誰にでも、人には言えない事情というものがある。例えば、両親が離婚して家庭環境が複雑になったり、持病が原因で運動ができないとか。そんなときは、相手を理解をすることが大切だ。協力して共に生きていこう。こう考えるのが正しいのだと思う。
 でも、私が抱える事情は誰が理解してくれるのだろう。誰かに言ったところで馬鹿にされるだろうし、気を遣わせて関係が悪くなるかもしれない。だから私は、この能力を誰にも言ったことがなかった。
 私は、目を見るだけで相手の心の声を読み取ることができる。いや、できてしまうと言ったほうがしっくりくる。一見、便利な能力だと思うかもしれないが、この能力は大半マイナスにしか働いてくれない。口では「可愛い」と言っていても、心では別のことを考えていたりする。
 いつからか目を見て話すことが怖くなって、無意識に人と距離をとるようにして高校生活を送っていた。
 そんな無色透明だった学校生活が、一人の転校生が来たことで色がつき始めた。


「今日から半年、このクラスでみんなと一緒に生活をしてくからな。前園薫(まえぞのかおる)くんだ。」
 ペコペコと頭を下げながら教室に入ってきた男の子は身長が高く、細身で綺麗な顔立ちをしていた。いかにも好青年という感じで、クラスの女の子たちは「かっこいい」と黄色い声が上がっている。
「前園くんは喉の調子が悪くて声が出ないから、そこのところは理解しておくように」
 事前に先生から伝えられてはいたが、私は他人事にしか聞こえなかった。どうせ話すことなんてないから。
「一番後ろの窓側の空いてる席。前園くんの席な。わからないことがあれば隣の高月にでも聞いてくれ」
 先生に一礼をした前園くんは黒板に「よろしくお願いします」と書き、私のほうへと歩いてくる。前園くんが着席したと同時に、クラスメイトたちからの視線が一斉に私に集まる。

 ”あいつの隣とか可哀想だな”

 心の声が聞こえた私は反射的にうつむいた。
 教壇のまえで先生が話をしているが、なにも頭に入ってこない。全神経が左に集中している。他人に関心を持つようなタイプではない私でも、さすがに隣の席が転校生だと考えると少しばかり気になってまう。
 恐る恐る顔をあげて窓の外を見るように左隣を覗くと、前園くんは小さな紙に何かを書いている。前園くんは書き終わった紙を、私の机の上にスッと置いた。
 前園くんと目が合いそうになるが、ぎりぎりで視線を逸らした。普段から人の目を見ることに抵抗があったが、それ以外に私を緊張させる要因があった。
 紙に書かれる文字を読む。
『前園薫。おれ声が出ないから、いつも筆談でコミュニケーションをとってる。めんどくさいかもしれないけどよろしく』
 読み終わったタイミングで「起立」と声がかかり、朝のホームルームを終える挨拶がクラスに響く。先生が教室から出ていくと同時に、クラスメイトたちが前園くんの周りに集まり出した。ただでさえ居心地の悪い教室が、私を余計にいたたまれない気持ちにさせる。
 前園くんから渡された紙を握りしめ、逃げるように教室を飛び出しトイレへと駆け込む。安堵の気持ちが身体から力を奪い、私は床へとしゃがみ込んだ。肩で息をするが呼吸がしづらい。
 小さく狭い閉鎖的な空間。芳香剤の香りとジメジメとしたカビ臭いトイレの臭いが、私をより一層息苦しくさせた。しばらく立てずにいたが、落ち着いたところで教室へ戻り授業開始のチャイムを耳にする。
 そこからは流れるように時間は進み、気づくと帰りのホームルームが始まっていた。

 教壇のまえで話している先生を見る。明日の授業に必要なものを話しているみたいだが”職員会議があるから早く終わらせないと”という心の声が聞こえた。
 人よりもたくさんの声が聞こえ、知りたくないことも耳に入ってくる。そして傷つく。朝起きて学校に行き、肩身の狭い思いをして家に帰り、漫画を読んで寝るだけ。こうして一日が終わっていく。
 周囲に怯えながら生活をして何が楽しいのだろうか。正直になれない自分への不満が蓄積していき、日に日に私の心を疲弊させていく。
 人と話すのも消極的で、声も身体も小さくて、容姿も良いわけでもない。変わらないといけない。わかっているのに、どうすればいいのかが分からない。弱い自分が嫌で、悔しくて、情けなくて。そんなことを考えていると胸が苦しくなる。
 私、いつまでこんなことしてるんだろう。
 私はただ呆然とホームルームが終わるのを待ちながら下を向いていると、左隣から気配を感じた。前園くんが今朝と同じように手紙を机に置く。突然のできごとに戸惑いながらも受けとり、何事もなかったかのようにポケットの中へしまう。
 ホームルームを終える挨拶が教室に響き、私は間髪入れずに教室を出ていった。

 家についてからはお風呂に入り、夕食を食べ、自分の部屋へと閉じこもる。このままではダメだとわかっていても安定思考が働いてしまい、いつもと変わらない日々を過ごしていた。
 ベッドに寝転び、漫画の世界へと入り込む。紙の向こう側にいる人は嘘をつかない。淡く綺麗な言葉は心を浄化し、非現実が私の心を満たしてくれる。この時間だけが、私を現実の世界から引き離してくれる。登場人物の目を見たって何も聞こえないのだから......。
 机の上に置かれる時計に目を向けると日付が変わる直前であることに気づき、時間が経つ早さに驚きを覚える。明日の準備をしようとベッドから起き上がり、カバンの中の教科書を取り替えていると、壁に立てかけられた制服に目がとまった。そういえば、前園くんから手紙をもらったんだった。
 スカートのポケットから手紙を取りだして、内容を確認する。

『朝に渡した手紙迷惑だった?もしそうだとしたらごめん。でも仲良くできたら嬉しいなと思っただけ。だから気にしないで』

 前園くんに嫌われてしまったかもしれない。もしあのとき私が向き合うことができていたら、友達になれたのかもしれない。いままで何人か友達ができたことはあった。でもみんな離れていった。軽蔑するような目で見られたこと、心ない言葉をかけられたこと。上手くいかないことは全てこの能力のせいだと思っていた。でも、いまなら変えられるかもしれない。
 この気持ち、なんだろう。
 前園くんからもらった手紙をギュッと握りしめ、机の上にペンとレターセットを出した。

高月芽衣(たかつきめい)です。昨日はごめんなさい。人と話すのが得意じゃなくて緊張していました。
こんな私と友達になってくれるのであれば、友達になってください』

 明日ちゃんと渡せるといいな。高鳴る鼓動を落ちつかせようと深呼吸をし、ベッドのなかで手紙を渡すシチュエーションを考えながら眠りについた。


朝から気持ちがふわふわして落ちつかない。昨日の夜は緊張して寝付くまでに時間がかかり、目の下のクマがやたらと目立っている。通学の電車で手紙を渡すときのセリフまで考えていたが、思うように言葉がまとまらず気づいたら学校に着いていた。
 自分の席へと向かい、前園くんが登校してくるのを待つ。直前になって、昨日のことを怒っていたらどうしよう、受け取ってくれなかったらどうしよう、と起きてもいないことを想像して悲観していた。
 クラスメイトの「前園くんおはよう」の声で我に返る。いざ本人が来ると、緊張感が増して脈が速くなる。好きとかそういった感情でもないはずなのに、こんなにドキドキするものなのだろうか。
 前園くんは私の後ろを通って席に着いた。通り過ぎたときに、ふわりと柔軟剤の香りが鼻をくすぐった。こんなときに変なことを考えている自分に恥ずかしさを覚え、顔が熱くなるのを感じた。
 落ちつきを取り戻し、意を決して左隣へと身体を向ける。視線に気づいた前園くんは表情を変えることなく、ただ私を見つめているだけだった。

”え、なに?”

 合ったばかりの目を逸らして通学時に考えていたセリフを言おうとしたが、本人をまえにすると緊張のあまりに言葉が出なくなってしまった。焦った末に言葉を発することができずに、前園くんの机に手紙を置いた。
 再度目が合う。

”おれに?”

 この反応、大丈夫かな。迷惑がられていないかな。考えれば考えるほど思考はマイナスの方向へと寄っていく。前園くんにどう思われているのかという心配と、自己肯定感が低い自分が嫌になって机に突っ伏した。
 しばらくしてホームルームが始まった。いまさっきの出来事が頭から離れず、平然を装っているつもりでも心が騒ついているのがわかる。
 気づくとホームルームが終わり、別の教室で授業のためクラスメイトたちは移動を始めていた。カバンの中から教科書を取りだしてゆっくりと準備を始めると、前園くんは私の机の上に、いつどのタイミングで書いたのかも分からない紙を置いた。

『高月さん、書いてくれてありがとう。おれも人と話すの得意じゃないんだよね。だって声が出ないんだもん(笑)
ということで、これから仲良くしてね
追伸 学校終わったらLINE交換しよ』

 それからはあっという間に時間が過ぎていった。授業のことなんて頭に入ってくるはずもなく、ただ放課後のことばかりを考えていた。普段から男の子と話すことなんて滅多にないし、それ以上に個人的なやり取りをするような人もいない。よりによって前園くんのような好青年と友達になれるだなんて。
 いま、どのクラスメイトよりも親密度が高いのではないかと勘違いしそうになるものの、あながち間違いではない。転校初日の前園くんの周りにはクラスメイトや他クラスの人たちも寄ってきていたが、二日目で前園くんへの関心は薄らいでいるのを察した。その理由は言うまでもない。そう考えるとなんだか、前園くんを独り占めしたような気分になって嬉しくなった。
 帰りのホームルームが終わり、教室からクラスメイトたちが出ていくのを見送る。アルバイトがあると言い急いで教室を出る人、部活動へと向かう人、教室に残り談笑する女の子たち。そして私と前園くん。
 窓の外を見ると、太陽が傾き始めていた。夕日が差し込む教室は神々しく光り輝き、窓際の私たちの影を作りだす。隣から前園くんがQRコードを読み取るようにとスマートフォンを差し出す。緊張で震える手を制御していたせいか、ぎこちない動きをしている私を見て前園くんは笑みを浮かべていた。

”高月さん、緊張しすぎでしょ”

 やっぱりバレていたか。照れを隠すようにうつむき、さっそくLINEの友達追加をする。LINEのアイコンは、初期設定から何も触れていないためデフォルトのまま。それに対して前園くんは、青空に浮かぶハート型の雲のアイコン。心の中で、少し可愛い。と思ってしまった。私と同じ能力を持つ人がいたら、と考えると心恥ずかしくなってきた。
 手に持つスマートフォンが震える。

薫 : 手紙めんどくさいから、できる限りLINEで話そう
芽衣 : そうだね。あと、私なんかと話してて大丈夫?

 前園くんは文字でのやり取りのほうがコミュニケーションを取りやすいと思うけれど、私までが文字でやり取りをする必要があるのだろうか。でもLINEのほうが変な安心感があり、ついタメ口になってしまう。馴れ馴れしいと思われていないかな。

薫 : 大丈夫。周りからは話してるって見えるのかな?

 教室を見渡すと、談笑していた一人の女の子と偶然目が合う。

”あの二人、絶対スマホでやり取りしてる”

 一瞬にして心臓が跳ね上がる。動揺を隠すようにしてスマートフォンに目を落とす。

芽衣 : どうなんだろう。それと、用事思い出しちゃった。また話してくれる?
薫 : また話そ!夜にでもLINEするね

 もちろん用事なんてものはない。クラスメイトの声が聞こえてきて教室に居づらくなったからだ。
 左隣を見ることなく教室を後にした。

帰宅してからはいつものように、お風呂に入って夕食を食べる。そしてベッドで横になりながら漫画の世界を堪能していた。
バイブ音が鳴り、スマートフォンを手にとる。

薫 : 今日ちゃんと話せてよかった!(LINEだけど笑)
芽衣 : こちらこそありがとう!楽しかったー
薫 : 明日昼ごはん一緒に食べない?

 突然の昼食の誘いに思考が停止する。
 私なんかと一緒にいたら前園くんまでが白い目で見られてしまうのではないか。自己肯定感が低いせいで”私なんか”と普段から無意識に使ってしまう。

芽衣 : いいよ。食堂でもいい?
薫 : りょーかい!教室だとなんか嫌だからね笑

 何かを察してくれたのか、前園くんは快く了承をしてくれた。

芽衣 : うん笑 ありがとう。じゃあまた明日ね
薫 : おーう。また明日!

 この感情は、なんだろうか。小学生のとき好きな男の子がいたが、そのときの感情と似た感覚があった。でも、その男の子からは好かれるどころか人柄的な問題で嫌われていた。

”なにも喋らないじゃんこの女”

 それ以降、私は嫌な人間なのだと自分に言い聞かせて生きてきた。でも、いまはどうだろうか。こんな私でも受け入れてくれる人がいるということに胸が熱くなる。好きな人どうこうではなく、こうして話せるだけでも十分幸せ。ということに気づかせてくれた前園くんには感謝しかない。

 いままで味わったことのない、不思議な高揚感に包まれながら眠りについた。


 四限終了のチャイムが鳴ったと同時に、弁当箱を脇に抱えて気配を殺すように教室から抜け出した。
 五分ほど待っていると、前園くんは周囲を見渡しながら食堂へと入ってきた。気づいてもらえるように立ち上がり”ここだよ”と目で訴えかけてみると目が合った。

”あ、いたいた。お腹すいたぁ”

 前園くんが転校してきてから三日が経つ。以前と比べて、人の目を見ることに対して抵抗がなくなっていた。普段から人の目を見る機会がないという理由もあるかもしれないけれど、前園くんから感じとれる心の声は、嘘偽りがないように思える。
 隣の椅子に腰をかけた前園くんは、スマートフォンを取り出してLINEを開いていた。
 ポケットから振動を感じた。

薫 : 待たせちゃってごめんね
芽衣 : 大丈夫!

 気を遣ってくれたのか、時間をずらして食堂に来てくれたのかな。変な想像をしてしまい、思わず笑みがこぼれてしまう。その様子を見ていた前園くんの口角も上がる。

”いまなんで笑ったんだろう”

 それはね、何でかわからないけど、嬉しいからだよ。喉まで出かかっていた言葉を心の中に留め、水筒に入っている麦茶と一緒にお腹の中へと流し込んだ。
 前園くんが弁当箱を出すのを見て、私も弁当箱を出す。目の前の前園くんの目を見る。パチンと音が鳴る。

”いただきます”
いただきます。


 薫くんが転校してきてから一ヶ月が経った。
席は隣でも学校にいるあいだはできるだけコミュニケーションはとらない。金曜日だけ一緒に食堂でお昼ご飯を食べる。毎晩するLINEで薫くんと決めたことだ。それは、お互いの心の負担的なことを考えたうえでの決まりだった。そして、お互いが名前呼びをするようになった。
 前までは、心の声を聞きたくない。という想いが強すぎたことから、下を向いてばかりだった。でも最近になって前を向くことが増えたような気がしている。姿勢も、心も。
 この一ヶ月の期間で、私のなかで何かが変わっていることを実感していた。薫くんに対する想いも......。

 いつものように学校から帰り、お風呂入って夕食を食べる。ここまでは平常運転だ。でも今日は少し違う。学校の帰り道に立ち寄った本屋さんで『今日から学べるコミュニケーション術』を買ってきた。
 主要五科目、副教科以外の勉強なんてしたことがなかったこともあり、戸惑いながらも本を開く。最初は重要そうなところをメモをしていたが、徐々にページをめくる手が遅くなり、瞼が重くなっていく。
 机に置いてあるスマートフォンの振動で目が覚める。通知を確認すると薫くんからのLINEだった。

薫 : 今日もお疲れ!ひとつお願いがあるんだけどいい?
芽衣 : お疲れ!何でしょう!
薫 : 明日通院するから学校休まなきゃいけないんだ。だから次あったときにノート見せてほしい!
芽衣 : 全然いいよ!じゃあ明日はいつもより張り切ってノートとらなきゃ

 なにかあったのかな。不安な気持ちになりつつも、さすがに本人に聞くことはできなかった。

薫 : 張り切りすぎには注意ね(笑)
芽衣 : はーい(笑)
薫 : おやすみ!
芽衣 : おやすみ!

 いつものようにLINEを終え、寝る準備を始める。今日はよく頑張った。と自分に言い聞かせてベッドに入った。


 薫くんと約束したとおり、いつもより気合を入れて黒板に書かれた文字をノートに写す。四限の授業が終わったころには週末ということもあり、いつもの何倍かの疲労が襲ってきた。本来なら薫くんと食堂でお昼ご飯を食べる予定だが、通院していて今日はいない。しかたなく教室で弁当を食べていると、隣から声をかけられた。

「あれ?今日は食堂行かないの?」

 クラスで賑やかなグループに属している三人の女の子が、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら話しかけてきた。高圧的な態度に思わずたじろいでしまう。何と答えればいいのかわからず、目を逸らしてうつむく。

”こいつ何なの?モジモジしてんじゃねえよ”

「ねえ。あんた口ついてるの?」
「なにモジモジしてんの?言いたいことあるなら言ってみなさいよ」
「前園いなくて寂しいんでしょ?」

 矢継ぎ早に飛んでくる彼女たちからの心ない言葉。言われ慣れているとはいっても、多少ダメージがあった。言い返すこともなく、ただ下を向いて嵐が過ぎ去るのを待っていた。

「前園と仲良くしてたら、お前まで喋れなくなっちゃった?」

 いまこの子、なんて言った?自分のことを言われるのは構わない。でも、薫くんは関係ない。あなた達になにが分かるのよ。
私の大切な居場所に土足で入られたような気分になった。
 ふつふつと湧き上がってくる感情を抑えるのに必死で、スカートの裾を握る手に力が入る。

「なんか言えよ」

 私の中で、何かが切れる音がした。

「あんた達になにが分かるのよ!」

 普段から無口なうえ、突然声を荒げたことで女の子たちは後退りした。クラスメイトからの視線に耐えることができず、教室を飛び出す。
 何もしていない私たちが、どうして罵られなければいけないの?
 時間は流れるように進んでいき、気づけば帰りのホームルームが終わっていた。

 帰宅してひと段落をついたが、漫画すらも読む気にならなかった。ベッドで仰向けになり、ただ意味もなく天井にできたシミを数えていると枕元に置いてあったスマートフォンが揺れた。
 薫くんからのLINEだ。今日一日の出来事がよみがえる。

「前園と仲良くしてたら、お前まで喋れなくなっちゃった?」

 目に映る画面が少しずつぼやけていく。クラスメイトからの一言が頭から離れない。水面に落ちた真っ黒なインクのように広がり、じんわりと私の心を蝕んでいった。
 目元を拭い、もう一度画面に目を凝らす。

薫 : 一週間お疲れ!今日大丈夫だった?
芽衣 : お疲れ!ノートしっかりとれたよ。月曜日見せるね
薫 : ありがとう!

 いつもと同じようにメッセージを送っていたが、胸が苦しくなり、ウサギのキャラクターのスタンプを送ってLINEを閉じた。
 薫くんと出会ってから日常が変わっていき、嫌いだった自分を少しだけ受け入れられるようにもなっていた。でもそんな薫くんが、私のせいで苦しむようなことはあってほしくない。薫くんの日常がマイナスの方向に向かっていくのが怖い。
 やっぱり、私なんかと一緒にいないほうがいいんだ。
 金曜日のLINEから連絡をとることもなく、月曜日の朝を迎えた。


 薫くんはいつもと変わらぬ様子で学校にきた。席に着いた薫くんに、視線を合わせないようノートを手渡す。
 しばらくすると、私の机の上に紙切れを置いた。金曜日のことが頭によみがえり反射的に周囲を見渡すと、心ない言葉を投げかけてきた女の子たちと目が合う。

”またやってるよ”

 目の置き場がなくなり、しかたなく薫くんからのメッセージに目を通す。

”ノートありがとう。元気なさそうに見えるけど何かあった?”

 どうすればいいかがわからず、私はただ首を横に振ることしかできなかった。
「私なんかと一緒にいないほうがいい」と言葉にできたらどれだけ楽になるだろうか。
 今日最後の授業を終えたときには疲労感が襲いかかり、一気に眠気がやってきた。家に帰ったら何もせずすぐに寝よう。
 帰りのホームルームを終え、逃げるように教室を飛びだした。
 校門を出る直前で、カバンの軽さに違和感を覚えた。テスト勉強に使う教科書を、机の上に出しっぱなしにしていたことを思いだす。きた道を急いで戻り教室に入ろうとすると、中から女の子たちの声が聞こえてきた。

「前園くんってさ、芽衣と付き合ってるんでしょ?」
「付き合ってても興味ないんだけど、芽衣と一緒にいて楽しいの?」

 教室で起きていることを頭の中で想像してしまい、ふらっと足元がすくむ。あの子たちが言っていることも否定はできない。本当に私なんかといて楽しいのだろうか。
 いまこの瞬間、薫くんは何を考えているんだろうか。声にならない声を、心の中で叫び続けているのかもしれない。教科書のことなんて忘れて、いますぐ帰りたかった。でも、何でだろう。ここから立ち去ることは許されない気がした。

 教室から聞こえた声は落ち着き、中から女の子たちが出てくる。

「あんたなにしてんの?」
「え、まさか盗み聞きしてたの?」
「趣味わるーい!」

 ゲラゲラと甲高い声を発している女の子たちをが、廊下の奥へと消えていくところを目にしてから教室に入ると、薫くんは窓の外を眺めていた。西日に照らされた美しい横顔に、一筋の光が伝うのが見えた。
 私の存在に気づいて慌てた様子を見せると、机の上に出された紙をポケットにしまい込んだ。自分の席に移動し、左隣を見る。一瞬だけ目が合ったが、薫くんは視線を窓の外に戻した。

”なんでいま来るんだよ”

 心の声が聞こえたが、それは攻撃的なものではないことが感じとれた。
 しばらくすると薫くんはポケットから紙を取りだし、私の机の上に置く。そして、二つ折りにされた紙を開いた。

『芽衣ちゃんに一つ隠していたことがある。声が出ないって聞いてるかもしれないけど、本当は喋れるの。
でも、声が出なかったことは事実。自分の声が嫌いで、声が高くて女みたいって言われていじめも経験したことがあって、そしたらある日突然、声が出なくなった。
病院に行ったら心因性失声症と診断を受けた。ストレスによって声が出なくなるんだって。それから人と話すのが怖くなったんだ。
でもね、芽衣ちゃんと出会ってから自然と声が出るようになったんだよ。どうしてか分かる?心から安心して話せる相手ができたからだと思う。
きっと芽衣ちゃんのことだから、私なんかと話さないほうがいい。とか考えてるんでしょ?もしそうだとしたら、声を大にして言いたい(そんな声出ないけど笑)。芽衣ちゃんの存在に助けられてる。だから、仲良くしてくれてありがとう』

 自分を必要としてくれる人がいること、こんな自分を受け入れてくれる人がいること。みんなからはちっぽけに見えるかもしれないけれど、こんなにも幸せな気持ちにさせてくれるのは、世界に一人しかいないかもしれない。
 溢れる涙を制服の袖で拭き、薫くんの正面に立つ。

「薫くん、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」

 静寂で包まれた教室に、綺麗で美しい声が響いた。

「私もひとつだけ隠していたことがあるんだけど、聞いてくれる?」
「うん。聞くよ」
「信じられないかもしれないけど、私ね、目を見ると心の声が聞こえるの」
「そうなんだ」
「うん......」
「じゃあ、俺の心の声を聞いてみてよ」

 ゆっくりと薫くんと目を合わせる。

”芽衣ちゃんのことが好きです”