まあ、遅いと彼女に怒られ、機嫌取りに和菓子を買って帰ったのはあの日から二日後のことだった。

 冬休みも終わりかけ。

 そういえば両親が来たのはこの頃だったな、と時の早さを感じた。

 そして後期も後半に差し掛かった…

 周りは皆、追い込み期間に入る。

 明日香も元部活メンバーも血眼になって勉強していた。

 私立組も邪魔しないようにと、ひっそり過ごしている。

 年明け前の賑やかさは遥か遠くへ。

 朝から放課後までピリピリとした緊張感が走っている。

 それは俺らの家にまで届いた。

「なぁ、夜空、」
「何?」

 心做しか、言い方が冷たい気がする。

「私、急いでるの。早くして。」
「あ、あぁ。」

 冷たい波が押し寄せてくる。

 要件だけ簡潔に話すと、あぁそう、とだけ言ってせかせかとレッスンに向かった。

 浮足がってるのも、寂しくなったのも俺だけだった。

 3月の半ば、最後のデートの約束をしたのだ。

 どうしようもない消失感に包まれた。

 2月も折り返し、彼女といられるのも一ヶ月を切った。

 夕方になって夜空が帰ってきた。

「遅かったな。」
「寄り道してきたのよ。…部屋に来てほしいの。」
「ん?」

 不機嫌はどうした。

 それに夜空の部屋なんて、珍しい。

 双子は今でも同じ部屋だ。

 夜空自身一人でいるのが苦手だから。

 だから俺が二人の部屋に入ることは殆ど無い。

 入ると2つの世界があった。

 部屋の真ん中には、仕切。

 端にドアがあって、2つの部屋になっていた。

「こんなだったか?」
「いえ、私が一人になれるためにこうしたの。真昼もこの方が集中できるでしょうし。」

 いつの間に、と思うと同時に、それに気づかないほどに自分も気持ちの余裕がないことに気付いた。

 夜空の部屋は黒、紫、青を基調とした綺麗な部屋だ。

 ベッドの横に譜面台が立っていて、机の上にはチューナーとドイツ語の本。

 まさに夜空の部屋だ。

「で、どうしたんだ?」
「そこに座って?」

 バックから取り出したのは、なにかの箱。

「これ、手作りじゃなくて申しわけないけれど。」
「これ…チョコ?……あ、今日バレンタインか。」

 忘れてた。

「多分、私が出かける、って言ったら、朝日ついてきちゃうでしょう?」
「だから、不機嫌にレッスンって…はぁ。焦っったぁ…」

 絶対ついてこないでしょう?とニコニコの夜空。

 完全にやられた。

「本当は手作りを渡したいのだけれど、こればかりは無理ね。」
「いいって。くれただけ嬉しいし、夜空に危ないことしてほしくねぇし。」

 パクリと一口、甘いミルクチョコが口の中で溶ける。

 疲れている体は甘い物に弱い。

 糖分が染み渡る感じがする。

 夜空は安心したような顔をした。

「最近の朝日、どこか気張ってたわよね。」 
「ん?そうか?」
「そうよ、現に工事に気付いてなかったでしょう?」
「ま、まぁ…」

 何も言えない。

「声をかけても返事がなかったり、無口だったりね。」

 でも、美味しそうな顔をしたから安心した。

 その顔は実に美しかった。

「やっぱり笑ってる朝日が一番ね。ふふふ!」
「〜〜!!」

 かあぁぁわいいな、くそ!

「の、残りは後で食うわ…」
「あら、そう?まぁ早めに食べてね。」

 キスできないのが辛いな。

 いっそ食べなきゃよかった。

 口を念入りに拭いて、髪越しにキス落とす。

「ふふ。なんだかもどかしいわ。」
「分かったから。…一緒に寝るか?」

 いいの!?、とすごく嬉しそうに言った。

 俺はこんな日が続くのを願っている。

 あと、残り一ヶ月。
 1月は「行く月」、2月は「逃げる月」、3月は「去る月」と小学校の担任は言った。

 ほんとそのとおりだ。

 3月になってすぐ、俺らは高校を卒業した。

「卒業生代表、黄昏夜空。」
「はい。」

 夜空は入学式では宣誓を、卒業式は代表に選ばれた。

 学年主席に生徒会長、妥当だろうな。

 先生には音楽での海外留学を惜しまれるほどだった。

 最後の最後まで先生たちは説得に粘っていたが、一度として彼女が首を縦に振ることはなかった。

「朝日、夜空、真昼。卒業おめでとう。父さん嬉しいよ、三人がここまで大きく育ってくれた。ありがとう。」
「お母さんもとっても嬉しいわ。でも、少し寂しいわ。子供の巣立ちがもう目の前だなんて。」

 ふたりとも目には涙が浮かんでいた。

 今月の後半には皆バラバラだ。

 明後日から二泊三日で旅行、しかも夜空と二人で。

 真昼も一星と旅行らしい。

 両親は俺らが旅立ってすぐ、また全国で公演があるようだ。

 自然と現実味を帯びてきた。

「なんか…やだな。楽しかったなぁ…」
「朝日…ううん、きっとこれからも楽しいわ。」
「何弱気なの。らしくないなぁ。朝日は一日の初め!しょぼんとしないで。」

 真昼の意外な言葉に笑った。

 つられ笑いをする双子。

 空は気持ちがいい程には晴れていた。

 友達とも別れを告げ、三年間通った道を一歩一歩進む。

 思い出は花のように儚い。

 それでいて美しいからこそ思い出されるのだ。

 俺は「見つめる未来」があるから、こうしていられるのだろうな。
 卒業式から二日後、俺らは旅行に行く。

 行き先は沖縄、残念ながら海には入れないが夜空が望んだのだ。

 俺自身も行ったことはなかったし、ふたりきりの旅行…

 楽しみで仕方ない。

「お姉ちゃん、朝日。いってらー!」
「そっちこそ、いってらっしゃい。」

 ちなみに真昼と一星は東京を観光するようだ。

「楽しみね。朝日!」
「そうだな。まさか、二人が旅行の計画を立ててたとは…」

 計画してくれたのは両親。

 最後ぐらい若者同士仲良くしてきて、と母親に言われたときはどうしようかと思った。

 最後最後と心に響くが、そんなもの放っておこうか。

 数時間の飛行機の旅の後、那覇に到着。

 見たことのない亜熱帯の植物に、一層青い空。

 まだ3月なのに、と何度も思った。

 異世界に飛んできた感覚だ。

「海ってこんなに青かったかしら?!」
「いや…青というかエメラルドグリーンだな。」
「凄く綺麗ね。」
「あぁ。」
 
 とりあえず一日目は移動日のようだ。

 ホテルにチェックインして荷物を整理する。

 今日は施設内を満喫しようか。

 部屋は二人部屋のスイートルーム、露天風呂も付いている。

 確か、ホテル内に卓球施設と、温水プールもあったはず。

「夜空、卓球とプールどっちがいい?」
「そうね…卓球がいいわ。」
「おけ。」

 早速部屋着に着替えて出発した。

 卓球は俺らにとっちゃ旅行の定番。

 誰も経験者がいないから、いい感じに試合ができるのだ。

 ときに泥試合になるが…

「夜空、初めてじゃね?」
「そうね、体育で触ったことがあるくらい。」

 夜空は今まで未参加だった。

 軽く教えてからやってみることに。

「きゃ!うう…結構難しいわ。」
「慣れだな。頑張れ!」

 慣れない夜空はなかなか点が入らなかった。

 わけではなかった。

 苦手だと思いたかった。

「あら?朝日、卓球苦手かしら?」
「煽るな、くそ…」

 実際はこう。

 俺は彼女に歯が立たなかった。

 これで「やったことがない」と言われても説得力がない。

「おま…要領良すぎにも程がなぁ?」
「何言ってるのよ。ラケットの向きと回転で変わるのよ?簡単じゃない。」
「こいつ…」

 流石と言うべきか、夜空は飲み込みが早かった。

 結果、ボロボロに負けた。

 12対3って、言葉も出ない。

「いっぱい汗掻いたわ。あぁ楽しかった!」
「そりゃ良かったよ。」

 ほんと、何も敵わないな。

「今って…え!もう5時半なの?」
「早いな。バイキングが七時かららしいから、あと1時間半…」
「そうね…お風呂、入らない?」

 汗も掻いたことだし、丁度いいが…

(一人だよな?!まさか、なぁ?)

 一人勝手な妄想を繰り広げていると、爆弾が落とされた。

「一緒に入る///?」
「は、はぁぁぁぁ////!!?あ、あのな、俺らはまだ高校せ」

 違う、俺らはもう高校生じゃない。

 もう成人した大人なのだ。

「……っ///…お、お願い、します…///」

 
「いいわよ!」

 中から合図が聞こえる。

 そろそろと足を一歩踏み出すと、濁り湯の中に夜空はいた。

 変にドキドキしている。

 手早く洗い済ませると湯船に浸かる。

 それも遠くの方に。

「なんでそんなに遠いのよ。」
「だ、だって…///いくら濁ってても、み、見えそうだし…///」

 逸していた目を彼女に戻すと、すぐ近くにいた。

「うわぁ///!近ぇな///!おい///…」
「こうでもしないと、近くに来ないでしょう?」

 肌と肌が触れて、生々しく赤くなる頬と肩。

 恥ずかしくてたまらないのに、目が離せない。

「ん?」
「っ///!なんでもねぇよ///」
「何も言ってないわ。もう///」

 恥ずかしいじゃない、と呟いてそっぽ向いた。

 俺の中で何かがカチッと入った。

「つかさ、そんなに照れてるけど、見えてんの?」
「み、見えてない、けど…」
「じゃあ、見れる距離まで近づかなくちゃ。」

 俺は伸ばした足の上に夜空を乗せた。

 目線が合う。

 支えるために腰を掴んでみる。

「ほっそ…///」
「…っ///!」

 恥ずかしそうにしていた夜空だが、しだいに慣れてきたか。

 俺の胸に手を置いて、身を寄せた。

(柔らか…!)

 女子の体って案外柔らかい。

 簡単に折れてしまいそうなほどに細いし、思っていた以上に軽い。

 想像以上に理性が削られる…

「ふふっ…なんだか、思っている以上に恥ずかしくないわ。」
「そうかよ。」

 夜空は見た目の割に、というか誰よりも肝が座っている。

 だからか、自然と俺も恥ずかしさはなかった。

「のぼせてねぇ?」
「そろそろ。」
「上がるか。」

 あ、一言言ってないことがあった…

「今晩、楽しみにしといて?」
「……っ/////!!!」

 急にのぼせたかと思うほど顔を赤くした。

 ほんと、夕食の時間が惜しい。
 
 夕食はバイキングだ。

 再び部屋着に着替えて食事処に向かう。
 
 バイキングの中には彼女の好きなうどんやたこ焼きもあった。

「朝日は何か好きなのあったかしら?」
「いや…あ、」

 俺の好きなものは、皆あまり知らない。

 まあ、「意外」と言われるのが嫌で、言ってないのだ。

 「うまそ…」

 一つはフレンチトースト。

 これよりも好きなものがもう一つ。

「この酢豚…マジ美味そう…!」
「朝日…ほんとに目がないのね。」

 そう、酢豚だ。

 なんだか知らないが、好きだった。

 甘酸っぱく癖になるあのタレに絡みついた豚肉が最高なのだ。

「今度作ってあげるわ。」
「今度…おぅよ。」

 ぱくっと一口、うんやっぱり美味い。

 スイーツもバイキング形式で夜空は大好物の和菓子にメロメロだった。

「餡蜜おいしぃ…」
「よかったな。」
「えぇ!」

 俺は美味しそうに食ってる彼女が好きだ。

 いつもより良く表情が出るから。

 ほんとに可愛いのだ。

「はぁ…」
「どうした?」
「スイーツって美味しいけれど、私太ったのよ。」

 ダイエットしなくちゃ、と言っていた。

 俺はそうは思わなかった。

 というか、むしろもっと食べてもらっていい。

 一昔前、彼女は摂食障害だった。

 そのため今も、骨ばっているところがあるくらい痩せている。

 太った、というのはあくまで前の体重よりも増えたということ。

「これ以上痩せられても困る。」
「だって、お腹がポヨって。」
「してないから!つか、少しくらいポヨってるくらいが俺は好きだけど///!」
「っ〜///!」

 分かったから、と照れながら大福を1口食べた。

 バイキングを楽しんで、部屋に戻ったのは八時半だった。
 満腹なのは裏腹に、ふたりきりの空間に心が落ち着かない。

 どうしようか…と辺りをキョロキョロする。

 そんなとき彼女はつなぐ手に力を入れた。

「私は…いつでも…///」

 なんちゅう誘い方だよ、この…!!

 可愛さに俺の何かがブチブチっと千切れた。

「もう、知んねぇからな?」

 姫抱きしてベッドに連れて行く。

 着崩れた布切れが本能を燻った。

 この熱が冷めぬうちに、俺らの夜が始まった。

 
 額に汗が滲んでは、夜空に落ちる。

 まだ3月なはずなのに、暑い。

 いや、熱いのだ。

 どうしようもなく熱くて、それでも止められないのはなんでだろうな。

 本能に飲み込まれてしまいそうな感覚があった。


「……ん?んん〜!」

 窓から入り込む日差しに目が覚めた。

 あ、そういえば昨晩は……

 変に思い出そうとしたのが馬鹿だった。

 かあぁ、っと顔が熱くなる。

 左腕がやけに重く、感覚がない。

 見てみれば、スヤスヤと眠る夜空の姿があった。

 まじまじと顔を覗いてみる。

 睫毛は綺麗で長く伸び、生白い肌はもちもちで荒れ知らずだった。

「…ん?あ、さひ?…」
「ごめ…起こしたか?」
「ううん…なんか、眩しくて…」

 呂律が回らず朧気な彼女は珍しい。

 とても新鮮だ。

「体調は?」
「案外大丈夫よ。少し…腰が痛いくらい。」
「ごめん…」

 クスッと笑うと、そうゆうものよ、と言ってくれた。

 この時間にも刻一刻と別れが近づいていると思うと寂しいが、その前にいい思い出ができたと思う。

 きっと忘れることはないから。

「風呂入るか?」
「そうね。」

 今日は何する、なんて話をして時間を過ごした。

 今日は水族館に行った。

 夜空のことだ、美味しそう、と連呼しては、キラキラと目を光らせていた。

 伊勢海老、タラバガニ、イワシにクエ、まぁうん、夜空らしいと言っておこうか。

「凄いわ〜、ジンベイザメ…」
「でけぇな…」
「……」

 大水槽を小魚とともに優雅に泳ぐジンベイザメは、なんとも言えない美しさだった。

 静かに「黙れ」と言われているようで、無言のまま見とれてしまう。

 その夜、夕食でクエの煮付けが出たのは、ほんと偶然。

 ふわふわで、かつ味が染みていて、とても美味しかった。

 一方だ。

 部屋戻ったのはいいが、どうしても昨晩を思い出してしまって落ち着かない。

「「……」」

 この何も話せないような雰囲気…気まず過ぎる……!

「ふ、風呂、入るか…?」
「先入ってきていいわ…」
「ど、どうも…」

 どうしても意識してしまう。

 湯に顔をつけ、一人照れ隠しした。

 遠くでガラガラと、音がした。

「よ、よ、よ、夜空さん…///?!」
「ごめんなさい、やっぱり一緒に入りたくて。ダメかしら?」
「別に…いいけど…」

 ありがとう、と言ってぱぱっと手短に体を清めると、近くに来た。

「ふう…っふふ、何緊張してるの?」
「だって…昨日の今日だし…」
「朝日らしいわ…!」

 どうやら俺をからかうのが相当楽しいようで、夜空は満面の笑みを見せた。

「朝日…ありがとう。私を…助けてくれて。」
「っ!?」

 何を言っているのかと思った。

 消えかけていた記憶が蘇ってきた。

 俺は夜空を「救う」ために…いやそれは言い訳か。

 俺は自分の「エゴ」を守るがために「ループ」した。

 それを彼女には言っていない。

「あのとき、朝日が飛び込んでまで助けてくれなければ、私はきっと死んでいたわ。」

 なのになんだこの口ぶりは。

 何か知っているようにしか思えない。

「何か、知って?」
「いいえ全く。」

 知っていると自覚した後、そうか、と付け加えた。