「将来、ずっと、あの人と一緒にいるイメージがわかないっていうか……」
 エメラルドのように碧く輝くクリームソーダを、美保はストローでかき混ぜて、ため息を一つ、ついた。

 あの人、とは俊介のことだ。美保と俊介が付き合っているのは、双方から聞いている。
 ボクと美保がいる大手チェーンの喫茶店内は西日がさしていて、セピア色に染まっていた。

「それは、ボクにも分からないよ。恋愛相談は受け付けないからな」
 ボクは笑顔を取り繕って言う。
「ずるい」と、美保はおどけた。
「ずるいのは、美保さんだよ?」
「どうして?」
「だって、紹介したい女の子がいる、って言うから、ボクはここへ来たんだけど」
「あ、うっかりしてた」

「……最初から女の子を連れてくるつもりなんてなかったんだろ?」
 美保は、悪戯な笑みを浮かべてごまかした。
 美保と俊介が最近うまくいっていないことも、双方から聞いてはいる。しかし、余計なことは口出ししない方がいい。

「とにかくさ、俊介にも悪いし、ボクは帰るよ」
 すると、美保は急に淋しそうな表情に豹変した。
「何で帰るのよ? 私といるのが嫌?」
 そんな上目遣いで言われると、つらい。

「嫌とかじゃないよ。でも、付き合ってもいないのに二人きりでこんな風に会うのって、よくないっていうか、その……」
「じゃあ、何で、ここに来たのよ?」
「だから、さっき言ったけど、女の子を紹介してくれるからって聞いたから、さ」
「でも、それは嘘って、最初から分かっていたんでしょ?」
「さあ……。またな」
 ボクは美保から目を反らして、席を立った。

「嘘だって分かっていたなら、来なきゃいいくせに!」
 背後から美保の声が聞こえたが、無言のまま振り返らずに店を出た。
 夕暮れ時の街には、生温かい、空虚な風が吹いている。
 美保の言うとおりだ。

 女の子を紹介するなど嘘と分かっていたのに、ボクはヌケヌケと会いに行ってしまった。
 分かり合える大切なユニットメンバーである俊介の彼女を、まさか、こんなに好きになってしまうとは。

 ボクと美保、俊介は、地元三重県いなべ市の中学校時代からの同級生だ。
 ボクと俊介は今、会社員として働きながらも、大学生の頃からの延長で「ホツマツタヱ」という二人組アコースティックギター・ユニットとして、活動を継続している。
 大学生の頃から美保はボクらのユニットのライブをブッキングしたり、チラシをつくったりと、マネージャー的な役割を担ってくれていた。
 その活動の中で、俊介のつくる曲に惚れ込んだ美保は、やがて俊介の存在そのものへと愛情が移ろい過ぎていった。

 そこまでは、よかったのだ。
 二人は付き合うようになると、アーティスト思考が強くて気難しい俊介のことで、美保はたびたび悩むようになる。
 そして、今や市役所職員となったしっかり者の美保は、将来の考え方まで俊介とすれ違ってしまったようだ。

 その美保の相談にのっているうちに、気が付いたらボクの心は、すべてを奪われていた。
 何度も何度も、この気持ちををかき消そうとしたが、この不浄な炎は衰えないどころが、日に日に勢いが増してしまう。

 だから、せめて二人きりで会うのはやめようと決めていたのに。
 愚かな自分を裁き続けて、今夜も眠れない。
 こんな息苦しいまでに、人を好きになったのは初めてだった。
「コンテストの演奏曲、一つ変えてもいいか?」
 練習用のスタジオに入ってすぐに、俊介はボクに提案してきた。

「で、どんな曲に変えたいんだ?」
「最後の曲は、あえてミディアムテンポの曲にしないか? その方が審査員ウケもいいように思ってさ」
 そして、「これ」と紙を渡してきた。紙には詞と、その文字の上にコードを書き込んである。さらに、ケータイでデモ音源を聴かせてきた。

「これ、すっげーいい曲じゃん!」
 相変わらず、俊介の才能には驚く。

 来週、ボクらは中部地区最大級のバンドコンテスト「Nagoya Wave」に出場することになっていた。
 このコンテストは、メジャー・レーベルのプロデューサーやディレクター、エンジニアが審査員を務め、入賞するとレーベルの担当者がついて、ほぼメジャーデビューできる。
 各地区の予選を勝ち抜いた実力者ばかりが集まるから、パフォーマンスのレベルも桁違いに高い。

「オレたちはプロになってメジャーからデビューするんだよ」
 俊介は自分に言い聞かせるように言った。
 この新曲はもちろん、才能があふれたいい曲だ。

 しかし、今までにはまったくなかった世界観があって、若干戸惑ってしまう。
「どうした? 何でいきなりラブソングなんかつくったんだ? 俊介が一番苦手な分野だろ?」
「勝ちたいからだ」
「ふーん」

 明らかに、美保を意識してつくっているのだろう。しかし、いつも強がってはかりいる俊介ではあるが、今日はいつになく弱々しかった。
「で、メインボーカルは俊介でいいのか?」
 普段、ミディアムテンポやスローな曲は俊介がメインボーカルになり、アップテンポなものはボクが担当するというやり方だったから、いつもどおりいけば、この曲は俊介がメインボーカルということになる。

 しかし、今回は違っていた。
「ごめん。オレはやめておくよ。すまないが、メインをやってくれないか?」
 俊介が、ガラになく譲ってきた。

「どうしたんだよ?」
「オレ、今まで、我を張りすぎていたかな?」
「それが俊介らしくて、いいんじゃないか」
「でも、……美保は、嫌みたいだ」
 美保の話題になると、ボクの胸も痛い。

「だから、もう少し、人に譲ったり、人の言うことに耳を傾けたりしようかなって、思うようになった」
「そうか」
「あさって、久しぶりに、美保とデートするから、変わったオレを見せたくってさ。強引に花火に行こうって誘ったよ」
「あさっての花火って、……ひょっとして、桑名市の花火か?」

「うん、このラブソングのように、ちゃんと美保と向き合って、……できればプロポーズしたいなって、思ってる」
「うまくいくと、いいな」
 それがいい。それでいいはずなのに、心をナイフで滅多刺しされたように、痛い。

 この日、練習が終わって家に帰ると、俊介のつくった新曲デモを何度も聴いた。
 歌詞もメロディーも美しい。
 あまりにも美しすぎて、ボクは涙が流れ続けた。
 ついに、中部地区最大級のバンドコンテスト「Nagoya Wave」当日がやってきた。
 会場は、憧れだった名古屋ダイアモンドホール。
 ここで何とか入賞し、メジャーレーベルで本格的に活動していきたい、とここにいる誰もが願っている。

 今日ばかりは、いつもクールな俊介も緊張の面持ちだ。
「あれ? 何で、今日はギターを二本持って来てるんだ?」
 俊介が、いつもと違うギターをボクが持ち込んでいるのに気付いた。

「最後のラブソングだけは、いつものギブソンじゃなくて、これで弾くことにした」
 ギターケースから、この日のために用意したギターを取り出す。

「どこのメーカーだ? 『Hatta』ってロゴが入ってるけど、聞いたことないな」
「家の近所に八田さんっていう、ギターやマンドリン、ウクレレのビルダーがいてね。その人の試奏用高級アコースティックギターを頼み込んで、無理やり借りた」

「すげえ、一点物のご当地ギターじゃん」
「そう。八田さんの楽器で演奏すると、有名になれるジンクスがあるそうだ」
「そうなのか!」
 俊介はテンションが上がっている。

 実際は嘘だ。
 八田さんの楽器で演奏すると、有名になるのではなくて、幸せになるジンクスがある、と地元で噂されている。
 というのも、ある年配の奥さんが元ミュージシャンの夫にサプライズとしてギターをプレゼントして、その感動話がSNSでバズったことから、そのようなジンクスが生まれたらしい。

 ボクはもう、このコンテストで勝つことを意識していない。
 勝てればラッキーだが、それ以上にただ、俊介がつくった美保へのラブソングを心の限り唄いたいのだ。

 そうすることで、美保を想う気持ちへの卒業と、新しい自分だけの恋がしたい。
 そんな幸せがほしくてギターのジンクスにすがってしまった。

「ホツマツタヱの皆さん、ステージにお願いします」とボランティア・スタッフが控室に伝えにきた。
 舞台のスタッフから十分以内にセットアップをするよう説明を受け、ライトが煌めくステージに立った。

 この光景、……最高だ!

 最前列にはふんぞり返っている審査員たちが、斜に構えている。
 観客はたくさんいるらしいが、ライトが眩しすぎて見えない。

 それでいい。

 シールドをつないで簡単に音を出して、チューニングを確認すると、もうボクの準備は終了だ。
 アイコンタクトを取ると、俊介も準備を終えたのが分かった。

 いよいよ、始まる。

 演奏開始直前、俊介がボクに耳打ちしてきた。
「あのな、オレ、美保にフラれたよ」

 このタイミングでショッキングなことを言うのが、俊介らしい。
「そうか……」

 今日はボク自身も、美保への気持ちを吹っ切ろうと、ここへやってきたのだ。だから、戦友のような不思議な気持ちになる。
「ボクも、このステージ最後のラブソングを唄い終わったら、新しい恋を見つてみせる。一緒だな」
「そうだな」と俊介は笑う。

「また、ゼロからやりゃあいい」
「ああ」

 そしてボクらはステージでグータッチをすると、一呼吸おいて、ボクは力強くカッティングで演奏を始める。
 ついに、ショーの幕が上がった。

 バンド一組の持ち時間は十五分。
 ボクらは三曲演奏するが、そのうちの前二曲はいつもの定番の曲だ。

 一曲目のキーは、E。
 俊介はタッピングとピッキングを織り交ぜて、開放弦のプレーを多用し、まずは観客の心を掴む。

 いい。
 ボクのメインボーカルに俊介はうまくハモってくれた。リズムも安定している。
 ステージには魔物がよくいるが、ここの魔物はボクらに優しいに違いない。

 俊介も、同じことを考えているのか、演奏中ボクにウインクしてきた。
 もしかすると、もしかするかもしれない。

 完璧なパフォーマンスで一曲目を終えると、観衆から一際強く拍手してくれた。
 二曲目は、最初が難しい。ボーカルのカットインから始まるのだが、俊介はうまくキメた!

 ボクも程よい緊張の中で、小気味よく指先がメロディを奏で続けた。
 いけるかもしれない。

 二曲目終わりに、ボクたちは完全に審査員と観衆を虜にしていた。
 そしてついに、最後の曲を演奏するタイミングがやってきた。

 Hattaのアコースティックギターに持ち替えて、マイクの前に立つ。
「最後の曲は、どうしても忘れられない、ある人を想って唄います」
 予定にはないMCを入れたので、俊介は驚いている。

「聴いてください。『The Last Love Song』」

 その時、思いもしない不協和音が大音量で鳴り出した。

 まさか!

 ギターソロから入り始めたその時、不運にも三弦が切れてしまったのだ。まだ鈍い音がホールに響いている。

 ここまでいい感触だったステージの流れが急に止まった。
 演奏を一旦ボクが止めたせいで、俊介は慌ててミュートしようとしたせいか、ピックを落としてしまった。

 もう、勝てないだろう。

 俊介には悪いことをした。後でいろいろ詫びるとして、もう開き直るしかない。

「このまま続けます!」とボクがマイクで叫ぶと、三弦が切れたままのギターで演奏を再会した。
 俊介の演奏も立て直し、ピッキングで追いついてくる。

 三弦がないアコースティックは致命的だ。しかし仕方ない。
 ステージでイントロのソロを弾きながら「美保さんのおかげで成長できたよ」と自分でも驚くことをマイクで口にした。

 この状況になってやっと本心が話せるようになっている。
 俊介を見ると、笑っていた。もう、気付いていたのか。

 スポットライトがボクに当たる。
 さあ、力の限り、唄おう。

 唄い続けていると、さっきまで眩しくて見えなかった観衆がうっすらと捉えられる。

 スポットライトの明るさに慣れたせいだろうか。
 ふと、その中に、美保がいて、ボクと目が合った。

 パフォーマンスすべてが終わると、一瞬、会場は沈黙に包まれる。

 しかし、その直後、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
 そして、ボクらの時間が止まった。

 結論を言おう。
 ボクらのユニット、ホツマツタヱは、このコンテストで残念ながら入賞できなかった。
 その後、俊介は新しい恋人と結婚したり、ボクはボクで仕事が忙しくなるなど、音楽が継続できず、実質、解散状態だ。
 
 ……ただ、あの時弾いたHattaのアコースティックギターのジンクスは、今思うと、当たっていたのだろう。(了)

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