—1—
「うおおおおーーーーーーーー!!!!!!」
バベルの瞬間移動の能力で空高くに放り出されたオレたち。
100メートル以上ある橋の上から落ちた際に味わった浮遊感をまた体感することになるとは。
物凄い風圧で服やら髪の毛やらが暴れまくっている。
「おい、楽しいからってそんなにはしゃぐな。俺から手を離したら死ぬぞ」
「別にはしゃいでるわけじゃないんだけど!? そんなことより早く何とかしないと落ちるぞ!」
「リヴ様が座標の特定をされているのだ。少し黙ってろ」
リヴが右手を耳に当てて周囲の音を聞き分けていた。
バベルが言う座標とは何を指しているのだろうか?
「なあバベル、気になっていたんだがオレに対する当たりが強くないか?」
バベルがオレの顔をチラッと見る。
そして、
「おいバベル! 無言で手を離すな!! お前と手を繋いでいないと瞬間移動できないんだろ!? ほら早くこっちに手を伸ばせ!! 早く!!!」
このままバベルと手を繋がず地面に向かって真っ逆さまに落ちていれば死ぬこともできたはず。
しかし、オレは生きるために必死に手を伸ばしていた。
まだ短時間ではあるけれど、リヴと接したことでオレの中の何かが変わろうとしているのかもしれない。
「2人共準備はいい?」
「はっ、いつでも飛ぶ準備はできております」
リヴがグワッと目を開き、正面に見えるマンションを指さした。
「バベル、あの建物の4階。右から3番目の部屋!」
「承知しました。転移!」
—2—
「うぐっ」
着地に失敗して腹から床に叩きつけられたオレ。
それとは対照的にリヴとバベルは華麗な着地を見せた。
「えっ? 人? どこから??」
体を起こしながら声がした方に視線を向ける。
「愛梨沙」
「直斗?」
オレの高校時代の彼女である愛梨沙がそこにはいた。
泣いた後なのか目は腫れていて、頬は痩せこけている。部屋に散乱している割れた食器類にゴミ袋の山。
高校時代の清楚で大人しかったイメージの彼女とは随分とかけ離れている。
そして、天井からぶら下がった輪っか状のロープ。
愛梨沙は椅子の上に立ち、両手でロープを掴んでいた。
「直斗、どうやってここに?」
「それは」
バベルとアイコンタクトを取って確認しようと試みたが目を逸らされてしまった。
リヴからも動く気配を感じられない。
「直斗、ごめんね。私、ずっと直斗に謝りたかったんだ。許して欲しいとかはないの。私がしたことは最低なことだから。ただ、あれから、直斗と別れてから思い出すんだ。直斗と過ごした毎日が幸せだったなって。今も直斗のことが頭に浮かんでたの。そしたら直斗が突然目の前に現れたからビックリした」
愛梨沙の頬を涙が伝っていた。
彼女の言葉に嘘はない。嘘はないけれど今更謝られたところでオレはどうしたらいいんだ。
信じていた人に裏切られて、人という生き物を信じられなくなって、この世界で生きていく意味まで見失っていた。
今更謝られたところでオレのこの気持ちはどこに向ければいい?
「ずるいよ」
「うん、だから許してくれなくていいよ。私はもういなくなるから。もうなんで生きてるのか分からなくなっちゃった」
愛梨沙が力無く笑った。
「愛梨沙!」
愛梨沙の足が椅子から離れた。
椅子が後ろに倒れて愛梨沙の首にロープが締まっていく。
オレにはその光景がスローモーションのように映っていた。
複雑な感情であることに間違いはないけど、目の前で知っている人が死にそうになっていたら無意識の内に体が動いていた。
愛梨沙の体を下から支えることで少しでも首が締まらないように持ち上げ続ける。
「リヴ! バベル! ロープを頼む!」
リヴは愛梨沙に向かって手を広げていた。リヴの手のひらから淡い光が放たれている。
どうやらスローモーションに見えていたのはリヴの時間を自由に操る能力だったみたいだ。
一方のバベルは床に転がっていた食器の破片を使ってロープを切断した。
地面に放り出された愛梨沙を体を張って受け止める。
「愛梨沙、なんで自殺なんてしようと思ったんだよ」
「この世界には私の居場所がないの」
愛梨沙の目の奥に広がる闇。
オレが知らない2年間の間に愛梨沙の身に何が起こったのか。
「よかったら話してくれないか? 何かできるわけじゃないかもしれないけど、話を聞くことくらいはできる」
人は1人では生きていけない。
オレにシロ(リヴ)がいてくれたように愛梨沙にも自分の気持ちを吐き出す相手が必要なはずだ。
「直斗は優しいね。それなのに私は。本当にごめん」
「もうそのことは終わったことだからいいよ。それで何があったの?」
「高校の頃に仲が良かった友達と同じ大学に進学したんだけど、その子が浦田君のことを好きだったみたいで、当時の私と浦田君の関係をどこかで聞いたらしくて嫌がらせをしてくるようになったの」
愛梨沙は体育座りをして時々言葉を詰まらせながら話し出した。
「初めは大学でできた数人組のグループの子の荷物を持たされたり、飲み物を買わされたり。私も1人になるのが怖かったから我慢をしてたの。彼女たちの言うことを聞いていれば一緒にいられたから。でも、彼女たちの要求はエスカレートしていった」
そう話す愛梨沙の手は震えていた。
「金銭の請求は日常的に行われた。そのせいで自分の食費さえろくに払えなくなった。あることないこと大学中に噂を流されたりもした。他にも体育の授業で服を隠されたり、出会い系サイトに私の名前で登録されたり」
「酷いな」
オレは言葉を失っていた。
「そんなことまでされて一緒にいる意味があるのかなって。居場所の無い大学に行く意味があるのかなって。でも全部自業自得なんだよね。いけないことをしたら回り回って自分に返ってくるんだから」
過去の選択が未来にも影響を与えることは多々ある。
しかし、いくら過去を悔いたところで現状が変わるわけではない。
「実はさ、オレもつい最近まで自殺をしようと思ってたんだ」
愛梨沙が驚いた表情でこちらを見てきた。
「大切だと思っていた人に裏切られて、裏切られることが怖いから自分の殻に閉じこもるようになった。それでも心のどこかでは人の温もりみたいなものを求めてた。そんな自分に疲れたんだ。それが死ぬまで続くと思うと耐えられなかった」
そうだ。あの出来事があって変化の無い日常を望んだのはオレ自身だ。
それなのにそんな日常に嫌気が差して自ら命を絶つ選択肢を選んだ。
理由の分からない恐怖から逃れるために。
「オレは愛梨沙に裏切られたことを言い訳にして生きることから逃げていたんだ。どう足掻いたって過去は変えられない。だけど人間は生きていれば誰にだって間違いを犯すことはあるはずだ。愛梨沙にだって、オレにだって。その間違いと向き合って反省して、次に同じような選択肢が現れたら正しい選択を取ればいい。そうやって人は成長していくんだとオレは思う」
「直斗……」
「変わろうとする時は同時に何かを失う時でもあると思う。だからそれが怖くて現状維持を望んでしまうんだ」
オレが人と関わりを持とうとしなくなったのも、愛梨沙がグループから抜けなかったのも。
得る物より失う物の方が容易に想像できてしまうから踏み出せなかった。
「1人で変わるのは怖いから一緒に変わってみないか?」
愛梨沙が視線を左右に彷徨わせている。
オレの言葉に心が揺れているのだろうか。
変わりたい。だが、決心できない。そんな風にオレは見えた。
だからオレは優しく愛梨沙の背中を支えることにした。
「愛梨沙、もう少しだけ生きてみないか?」
「——うん」
愛梨沙の目には薄すらとだが、光が戻っていた。
「うおおおおーーーーーーーー!!!!!!」
バベルの瞬間移動の能力で空高くに放り出されたオレたち。
100メートル以上ある橋の上から落ちた際に味わった浮遊感をまた体感することになるとは。
物凄い風圧で服やら髪の毛やらが暴れまくっている。
「おい、楽しいからってそんなにはしゃぐな。俺から手を離したら死ぬぞ」
「別にはしゃいでるわけじゃないんだけど!? そんなことより早く何とかしないと落ちるぞ!」
「リヴ様が座標の特定をされているのだ。少し黙ってろ」
リヴが右手を耳に当てて周囲の音を聞き分けていた。
バベルが言う座標とは何を指しているのだろうか?
「なあバベル、気になっていたんだがオレに対する当たりが強くないか?」
バベルがオレの顔をチラッと見る。
そして、
「おいバベル! 無言で手を離すな!! お前と手を繋いでいないと瞬間移動できないんだろ!? ほら早くこっちに手を伸ばせ!! 早く!!!」
このままバベルと手を繋がず地面に向かって真っ逆さまに落ちていれば死ぬこともできたはず。
しかし、オレは生きるために必死に手を伸ばしていた。
まだ短時間ではあるけれど、リヴと接したことでオレの中の何かが変わろうとしているのかもしれない。
「2人共準備はいい?」
「はっ、いつでも飛ぶ準備はできております」
リヴがグワッと目を開き、正面に見えるマンションを指さした。
「バベル、あの建物の4階。右から3番目の部屋!」
「承知しました。転移!」
—2—
「うぐっ」
着地に失敗して腹から床に叩きつけられたオレ。
それとは対照的にリヴとバベルは華麗な着地を見せた。
「えっ? 人? どこから??」
体を起こしながら声がした方に視線を向ける。
「愛梨沙」
「直斗?」
オレの高校時代の彼女である愛梨沙がそこにはいた。
泣いた後なのか目は腫れていて、頬は痩せこけている。部屋に散乱している割れた食器類にゴミ袋の山。
高校時代の清楚で大人しかったイメージの彼女とは随分とかけ離れている。
そして、天井からぶら下がった輪っか状のロープ。
愛梨沙は椅子の上に立ち、両手でロープを掴んでいた。
「直斗、どうやってここに?」
「それは」
バベルとアイコンタクトを取って確認しようと試みたが目を逸らされてしまった。
リヴからも動く気配を感じられない。
「直斗、ごめんね。私、ずっと直斗に謝りたかったんだ。許して欲しいとかはないの。私がしたことは最低なことだから。ただ、あれから、直斗と別れてから思い出すんだ。直斗と過ごした毎日が幸せだったなって。今も直斗のことが頭に浮かんでたの。そしたら直斗が突然目の前に現れたからビックリした」
愛梨沙の頬を涙が伝っていた。
彼女の言葉に嘘はない。嘘はないけれど今更謝られたところでオレはどうしたらいいんだ。
信じていた人に裏切られて、人という生き物を信じられなくなって、この世界で生きていく意味まで見失っていた。
今更謝られたところでオレのこの気持ちはどこに向ければいい?
「ずるいよ」
「うん、だから許してくれなくていいよ。私はもういなくなるから。もうなんで生きてるのか分からなくなっちゃった」
愛梨沙が力無く笑った。
「愛梨沙!」
愛梨沙の足が椅子から離れた。
椅子が後ろに倒れて愛梨沙の首にロープが締まっていく。
オレにはその光景がスローモーションのように映っていた。
複雑な感情であることに間違いはないけど、目の前で知っている人が死にそうになっていたら無意識の内に体が動いていた。
愛梨沙の体を下から支えることで少しでも首が締まらないように持ち上げ続ける。
「リヴ! バベル! ロープを頼む!」
リヴは愛梨沙に向かって手を広げていた。リヴの手のひらから淡い光が放たれている。
どうやらスローモーションに見えていたのはリヴの時間を自由に操る能力だったみたいだ。
一方のバベルは床に転がっていた食器の破片を使ってロープを切断した。
地面に放り出された愛梨沙を体を張って受け止める。
「愛梨沙、なんで自殺なんてしようと思ったんだよ」
「この世界には私の居場所がないの」
愛梨沙の目の奥に広がる闇。
オレが知らない2年間の間に愛梨沙の身に何が起こったのか。
「よかったら話してくれないか? 何かできるわけじゃないかもしれないけど、話を聞くことくらいはできる」
人は1人では生きていけない。
オレにシロ(リヴ)がいてくれたように愛梨沙にも自分の気持ちを吐き出す相手が必要なはずだ。
「直斗は優しいね。それなのに私は。本当にごめん」
「もうそのことは終わったことだからいいよ。それで何があったの?」
「高校の頃に仲が良かった友達と同じ大学に進学したんだけど、その子が浦田君のことを好きだったみたいで、当時の私と浦田君の関係をどこかで聞いたらしくて嫌がらせをしてくるようになったの」
愛梨沙は体育座りをして時々言葉を詰まらせながら話し出した。
「初めは大学でできた数人組のグループの子の荷物を持たされたり、飲み物を買わされたり。私も1人になるのが怖かったから我慢をしてたの。彼女たちの言うことを聞いていれば一緒にいられたから。でも、彼女たちの要求はエスカレートしていった」
そう話す愛梨沙の手は震えていた。
「金銭の請求は日常的に行われた。そのせいで自分の食費さえろくに払えなくなった。あることないこと大学中に噂を流されたりもした。他にも体育の授業で服を隠されたり、出会い系サイトに私の名前で登録されたり」
「酷いな」
オレは言葉を失っていた。
「そんなことまでされて一緒にいる意味があるのかなって。居場所の無い大学に行く意味があるのかなって。でも全部自業自得なんだよね。いけないことをしたら回り回って自分に返ってくるんだから」
過去の選択が未来にも影響を与えることは多々ある。
しかし、いくら過去を悔いたところで現状が変わるわけではない。
「実はさ、オレもつい最近まで自殺をしようと思ってたんだ」
愛梨沙が驚いた表情でこちらを見てきた。
「大切だと思っていた人に裏切られて、裏切られることが怖いから自分の殻に閉じこもるようになった。それでも心のどこかでは人の温もりみたいなものを求めてた。そんな自分に疲れたんだ。それが死ぬまで続くと思うと耐えられなかった」
そうだ。あの出来事があって変化の無い日常を望んだのはオレ自身だ。
それなのにそんな日常に嫌気が差して自ら命を絶つ選択肢を選んだ。
理由の分からない恐怖から逃れるために。
「オレは愛梨沙に裏切られたことを言い訳にして生きることから逃げていたんだ。どう足掻いたって過去は変えられない。だけど人間は生きていれば誰にだって間違いを犯すことはあるはずだ。愛梨沙にだって、オレにだって。その間違いと向き合って反省して、次に同じような選択肢が現れたら正しい選択を取ればいい。そうやって人は成長していくんだとオレは思う」
「直斗……」
「変わろうとする時は同時に何かを失う時でもあると思う。だからそれが怖くて現状維持を望んでしまうんだ」
オレが人と関わりを持とうとしなくなったのも、愛梨沙がグループから抜けなかったのも。
得る物より失う物の方が容易に想像できてしまうから踏み出せなかった。
「1人で変わるのは怖いから一緒に変わってみないか?」
愛梨沙が視線を左右に彷徨わせている。
オレの言葉に心が揺れているのだろうか。
変わりたい。だが、決心できない。そんな風にオレは見えた。
だからオレは優しく愛梨沙の背中を支えることにした。
「愛梨沙、もう少しだけ生きてみないか?」
「——うん」
愛梨沙の目には薄すらとだが、光が戻っていた。