次の日も、彼は宣言通り始業の時間には来なかった。

 永遠のように感じる長い午前中が終わり、やっとの思いで昼休みになる。

 午前に来ていなかったのだから本当にお昼休みだけ来るはずがない。

 そう思いながら空き教室に行くと、あろうことか、本当に空き教室に滝采の姿があったのだ。

 本当に何から何まで分からない。

 でも、よく見ると、すべての動作にどこかぎこちなさを感じる。

 まるで何も見えていないかのように。

 がらりと扉を開けて中に入る。


 「春露?」

 「ねぇ滝采、もしかして」


 わたしが気になったことを聞こうとするのを遮って、彼は静かにこう告げた。


 「ごめん。明日からは学校に来れない。だからもう会えない」


 全身に冷水を浴びせられたかのように体が震えてくる。

 なんで、なんでそんなに急に。


 「えっ? 理由教えてくれないと、分からない。なんで…? なんでそんなにいきなり?」


 彼は少し渋るような雰囲気を出し、意を決したのか手を顔の方に持っていった。


 「ここの病気」


 彼が指差したのは彼の瞳だった。

 病気って、どう言うこと?

 横方向からの光を目一杯に取り入れて、でも彼の右目に光が入ることはない。


 「俺の目は、じきに見えなくなる」


 そう言う彼の瞳は見えていないと言っているのに、きちんと私の目を見ている。

 そういえば、とある日の滝采の行動を思い出す。

 とある男子生徒の机にぶつかる彼、テストを解くときに机に顔がつくくらいまで近づけて解く彼、そしてこの間の外を見ていていきなり目を抑える彼。

 あれはぜんぶ彼の病気が関係しているのだ。


 「春露にだけは言っておこうと思って」

 「私にだけ?」

 「いきなり俺がいなくなったら、春露のお話相手がいきなりいなくなるからだろ」


 なんで彼はここまで私のことを気にかけてくれるんだろう。


 「じゃあ、今日はそれを言いに来ただけだから」


 そう笑ってから滝采は私の横を通り過ぎようとする。

 待って、そんなの嫌。

 もう会えないかもなんて、言わないで。

 わたしはまだ、滝采に何も返せてないよ。

 だから、まだ行かないでよ。


 「どこの病院?」

 「は?」

 「どこの病院に行ったら、滝采に会える?」


 彼は聞き分けの悪い子供を見るかのようにわたしのことを見て、悔しそうに下唇を噛んで俯く。

 そして、顔だけ振り向いていつもと同じ笑顔で笑いながらこう言うのだ。


 「教えない」


 私だけに見せてくれていた滝采琥珀が、みんなに見せる滝采琥珀になった瞬間、世界の全てを壊してしまいたくなるくらい悲しくなった。

 目の前が真っ白になった。


 「じゃあ、勝手に特定させてもらうね」

 「はぁ?」


 その時、顔までしかこちらを向いてくれなかった彼が、振り向いた。

 うちの両親は二人とも医療関係の職業で顔も広い。


 「特定するって言ったってどうするんだよ。できないだろ」

 「できないんじゃない! やるの!」


 思っていたよりも大きな声が出てしまった。

 でも、それくらい諦めるつもりなんてさらさらないし、彼自身にも希望を捨ててほしくない。


 「滝采が"できない"なんて、使わないでよ…辛いことがあっても、明るく振る舞うだけで明るくなれるんでしょ? ここでは誰にも見せないところを見せてくれてるって言うのはすごく嬉しい。でも、諦める滝采は見たくないよ…」


 滝采には笑っていてほしいのだ。

 どれだけ疲れても、わたしの話を聞いてくれる底抜けの明るさと優しさを捨てないでほしい。


 「わたしの下の名前、ひかりって言うの。希望って書いて、ひかりって読むの。だから、私に希望というひかりを与えさせて」

 「春露は、なんでそこまでするんだよ…」

 
 滝采は困惑したような面持ちで言う。

 そんなの決まってる。


 「滝采が私を助けてくれたからだよ」

 「訳わかんねぇ…」


 私にできることがあるのなら、なんだってする。

 瓦礫みたいなSNSの渦から救ってくれた。

 空白で空っぽな世界を明るさと優しさで埋めてくれた。

 埋まらなかった分を無理して埋める必要もないんだ。

 今度はわたしが、彼の空っぽを埋める番だ。