生まれてこの方、ずっと間抜け面を晒し続けている。
 そんなふうに形容してみたら、傍らのレディに笑われてしまった。
 レディらしく、上品に、肩も揺らすことなく笑ってのけるから、本当は面白くないんじゃないかと不安になった。
 でもレディはいつだって静かでものしりで、笑いのツボも浅い。
 その、静かにずっと笑い続けられるとそれはそれで不安になるんだけどと苦言を申せば、
「レディの嗜みと、あなたの面白さの兼ね合いの結果ですわ」
 とまた笑われた。
 美しいレディにそう言われて悪い気はしない。僕はしがないヒモだが、どんな立場のひとでもそう思うだろう。

 先程、ずっと間抜け面を晒していると言ったが、僕は随分と前から首元まで硬い沼に埋まっていた。
 どうしてそんな間抜けな事態になったのかと聞かれても、昔の記憶など曖昧で分からない。
 ただ、なんというか……非常に絵面が間抜けということは分かっている。
 
 せめて、頭の上まで埋まってしまえればなぁ、と言っても仕方の無いことを嘆く。そしたら、何も考えずにずっと眠っていられたのに。
「そんなこと、おっしゃらないでくださいな」
 優しいレディは諭した。
「首から上が出ているから外の世界を見られ、わたくしにたくさん面白いお話をしてくださるでしょう」
 そんなふうに言われて、やっぱり嘆けなくなってしまった。
 レディは偉大だ。彼女がいなければ、僕はとっくの昔にこの状況に飽きてしまっていただろう。
 でもそれなら、もう少したくさん頭を出させて欲しかったとも思う。
 今はうんと首を伸ばしてから精一杯首を曲げないと、愛しのレディの姿を見ることも出来ないのだ。
 しかも拝めるのはその頭の1部だけ。角度がどうしても合わなくて表情も見れないし、ふれられもしない。
 以前そんなふうに嘆いたら、レディは一日口を効いてくれなくなった。あの時はたいそう焦ったし、あれほど長く感じた一日はなかった。
 でも翌日、少し気恥ずかしかったのだと言われて謝られて、一日で練り上げられたごちゃごちゃな気持ちが吹き飛んで幸せいっぱいになってしまった。ああ、本当にレディはなんて可愛いのだろう。

 いつか、僕はこの沼から抜け出して、レディと一緒に外の世界を歩ける日は来るのだろうか。
 そんなふうに呟くと、レディは曖昧に濁した。
 レディは僕と出会うよりもずっと前、外の草原からやってきたらしい。だから僕よりずっとものしりなのだ。
 そんなレディが外へ出ていくことを諦めているのだから、うっかり首だけ残して埋まってしまうような僕では何も手出しできないかもしれない。
 でもいつか、僕はレディにまたおひさまのところで暮らして欲しいと思うのだ。レディはきっと、あの暖かな光が似合うひとだから。だからこんな狭いところではなく、外の世界で自由に生きるべきなんじゃないだろうか。
「ここであなたと二人で過ごせて嬉しいのです」
 レディは静かに言った。
「もし……もし、この泥が緩んだとして。あなたほどの太陽はありませんわ。わたくしはどこへも行きません」
 レディがあまりにもかっこよく、覚悟を決めたような声で言うから、僕はうっかり……騎士に守られるお姫様にでもなってしまったかと思った。危ない危ない、僕が彼女を守りたいんだから。



 ずっとずっと、僕とレディは一緒に過ごしてきた。
 そしてとうとう、その日がやってきた。
 ある夕暮れ、外がいつものように日が沈んでから、どこからともなく騒がしいものか近寄ってきた。
 騒がしい音が近くなり、僕らの沼が急にぐらりと動いたと思ったら、急に明るくなった。
 おひさまとも違う、すごく近くて熱い光。
 その熱さにつられて、だんだん泥が緩んできた。
 
 不意に僕は気がついた。
 この光は僕だ。
 僕の頭が、燃えているのだ。
 不思議と苦しさはなかった。この熱さには少し覚えがある。レディと初めて出会った、泥に埋まる時の感触だ。この泥は熱に弱いから、熱くなると緩むのだ。
 レディのすすり泣く声が聞こえた。
 緩くなった泥でようやく下を向けた僕は、レディがレディらしくないくらい震えているのに気がついた。
 レディ、レディ、上を向いてよ。やっと僕ら、動けるようになりそうなんだ。
 涙できらきらとした顔を上げたレディは、想像通りの最高に美しい花だった。
「ああ、とうとうこの日が来てしまったのですね」
 レディは呟くように言った。
 もう少ししたら、きっとレディの足元の方まで泥が緩んで、そしたらレディはここから抜け出せる。本物のおひさまの下へ帰れるんだ。
 その頃には僕は小さくなっているかもしれないけど、もうなんだって良かった。だって、せっかくのチャンスなのだから。
「やっぱり、あなたほどの太陽はありませんわ。……わたくしはどこへも行きません。あなたと一緒におりますわ」
 とっても力強くて綺麗よ、とレディは笑った。
 僕は、僕はそんなの嫌だったけど、レディは頑として譲らなかった。そして、泥が緩む度に僕の方へ近寄った。
 普段だったらたまらなく嬉しいはずなのに、僕は怖くて怖くて泣きそうだった。
 そんなに近寄ったら、レディまで燃えてしまうのに。
「花はね、普通はそう長く持つものじゃあないんですよ」
 僕のそばで、レディは囁いた。
「蝋の中にいたから、こうして今も立っていられたんです。あなたのいなくなった世界で冷たい泥の破片を纏って萎れるよりも、こうして一緒にいられる方がずっとずっと幸せです」
 ……やっぱりレディには敵わない。僕はしがないヒモだけど、こう言われて押しのけられる非情なやつはいないだろう。

 どんどん泥が消えていって、とうとうレディの頭にまで火が着いた時は涙を堪えられなかった。
 そんな僕を見て、意外と熱くはないんですよと笑われた。
「あなたと同じです。きっとわたくしたち、互いに思っていたよりも似た者同士だったのかもしれませんわ」
 ……僕は最高に幸せものだ。こんなにレディに愛されているのだから。
 背が小さくなるにつれて、レディと目が合わなくなっていったので寂しくなった。
 けれど、レディはどこを見ても美しいなと思ってそう言ったら、くいっと今の頬のあたりを摘まれた。照れ隠しなのは分かっていた。
 それから、いつものようにたわいもない話をして。
 それから、レディの姿もほとんど見えなくなって。
 それから、空も白みを帯びてきて。
 それから、それから……

 僕は世界一幸せなロウソクだった。