王都の中央通りから裏道に入り、お目当ての大衆食堂で食事を取る。
 観光客には知られていないが、近くで働く人たちにはお手頃価格で美味しいご飯が食べられると有名なのだ。場所が場所だから知る人ぞ知る隠れた名店。私もお城で働いていた時に教えてもらったのだ。

 シンドラー王子から。

「さすがにお城は抜け出していませんよね!?」
 この店がオススメだと聞かされた時には焦った。それはもう、王子の肩を掴んで揺さぶるほどには混乱した。けれど話を聞いてみれば、この店は騎士達の中でも有名らしく、ディートリッヒ様の話に出てきたのだとか。

 そんな店を私に教えた理由はたった一つ。テイクアウトメニューである、お手製プリンを持って帰ってきて欲しいからだった。

 デザートにも関わらず人気ナンバー1を誇るプリンの話を聞かされたシンドラー王子だったが、食べてみたいと頼んでもディートリッヒ様が持って帰ってきてくれることはなかったらしい。
 それはそうだろう。王子の口に入れる物となれば、毒味とかいろいろとする必要がある。少なくとも外で買ってきた物をはいどうぞと手渡すことは出来ないのだ。
 ディートリッヒ様がシンドラー王子を守る筆頭の騎士だからなおのこと。そういう背景を王子自身も理解しているからこそ、早々にディートリッヒ様を諦め、私に頼んだという訳だ。

「抜け出さないから、アイヴィーが持ち帰ったのを横取りさせてくれ」

 頼む! と顔の前で両手をぴったりとくっつけて懇願されては、断ることも出来ずに足を運んだのが始まりだった。
 それから私も王子もプリンの虜になり、城とはまた違う美味しさの食事は、週末のウィンドウショッピングの後にはコレ! と決まるほど。

 ウェディングドレスを頼むお針子さんの目星もつけ、すっかり外出はご無沙汰になっていた。この店に足を運ぶのも久しぶりのこと。


 席に着いて真っ先に頼むのはビーフシチューと窯焼きパンだ。
 ここのビーフシチューは非常に手が込んでおり、実に3日もの間火にかけ続けているのだ。低温でじっくりと煮込まれたお肉は口に入れた瞬間にとろっと溶けて、野菜の風味が凝縮されたソースと共に私の口の中で手を繋ぐのだ。気品溢れるその旨さはまるで社交界のダンスのよう。
 単品でも惚れ惚れとするほどの美味しさだが、ここにお店の窯で毎朝焼き上げる窯焼きパンをプラスするのは常連なら当たり前のこと。
 空気の隙間だったのだろう場所にシチューが吸い込まれ、じゅわっとした重みを孕んだパンは、外のカリッと触感との対比がたまらない。

 もくもくと手と口を動かしながら、ちょっとした贅沢に浸る。

 そしてシメはやっぱり自家製プリン。
 この店のプリンは昔ながらのしっかりプリンで、ポツポツと空いたスの部分にはカラメルが浸透しているのだ。
 それに意外と重要なスプーン。初めて食べたときはビーフシチューの時と同じ大きさのスプーンを出されたことに驚いたが、今ではこれでなければ十分に旨さは味わえないと断言出来る。

 柔らかな山吹色のボディにスコップで開拓するように深くスプーンを突き刺す。スプーンにこんもりとお山が出来るほどに掬ったら思い切り頬張る。
 つるんと舌の上を滑走するそれを咀嚼すると、ふんわりと優しいたまご本来の味がその面を中心として、容赦なく広がっていく。
 大きめなスプーンで、ぷるんぷるんと震えるプリンの山を掘っては大きく口を開いて頬張る。けれどこの空間で女が大口を……なんて咎める者はいない。

 このプリンを目の前に、そんなのはヤボってものだ。
 隣に座ったおじさんと目が合えば、コクコクと頷いてくれる。その目はすでに何かを悟っているよう。視線をおじさんの手元に移せば、彼もまたデザートのプリンに手を伸ばそうとしていた。

 なるほど、隣の彼も同士という訳だ。
 アイコンタクトで「それ美味しいですよね」と返すとおじさんは満足げに口角を上げた。そしてプリンに向き直り、スプーンでひとしきりプリン独特の感触を楽しんだおじさんは幸せそうにプリンを頬張るのだった。



 すっかり満腹になった私は食堂を後にする。
 頭の中のシンドラー王子が「アイヴィーだけずるいぞ!」と騒いでいるが、さすがに今日の王子に差し入れすることは難しい。
 それどころかアッシュ家のメイドになったからには、ディートリッヒ様に内緒で買ってきたものを渡すのも難しい。だがタイミングさえあれば差し入れすることにしようと、脳内のシンドラー王子に誓う。

 それから3着分の服を手に、私は軽く王都を見て回る。
 さすがにこの荷物で食べ歩きは難しいが、散策して回るくらいは出来る。袋はかさばってこそいるものの、重くはないし。

 ちなみに一度置きに帰るという選択肢はない。

 そこまでの距離ではないが、決して近くはない。つい最近まで居たお城との距離と比べてしまうと途端に面倒臭く思えてしまうのだ。
 田舎から出てきて何て便利なの! なんて感動したのはもう遠い昔のことのようだ。
 住めば都というが、本物の都に住んだら最後、元の生活に戻れる気がしない。便利になれすぎるのも考え物よね。他人事のように思いながら、王都の中央通りを中心に見て回る。

 活気に満ちあふれた王都でお店の袋を下げて歩く。

 なんだか豪遊でもしている気分だ。
 すれ違うカップルだろう男女を眺めながら、今まで目を向けてこなかった観光地に足を向ける。

 彼らが背を向けるのは、この王都で有名な教会だ。
 様々な色がつけられたステンドグラスに日光が当たって綺麗なのだそう。中でもカップル達を筆頭とした多くの人々のお目当ては『天使のステンドグラス』だ。
 教会に置かれた大きな十字架の上に飾られているそのガラスは、よく晴れた日に思い人と一緒に目にするといいらしい。空から舞い降りてきた天使が幸せを運んできてくれるのだそうだ。

 以前、同僚の一人が恋人と行くの! とはしゃいで聞かせてくれたことだから覚えていた。
 けれどそこまで興味はなかった。

 ガラスで作られた天使よりもウェディングドレスに身を包むお姉様だったのだ。

 だが今日はふと思い出したように興味が沸いた。
 きっと一人でもいいから、実家の二人の幸せを祈れっていう神様からの思し召しよね!

 雲一つない晴れた空の下で、かの有名な天使様の元へと向かう。
 こんな時ばっかり頼るのはよくないかもしれないけれど、これからしっかりと善行を積むということで多めに見て欲しいものだ。
 近づくに連れて徐々に増えていく人の流れに従って、教会の中へと足を踏み入れる。

 初めて立ち入るその教会の光源は主にガラスを通して注がれる日光だった。壁にはいくつかのキャンドルポットが置かれている。おそらく陽が十分でない時はそれを光源として使うのだろう。

 けれど今日みたいな日は不要だ。
 ガラスを通して、天使様へ向かう道に降り注ぐ光は幻想的で、まるでおとぎ話の世界にでも迷い込んだのかと錯覚してしまうほど。

 思わずほうっと息を吐いて、周りのステンドグラスを眺める。
 これは恋人とくれば幸せが訪れると噂されるのも納得だ。寄り添う男女がほとんどを占める中で、私は一人、少し離れた場所で目を閉じ、両手を組み合わせる。

『どうかお姉様とジャックがこれからもずっと幸せであり続けますように』

 天使様に祈りを捧げる私の瞼の裏には幸せそうに笑い合う二人の姿が映る。
 ずっと実家には帰っていないからもう6年も前の姿だ。けれど今でも変わらずに笑っているはずだ。

 わざわざ天使様に祈るようなものでもなかったかもしれない。
 あの二人なら頼まずともずっと笑いあってくれるだろうから。

 それでも私にとって一番の願いはそれなのだ。
 だがついでだから二番目の願いも伝えるだけ伝えてみようか。

『シンドラー王子とマリー様にプリンを差し入れる機会がありますように』

 わがままな私の願いが叶うかはわからない。
 けれど目を開いたその時、ステンドグラスの天使様とばっちりと目があったように思えた。だから目があった彼にお願いしますね! と口だけ動かして念押しする。

 幻想的な空間には別れを告げ、緩やかに押し寄せるカップルの波をよけるようにして進む。出口を跨げば、再び燦々とお日様が照らす王都のお出ましだ。ついさっきまで歩いてきた道がやけに眩しく見えてしまう。

 けれどきっと天使様が願いをかなえてくれるだろう、私の未来もこの道と同じくらい明るいはずだ。そう信じて王都の道へと繰り出すのだった。