授業で分からないところがあって先生に聞いていたら遅くなってしまった。

 滝采はもう来てるだろう。

 空き教室の窓から中を覗くと、彼はこの間と同じように開放した窓枠に頬杖をついて外を眺めている。

 扉を開けて入ろうとしたところで彼がいきなり目を押さえる。

 きつく鋭い目で下を向いて床を睨んでいる彼に呆気に取られて、その場から動けなくなる。

 三十秒ほど経って、彼が落ち着いたのか体を上げてこちらを向いた。

 何も見ていない。

 あたかも今来たかのように装って扉を開ける。


 「滝采、大丈夫?」


 しかし、入った瞬間、ついそうやって聞いてしまって後悔した。

 彼が何も言っていないのに私がいきなり口を挟むのは違う。

 彼は何があったかを説明してくれるものだと思っていたのだが、想像とは異なり、あちらも何事もなかったかのように返事をした。


 「別になんにもねーよ」


 平然とそうやって返されたけれど、彼の腕や額には脂汗か冷や汗かが浮かんでいるような気がする。


 「そっか、ならいいんだけど。ねぇ、滝采の幸せだった話とか無いの?」


 何も答えない彼と若干気まずい静寂が流れ始めたころ、チャイムの音が鳴る。

 そういえば今日から半日授業になったのだった。

 テスト前に半日授業にしてくれるのはありがたいのだが、半日にされてしまうと滝采と会う時間がなくなってしまうから嫌だな。


 「ごめん。俺今日疲れたから先教室戻る。早く来ないと最後になるよ」


 「待って」という言葉をかける勇気は湧かず、彼は先に空き教室を出ていってしまった。


 *


 教室に戻ると、彼はよく話している仲のいい男子友達と話していた。

 いつもと変わらない笑顔。

 だけれど、心なしか疲れているようにも感じる。

 彼を眺めていると、ぱちりと目があった。

 ただ単に目があったクラスメイトに笑いかけたのだと言うかのごとく空き教室では見せない整った笑顔を向けてくる。


 「今琥珀くん私に笑いかけてくれたよね?」

 「いや私じゃない?」

 「いやいやあれは完全に私と目があってた」


 滝采と関わるようになると、周りのこともよく見えるようになってきた。

 彼のことが気になっている人は多いらしく、最近は私の幸せ話の徴収のために空き教室に来てくれているから、教室では毎日滝采が気がついたらどこかにいっているという噂と、彼女と秘密でご飯を食べているという噂を聞く。

 しかし実際はお互いご飯は食べずに思ったことをポツリポツリと話すだけ。

 それでも。

 空き教室での彼の笑顔を思い出して胸が熱くなる。

 必死に認めないようにしてきたけれど、もう自分の心に嘘をつくのは無理なのかもしれない。

 アンチコメントによって絶望の底に叩きつけられた私をいとも簡単に手を伸ばして救ってくれた存在。

 教室で見せる底抜けの明るさではなく、落ち着いた雰囲気の、私だけに見せてくれる滝采という存在が私の思いを大きくしていった。

 私は滝采が好きだ。

 太陽みたいな彼も実は月なのかもしれない。

 私の知っている彼は月の裏側で、クラスメイトに見せている面は光り輝く表面だろう。

 明日はどんな嬉しいことが起こるだろう。

 そうやって想像しながら、昼間の冷えたロータリーを歩いて帰った。