山吹さんが、山吹さんが住んでいるというアパートに連れていってくれた。
綺麗に整理整頓された部屋に、ほこりひとつない床。
全体的に白をベースにした部屋で、それが山吹さんの雰囲気にあっている。
「ひまりちゃん、これ。よかったら使って」
山吹さんが、あたしに白いふわふわのタオルを差し出した。
「・・・あ、ありがとうございます」
曖昧に頷いて、タオルを受け取る。
自分でもさっき抱きついてしまったことに恥ずかしさがあるのか、少し気まずさを覚えていた。
言いたいことはたくさんあるけれど、とりあえず今はこの濡れた体全体を拭くのが先だろう。
白いふわふわのタオルで水滴をふく。
山吹さんは、あたしが抱きついてしまったせいで濡れた茶色のコートを脱いでいた。
それを見て、あたしの口の中に苦い味が広がる。
「・・・ごめんなさい、山吹さん」
さまざまな罪悪感を覚えながらそういうと、山吹さんはあたしをじっと見つめて、乾いた笑いと共に言葉をもらした。
「・・・あは、気にしないでよひまりちゃん」
乾いた笑いで。
目は笑っていないような笑みで。
瞳の奥が、真っ暗な闇に包まれているような気さえした。
_山吹さんが、無理に笑っているように見えたのはこの時だっただろうか。
痩せ細っているような気もする。
目の下にはくまができているし、髪も少し乱れていた。
抱きついた時は必死で気づいていなかったけれど。
_何か、あったんだろうか
心の奥に、ポツンとあらわれたこの言葉。
でも、それをいうのも違う気がする。
山吹さんは、あたしが泣いた時黙ってあたしを撫でてくれた。
じゃあ、あたしはどうしてあげれる?
考えれば考えるほど、あたしの頭は回らない。
タオルで髪をかき乱してから、言葉を決めるとあたしは山吹さんを見つめた。
「_山吹さん」
山吹さんは少し驚いたような顔をして、あたしを見つめ返す。
山吹さん
もう一度心の中で呼びかけて、あたしはゆっくり口を開いた。
「水族館に行きませんか?」
「・・・・え?」
*
山吹さんを元気にさせてあげたい。
山吹さんを笑顔にさせてあげたい。
山吹さんを幸せでいっぱいにさせてあげたい。
山吹さんが助けてくれたから、今度はあたしが山吹さんを助けるんだ。
あたしの番なんだ。
そう、強く思った。
だから、こういった。
「水族館に、行きましょう」
驚く山吹さんに、もう一度言った。
山吹さんを元気にさせるためには?
それを数秒で考えた結果がこれだ。
別に動物園でも遊園地でも良かったのだけれど、頭に浮かんだのが水族館だった。
水族館に誘って、なんとか元気を出してもらおう、そう思った。
あたしは山吹さんを見つめた。
綺麗な瞳が、大きく見開いている。
整った口が動き出す。
「・・・な、なんで?」
掠れた声で、山吹さんはそういった。
・・・当たり前か。
いきなり水族館に行きましょうだもんね。
でも、あたしはめげずに山吹さんを見つめた。
「・・・だって、最近会えてなかったでしょう?明日水族館に行って、会えなかった日々を埋めるんです!」
適当な理由_だと自分でも思う。
もちろん本心もまざった理由だけど、本当の理由はそこじゃない。
山吹さんを救いたい。
その気持ち。
おせっかいかもしれない。
本当は何にもないのかもしれない。
でも、でも。
今、今この瞬間を少しでも笑顔にさせてあげたいよ_
_お願い、山吹さん。
山吹さんは驚きつつも大体冷静になってきて、力のない微笑みで頷いた。
「・・・いいよ」
その声をきいた瞬間、あたしは胸の中が喜びでいっぱいになったのがわかった。
「ほ、ほんとですか?」
抑えられない微笑みを山吹さんに向けて、何度も何度も確認をした。
その後場所や時間を決めて、あたしは家に帰らせてもらった。
少し、山吹さんが本当の微笑みを出してくれたような気がした。
*
恐る恐る、玄関の扉を開く。
_お母さんは、起きていないだろうか。
自分の家のはずなのに、お母さんが来てから居心地の悪いものになってしまった。
あたりを見回して、お母さんが起きていなことに安堵を覚える。
濡れた服を脱いで、洗濯機の中に入れると自分の部屋に駆け込んだ。
パジャマに着替えて布団に潜り込んで、目を閉じる。
明日は、山吹さんと水族館。
そのことに胸が躍っている。
お母さんのことなんて、心の端にすらなかった。
嬉しさで心の中がいっぱいになりながら、いつの間にか眠りに着いていた。