今日は休日。
いつもの楽しい休日_のはずだった。
今日の朝、ベッドから起き上がると美味しいフレンチトーストの匂いがした。
まさか、と思いキッチンを見ると_
いた。
あたしの母親。
お母さんが。
これで、昨日のことは夢じゃないってわかったわけだ。
嬉しくないのかって言われると、心の奥の奥は喜んでるんだと思う。
でも、どうしてっていう気持ちがやっぱり一番多い。
お母さんはあたしを見つけると、またあの恐ろしい笑みで微笑んで、口を開く。
「おはよう、ひまりちゃん」
そのたった一言で、あたしは寒気が体全体に響いた。
腕をさすり、曖昧に頷いてから自分の部屋に駆け込む。
_怖い
反射的に、そう思った。
その気持ちでいっぱいだった。
本当に、あの人はあたしの母親なの?
勝手に帰ってきて、理由も何も言わずに普通に過ごしてる。
怖い、怖いよ
あたしは着替えもせず部屋の端に座り込み、頭を抱えた。
着替える気になんかならない。
山吹さん、助けて_
山吹さんの名前が心の中に浮かび上がってきた。
山吹さんに最近会っていないので寂しくてたまらない。
会いたいよ、山吹さん・・・。
心の中で必死に祈るも、そんな心の祈りは当然届くわけもなくむなしく消えていった。
*
あれから、何が起こったのかわからない。
全部がもう灰色だった。
母親が買ってきたという服に着替えて。
あの母親が作ったフレンチトーストを食べて。
母親に抱きしめられて。
妙に優しくて、それが怖くて怖くて恐ろしかった。
もうこの家から、ううん、母親から逃げたくていつもより早めにカフェに行くことにした。
カバンにお財布を詰め込み、玄関の扉を開ける。
_でも
あの雪のように白い手に、あたしの腕は掴まれた。
怖さと驚きが混じり、思わずお母さんを見つめる。
お母さんは、そんなあたしを強く睨んだ。
口紅が塗られた口を大きく開き、あたしを掴む腕に力を込める。
「_あたしをおいていくの?」
その言葉に、思わず耳を疑った。
_おいていったのは、お母さんの方じゃないの
そんな気持ちが反射的に浮かぶも、もちろんそんな思いは届かずさらにお母さんは口を開いた。
「せっかく母親が帰ってきたんじゃないの。どこにも行かないでよ」
それを聞いた瞬間、自分の母親の自己中さに呆れ_と言うより怖さを感じた。
_何それ
もう喉から出す言葉もない。
お母さんは強くあたしを掴むと自分の方へと引き寄せた。
そして、また抱きしめた。
「私と一緒にいてくれるよね」
そんな掠れた声を出しながら、あたしを強く、強く抱きしめた。
その瞬間、また反射的にこう思った。
_こんなお母さん、大嫌いだ。
自分勝手、そんなあなたが大嫌い。
あたしは必死に抱きしめる自分の母親を、冷めた目で見つめながらそう思っていた。
*
次の日も。
その次の日も。
1週間後も。
出かけようとすると何度も同じようなことをいわれ、どこにも行けなかった。
なんとか学校だけは行かせてもらえたが、スマホは早く帰ってこいのメッセージで溢れている。
このまま大人しくいる_なんてことはしない、するわけない。
あたしだって、そろそろ限界を感じている。
おいていったのはあなたのくせに、といってやりたいけど、それもがまんしてやってるのだ。
少しぐらい、外に出たっていいだろう。
だから、あたしはお母さんが寝ている深夜を狙った。
深夜に誰もいなくても、とにかく休日に外に出たい。
そして、早速その作戦を実行した。
お母さんが完全に寝静まった後に、こっそり外に出たのだ。
玄関のドアを開けた後、静かな街に思わず息をのんだ。
外の空気をたっぷり吸い込み、肺に新鮮な空気を充満させる。
そして、持っているカバンを握りしめてあたしはあのカフェに走った。
あのカフェがこんな深夜に営業していないことはわかっている。
でも
もしかしたら
山吹さんがいるかもしれない
その近くにいるかもしれない
そんな可能性を信じたいからあたしは走った。
山吹さん、山吹さん
心の中で、必死に呼びかけた。
あのカフェに着いた後、カフェはもちろん開いてなかった。
でも、あたしは探した。
山吹さん、会いたいよ_
そんな強い思いがあったから。
雨が降り続けても探した。
髪が水で張り付いて、服が濡れても探した。
「山吹さん!」
ついには、声に出してもいった。
お願い山吹さん、会いたいよ_
その時、願いが通じたのか、傘を持った山吹さんらしき人の後ろ姿が見えた。
_やま、ぶ、き、さん
胸が、高鳴る。
山吹さん、ねえ山吹さん
必死に走ってもその後ろ姿はどんどん遠ざかっていく。
どんどんあたしから離れていくように見えて、怖かった。
だから、もう叫びに叫びまくった。
「_待って!山吹さん!」
大きく口を開いてどれだけ叫んでも、山吹さんの後ろ姿は止まることはない。
山吹さん、お願い、止まって_
「や、やま、ぶき、さん!!」
掠れる声で、叫んだ。
もうめちゃくちゃでいい。
お願いだから、止まってよ、山吹さん_
その時、山吹さんがこっちを向いた。
胸が、恐ろしいほどにバクバクとなった。
山吹さんが、止まる。
もう、必死に。
必死に走った。
そして、山吹さんが濡れるのも構わず山吹さんの胸に飛び込んだ。
山吹さんの優しい手が、あたしを支える。
山吹さんは驚いたようにあたしを見つめて、少し笑ってあの、大好きな声で言った。
「あはは、どしたのひまりちゃん」
そういう山吹さんの瞳は、闇が潜んでいるように見えた。