ガラリと教室に入って滝采の席をちらりと見る。

 いつも始業ギリギリに来るため、特になんの違和感もなく自分の席に座る。

 前までは朝自分の席に座って問題集を開き担任が来るギリギリまでノートと問題集とにらめっこをしている日々だった。

 けれど、お母さんとの一件があって、前までなら考えられなかったスマホを見るという選択肢に違和感を覚える。


 「あの、春露さん、ここが分からなくて、よかったら教えてくれないかな?」


 クラスメイトの子が恐る恐ると言ったような感じで話しかけてくる。

 高校二年生から始まった数学は今までとは比じゃないくらい難しい問題が増えた。


 「あ、えっと、私でいいのなら…」

 「春露さんに教えてもらおうと思って頼んでるんだから、春露さん以外いるわけないじゃん」


 「春露さんって面白いね」と笑いながら教科書とノートを開く彼女を見て、心が浮つく感覚がする。

 誰かから面白いなんて言われたことなんか一度もない。

 逆に私はどちらかというと正論パンチで場を冷やすタイプだったから言われ慣れていない言葉すぎてむずむずしてしまう。


 「実は、前から春露さんが教えるのが上手って聞いたことがあって、教えてもらいたいなって思ってたんだけど、春露さんが難関大学の医学部目指してるって聞いたことがあるから、そんなに大変そうなのにわざわざ私のために時間とってもらうのもなって思っちゃって」


 初見では解けないような難問に頭をひねりながらぽつぽつと語ってくれた内容に衝撃を覚える。

 私のことを見てくれている人なんかいたんだ。

 私が周りのことを見えていないから、みんなもどうせ他人になんか興味がないと思っていた。

 
 「進路はずっと親に言われたことをそのまま書いてただけなんだ。でも、もうこれからは自分で進路も決めていこうと思ってて。だから、私で良かったらわからないところがあれば何でも聞いてほしいな」


 一気に2つの悩みがなくなるだけで心の余裕がだいぶ変わってくる。


 「そっか。希望ちゃんありがとう!」


 そう言って解き終えたのか私の方にノートを傾けて「ここ!」と指差す。

 所々書かなければいけないところは抜けているけれどほぼほぼ正解に等しいところまで来ていた。

 「正解」というと満点の笑顔で笑って教科書とノートを片付けて席に戻っていった。

 誰かに下の名前で呼ばれて嬉しいと思ったのいつぶりだろう。

 はたまた言われて嬉しいなんて思ったことあったのだろうか。

 記憶にはないくらい人と関わりというものを持っていなかったのだなと自覚する。


 「お前ら座れー!! 月曜日が始まったぞー!!」


 出席簿を持って担任が入ってくる。

 ふと今日の使命を思い出す。

 滝采にお礼を言わないといけないんだ。

 そして、滝采の席を見て彼がまだ来ていないことに気がつく。


 「あーそうだ、滝采は今日休みな」


 さらっといっけのける先生をみて「えっ」と口から声が漏れる。


 「はぁー? 滝采サボりかよー!」


 お礼を言おうと思っていたのに、本人が休みとなると伝える方法がない。

 どうしたものかと考えた結果、最終的に出たのは電話というツールだった。

 昼休みに掛けよう。

 掛ける前にメールか何かを送ったほうがいいのだろうけれど、彼のメールアドレスなんか知らないから勘弁してもらおう。


 *


 お昼休みになって一人で空き教室に出向き、使用非推奨のスマホを取り出す。

 電話番号だけは教えてもらったため、打ち間違いのないように何度も確認しながら電話ボタンを押す。

 ぷっぷっぷっと何度か音が出てから4コールめくらいで彼は出た。


 『もしもし、どちら様?』

 『春露、春露希望です。今日学校来てなかったけど大丈夫だった?』

 『あぁ、全然大丈夫。明日は昼休みだけ行く気でいる』

 『昼休みだけってほぼ授業受けてなくない?』

 『まぁバレなきゃいいだろ』

 『そ、そっか…じゃあ言おうと思ったことあったんだけど、明日言うね。じゃあお大事に』

 『うん。おっけ』


 ピッと通話を切って熱くなった頬を冷まそうと彼が最近よくいる窓際に立って風に当たる。

 寝起きだからか電話だからか、いつもより声が低く感じて胸がざわざわと喚いている感覚がする。


 こんな悩み持つことになると思わなかったな。