね、彼の右腕が失われていたという報告も受けているんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、心臓がドクンと大きく跳ねたのが分かった。僕は急いで自分の腕に目を向ける。すると、そこは肘から先が完全に消失しており、骨が見えてしまっている状態だった。それを見て僕は確信する。あの時に受けた傷のせいだと……。恐らく傷口を塞いでいる布か何かが取れてしまったのだろう。それで出血してしまい気を失ったというのが事の顛末のようだ。つまり、これは僕の自業自得というわけである。
僕は項垂れるとその場に崩れ落ちた。そして、ポツリと呟く。「師匠……」
******
***
次回の投稿は明日の12:00頃の予定です。どうぞお楽しみに! (アルス視点)
あれからどれくらいの時が流れたのだろうか?僕は相変わらず医務室に寝かされたままだった。そして、そんな僕を見守り続けているのは一人の女性――師匠の姉であり国王陛下の妻でもあるアリアさんだ。彼女は椅子に腰掛けたままジッとこちらを見つめている。その目には悲しみの色が浮かんでいたけれど、決して涙を見せるような真似はしなかった。強い人だと思う。きっと辛いだろうに、そんな素振りは一切見せようとしないのだから。
しかし、そんな彼女でも限界はあるようで、時々何かを思い詰めたような顔をしてはため息をつくことが増えてきたように思う。それもこれも全て僕のことが原因なのだと思う。なにせ、最愛の弟があんな状態なのだ。辛くないわけがないだろう。本当ならもっと悲しんでいいはずなのに……。そう思うと胸が痛んだ。
僕は視線を逸らすように顔を背けると、再び目を閉じた。しかし、なかなか眠気がやってこない。むしろ、余計に目が冴えてきてしまったほどだ。それでも無理やり眠ろうと努めていると、やがて外から微かな足音が聞こえてきた。誰か来るみたいだが、こんな時間に一体誰なのだろう?気になったので耳を澄ましてみることにした。すると、扉がノックされる音が聞こえてくる。次いで、聞き覚えのある声が聞こえてきた。「私です」
師匠の妹さん――アリーシャさんの声だということは直ぐに分かった。僕が「どうぞ」と声をかけると、彼女は遠慮がちに扉を開けて入ってくる。そのままゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。その手には大きなバスケットのようなものがある。どうやら食事を持ってきてくれたようだ。
僕が身体を起こそうとすると、すぐに駆け寄ってきた彼女によって制止されてしまった。「そのまま横になっていてください」そう言って微笑むと、ゆっくりとした手つきで僕の上体を起こしてくれた。そして、そのまま背中にクッションを置いてくれると、そこに身体を預けるように言ってきた。言われるままにしてみると楽になったような気がする。これなら多少動いても大丈夫だろう。
「具合の方はどうですか?」アリーシャさんは心配そうに尋ねてきた。なので、僕は苦笑いを浮かべながら言った。「まぁ、何とかって感じですかね」
本当は身体のあちこちが痛いし、気分もあまり優れなかったりするのだが、余計な心配をかけさせたくはなかったのでそう答えておいた。それに、いつまでも病人扱いされ続けるのも嫌だったしね。だけど、アリーシャさんには通用しなかったようだ。すぐさま否定されてしまったからである。「いいえ、嘘はダメですよ」彼女は頬を膨らませながら言う。「私にはお見通しなんですから」そう言うと、手に持っていた籠を差し出してきた。
僕は必死に手を伸ばすと、どうにか師匠に触れようとした。だけど、
「ぐっ……!」
次の瞬間、視界が真っ赤に染まったかと思うと、凄まじい衝撃と共に目の前が真っ暗になったのだった。
次に目が覚めた時、最初に視界に入ってきたのは見慣れない天井だった。周囲を見渡してみると、ここが医務室のような場所だと気付くことができた。ただし、置かれている家具などはどれも質素なものばかりで、
「おや、目を覚ましたかい?」
不意に声を掛けられたので視線を向けると、そこには一人の老婆が立っていた。見たところ七十代後半くらいだろうか?白髪混じりの長い黒髪を後ろで束ねていて、顔には深いシワが刻まれている。一見するとかなり高齢に見えるものの、実際にはまだ四十代前半だという話だ。
「えっと……、あなたは?」
僕が尋ねると、彼女は穏やかな笑みを浮かべたまま言った。「私はこの城の専属医をしている者だよ」
「あぁ、そうだったんですね」
「怪我の方はもう大丈夫そうだね」
「はい、おかげさまで助かりました」
「それなら良かったよ」
老婆はそう言って微笑んだ。「それにしても驚いたねぇ」
「何がですか?」
「あの魔術師部隊を倒したのはお前さん達だと聞いたんだよ」
それを聞いて僕は首を傾げた。「それってどういうことですか?」
確かにあの場に居合わせたことは事実だ。だが、僕達は決して戦ったわけではないのである。どちらかと言えば逃げるための時間稼ぎをしていたに過ぎないのだ。なのに何故そんな話になっているのだろうか?もしかして勘違いされているとか? そんな風に考えていると、目の前の老婆は言った。「その様子だと何も知らないみたいだね」
「えぇ、実はですね――」
それから僕は自分が気を失っていた間に起きた出来事について教えられた。それによると、どうやら僕と師匠の活躍によって敵を退けることに成功したらしいのだ。その際、僕の放った一撃が敵のボスである吸血鬼を討ち取る決め手となったのだとか。にわかには信じられない話である。しかし、それが事実だとすると辻褄が合う点もあった。あの時感じた謎の力は間違いなく『闇属性魔法』だったし、僕自身が瀕死の重傷を負っていたにも関わらず生き延びていたというのも頷ける話だった。要するに全て合点がいくのである。
「――という感じなんですよ」
僕は一通り説明を終えると一息ついた。「ところで、一つ質問してもよろしいですか?」
「何だい?」
「師匠は今どこに?」
すると、老婆の表情が僅かに曇ったような気がした。「彼は今別の場所にいるよ」
「別の場所というのは?」
「……こことは別の医療室だね」
それを聞いて嫌な予感がした。僕は慌てて立ち上がると、彼女に詰め寄った。
「一体どういうことなんですか!」僕は大声で怒鳴った。「なんで師匠だけが別の部屋にいるんだ!」
すると、彼女は目を伏せたまま答えた。「それは私にも分からないんだよ」
「……どういう意味です?」
「私が聞いた話によると、アルスは意識を失って倒れているあんたを抱えて戻ってきたそうなんだ。ただ、他の兵士の話だとね、彼の右腕が失われていたという報告も受けているんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、心臓がドクンと大きく跳ねたのが分かった。僕は急いで自分の腕に目を向ける。すると、そこは肘から先が完全に消失しており、骨が見えてしまっている状態だった。それを見て僕は確信する。あの時に受けた傷のせいだと……。恐らく傷口を塞いでいる布か何かが取れてしまったのだろう。それで出血してしまい気を失ったというのが事の顛末のようだ。つまり、これは僕の自業自得というわけである。
僕は項垂れるとその場に崩れ落ちた。そして、ポツリと呟く。「師匠……」
******
***
次回の投稿は明日の12:00頃の予定です。どうぞお楽しみに! (アルス視点)
あれからどれくらいの時が流れたのだろうか?僕は相変わらず医務室に寝かされたままだった。そして、そんな僕を見守り続けているのは一人の女性――師匠の姉であり国王陛下の妻でもあるアリアさんだ。彼女は椅子に腰掛けたままジッとこちらを見つめている。その目には悲しみの色が浮かんでいたけれど、決して涙を見せるような真似はしなかった。強い人だと思う。きっと辛いだろうに、そんな素振りは一切見せようとしないのだから。
しかし、そんな彼女でも限界はあるようで、時々何かを思い詰めたような顔をしてはため息をつくことが増えてきたように思う。それもこれも全て僕のことが原因なのだと思う。なにせ、最愛の弟があんな状態なのだ。辛くないわけがないだろう。本当ならもっと悲しんでいいはずなのに……。そう思うと胸が痛んだ。
僕は視線を逸らすように顔を背けると、再び目を閉じた。しかし、なかなか眠気がやってこない。むしろ、余計に目が冴えてきてしまったほどだ。それでも無理やり眠ろうと努めていると、やがて外から微かな足音が聞こえてきた。誰か来るみたいだが、こんな時間に一体誰なのだろう?気になったので耳を澄ましてみることにした。すると、扉がノックされる音が聞こえてくる。次いで、聞き覚えのある声が聞こえてきた。「私です」
師匠の妹さん――アリーシャさんの声だということは直ぐに分かった。僕が「どうぞ」と声をかけると、彼女は遠慮がちに扉を開けて入ってくる。そのままゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。その手には大きなバスケットのようなものがある。どうやら食事を持ってきてくれたようだ。
僕が身体を起こそうとすると、すぐに駆け寄ってきた彼女によって制止されてしまった。「そのまま横になっていてください」そう言って微笑むと、ゆっくりとした手つきで僕の上体を起こしてくれた。そして、そのまま背中にクッションを置いてくれると、そこに身体を預けるように言ってきた。言われるままにしてみると楽になったような気がする。これなら多少動いても大丈夫だろう。
「具合の方はどうですか?」アリーシャさんは心配そうに尋ねてきた。なので、僕は苦笑いを浮かべながら言った。「まぁ、何とかって感じですかね」
本当は身体のあちこちが痛いし、気分もあまり優れなかったりするのだが、余計な心配をかけさせたくはなかったのでそう答えておいた。それに、いつまでも病人扱いされ続けるのも嫌だったしね。だけど、アリーシャさんには通用しなかったようだ。すぐさま否定されてしまったからである。「いいえ、嘘はダメですよ」彼女は頬を膨らませながら言う。「私にはお見通しなんですから」そう言うと、手に持っていた籠を差し出してきた。