沙織は長い指でぐるぐるとアイスココアをかき混ぜている。意を決して、話そうと深呼吸を一つした。私らしい、を突き詰めてみたいと思ったのはメガネくんの生活がキラキラしてるように見えたからだ。

 メガネくんは、自分の好きな事をちゃんと学ぼうと大学に通っている。私だって本当はメガネくんと同じ大学なんて選び方じゃなく、やりたいことで選んでみたい。

 でも、きっとメガネくんと同じところに行けたら何か見つけられる気がしてる。だから、とりあえずで選んでしまった。後悔はしていない。

「どうしたの、改まって」
「沙織なら聞いてくれると思ったから」
「緊張するぐらいなら別にいいよ、無理に聞かないって」

 沙織はけたけたと笑いながらアイスココアを一気に吸い込んだ。私もカフェラテで喉を潤してから、沙織に話しかける。

「好きな人がいるの」
「うんうん」
「その人を追いかけて大学を選んだのは確か。でも、就職率が高い学部があるのも確かなの」
「うんうん」

 沙織は優しく私の目を見つめたまま、頷いてくれて。その優しさが緊張を溶かしていく。

「でも、好きなこととか、好きがよくわからない人間なの。私らしいってなに? 私って何? 夢にめざしてって、夢なんか分からないよ。やりたいことなんかわからないよ」

 気づけば、ぽろぽろと雫はこぼれ落ちる。今まで誰にだって言えなかった事を口に出来たのは、メガネくんのおかげで。優しく聞いてくれる沙織のおかげだ。

「私だってわかんないよ、てか、泣くなしーそれでもいいじゃん」

 背中をバシバシと叩く手は、異常に優しい。

「好きになる、って言うのがそもそも分からなかったの。人だって物だってそう。自分で選んでいいって言われてもわかんないし。好きな人だって、他人じゃんって思ってたの。今まで友達として良いなって好きだなって人は居たよ。でも、こんなに心臓痛くなるくらい会いたくて、知りたくなる事なんてなかった」

 言い出した言葉は、堰を切ったように止めどなく続いていく。

「オレンジジュースが好きで、建築士になるのが夢で。嘘コクで傷ついたことがあるから彼女は作らない、でも人を傷つけたくないって信念で生きてて。他人のためにどうしたら良いかなんて、考えるような優しい人で」
「リッちゃん、ストップストップ。落ち着け! え、それ今好きな人の話?」

 沙織の言葉に、おでこに熱がカァッと集まっていく。私の、好きな人。ツラツラと好きになった理由を挙げはしたけど、私の気持ちに自信はない。だって、メガネくんは私のことを知らない。

 一方的に知って、一方的に恋に落ちてるだけ。

「そう、私の好きな人」
「リッちゃんは、好きな人の話をしたくて私とカフェに来たの?」

 言葉を選ぶような沙織に息が詰まる。そんな話、と言われたらきっともっと涙を零してしまう。誰にも言えなかった話は、私の体の中で降り積もって溶け切らない悩みへとなっていたから。

「私らしいって何だろうって、考えてたの。考えるきっかけは、その好きな人なの」
「リッちゃんらしい、は他人からの勝手な評価だからそこまで気にしなくて良いんだよ。私もそんなこと言っちゃったばっかりで本当に申し訳ないけど」
「ううん。今まで、らしく、みんなの求める私像を築こうと思ってしてきたの。失望されるのが怖くて」

 震えた手は、ガラスのコップにも伝わって、氷がカラカラと音を立てる。沙織は困ったように笑ってから、ごくごくと目の前のココアを飲み干した。

「私は、リッちゃんのそういう善人ヅラしてるとこに助けられて好きになったよ。でも、そうじゃないリッちゃんも好きで居られるくらい一緒に居たと思ってる。見つけられなくても、らしくなくても、リッちゃんが思ってる通りにすれば良いよ。リッちゃんらしくなくても」

 沙織の優しい言葉に、ぐっと喉の奥から何か込み上げてくる。

「あの時の、らしからぬとか。なんか想像と違ったは幻滅じゃないよ。そういうところもあるんだね、ってびっくりしたってこと」
「わかってる。沙織がそういう人じゃないってわかってたのに、あの時怖くなって誤魔化したの」
「別にそんなことで怒ったりしないからそんな不安そうな顔しなくていいんだよ。リッちゃんはどんなことあっても友達だよ。いじめになりそうなあの場から助けてくれたあの日から」

 沙織の言葉に、喉の奥が熱くなっていく。あの時だって私は、周りから求められるように振る舞おうと止めただけだ。

 周りが思うほど私は良い子ではないし、周りが思うよりも利己的な人間だ。その自負が、胸を痛める。

「あ、またそういう顔する。別に他人の評価軸を気にしなくていいんだよ、全部が全部」
「でも、そうしないと決められなかったの。何事も。だから、らしさを、知りたくて」

 不安そうな顔をして私の手を握りしめていた沙織が急に満面の笑みになった。少しの嫌な予感と、楽しそうな予感に心臓がどくんっと一際強く脈打った。