異界の窓辺



 ある朝目が覚めると、僕の部屋の壁紙が黄色くなっていた。
 おかしい。ここのアパートは白色で統一されていたはずだ。
 寝ぼけてカレーでもこぼしたのだろうか。だとしたら、ここを出る時には張り替えなければならない。
 
 しょんぼりしながら部屋を出ると、アパート全体が黄色くなっていることに気がついた。
 それどころか、町中の家々が黄色い。僕の目がおかしくなったのだろうか。
 それとも、おかしいのは『こうじゃない』と思う僕の頭か。
 町の人に聞いても、こういうものだろう?という顔をされた。不思議なこともあるものだ。

 翌日、町中の人たちの髪の毛が金髪になっていた。
 どうしたみんな、チャラいのか何なのかわからないぞ。
 統一されると逆にチャラくないような気がしてきた。
 外へ出ると、僕の頭をみてみんな変な顔をする。一応鏡を見てみると、僕の髪の毛は黒いままだった。

 日を追うごとに黄色いものは増えていった。誰もこのことに気がついてないみたいだ。
 黄色人種だからか、肌の色は変わらなかった。
 ある日は全てのバケツが、ある日は全ての車が、ある日は全ての葉っぱが。
 まだ秋には早いというのに、まるで紅葉してしまったみたいだ。
 黄色は黄色でも、明度や彩度の違いがあるのがせめてもの救いだった。
 世界はこんなに色づいているのに、一色しかなければ色が無くなるのと同然。
 毎日色がなくなってしまったものを見つけながら、色が残っているものを探しに出かけた。

 公園に着くと、真ん中の木がまだ緑色なことに気がついた。
 嬉しくなってかけよると、植物に疎い僕でもよく知ってる木だった。
 イチョウだ。
 それに気がついて、がっかりしてしまった。
 
 だって、もしこの木が黄色い現象から逃れられたとしても、だ。
 秋には黄色くなってしまうのだ。
 それなら、今黄色くなろうとあとでなろうと同じじゃないか。
 もう夏も終わりそうで、ちょっと早い紅葉というだけだ。

 そんな僕の落胆とは裏腹に、その木は存外頑張っていた。
 ――そう、僕もつい毎日様子を見に行ってしまっていた。だって、数少ない緑色なのである。
 
 そうしている間にも町はどんどん黄色くなり、とうとう僕の髪の毛も黄色くなった。
 瞳も黄色くなった時に予感はしたが、紙で切った指先から黄色い血が出てきた時は笑ってしまった。

 それでも公園に行くと緑色の葉を茂らせたイチョウがいるものだから、完全に色を失ったわけじゃないと思い知るのだ。
 
「――ねえ、君。とうとう君以外の色を僕は見つけられなくなってしまったよ」
 ぼすん、と木の足元に座り込む。
 一色だけの世界なんてつまらない。
 病院は嫌いだが、そろそろ行ってみるべきだろうか。
 僕の目に唯一映る緑色は、黄色い太陽の光を透かしてキラキラと美しく輝いて見えた。
 黄色は暖かい色だけど、黄色なんてそう多くなくていいものだ。
「紅葉なんてずっとしなくていいのに」
 そろそろ気温も下がってくる時期だった。
「君が黄色くなったら、そしたら僕も病院に行ってみるよ……」
 さらりさらりと風が流れた。
 ぽろりと緑の葉っぱが落ちてくる。
 それを見て、くつくつと笑いがこぼれた。紅葉する前に落ちてしまうなんて、綺麗な葉っぱがもったいないや。

 その日の帰り道、公園にスコップが落ちているのを見かけた。
 度々落ちているが、なんで気になったんだろう。訝しみながら近寄ると、思わず息を飲んだ。
 それは赤いスコップだった。

 その日から、毎日また色が戻り始めた。
 そして毎日、イチョウの葉っぱが緑のまま落ちていった。
 いくぶん寂しくなった木を見上げて呟く。
「君、それじゃあ秋までもたないんじゃないの」
 木は答えなかった。口がないからだ。

 何が原因か分からぬまま、世界はまたカラフルに盛り上がった。もちろん、元々黄色いものは黄色いままだった。
 そして僕の部屋の壁紙はまた白くなり、辺りには肌寒い風が吹き始めた。
 
 すっかり習慣になった散歩に行く。公園に着くと、ハゲハゲなイチョウが一本立っていた。まるで一足先に冬が来てしまったみたいだ。
 下の方のひと枝分だけ残った葉っぱは、まだ緑色。
 結局、この木は黄色い侵食に負けなかった。ずっと頑固に緑色。
 さらりさらりと風が流れた。
 
 不意に、最後のひと枝に揺れる葉っぱが黄色くなり始めた。
 一瞬、とうとう黄色浸食が遅れてやってきたのかと思った。でも、枝の色は変わらなかったから違うと分かった。
 
 ゆっくりゆっくり紅葉していく葉っぱを見上げて、僕は地面に座り込んだ。
 本物の紅葉はゆっくりだった。だからじっと座って待っていた。
 すっかり黄色くなるころには、空は暗くなった月が昇っていた。

 ふう、と息をついた。
「悪かったよ、黄色は飽きたとか思って。すごく綺麗な色だね」
 さらさらと流れる風が、どこか満足気に思えた。