わたしは物語が好きだった。
 とりわけハッピーエンドになる童話や女の子が憧れるアニメのような、キラキラとした世界が好き。だから何かを見る度に、ついファンタジーな空想してしまう。

 見知らぬ古びた建物の扉を潜ると、そこは魔法使い御用達のお店だった、とか。
 虹が消える瞬間に、その欠片が溢れ落ちてきて不思議な生き物に変わる、とか。
 そんな物語を頭の中で膨らませて、退屈な一日を乗り越える。

 だって、現実はつまらない。中学に上がってから、友達はファンタジーを創作だと割りきってしまった。
 小学生の頃は良かった。一緒に魔法のコンパクトを集めたり、公園でとっておきの呪文を唱えたり、大きくなったら皆でアニメの魔法少女のようになれると信じていたのに。

 今となっては、空想の世界に浸るのはわたしだけ。部活や恋愛、現実の青春を謳歌し始める友達と、わたしは何と無く距離を感じていた。
 だって、わたしはいつまでも、楽しい夢を見ていたいのだ。

 一人退屈な帰り道、沈み始めた夕日を背にとぼとぼと歩いていると、道の先に黒猫を見掛けた。
 初めて見る子だ。首輪はしていない、野良猫だろうか。けれど毛並みは艶やかで、美しい猫。赤い日の光を受けて、猫は眩しそうに目を細めている。

 黒猫は不吉だというけれど、物語好きにとっては、あらゆる作品で見掛ける馴染み深い存在だ。わたしは何とはなしに、歩き始めたその黒猫について行くことにした。

 もしかしたら、この子と居れば何かの物語が始まるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、いつもの道を逸れて、猫と一緒に色んな所を巡る。
 のんびりと優雅に歩く黒猫は、一定の距離でついて行くわたしから逃げたりはしなかった。


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 猫に続いて普段と逆方向の道を曲がると、塀の上に居た別の猫と遭遇した。猫二匹が揃う光景は、とても可愛らしかった。
 そして彼らは、或いは彼女らは、わたしには聞き取れない猫族の言葉で話し始める。

「にゃあ」
「にゃー」

 きっと秘密の暗号だ。わたしにはわからない暗号で、作戦会議をしているのだ。
 わたしは飽きもせずに、しばらく続くその光景を眺め続けた。

 やがて猫は再び歩き出す。
 わたしはそれについて行く。

 猫は今度は空き地へと向かった。ふと立ち止まると、猫は何もない場所で地面を見下ろしながら、三周くるくると回った。

 きっと秘密の合図だ。目に見えない何かへと、合図を送っているのだ。
 わたしはその空間へとじっと目を凝らした。

 猫は再び歩き出す。
 わたしはそれについて行く。

 段々日が落ちて来た。猫は寒かったのか、今度は日当たりの良さそうなベンチに座る。
 丸くなったかと思えば、不意にベンチの下を覗き込む仕草をした。

 きっと秘密の生き物の住み処だ。お家の天井を借りてますよって、アイコンタクトを送っているのだ。
 わたしも一緒に覗き込んで、何も見えない空間に向かって会釈をした。

 猫は細い路地裏を進む。
 わたしは少し躊躇して、ついて行く。

 猫はきょろきょろと辺りを見回した後、迷路みたいな路地を我が物顔で進む。

 きっと秘密の近道だ。人間には見つからない、秘密の扉を知ってるんだ。
 わたしは制服を汚さぬように、気を付けながら進む。

 物語を空想しながらの猫との小さな冒険は、程好い非日常を与えてくれる。日常に退屈していたわたしを、わくわくさせた。


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 次は何処に行くのだろう、この路地裏の先には、何が待ち受けているのだろう。入り組んだ道を進みながら、期待に胸が膨らむ。
 けれど不意に、町中に設置されているスピーカーから、夕方を告げる音楽が流れた。

 子供達に早く家に帰るよう促す、毎日の町内放送。この町では子供の失踪があってから、門限に厳しい家が多かった。

 わたしも、暗くなる前に帰らないと。路地裏から見上げた遠く狭い空は、いつの間にか薄暗くなっていた。

 聞き慣れた音楽に、あっという間に現実に引き戻される感覚。呆気ない冒険の終わりに名残惜しさを感じながらも、足を止めたわたしを不思議そうに振り向く猫へと、別れを告げる。

「……もう帰らなくちゃ。またね、猫ちゃん」
「にゃあ……」

 猫もわたしとの冒険を楽しんでくれていたのだろうか。最後にぽつりと、残念そうに鳴いてくれた。


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 入り組んだ迷宮の路地を抜けた先。既に日も落ち真っ暗な空間で、金色の目だけを爛々と光らせた黒猫は、塀の上に居た虎猫と再会した。

「……あら。さっきのあの子はどうしたの?」
「ついさっき、帰って行ったよ。……まったく。何か面白いことが起きるかもって顔で僕について来たのにさ、その面白いことが起きる前に、あっさりと」

 黒猫はやれやれといった様子で、何の収穫もなかったと不貞腐れ気味に虎猫へと告げる。

「あー……嫌な予感でもしたのかしら?」
「失礼な。あのまま後少しついて来てくれたら、あの子の望む『別世界』につれて行ってあげられたのにな」

 叶わなかった展開を惜しむように、黒猫は尻尾を地面に叩きつける。けれどもその姿は、闇に紛れて見えはしない。

「……あの子の望みとは、ちょっと違うかもしれないわよ? あの様子だと、痛みも苦しみも想定してないだろうし」
「……その辺は誤差だよ。まあ何にせよ、ファンタジーに飛び込むには、常識を捨てないとね」

 現実に飽いて、非日常を求めていた少女。子供は後先考えず、誘いに乗ってくれるのに。彼女は少しばかり、大人になり過ぎていたのかも知れない。

「ふふ、そうね。……まあ、気を取り直して次を探しましょう。『現実を犠牲にして、非日常に飛び込む物好き』を……ね?」
「言われなくてもそうするよ……それが僕の『日常』だからね」

 人気もなく、ただ静寂の支配する暗闇の中。夜に溶けるように猫二匹の鳴き声だけが響いて、消えた。