その後も夢と現実の狭間で幾度となく紛れ込んだ、『メモリーズパーク』という単語と閉園のアナウンス。それが何かの鍵を握っている気がする。
 だからわたしは日曜日、梓ちゃんと再びそこを訪れることにした。示し合わせたわけではなく、あの日と同じ双子コーデ。

「琴乃ちゃん、本当に大丈夫? 顔色悪いけど……」
「うん、平気……来なきゃいけないって、思ったから」
「そんな私と遊ぶのを義務みたいな……」
「はっ! そうじゃなくて!」

 訪れた園内は、記憶とあまり相違ない。あの日見たアトラクションもそのままなのに、何だか今日は少し、新しく感じる。前に見た時に気になった錆の目立った塗装は、褪せていた色は、今はとても鮮やかだ。塗り替えられでもしたのだろうか。

「あ、みてみて。夢占いの館だって」
「……え?」

 不意に彼女が指差したのは、小さなテントのような簡易的な建物。そんなものは、全アトラクション制覇した以前には存在しなかった。
 やはり最初に訪れた時は、夢だったのだろうか。それとも、これが夢なのだろうか。

「行ってみよっか!」
「……うん」

 恐る恐る足を踏み入れると、テントの中は思いの外広く、薄暗い。そこには顔を半分以上布で隠した女の占い師が座っており、わたし達を出迎えた。

 正直胡散臭いと感じながらも、今は藁にもすがりたい気持ちだ。梓ちゃんと二人、占い師の前に並んだ椅子に腰掛ける。

「いらっしゃいませ、よく来ましたね」
「あの、わたし……」
「夢は、時には頭の中を整理し、時には記憶を補うものです」
「……はあ」
「夢の形は、人それぞれ。悪夢を良く見る人は、現実に不安を抱えていたりします。夢をすぐに忘れる人は、現実に精一杯向き合っている人が多いですね」

 占い師の声は、年若いながら聞き心地の良い抑揚をしている。慣れ親しんだリズムのように、あの耳障りなノイズとは違い、すっと頭に入ってくるようだ。

「じゃあ、忘れ物を夢に見る場合は?」
「そうですね……忘れた物の夢を見るあなたは……『補完』したいのかもしれません」
「補完、ですか?」

 てっきり『忘れっぽい性格だから』、だとか言われるのかと思った。けれど占い師は、わたしのリアクションを気にせず言葉を続ける。

「忘れてしまったことを、或いは忘れてしまいたいことを……忘れて欠けてしまったあなたは、『夢』として再現することで、補完して認識してるだけ」
「えっと……夢は思い出すきっかけであって、記憶は忘れてても本当は必要だから、基本は完全消去じゃなく全部頭の中にあるっていうことですか?」
「ええ、そうですね。……ですが、忘れてしまったものを思い出すのは容易ではないので、夢が手助けして意識の表層に引きずり出してくれているという感じです」
「わー、夢万能説」

 そうなると、やはりこの夢と現実が溶け合うような現状は異常だ。
 わたしは何かを忘れているのか。夢は、現実を飲み込んでまでそれを思い出させようとしている?
 しかし、引っ掛かりを感じながらもその『忘れていること』を明確に思い出せないこの状況に、焦り戸惑った。

「あの、わたし……」
「……でも本当は、忘れているのではなく、失っているのかも」
「え?」
「失ったことを、忘れている」
「それは、どういう……」
「失ったこと自体を、忘れようとしている。けれど夢は無意識の領域……本当は、思い出したいと思っているから、夢に見るの」
「あの……?」

 不意に、まだお昼過ぎにも関わらず、外のスピーカーから閉園のアナウンスが聞こえる。まただ。ノイズ混じりのそれが、夢の終わりを示唆していている。

「……ねえ、思い出して。あなたの『忘れ物』は、あなたの中にあるから」
「待って、わたしは、何を忘れているの? 何を思い出せば、現実に戻れるの!?」

 わたしは思わず立ち上がり、占い師に掴み掛かる。するとはずみで取れてしまった布の向こう、隠されていた顔の下半分は、思わず目を覆ってしまいたい程の火傷を負っている。
 しかしその女の顔は、毎朝鏡で見覚えのあるものだった。

「わた、し……?」
「……忘れてても良いよ。辛い現実に耐えきれないなら、それでもいい。でも……夢を見るあなたはきっと、思い出したいと願ってるから」
「待って、それ、どういう……」

 占い師のわたしは、もう何も話さない。ぐらりと身体が傾いて、地面に転がる。そしてそのまま、役目を終えたロボットのように静止してしまった。
 静寂の中、唯一響く閉園アナウンスはノイズにしか聞こえなくなる。きっともう、夢から覚めてしまう。

「琴乃ちゃん」

 不意に呼び声がして振り返ると、梓ちゃんは何故か幼い頃の姿で、ぬいぐるみを抱いてそこに居た。

「え……あ、梓ちゃん……?」
「ぬいぐるみ、ずっと借りててごめんね。返すの、忘れちゃった」
「え……?」

 ……そうだ。十年前のあの日、テーマパークに忘れたはずの、首にリボンを巻いたくまのぬいぐるみ。
 本当は、ここに遊びに来た時に、寒そうにしていた梓ちゃんに貸していた。
 あの時、忘れた冬休みの宿題の絵日記は、梓ちゃんのことがあって、忘れたんじゃなく書けなかった。

「あ……」

 あの日、梓ちゃんからぬいぐるみは返ってこなかった。だって、梓ちゃんはその日……

「待って、わたし……」

 差し出されたぬいぐるみに残る、醤油のように黒く落ちそうもない染みになった汚れは、かつてテーマパークで飲んだイチゴジュースのように赤かったであろう液体。
 端が少し焦げてぼろぼろのぬいぐるみは、すでにくまの原型を留めていない。

「わたし、今まで、全部忘れて……」

 あの日、梓ちゃんに「また明日」と言うのを忘れたあと、結局、梓ちゃんに明日は来なかった。

「どうして、こんな、大事なことなのに……」
「忘れちゃいたいくらい、私のこと嫌いだった?」
「そんな訳ない! だって、梓ちゃんは、小さい頃からわたしの一番の友達で……!」
「忘れないと生きられないくらい、辛かった?」
「……うん、辛かった……寂しかったよ、梓ちゃん……」

 ようやく鮮明に思い出せた、十年前の記憶。一緒にメモリーズパークに行った帰り、梓ちゃんと家族は、交通事故で……。

「私も、忘れられて寂しかったよ」
「……ごめんね、ごめんね、梓ちゃん……」
「私は、死んじゃったけど……もう忘れないで、たまには思い出してくれると嬉しいな」
「うん……うん、約束する」
「ありがとう……そうしたら私、何度でも琴乃ちゃんにまた会える。琴乃ちゃんの中で、生きていられるから」
「うん……もう、忘れないよ。絶対に」

 夢は記憶の整理だ、記憶の繋ぎ合わせ。頭の中の情報の処理。梓ちゃんと言葉を交わせる今この瞬間は、きっと文字通り都合の良い夢。

 それでも良かった。わたしは十年ぶりに、大切な友達にあの日交わせなかった言葉を告げる。

「ねえ、梓ちゃん、また明日……」
「うん、また明日、琴乃ちゃん!」

 閉園のアナウンスは、気付けば聞こえなくなっていた。


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