「あ……、昨日お醤油買うの忘れた」

 休日のお昼近く、優雅に寝過ごしたベッドで発した寝起きの一言は、随分と庶民的なものだった。
 寝惚け眼を擦りながら、昨日の買い出しで潤った冷蔵庫内を改めるわけでもなく、忘れたことを覚えている内に『醤油』ときっちりメモする。

 わたしは時折、こうして『忘れ物』を夢に見る。
 それは『これから忘れる』などの予知夢的な便利なものではなく、過去に忘れていたものに関する夢だ。

 ちなみに今しがた見ていた夢では、念願の回らないお寿司屋さんに行ったのに、カウンターのどこを探してもお醤油がない。なんて残念極まりない形で『醤油を忘れた』事実が表されていた。

 忘れたものに関する夢は、物心ついた頃からよく見ていた。冬休みの宿題を忘れた時も、お気に入りのぬいぐるみをテーマパークに忘れた時も、友達の梓ちゃんに「また明日」と言うのを忘れた時も。

 それは明らかに心当たりのある物から、手元にないことすら気付かない物まで様々で、あまりにさりげなくて普通の夢との区別がつかないことも多かった。
 しかしながら、夢で見た数日以内には、何かしらのきっかけを得て夢の意味を理解する。

 脳の奥底で忘れないようにと記憶しているものが寝ている間に浮上して夢となるのか、単に偶然見た夢から忘れていたものを思い出しているのか、はたまた完全に偶然なのか、その原理はわからない。
 それでも、忘れっぽい性格のわたしにとっては、この夢はとても貴重な日々の情報源だった。

「お醤油、今度は忘れないようにしないとな」

 自戒の意味を込めて取っておいている、溜まりにたまった忘れ物メモの山を見て、わたしは溜め息混じりに肩を竦めた。


*****


 とある休日、わたしは梓ちゃんとテーマパーク『メモリーズパーク』に遊びに行くことになった。幼い頃から顔立ちが似ていて姉妹のようだと言われていた彼女と、お揃いの双子コーデをしてのお出掛けだ。お気に入りのマフラーに顔を埋めて、意気揚々と家を出る。

 小さな頃から地元にあるテーマパークは、高校生になった今改めて行くと、あの頃のようなキラキラした世界ではなく、あちこちが些かチープで古びて見える。
 乗り物のあちこちは錆びているし、色褪せている。これでは流行りの映えは狙えない。
 それでも久しぶりに訪れたそこに、当時を懐かしむように、わたし達はひとつひとつアトラクションを見て回った。

「梓ちゃん、何か飲む?」
「ううん、私は大丈夫。琴乃ちゃん行ってきていいよ」
「んー、ならわたしも大丈夫。アトラクション全制覇しちゃお!」
「ふふっ。張り切ってるね」
「当然! テスト期間めちゃくちゃしんどかったもん、今日は全力で遊び倒すよ!」
「おー!」

 日頃のストレスを発散する如く、わたし達は全力ではしゃいで楽しんだ。お化け屋敷では本気で叫んで、コーヒーカップは回しすぎて酔った。
 そして、最後にこのテーマパークの目玉、ジェットコースターに乗り終わると、ちょうどスピーカーからは閉園を知らせるアナウンスが響き渡る。

「あ。もう閉園かぁ。あっという間だったね……でも、ぎりぎり全部乗れて良かった……、あれ?」

 気付けば一緒に降りたはずの梓ちゃんの姿がない。辺りを見回すけれど、そこに居たはずの降車案内のスタッフさんも、同じジェットコースターで絶叫していた人達も居なかった。

 夕陽の差す黄昏時のテーマパークに一人きり。やがて閉園の放送もノイズ混じりとなり、何を言っているのかわからなくなる。

「……え、なに……」

 底知れぬ恐怖を感じ、わたしは駆け出す。出口を目指し園内を駆けるけれど、やはり人の気配はない。無人のまま動くアトラクションの稼働音と、既にノイズにしか聞こえない放送だけが響く。

 そして、ようやく出口まで辿り着いた時、不意に後ろから声がして、振り返ろうと足を止めた瞬間、頭に鈍い痛みが走った。


*****


「いっ、たぁ……! え……あれ、今の、夢?」

 ベッドから落ちた衝撃に目が覚めて、冬だというのに汗をぐっしょりかいているのに気付く。心臓もばくばくとうるさく、落ち着かない。それにしても随分とリアリティのある夢だった。

 それでもきっと、目覚めてからもはっきり覚えている夢を見る時には、何かしらの忘れ物のヒントが含まれているはずだ。この場合、一体何を忘れているのだろう。

 わたしは衝撃的な内容を振り返りながら、うんうんと唸る。飲むのを諦めたジュース、メモリーズパーク、アトラクション、出てきたものをひとつひとつ思い浮かべても、忘れるどころか所持していた記憶すらない。

「……あれ、待って。夢……なら、どこから、どこまで?」

 思考の切れ間にふと気付く。
 メモリーズパークに行くのに準備していた服は脱ぎ散らかされているし、スマホに表示された日付も約束の日を過ぎている。だとすると、眠る前に梓ちゃんと出掛けたことは確実だ。

 それなのに、一体どこからが夢の入り口だったのか、夢の忘れ物を探す前に、現実と夢の境目すら曖昧なままだった。


*****


「ね