「くっ!」

 英斗は自然と湧いてくる涙をぬぐいもせず、次に紗雪に叫んだ。

「おい! 紗雪! 紗雪!」

 しかし、自分よりダメージは深いようで、うめき声を上げるばかりで気が付く様子がない。

 その間にもどんどん迫ってくる地面。

 圧倒的な絶望が英斗を襲い、湧きだす涙は風に吹かれて宙を舞った。

 英斗はギリッと奥歯を鳴らし、意を決すると紗雪の唇を吸う。初めて自分から紗雪に手を出したのだ。

 柔らかなぷっくりとした唇を割って侵入し、紗雪の舌を探しだす。そして、ありったけの想いをこめて舌を吸い、また、軽く甘噛(あまが)みした。

 英斗の想いは紗雪の脳髄を官能的に揺らす。

 直後、ピクッと反応があり、紗雪の舌が自然と英斗の舌を求め始めた。そして金色に輝き始める紗雪。

「よし! いいぞ!」

 英斗はバッと離れると、レヴィアを抱えながら紗雪のほほを叩いた。

 紗雪はゆっくりとまぶたを開き、ぼーっとしていたが、辺りを見回し、真っ逆さまに堕ちている状況を把握するとバッと大きく見開いた。

「ひ、ひぃぃぃ!?」

 おびえる紗雪を英斗はギュッと抱きしめ、

「核攻撃を受けた。何とか落ちるのを止められないか?」

 と、紗雪の耳元で頼み込む。もはや紗雪の超常的な力にしか頼れないのだ。

 胸にしがみついて硬直している紗雪の背中を、英斗は優しくトントンと叩き、

「紗雪にならできる。そうだろ?」

 と、耳元で語り掛ける。

 どんな方法があるのかなんてさっぱり分からないが、紗雪もドラゴンの仲間なのだ。きっと空を制するやり方があるに違いない。

 紗雪はしばらく何かを考えると、ゆっくりとうなずいた。

 シャーペンを取り出した紗雪は、下向きに何やら魔法陣を描き始める。

 英斗はレヴィアを抱きしめながら一緒に紗雪の腰にしがみついた。黒光りする光沢のあるタイツ越しに紗雪の体温が感じられ、ちょっとドキドキしながらしっかりと身体を固定させる。

 もう地面激突まで数十秒もないのだ。

 背中からはうなされているようなタニアの声が聞こえる。

「タニアー! もうちょい頑張れ! ママが何とかしてくれるから!」

 英斗は後ろを向いてそう叫びながら、タニアのプニプニの手を優しくなでた。

 直後、紗雪の描いた魔法陣が緑色に輝きを放ち、英斗は目をギュッとつぶってただ紗雪の体温を感じる。

 次の瞬間、紗雪の風魔法が暴風を巻き起こし、一行は噴き上げられる形で少しずつ減速しはじめた。

 元々は攻撃魔法なのだろう。その暴風は容赦なく英斗たちを襲い、服など千切れんばかりにはためいている。しかし、地面に激突することに比べたら我慢できる話だった。

 そっと英斗がうす目を開けると、うっそうと茂る森の木々はいぜんとして徐々に大きくなっていくが、このペースで減速していくなら何とかなりそうだった。

 英斗がホッとしてキノコ雲の方を向くと、爆心地から白い(まゆ)状に広がっていく白い球体が目に入った。


 え……?

 英斗はそれが何かすぐには分からなかった。まるでガチャガチャの透明カプセルみたいに綺麗な球体がどんどんと大きくなっていくのだ。

 しかし、地面の方を見ると、まるで火砕流のように白い(まゆ)が通過していくところはありとあらゆるものがことごとく破壊され、煙の津波に埋もれていっていた。

 そう、それは核爆発のエネルギーの衝撃波だったのだ。

 英斗は真っ青になり、

「紗雪! やばいやばい! 逃げなきゃ!」

 と、叫んだ。

「え?」

 紗雪が顔を上げたが、もう間に合わない。

 白い繭が目の前に大きく広がり、視界を真っ白に変えていく。

「来るぞ! 備えて!」

 英斗はそう叫ぶと紗雪をギュッと抱きしめ、腰のあたりに顔をうずめた。

 刹那、激しい衝撃波が一行を襲う。そのとんでもない核のエネルギーは、みんなをまるでピンポン玉のように弾き飛ばす。その衝撃で散り散りとなった一行は火砕流の爆煙の中に飲みこまれていった。

 英斗はなすすべもなく瓦礫の渦巻く爆流にもみくちゃにされ、意識を失ってしまう。

 後に残されたのは全ての木がなぎ倒された瓦礫だらけのハゲ山で、まさに死の大地が広がるばかりだった。









27. 襲いかかる悪夢

 ピッ、ピッ、ピッ――――。

 電子音の単調なリズム音が聞こえてきて英斗が目を覚ますと、そこは見知らぬベッドの上だった。

 えっ……、あれっ……?

 目をこすりながらバッと体を起こした英斗だったが、あちこちから激痛が走る。

「うっ! 痛てててて……」

 思わず顔をしかめ硬直する英斗。

「うぅぅぅ……。なんだよこれ……」

 腰を押さえながらゆっくりと辺りを見回すと、それは病室のようだった。近未来的なドアの形状からするとエクソダスの中の病院なのかもしれない。

「なんでこんなところに……、あっ!」

 ようやく核攻撃を受けて吹き飛ばされたことを思い出した。あの絶望的な状況から生還したらしい。英斗は両手を眺め、傷一つなくきれいないつもの自分の手であることを確認し、小首をかしげた。

 確かに身体の節々が痛いので、それなりのダメージを受けているようだったが、傷が一つもないのは不自然だった。エクソダスの医療技術が発達しているということなのだろうか?

 隣のベッドを見ると毛布が膨らんでいる。誰かいるようだ。

 英斗は体をいたわりながらそっと床に足を下ろし、隣のベッドをのぞいてみる。

 それは毛布で顔を隠したショートカットの黒髪の少女だった。きっと紗雪だろう。

「さ、紗雪か?」

 声をかけてみると、彼女は毛布をずり上げて隠れてしまった。

「ねぇ、あれから……、どうなったの……かな?」

 恐る恐る聞いてみると、もぞもぞと毛布が動き、隙間から手が伸びてきてスマホを差し出してくる。

「ス、スマホ……? 見ろって?」

 英斗は怪訝に思いながらもスマホを受け取り、画面を見た。そこには動画が映っている。

 再生をタップして英斗は凍り付いた。それは無数の魔物が世界中を破壊しつくしている動画だったのだ。

「え……? これ、本物? 映画とかじゃなくて、リアルなの?」

 海から無数の魔物が次々と上陸し、レーザー光線を乱射しながら街を火に包んでいく。

 東京上空からのドローン映像では、あっという間に海岸線から上がった火の手がどんどんと内陸に進んでいる様子が見て取れた。それはまるで貪欲な炎が東京を食べつくしていくかのように、炎の津波がゆっくりと、しかし確実に全てを炎に沈めていく。

 英斗は凍り付いた。この圧倒的な破壊力に対抗できる力を人類は持ち合わせていない。このままだと人類は滅亡してしまう。

 な、何とかしないと……。

 しかし、この圧倒的な魔物の攻勢を止められる方法など思いつかなかった。タニアに頼んでまた宇宙からの手で押しつぶしてもらおうかとも思ったが、どこを潰すというのだろうか? 東京を丸ごと押しつぶしてしまったらみんな死んでしまう。

 それにこれは録画映像だ。もう全ては終わってしまっているかも知れない。

 やがて、炎の波は英斗たちの街も飲みこみ、全てを灰燼に帰していく。

 あ……、あぁ……。

 英斗はスマホを持つ手が震え、気が遠くなっていく。

 パパもママも、友達も、あの住み慣れた我が家もすべてこの世から消えていく。それはとても信じたくない現実だった。

「な、なんだよこれ!」

 ポトリ、ポトリと落ちる涙をぬぐいもせず、英斗は叫んだ。

 九十万の魔物は地球各地の海の中に隠れており、一気に世界各国の都市を襲い始めたらしい。当然、軍隊も出動したが、圧倒的な数の暴力の前に殲滅され、もはや魔物の破壊を止める方法は残されていなかった。

 うっうっ……。

 紗雪の毛布が揺れる。

 英斗は紗雪の手を取るとギュッと握りしめた。

「もう……、終わりなのよ……、全部終わり。もう生きてる意味なんてないわ!」

 激しい悲しみが紗雪から吹き出す。英斗は返す言葉も見つからず、ただ、呆然としながら涙を流していた。

 確かにみんな死んでしまったら、どう生きて行ったらいいか全く分からない。勉強したって行く大学も無ければ勤める会社もない。気になるマンガもアニメも続きは二度と作られないし、お気に入りのアーティストももう二度と歌わない。農家も漁師もなく、レストランも無ければお菓子もない。瓦礫の山と化した日本で、世界で、自分たちはどうやって生きていくというのだろうか?

 英斗はただゆっくりと紗雪の手をさすった。自分にはもうこんなことしかできなかった。

















28. 究極のオカルト

「ねぇ……、どうしたらいいの?」

 毛布の隙間から泣きはらした紗雪の瞳がのぞく。そこにはクールビューティの冷徹な美しさはみじんもなく、ただの迷える子犬だった。

 英斗はそっと優しく紗雪の髪をなで、涙にぬれるほほに手のひらを当てる。

 紗雪は目をつぶり、英斗の手に自分の手を重ねて大きく息をつく。

 そのなまめかしく動く、赤いぷっくりとした唇に英斗は目が釘付けになった。

 何度もキスを交わした愛しい唇……。

 英斗は吸い寄せられるように近づいていく。

 紗雪は少し驚いた様子を見せたが、うるんだ瞳で英斗をジッと見つめ、次の瞬間貪るように英斗の唇に吸いついた。

 熱いキス。二人は全てを忘れお互いを求めあう。激しく舌をかわし、唇を吸い、また舌を重ねあった。

 苛烈な現実から逃げるように熱く抱きしめあい、ただ、お互いを貪るように全てを吸いつくしていく。

 やがて、英斗は胸に当たっている二つのふくらみに自然と手が伸びていく。まだ発達途中の小ぶりなふくらみではあったが、張りがあってそれでいて柔らかく吸い付くように英斗の手のひらになじんだ。

 いきなりのアクションに紗雪は舌の動きがピタッと止まる。

 しかし、英斗の手はもう止まらない。

 そして、ゆっくりとまた紗雪の舌が動き始め、熱い吐息が漏れた。

 その時だった。

 バシュー!

 と、自動ドアが開き、二人は慌てて飛びのくように離れる。

「おいこら、そこまでにしとけ。病室じゃぞ!」「きゃははは!」
 
 レヴィアはいつもの黒とグレーの近未来的なジャケットの姿で呆れたように言い、タニアは嬉しそうに笑った。

 紗雪は真っ赤になって毛布をかぶり、英斗はバツが悪そうにうつむく。

「まぁ、気持ちは分からんでもない。じゃが、そんなことしてる暇はない。魔王討伐の続きをやるぞ!」

「討伐って……、今さら討伐したってどうしようもないじゃないですか」

 英斗は力なく首を振る。

 レヴィアは静かにじっとうなだれる英斗を見た。

 しばらく何かを考えた末にレヴィアは、うんうんとうなずくと、

「地球を……、死んだ人を元に戻せるとしたら?」

 と、とんでもない事を言い出した。

 は?

 英斗は眉をひそめ、レヴィアを見た。

 レヴィアは、じっと英斗を見つめている。

「何言ってんですか、死んだ人が生き返る訳ないじゃないですか!」

 英斗は荒唐無稽なことを言い出したレヴィアに(いきどお)りを覚え、にらむ。

 しかし、レヴィアは動じない。その真紅の瞳は澄み渡り、とても嘘や冗談を言っている雰囲気ではなかった。

 英斗はどういうことかレヴィアの真意をはかりかね、首をかしげる。

 レヴィアはクスッと笑うと、言った。

「生き返りはありえないと思っとるのか?」

「どんなに医療が発達しても死んだ人は生き返りません。常識ですよ」

 ハッハッハッハ!

 レヴィアは楽しそうに笑った。

「な、何がおかしいんですか!」

 レヴィアはベッドの下からカゴを取り出すと、それを英斗に見せた。

 それはズタズタになったシャツで、赤黒くテカっている。

「これは……、何ですか……?」

 そう言いながら持ち上げて英斗はハッとした。

 それは英斗の着ていたシャツだった。そして、赤黒いのは血の固まったもの。ズタズタになりぐあい、出血量からいって着ていた人は即死に違いない。と言うことは……。英斗は背筋にゾッと冷たいものが流れるのを感じた。

「お主は一度死んだんじゃ」

「……。マジですか……? それでは蘇生の技術がここにはあるって……事ですか?」

 英斗は震える手で、自分の血が真っ黒になって染みついたシャツをまじまじと眺め、呆然とする。

「違うんじゃ。ここでは人は死なんのじゃ」

 レヴィアはそう言ってウンザリしたように肩をすくめた。

 英斗は驚いた。人が死なないとはどういうことだろうか? 全く想像もつかない非科学的な話に頭が付いていかない。

「死なないってどういうことですか? そんなこと……、あるんですか?」

「ここは流刑地といったろ? ここの食べ物を一度でも口にしたものは、ここでは人は年も取らないし死んでも生き返ってしまうんじゃ。死なずに無限の時を反省し続けろって事じゃろうな」

「ま、まさか……」

 英斗は青くなる。そんなバカげたことが現実にあるとはとても思えなかったが、それでもこのシャツを見れば自分が一度死んだこと自体は認めざるを得ない。あの核爆発の膨大なエネルギーの火砕流に飲みこまれて、生き残れる方がオカシイのだ。

 今生きている自分自身の身体が不老不死を証明してしまっている。そんなオカルトめいた事実が英斗の心を言いようなく不安にさせた。









29. 不老不死の恐怖

「もちろん、地球だったら死ぬぞ。紗雪の祖先だってみんな死んどるからな。じゃが、ここにいたら死なんのじゃ」

 エクソダスがここに墜落(ついらく)してから五百年、それでもレヴィアの身体は子供のままだ。その理由が不老不死にあるとすれば辻褄(つじつま)があわないこともない。

「では、死んだ日本のみんなも生き返らせられる?」

「原理的には可能じゃろうな」

 レヴィアは淡々と言うが、そんな荒唐無稽なことをどう理解していいのか分からず、英斗は言葉を失った。

 するといきなり毛布を跳ね上げて紗雪が起き上がり、

「ど、どうしたらいいんですか?」

 と、叫んだ。その悲痛な瞳には光が戻り、一縷(いちる)の望みに託す切実な想いが浮かんでいた。

「分からん」

 首を振るレヴィア。

「分からんってどういうことですか?」

 英斗は食って掛かる。

「まぁ、おちつけ。全ては女神さまの(おぼ)()しじゃ」

「女神……?」

「このエクソダスを撃墜した憎っくき神様じゃな」

 レヴィアは肩をすくめ、渋い顔で答える。

「じゃあ、女神さまに会って、地球を元に戻してくれって頼めばいいって事ですね?」

 英斗はレヴィアに迫り、手をつかんだ。

「まぁ、そうじゃな。そもそもこの流刑地からの攻撃で地球は滅亡しかかってるんじゃから、元に戻す理由にはなるじゃろう」

 紗雪も身を乗り出して聞く。

「どこに女神さまはいるんですか?」

「分からん。分からんが、魔王は知っているようじゃ」

「魔王……?」

 紗雪は眉をひそめ、英斗と目を合わせた。

 地球を滅ぼしている悪の権化(ごんげ)が救済の手がかりを持っている。それがどういうことなのかいまいち二人にはピンとこなかった。

「魔王は以前『女神に復讐してやる!』と、息巻いておったから、女神さまについての情報を持っているようなんじゃ」

「女神に復讐……、彼もここに閉じ込められたということなんですかね?」

「龍族と一緒じゃな。何か女神さまの逆鱗に触れることをして飛ばされたんじゃろう。あの魔物を創る能力が関係してるかもしれんな」

「魔物で悪さをしたとか……、ですかね?」

「その辺りじゃろうな。何しろ嫌な奴じゃ」

 レヴィアは目をつぶり、肩をすくめた。


      ◇


 レヴィアから現状と今後の作戦についての説明が続いた――――。

 地球では七十億人以上が死に、いまだに魔物の攻勢は衰えていないそうだ。人類はもう長くはもたないだろう。しかし、地球制覇が終われば九十万の魔物の大群はこちらに戻ってきてしまう。そうなればここも無事ではすまない。それまでの間に魔王を仕留めるしかもはや道はないとのことだった。

 今やるべきことは本当にそれなのかすら確信が持てないまま、英斗はフワフワした気分でただ相槌を打っていた。

 説明が終わるころには陽はすっかりと沈み、窓の向こうではたなびく雲が茜色に輝いている。

 英斗は広いバルコニーに出ると伸びをして、少し冷たくなってきた空気を大きく吸い込んだ。

 そして手すりに腕を預けながら徐々に鮮やかさを増していく茜雲を眺める。

 死んでしまった両親や友人、滅んでしまった日本、もはや当たり前のように続いていた愛しい日々は(つい)えた。ただ、まだどこかでそれが自分の中では()に落ちていない。

『自分の目で確かめるまでは信じられない……』英斗はそう思ったが、実際のところは信じたくないだけだった。多分それを受け入れてしまったら心が崩壊してしまいかねないので、心が自然とブレーキをかけているのだろう。

 英斗はふぅと大きく息をつき、うなだれる。

「英ちゃん?」

 気がつくと紗雪が隣にいた。うすいピンクの入院服をまとい、心配そうに英斗の顔をのぞきこんでいる。

 英斗は両手で顔をこすり、

「あ、ああ、紗雪。どうしたんだ?」

 と、無理ににこやかな顔を作って答えた。

「魔王討伐だけど……、本当に……続ける?」

 紗雪は困惑する思いを素直に口にしてうつむく。

 ふぅと英斗は大きく息をついた。

 レヴィアの言うことには筋が通っている。確かに女神という超常的存在に頼るしか今はもう道はないし、そのために魔王を制圧することは必須条件だ。しかし……。

 英斗は頭を抱えて首を振る。

 女神になんて本当に会えるのか? 女神は地球を再生なんてしてくれるのか? ということを考え出すとどう考えても上手く行きそうになかった。

 しかし、やらないというのであれば自分たちを待つのは死だけだ。さらにたちが悪いことに、ここでは死なないらしいから永久に苦しみ続けるような末路が待っているのかもしれない。

 今回も誰かが瓦礫の中から自分を掘り出してくれたから、ベッドの上で蘇生ができたが、もしそのままだったら、瓦礫の中で永遠に苦しみ続けていたのかもしれないのだ。

 英斗は死なない事の本当の恐ろしさをここで初めて実感し、ブルっと体を震わせた。

 もしかしたら地球へ行って自殺することが本当は正解なのかもしれない。英斗はそんな発想にハッとして自分が恐くなり、胸がキュッと痛んだ。










30.バカバカバカバカ!

 英斗は首をブンブンと振り、後ろ向きな発想を振り払う。

 ネガティブな思いに負けないためには希望を追うしか道はない。たとえ可能性がほとんど無くても、今はレヴィアの無理筋のプランに乗る以外道はなさそうだった。

 英斗は自分の頬を両手でパンパンと叩き、気合いを入れなおすと、紗雪の手を取り、うるんだ瞳を見つめ、

「大丈夫! 女神さまに地球を再生してもらおう」

 と、笑みかける。

 紗雪は口をとがらせベソをかきいていたが、他に道が無いことも分かっているのだろう。ゆっくりとうなずいた。

「『できる』と思っていれば道は開けるよ。一緒に頑張ろう」

 英斗は必死に鼓舞する。我ながら無責任なことを言っているとの自覚はある。しかし、中途半端な取り組み方では絶対に上手く行かない。やると決めたら全力でやる以外ないのだ。

 しかし、紗雪は無言でうなだれている。

 英斗は大きく息をつくと紗雪を自分の方へと向かせ、やさしく両手で抱き着いた。

 えっ!?

 小声で驚く紗雪。

「大丈夫、僕がついてるよ」

 耳元でそう言って優しく紗雪の黒髪をなでた。ふんわりと柔らかい柑橘系の香りに包まれながら、ちょっと調子に乗りすぎてしまったかと英斗は苦笑する。

 紗雪はキュッと口を結ぶと、静かにうなずいた。

 群青色から茜色への美しいグラデーションの夕暮れ空を風が踊り、サワサワと木々の葉を揺らしていく。

 故郷を失い、たった二人の日本人となった二人はお互いの体温を感じながら底なしの不安に何とか抗おうと必死にもがいていた。


       ◇


 やがて紗雪が大きく息をつく。こわばっていた身体からも力みが抜けたようだった。

「あの……」

 紗雪が真っ赤になって口を開いた。

「どうした?」

 紗雪は英斗の手をギュッと握り、

「私、英ちゃんにひどいこといっぱいしちゃった……」

 と、小声で言うと胸に顔をうずめた。

 英斗はそのしおらしい紗雪を見て、こみあげてくるおかしさをこらえきれず、クスクスと笑った。

「な、何がおかしいのよぉ」

 紗雪は泣きそうな顔で英斗をにらむ。

「ごめんごめん。僕はそんなこと全く何にも気にしてないんだよ。紗雪は僕のところに戻ってきてくれた。もうそれだけで十分なんだよ」

 英斗は優しい目で紗雪のほほをなでた。

 紗雪はボッと一気に顔を真っ赤にすると英斗の胸に顔をうずめ、

「バカ!」

 と、照れ隠しに怒った。

 英斗は顔いっぱいに幸せを浮かべ、サラサラとした美しい黒髪を優しくなでる。絶望の中でただ一つのよりどころとなってしまった紗雪。こみあげてくる限りない愛しさに英斗はしばらく言葉を失い、ただじんわりと伝わってくる紗雪の体温を感じていた。

 紗雪がいなければ今頃日本で魔物たちに殺されていただけの人生だったが、いまだに生きながらえて大逆転のチャンスをうかがえている。見方によってはそれはまさに奇跡だった。

「もしかして……」

 紗雪はピクッと動いてつぶやく。

「え?」

「あの時、寝たふりしてたでしょ?」

 紗雪はジロリと英斗を見上げた。

「あ、あ、あの時って……どの時?」

 英斗は紗雪の気迫に気おされ、しどろもどろに返す。

「『どの』って……。もしかして全部!?」

 真っ赤になる紗雪。

「い、いや、そのぉ……」

「バカバカバカバカ!」

 紗雪は英斗の胸をベチベチと叩いた。

「ごめんごめん。なかなか言い出せなくてさ……」

 紗雪は口をとがらせ、涙目で英斗をにらむ。

 英斗はそんな紗雪を限りなく愛おしく感じ、ニコッと笑うとそっとすべすべのほほをなでた。

 紗雪はピクッとして恥ずかしそうにうつむく。

「ごめんね」

 英斗が耳元でささやくと、紗雪は英斗を見上げた。

 キュッキュと澄み通るこげ茶色の瞳が動き、英斗はそのギリシャ彫刻のような端正な紗雪の美貌に引き込まれていく。

 次の瞬間、紗雪はそっと目を閉じた。

 英斗は一瞬驚き、困惑する。

 これは……、そう言うことなのだろう。

 おねだりするかのようにぷっくりとした紅い唇がかすかに動く。

 早鐘を打つ心臓の音を聞きながら、英斗は大きく息をつくとそっと唇を近づけていった。