配達先で、お客様からこんなふうに話しかけられることはときどきある。たいていの場合、営業スマイルでサラッと流してしまうのだけど……。
「そう、ですか。おめでとうございます……」
今日に限ってはうまく笑えず、少し暗い声が出た。
今日という日に、世界には、俺みたいに恋人から別れを告げられるやつもいれば、妻の誕生日にサプライズで花を贈るような幸せなやつもいるのだ。
妬みを含んだ複雑な気持ちで届け物のブーケを渡す俺に、佐藤菜々は感謝の言葉とともに、優しいまなざしを向けてきた。
誕生日のサプライズブーケなんかで奥さんにこんなにも優しい表情をさせられる旦那は、どんな男なんだろう。ふと、最近は泣きそうな顔ばかりさせていた彼女のことを思い出して、幸せそうな夫婦が羨ましくなった。
だが、お客様の前で私情を挟んでいる場合じゃない。
「ここに、サインを……」
佐藤菜々の視線を避けるように少しうつむくと、事務的に送り状を差し出す。
「ああ、そうか。印鑑……、ちょっと待ってください」
「まぁま〜」
「はあい、ちょっと待ってね」
ちょっとぐずり始めた子どもとブーケ子どもを抱いた彼女が、部屋の中へと戻っていこうとする。
「あ、俺、ペン持ってます」
佐藤菜々の背中に声をかけながら、ズボンのポケットに手を突っ込む。ボールペンをつかんだ指先が、そこに一緒に入れてあったネックレスのチェーンに触れる。
俺はギュッと奥歯を噛み締めると、ポケットからボールペンだけを抜き取って、佐藤菜々に手渡した。