「……、夢」
目が覚めるとやはり自分の部屋のベッドで、今までの出来事が夢だったことに気付く。
この現実に、同い年に成長した梓ちゃんは存在しない。結局どこからどこまでが夢だったのだろう。
けれど、ずっと忘れていたことを、心を守るために忘れようとしていたことを、ようやく思い出せた。
「梓ちゃん、ごめんね。もう、忘れないよ……ごめんね、ありがとう」
たくさんの忘れ物メモの山の下、隠すようにして置かれていたのは、警察から返却され、形見となったぬいぐるみ。ずっと見ないふりをして、忘れようとしていた現実。
とっくに返ってきていたぬいぐるみを抱き締めて、涙を溢す。
母子家庭で貧しかったわたしの家で、珍しくクリスマスにプレゼントされたぬいぐるみ。わたしの宝物。そうと知っていたから、梓ちゃんは最期まで必死に抱き締めて守ってくれていた。お陰で、その焦げたリボンの端には、コトノと書かれた刺繍が焼けずに残されていた。
「……バイト、今日は休もう」
泣き腫らした顔では、バイトに行けない。外ではマフラー、室内でもマスクで隠せるとはいえ、ただでえ火傷で人前には出にくいのだ。目元までこんな顔では、お店にも迷惑だろう。
わたしはぬいぐるみを見える場所に置いて、スマホを手に取る。
「あ、もしもし『梓』です。すみません店長……今日はお休みをいただきたくて。家族の、命日で……はい、失礼します」
するりと口から出た名前は、もうすっかり馴染んでしまった。
電話を切り、スマホを置いたはずみで散らばったメモの中、ひらりと落ちた一枚を拾い上げる。
『思い出した。死んだのは梓ちゃんだ。だけど、今はもうわたしが梓。死んだのは琴乃。そういうことに、しておこう』
わたしはそのメモをくしゃりと握り潰し、夢の中の日々を思い出しながら懐かしさに浸る。
「……琴乃ちゃん、なんて呼ばれたの、久しぶりだったなぁ」
あの日死んだのは、確かに梓ちゃんだ。
けれどコトノと名前のついたぬいぐるみを抱いて死んだ梓ちゃんと、顔に火傷を負って意識を失くしていたわたし。
梓ちゃんのお母さんが用意してくれた双子コーデに、良く似た顔。梓ちゃん家のワゴン車に乗って死んでしまった、梓ちゃんの家族とわたしのお母さん。
唯一の生き残りだったわたしは、勘違いされたのをいいことに、貧しかった琴乃を捨てて、服も買ってくれてテーマパークに連れていってくれるような、梓ちゃんの家の子として遺産を貰い、事故から今まで生きてきた。
事故の影響によるトラウマや記憶の混濁。女の子が顔に負った火傷。そっとしておいてくれた優しい大人達によって、子供の思い付きの嘘は、結局ばれることもなかった。
いつしか貫いた嘘は真実となり、都合の悪い『琴乃』のことを、わたし自身も忘れてしまった。
それなのに夢の中ではわたしは確かに琴乃だったのだから、わたしの夢というのは、本当に忘れたものを思い出させてくれるのだろう。
梓ちゃんのことも忘れてしまっていたのは、整合性をとるためか、名前を騙る罪悪感からだったのか、わたしが本当に梓ちゃんとなるためだったのか。
あの日に忘れてきた琴乃の名前を、久しぶりに取り戻せた。あの日の全てを、思い出せた。夢の梓ちゃんと約束したのだ、もう、忘れない。
それでもわたしは、今日も梓として生きていく。あの子とのもう一つの約束を守るために。
「……『また明日』。うん……今日も会えたね、梓ちゃん」
いつか床に脱ぎ散らかしていた双子コーデの片割れの服に、そっくりの顔。梓と名乗るわたしがマスクをして鏡を見れば、そこに映るのは梓ちゃんだ。
わたしが覚えている限り、あの子はわたしの中で生きている。
そしてわたしが梓として生きる限り、わたしの一番の友達は、ずっとここに生き続けるのだから。