翌朝、私はザクロとライ麦パンをごちそうになった。この世界の蜂蜜は人間の体には良くない物だと言われたので、パンは何もつけずに食べた。
　朝食後、魔界を案内すると言われた。私は仮面をつけ、フードを目深に被った。変装をする必要のないはずのギルバートも同じように、さすらいの旅人のような格好をしていた。
「おしのびデートというのも粋でしょう？」
　悪戯っぽくギルバートは笑った。
　紳士的な狼男にエスコートされて、私は街へ繰り出した。豊穣祭の余韻が残る街ではジャック・オー・ランタンが合唱していた。精霊が宿っているらしい。
　時折空は暗くなったと思いきや、一面のオーロラが現れてとても幻想的だった。小さな屋台で魔法のステッキを使ったゲームを楽しむ。子どもだった頃に思い描いた御伽噺の世界そのものだった。
　崖の上から、王都を一望する。中心には立派な城が高くそびえ立ち、壮大な城壁に囲まれていた。
　私の人生観全てをひっくり返すほどの刺激で溢れていた。あの人とデートしたテーマパークの煌めきは虚構だったけれど、この世界の豊かな表情の景色は真実だった。酸っぱいブドウ状態の錯覚かもしれないけれど、失恋をしても下ばかり見ていてはもったいないと思えた。
「ミサ、楽しんでいただけましたか？」
　人間界にはない不思議な弦楽器を奏でながら、ギルバートが私に問いかける。音色に心が洗われる。
「ええ、とても。豊穣祭は何日も行われる物なのですか？」
「ああ、それには複雑な理由があるのですよ。お恥ずかしい話ですが……」
　演奏をやめて、真面目な顔をしてギルバートが話し始めた。魔界にはヒエラルキーがある。人狼はその頂点である。私のような余所者が喰い殺されたり、混血の魔物が迫害されたりすることは日常茶飯事らしい。特に、魔界に迷い込んだ東洋人は同胞であるニホンオオカミを滅ぼした恨みとばかりに人狼に惨殺されることもあるそうだ。
　昨日の豊穣祭本番は、魔界の住民達が人狼をもてなすものらしい。人狼のための祝祭は面白くないと魔物達は人間界に遊びに行く。言われてみれば、あの駅にいた狼男はギルバートだけだった。
「けれども、私は平等な世界を作りたいのです。人も魔物も皆、神のもとに幸せになるために生まれてきたのですから」
　豊穣祭の打ち上げとして行われる庶民の祭りには活気があった。人狼のためでなく、自分たちが楽しむために行うお祭りで羽を伸ばしていたのだろう。仮面をつけて人狼と悟られないようにしたのは、民衆への配慮だった。
　私には、狼男の美醜は分からない。けれども、私はギルバートの魂を今まで出会ったどんな人よりも美しいと思った。昇り始めた満月が、ギルバートのたてがみを照らした。
「ミサ、あなたは昨日、次の満月の列車で帰るとおっしゃいましたね。どうやら今年の月は、意地悪なようだ。今夜の列車で帰ってしまうのですか？」
　昨日の月がほぼ満月だったことを思い出す。今の話を聞く限り、魔界は危険だ。早く帰らなくてはいけない。でも、少しだけ名残惜しい。
「一度だけ、ご無礼をお許しください」
　ギルバートは私を後ろから抱きしめた。
「ミサを愛しています。どうかあと一月だけ、貴女を守る騎士でいさせていただけませんか？」
　不覚にもドキドキしてしまった。私は優しいギルバートに惹かれていた。失恋直後で、今すぐ恋をする気にはなれないけれども。ただ、１度戻ってしまえば、二度とギルバートとは会えなくなってしまう。私はもう少しだけギルバートと一緒にいたいと思った。
「ではもう一月だけ、ギルバート様のお世話になってもよろしいですか？」
「喜んで」