森で迷っていたら、妙なヒト?に出会った。
 
 初めはケモノかと思った。
 頭部に大きな頭蓋骨を被っていたからだ。
 後頭部に大きなツノが生えており、何の動物かは分からない。目の前にいる姿は悪魔の絵姿によく似ていた。

 そのヒトはこちらをじぃ……っと見たまま、何も話さなかった。おおよそ言葉が通じそうに見えない。
 あまりにも動かないから、幻覚かと思った。幻覚かと思ったら急に悪魔の恐怖が薄れてきて、それより自分の正気度を確かめたくなった。
 
 コホン、とひとつ咳払いをする。
「こんにちは、妙なお天気ですね」
 口に出してから、我ながらヘンな挨拶をしてしまったと後悔した。
 合コンの自己紹介でもないのだ。印象付ける必要などない。
 とはいえ、いい天気とも言いがたかった。よく茂った木々の上には、三徹した会社員のような顔色の曇り空が広がっている。今にも意識が飛びそうな雲には悪いが、傘もなく迷子な今は降られると困るのでもう少し踏ん張っていてもらいたい。
 そんな後悔ヤマアラシな挨拶も、それに追従する現実逃避も、目の前のヒトには一向に効果がないように見えた。
 
 また沈黙が続き、なんともいたたまれなくなって足を踏み変えた。
 やっぱり幻覚なのだろうか。
 それにしては、そよそよと揺れる長い黒髪と青っぽい服がやけにリアルである。いつから脳はこれほどまでにレンダリングが上手くなったのだろう。
 もし幻覚だとすれば、何が原因でこんな現状になっているのか。変なキノコを食べた覚えはないのだが。

『――お前はヒトか?』
 急に声をかけられてかなりびっくりした。オトメな悲鳴を寸前で抑えた自分を褒めて欲しい。
 いや、今のは果たして『声』だったのだろうか? 怪しいところだ。
 というか、『ヒトか?』とはいやはやなんて質問だろう。聞きたいのはこっちだ。重要なことなのでもう一度言うが、聞きたいのはこっちだ。
 こちとら森で迷っててたいそう不安なのである。
 自分の外見をしっかり見て欲しい。頭部はケモノの頭蓋骨、服はまるで水を織ったようなふよふよ衣じゃないか。精霊と言われても驚かない……いや驚くけど驚かないぞ。
 
 不意に、このまま回答しないとこのヒトもどきにヒトでない判定をされてしまうことに気がついた。
 それは嫌だ。ヒトでない判定をされるなら、せめて自分よりヒトらしいヒトからじゃないと納得できない。
「僕はヒトです」
 きっぱり、言い切ってやった。さあさあ我こそが人間だ。こんな森の中だったら、人間代表に選ばれるくらいにはヒトらしいヒトだぞ。
「……あなたはヒトですか?」
 少し躊躇いながら尋ねた。どうしよう、これで違うよとか言われたら。ヒトだよと主張されても訝しませてもらうが、ヒト以外のモノと会話してたとかいうのもなんだか怖い。

『――ついてこい』
 それだけ言って、その妙なヒトもどきは森の奥へ歩き出した。
 こちらの問いは黙殺された。
 あまりにも不公平だ。訴えてたら勝てるんじゃないか。
 だいたい、なんでそんな道もないところを歩いていくんだろう。今までいたところは獣道になっていて、少しは歩きやすかったのに。

 文句など山ほどあったが、それでもついて行くことにした。
 このままついていけば取って喰われるかもしれないが、何しろ森の中で迷うという失態を犯している最中なのである。藁にでも縋りたいしヒトもどきにでもついていきたい。
 獣道から逸れると、途端にたいそう歩き辛くなった。
 なんだこの森、本当に手入れがされてない。動物たちももう少し下草討伐に協力してもらいたいものだ。

 茂みに埋もれて見失いそうになる黒髪を必死で追いかける。
 ついてこいと言うならもう少しゆっくり歩いて欲しい。誰もが山育ちってわけじゃないんだ。歩きなれてるわけがない。


 
 不意に、急に足元の抵抗が消えた。
 下を見ると、石畳の道に出ている。
 ハッとして振り返ると、先程まで前を歩いていたヒトもどきが後ろの森の中にいた。ちょうどさっきと同じように。
「ヒトはヒト、ケモノはケモノ。……もう違えるなよ」
 そう言って歩き去っていった。
 その後ろ姿を見て、彼女がまだ少女だったのだと気がついた。
 そして同時に、目線の高さが戻っていることに気がついた。

「……そっか、さっきまでケモノ道にいたんだ」

 ケモノの道はケモノの道。ヒトはヒトの道にあるべきだろう。