二人で駅へ向かって歩く。奈緒は黙っている。僕は奈緒と二人だけでもっと話がしたかった。それにまだ聞いておきたいことがあった。

「駅前のコーヒーショップで酔いを醒ましませんか? そしてもう少しお話しませんか? まだ、8時前ですから」

「少しならいいですけど」

奈緒は断らなかった。二人はコーヒーを持って奥の二人掛けの席に座った。話すにはちょっと距離が近すぎる。

「ちょっと聞いてもいいですか?」

「なんですか?」

「僕が交際してほしいと言った時に付き合っていた方ですか? 婚約していて破談になったというのは」

「そうです」

「どうしてまたそういうことになったのですか? 良ければ聞かせてもらえませんか? あの時、恥を忍んで申し込んだ交際を断られましたから」

「はい、私の方からお断りしたんです」

「また、どうして」

「身体を求められました」

「婚約していたのでしょう。別にかまわないじゃないですか。それに好意を持っていたのでしょう」

「でもそんなこと結婚前はいやだったんです。それにそれほどまで好意を持っていた訳ではありません」

「それじゃあ、どうして婚約したのですか?」

「お付き合いしているうちに断れなくなって、そんなに悪い人ではありませんでしたし、断る理由がなかったですから」

「じゃあ、自分の心を偽っていた。本当は好きでなかったのに婚約してしまった」

「そういう訳ではありません。よく分からないのです」

「ひょっとして、お見合いの仲人はあの土田さんですか?」

「ええ」

「僕とのことで懲りていたのじゃないですか? あんなことがあって」

「母も私も断り切れずにお願いしましたが、今は後悔しています。相手の方にもご迷惑をかけてしまいました。もうお見合いはこりごりです」

「優柔不断だった君も悪いと思う。まあ、僕も君を非難なんかできないけどね。僕もあれからお見合いをして婚約したんだけど、僕の方から破談にした。相手の人には悪いことをしたと思っているけど、結婚してから離婚するよりよっぽど良いと思っている」

「また、どうして」

「婚約したんだけど、相手が僕のことを本当に好いてくれているのか分からなくなったからだ。君の場合とある意味で似ているかもしれない。僕は恋愛経験がないことはないから、恋愛感情は分かる。お見合いでも結婚する相手を好きにならないと結婚できないと思っている。それに好かれているという確信がないとだめだ。それが揺らいだらもう無理だ」

「そうかもしれませんね」

「ところで、飯塚さん、今付き合っている人はいないのですか?」

「いません。そういう気持ちになれなくて」

「それなら、僕と付き合っていただけませんか? 今、二人はフリーだ。お見合にも懲りて、しばらくはそういうことをしたくないと思っている。丁度いいのでは?」

「申し訳ありませんが、お受けできません」

「前に申し込んだときは、交際している人がいるからと断られた。今はいない。じゃあ、受けてくれてもいいのじゃないかな」

「しばらくは、結婚を前提にしたお付き合いはしたくありません」

「じゃあ、ただの友達としてお付き合い願えませんか?」

「お付き合いすることには変わりないのではありませんか?」

「結婚を前提にしていないお付き合いはあるのじゃないかな。ただの飲み友達とか、相談相手、そういう男友達がいてもいいのじゃないかな、愚痴を言い合う仲でいいじゃないか」

「そうですね。私にも男性の相談相手がいても良いかもしれません。男性の相談相手がいれば、アドバイスをもらって、これまでのような失敗もなかったのかもしれません」

「じゃあ、いいんだね」

「条件があります」

「条件?」

「結婚を前提にしないことは言うまでもありません。それに私の身体に絶対に触れないで下さい。それでよろしければいいです。ただの話し相手としてなら、せっかく小森夫妻に紹介していただいたので、お受けします」

「それでいいと思う。でも付き合っているうちに恋愛感情ができてきたらどうする?」

「そんなことはないと思います。ただの友達ですから」

「でも、どうする」

「それにそんなこと分かりません。仮定の話にはお答えできません」

「まあ、いいか。じゃあ、携帯の番号とメルアドを交換しよう。休みの日にお互い暇だったら愚痴でも言い合おう」

「いいと思います」

奈緒は携帯の番号とメルアドを教えてくれた。携帯の番号は変わっていなかった。僕は奈緒のことがずっと気になっていた。ただの友達でもいい。もう一度付き合ってみたかったから、これでいい。

恋愛結婚するにしても始めは知らない同士が出会うところから始まる。僕たちはもう知った仲だ。奈緒とはこれから自然体で付き合ってみたい。