今日は休日。

いつもの楽しい休日_のはずだった。

今日の朝、ベッドから起き上がると美味しいフレンチトーストの匂いがした。
まさか、と思いキッチンを見ると_

いた。

あたしの母親。

お母さんが。

これで、昨日のことは夢じゃないってわかったわけだ。

嬉しくないのかって言われると、心の奥の奥は喜んでるんだと思う。
でも、どうしてっていう気持ちがやっぱり一番多い。

お母さんはあたしを見つけると、またあの恐ろしい笑みで微笑んで、口を開く。

「おはよう、ひまりちゃん」

そのたった一言で、あたしは寒気が体全体に響いた。

腕をさすり、曖昧に頷いてから自分の部屋に駆け込む。

_怖い

反射的に、そう思った。
その気持ちでいっぱいだった。

本当に、あの人はあたしの母親なの?

勝手に帰ってきて、理由も何も言わずに普通に過ごしてる。

怖い、怖いよ

あたしは着替えもせず部屋の端に座り込み、頭を抱えた。

着替える気になんかならない。

山吹さん、助けて_

山吹さんの名前が心の中に浮かび上がってきた。
山吹さんに最近会っていないので寂しくてたまらない。

会いたいよ、山吹さん・・・。

心の中で必死に祈るも、そんな心の祈りは当然届くわけもなくむなしく消えていった。





あれから、何が起こったのかわからない。

全部がもう灰色だった。

母親が買ってきたという服に着替えて。
あの母親が作ったフレンチトーストを食べて。
母親に抱きしめられて。

妙に優しくて、それが怖くて怖くて恐ろしかった。

もうこの家から、ううん、母親から逃げたくていつもより早めにカフェに行くことにした。

カバンにお財布を詰め込み、玄関の扉を開ける。

_でも

あの雪のように白い手に、あたしの腕は掴まれた。

怖さと驚きが混じり、思わずお母さんを見つめる。
お母さんは、そんなあたしを強く睨んだ。

口紅が塗られた口を大きく開き、あたしを掴む腕に力を込める。

「_あたしをおいていくの?」

その言葉に、思わず耳を疑った。

_おいていったのは、お母さんの方じゃないの

そんな気持ちが反射的に浮かぶも、もちろんそんな思いは届かずさらにお母さんは口を開いた。

「せっかく母親が帰ってきたんじゃないの。どこにも行かないでよ」

それを聞いた瞬間、自分の母親の自己中さに呆れ_と言うより怖さを感じた。

_何それ

もう喉から出す言葉もない。

お母さんは強くあたしを掴むと自分の方へと引き寄せた。
そして、また抱きしめた。

「私と一緒にいてくれるよね」

そんな掠れた声を出しながら、あたしを強く、強く抱きしめた。

その瞬間、また反射的にこう思った。

_こんなお母さん、大嫌いだ。

自分勝手、そんなあなたが大嫌い。

あたしは必死に抱きしめる自分の母親を、冷めた目で見つめながらそう思っていた。





次の日も。

その次の日も。

1週間後も。

出かけようとすると何度も同じようなことをいわれ、どこにも行けなかった。

なんとか学校だけは行かせてもらえたが、スマホは早く帰ってこいのメッセージで溢れている。

このまま大人しくいる_なんてことはしない、するわけない。

あたしだって、そろそろ限界を感じている。
おいていったのはあなたのくせに、といってやりたいけど、それもがまんしてやってるのだ。

少しぐらい、外に出たっていいだろう。

だから、あたしはお母さんが寝ている深夜を狙った。
深夜に誰もいなくても、とにかく休日に外に出たい。

そして、早速その作戦を実行した。

お母さんが完全に寝静まった後に、こっそり外に出たのだ。

玄関のドアを開けた後、静かな街に思わず息をのんだ。

外の空気をたっぷり吸い込み、肺に新鮮な空気を充満させる。
そして、持っているカバンを握りしめてあたしはあのカフェに走った。

あのカフェがこんな深夜に営業していないことはわかっている。

でも

もしかしたら

山吹さんがいるかもしれない
その近くにいるかもしれない

そんな可能性を信じたいからあたしは走った。

山吹さん、山吹さん

心の中で、必死に呼びかけた。

あのカフェに着いた後、カフェはもちろん開いてなかった。

でも、あたしは探した。

山吹さん、会いたいよ_

そんな強い思いがあったから。

雨が降り続けても探した。
髪が水で張り付いて、服が濡れても探した。

「山吹さん!」

ついには、声に出してもいった。

お願い山吹さん、会いたいよ_

その時、願いが通じたのか、傘を持った山吹さんらしき人の後ろ姿が見えた。

_やま、ぶ、き、さん

胸が、高鳴る。

山吹さん、ねえ山吹さん

必死に走ってもその後ろ姿はどんどん遠ざかっていく。

どんどんあたしから離れていくように見えて、怖かった。

だから、もう叫びに叫びまくった。

「_待って!山吹さん!」

大きく口を開いてどれだけ叫んでも、山吹さんの後ろ姿は止まることはない。

山吹さん、お願い、止まって_

「や、やま、ぶき、さん!!」

掠れる声で、叫んだ。

もうめちゃくちゃでいい。
お願いだから、止まってよ、山吹さん_

その時、山吹さんがこっちを向いた。

胸が、恐ろしいほどにバクバクとなった。

山吹さんが、止まる。

もう、必死に。
必死に走った。

そして、山吹さんが濡れるのも構わず山吹さんの胸に飛び込んだ。

山吹さんの優しい手が、あたしを支える。
山吹さんは驚いたようにあたしを見つめて、少し笑ってあの、大好きな声で言った。

「あはは、どしたのひまりちゃん」

そういう山吹さんの瞳は、闇が潜んでいるように見えた。