どこにいても、何をしていても、いつもどこか息苦しい――こんな自分のことが大嫌いだ。
私は生まれつき、言葉が口から上手く出てこない。
言いたいこと、言わないといけないことは全部、言葉にする前に消えてしまう。
「菜乃ちゃんって好きなものあるの?」
何気ないクラスメイトの一言。
きっと、私と仲良くなりたいと思っている。
でも、期待されればされるほど、言葉は詰まって上手く出ない。
「しょしょしょ……しょしょしょしょ」
あぁ、また失敗してしまう。
ただ、「小説を書くことが好き」と言うだけなのに。ほら、目の前の話しかけてくれた子が私を見ている。ごめんなさい、期待を裏切って。
早く、続きを言わないといけないのに、ごめんなさい、ごめんなさい。
「ごごご、ごめんなさい」
私がそう言うと呆れたようにその子の取り巻きの女子たちの方へ行ってしまった。
そして、何やら話している。こちらには聞こえないけど、女子たちの視線がささることから、どうやら私のことを話しているようだ。
私の価値なんてゼロに等しくて、どこに居ても何をしていても、笑われる存在だ。そう思うといつも息は苦しくなる。胸がチクチクいたむ。
自分の居場所は一体どこにあるのか、自分にひたすら問うのに、答えを知らない。息苦しさはいつも私につきまとう。スカートのポケットからハンカチを乱暴に取り出し、口に当てながら屋上に続く階段を駆け上がる。
誰も居ない場所、早く、早く、行かないと。
屋上の扉を開けると、珍しく人は居て、ベンチに座っていた。
風が吹き抜け、スカートと髪の毛を揺らす。
その人は太陽の眩しさに目を細めながら、私の方に顔を向ける。
「人が来るなんて、珍しい」
その人は耳にヘッドフォンをつけていて、髪の毛は太陽に輝いて彼の金髪がよりきらめいていた。
目線がバチッと合う。
何か、言葉を返さないといけない。きっと、彼も言葉の返しを期待している。
「あ、あああ、あ、あ」
まただ。変なやつ、やばいやつって思われる。
でも、焦れば焦るほど口から言いたい言葉は出ない。下を向いてぐっと手を握る。そして、再び恐る恐る目の前を向いたとき、その人の姿は無かった。
驚いていると、肩を誰かに抱かれる。横を見るとその人の金髪と綺麗な横顔が見えた。その人は私の肩を一定のテンポで叩きながら
「言えるようになるまで待ってるから、大丈夫」
と言ってくれる。
彼の肩を叩くテンポと肩越しに伝わってくる体温に少しずつ緊張が溶けていく。凍りついたように動かない口も溶けてきて、少しずつ言葉が出てくる。
「あ、、あの、わわたしもは、初めて人が、いいるのを見ました……」
言葉は魔法のように口から出た。
初対面の人に対して、私は普通に話すことは今まで出来たことはない。これは、私の大きな進歩だ。
「俺も」
花が咲いたような笑顔を私に見せる彼。その姿は彼の金髪のように輝いて綺麗だ。
思わず見とれていると彼は言葉を続ける。
「君、言葉が上手く口から出ないの?」
こんなストレートに聞いてくる人は初めてだったので驚いて立ち尽くしてしまう。その姿を誤解したのか「違う違う。君を傷つけたいわけじゃない」と手を目の前で振って彼は否定する。そして、私のそばから離れ、元の場所へ帰っていく。
「俺も昔、そうだったんだよ。言葉が口から出なかったんだ」
今の彼からは想像の出来ない過去。
私とは全く違う今。
「ほ、ほほほんととに?」
「本当。想像出来ないでしょ?」
私は首をコクっと縦に振る。
彼は「だよね」と笑って、楽しそうに口笛を吹く。その姿が何だか自由でいいなと思った。彼にとってきっと、周りの人の自分の評価なんて気にする価値もないものだ。髪の毛だって、本当は校則違反。私だったら先生からもクラスの人からの陰口を恐れて染められない。でも、彼はそんなこと気にしないで髪の毛を染めている。その髪の毛が彼の自由さを象徴していた。
「君、俺のことどう思う?」
私の方を向いて期待した目で見てくる。この人は何を私に求めているのだろう。
「じ、じじ、じじゆう?」
やっぱり言葉に詰まってしまったけど、言いたいことが言える。「ごめんなさい」という言葉で逃げなかった。自分を心の中で褒め称える。
「正解。だから俺は君とこれからおしゃべりするのをさっき決めた」
彼が私に向かって何かを投げる。それを落とさないよう、大事に手で包み込むようにして受け取る。私が受け取ると「さっきこたえてくれたから、お礼」と彼は言う。受け取ったものは四角いチョコレートだった。側面には彼の字だろうか、『頑張れ』という文字が書いてある。
「君が自分のこと『だめ』とか『私なんか』って、そんなふうに考えなくなるまで、俺が君の話し相手になるよ」
「は、はははなし相手?」
「そう。君が相手に伝えたいことを諦めなくていいように」
その言葉を聞いた瞬間、涙が溢れてきそうになった。
私は言葉が詰まってしまうのはもちろん嫌だが、一番嫌なのは相手に伝えたいことが伝わらないことだった。いつも、諦めて心の中に伝えたいことがまるで雪のように毎日、積もっていく。そんな日々を彼が変えてくれると言う。私にとって、暗闇に一筋の光がさしたかのようだった。
「し、しし信じても、いい……?」
私はその光にすがりたいと思う。裏切られるかもしれない。それでも、それでもその怖さよりも自分を変えたいと言うおもいが強く私の中にある。
「信じてよ」
私は彼の座っているベンチに近づく。
「俺はさくって言うんだけど、君は?」
彼が手を差し伸べてくる。握手でもするのだろうか。
私はその手を握って、そして、初めて彼の目を見て「な、なの」と答える。
「目を見て言えたね」
手を引き寄せられて頭を撫でられる。
「君の居場所は今日からここだから、もう何も怖いものはないし、悩まなくてもいい。菜乃は菜乃自身を精一杯生きればいい」
今さっきまで我慢していた涙が溢れてくる。「ごご、ごめんなさい」と言うと彼は私を包み込んで「いいよ。泣きたいときに泣けばいい」とまた肩を一定のリズムで叩いてくれる。
自分の居場所がここなんだと思うと心は軽くなっていって、大嫌いな自分を少しだけ愛せるような気がした。
気がつくと、言葉が上手く出なくなったあの日から初めて胸の中の黒くてドロドロした思いがなくなってスッキリしている。
少しだけ息がしやすくなった気がした。