あー...消えたい


そんなため息から今日が始まる。
窓の外に視線を向けると青すぎる空と太陽の光が目に痛い。




 えーと、彼とは学生の頃からの仲なんです。ほんっと優しくて。初めは友達としか見てなかったんだけど、告白されて付き合ってみたら一緒にいればいるほど彼のいいところが沢山見えたの。同居も初めて、どんどん好きが増えていって、

幸せだった。

何で過去形なのかって?
最近急に冷たくなったの。私のことを見てくれない。そのせいで声をかけるのさえ怖い。
前までは彼とのおしゃべりが私の生き甲斐だったのに。

「おはよう」

意を決して声を出す。

私が望んだ返答の代わりに返ってきたのは、バタンッというドアの閉まる音。
彼は私に見向きもせず、仕事へ出て行ってしまった。
心に針が刺さって抜くことができない。私、何かしたのかな。
彼の声が聴きたい。彼に触れたい。あぁもう好きなのは私だけなのかな。

どうして…

こういうのが、重たかったのかな。
ほんと生きてるのがつらい。



 ふと、彼の部屋へ入ってみる。
その部屋は彼の性格にしては全く似つかわしくないほどに酷く片付いている。そんな部屋に私は何処か寂しさを覚えてしまう。

彼が、私の前から姿を消してしまうような。

Prrrrr…

静かな部屋に鳴り響く電子音。
受話器を取ろうと手を伸ばすも、途中で引っ込めてしまうしばらく見つめているとそれは留守電に切り替わり、女性らしき人が喋り始める。

「もしもし。お母さんです。」

彼の母親だ。少しばかりの安心感に胸を撫で下ろす。

「引越しの準備どう?こっちはいつでも帰ってきてくれていいから。決まったら日程だけ教えてね。」

そう言い、プツンと切れてしまった。

引越しとはどういう事だ。私は知らない。
もう一緒には暮らしたくないということか。だから、部屋がこんなに片付いているのか。

ポケットに入っていた彼とおそろいのキーホルダーをグッと握りしめる。
大好きなはずの彼の部屋に居るのが辛くなり、扉を閉じてリビングに戻った。





 何時間そうしていただろうか。
ソファで眠っていた所をガチャンという玄関が開く音で起こされた。彼が帰ってきた。

おかえりとは言えなかった。



2人いるとは思えないほど静かな空間。


「はぁ…今月中には出ないとな。」


独り言のようだったが。

聞こえてるって。
全部。
全部全部。

君には分からないだろうけど。

全部。



パキッ

手の中にあったキーホルダーが音を立て、割れた。

「あっ」

それが自身から滑り落ち、意識を現実へと引き戻す。
彼の方へ振り返る。
目の前の事実に息が止まる。
瞬間、彼にも聞こえたんじゃないかと言うほど、ドッと心臓が脈打つ。

なぜ?

わからない。

彼の頬を伝って雫が落ちる。

「ねぇ、どうしてっ。会いたいよ...結衣っ、帰ってきて...」

彼が泣いている。私の名前を呼んで。
どうして?こっちのセリフだ。
会いたい?目の前にいるじゃないか。
帰る?何処に。
耐え難い恐怖感に脳が支配される。押しつぶされそうな圧迫感。



あぁ、そっか。私、…。

信じ難いが、納得はいく。
大切な人が目の前で私を呼んで泣いていて、私のせいで泣いていて、近くにいるのに、でもいちばん遠くて。
彼へ向かって手を伸ばし、それを頬に添えるも、きっと彼には届いてなくて。なにかしてあげたいと思う程、なにも出来ない自分に失望するばかり。



さっきまでは死にたいと考えていたのに、今は生きたいなんて無謀な望みをもっている。

ほんとに情けない。



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 先月、彼女が死んだ。
俺はまだその事実を受け止めきれていないのだろうか。
彼女が帰ってこないことなど脳では理解しているはずなのに、どうしてか彼女が近くにいるような気がする。
会いたい。
ここに居ると、どうしても彼女に触れたくなる。


割れたキーホルダーが目に入る。さっきまでは無かったのに。紫色のアゲハ蝶が描かれた可愛らしいキーホルダー。
瞬きを二回。耐えられたのはそこまでで、視界が不明瞭に溶かされる。

彼女は確かに生きていた。