「何で笑ってんの?」
 彼女、西田(にしだ)早瀬(はやせ)に向けた初めの言葉はそれだった。

 描きかけの作品や彫像が隅に並ぶ部屋。
 その中にぽっかりと空いた広い空間に、大きな真っ白なキャンバスがあった。
 向かうのは焦げ茶の髪をポニーテールに結った普通の少女。
 でも、真剣な眼差しは彼女に凛とした雰囲気を纏わせる。

 それは神聖な儀式のようで、たまたま通りかかっただけの(ゆたか)は思わず見入ってしまった。
 静謐(せいひつ)を思わせる空間に、シャッシャッと木炭のこすれる音が響く。
 軽く伏せられた睫毛が揺れると、カタン、と木炭が置かれた。
 ゆっくり筆を手に取り、吟味するように絵の具を混ぜる姿はまるで世界を作る前の神の様。
 そこまで考えて、流石に神は言い過ぎかと内心笑う。
 でも、色を乗せた筆を手にキャンバスに向き直った彼女を見て息を呑んだ。
 嵐の前の静けさのように静寂が流れ、次の瞬間彼女は躊躇うことなく大胆に筆を滑らせた。
 かと思うと、繊細に、慎重に動く指。
 真剣な目には熱が宿り、口元は笑みを形作っている。

 静かなる儀式は、しかし苛烈さをも見せた。
 生きている、と思った。
 命の炎を燃やして、消し炭になるのも躊躇わずただひたすら生きている。
 その熱量に圧倒された。
 感動――強い印象を受け心を奪われることとは、正にこういうことを言うのだと知る。
 そして、羨ましいと思った。
 ここまで人の心を動かせることが出来る彼女が。
 そこまでの熱量を向けられるものを持っていることが。
 流されるまま日々を生きてきた自分が、本当は熱中するものを欲していたのだと……豊はこのとき知った。