儀式が終わり、紗雪は静かに目をつぶり、まるで英斗との熱い営みを心の奥で温めるかのように手を胸に当て大きく息をついた。刹那、黄金色の光がブワッと噴き出して、全身が光に包まれる。龍族に与えられたその神聖な力は紗雪に限りない力を与えていく。

 悪逆非道な魔王を打ち滅ぼして人類の未来を勝ち得なくては、と紗雪は取り出したシャーペンに力をこめ、赤く光らせた。


     ◇


「おーい、もういいぞ」

 レヴィアがニヤけながら英斗の耳元でささやく。

 英斗は渋い顔でレヴィアをにらみつけると、わざと大きな声で、

「あー、良く寝た!」

 と、言いながら起き上がる。

 紗雪は腕組みをしながら険しい顔で遠くを眺めていた。それはまさにいつもの【三組のクールビューティ】。隙のない完璧な美少女だった。

 英斗はゴホッと咳ばらいをすると、

「さ、紗雪……、ど、どうしたんだ?」

 と、渾身の演技をする。

「『どうしたんだ』じゃないわ。呼び出されて、いい迷惑なんだけど?」

 紗雪はムスッとした顔でぶっきらぼうに言うと、手の甲で髪の毛をかき上げるしぐさをする。しかし、ショートになった髪型ではそこに髪の毛はなかった。

 それを恥ずかしく思ったのか、口をとがらせて苛立たしそうに英斗をにらみつける。

「ご、ごめんよぉ。でも、助けに来てくれたんだね……、ありがとう」

 さっきとは打って変わった態度に苦笑しながら、英斗は頭を下げる。

「別にあんたのためじゃないわ。私は魔物退治に来ただけ。勘違いはやめて」

 紗雪は不機嫌そうにそう言うとプイっと顔をそむけた。白く透き通る肌が紅潮し、照れているのが一目瞭然(りょうぜん)である。

 紗雪の本心を知ってしまった今では、そんなぶっきらぼうな態度すら英斗には愛しく思えてしまう。

 英斗は微笑みを浮かべながら、謝り続ける。

 早く全て終わらせてちゃんとした両想いの関係を築いていくのだと、英斗は秘かにギュッとこぶしを握った。


         ◇


 ズン! と、激しい地響きを響かせながらドラゴン形態のレヴィアが着地する。

 まるでアパートが落ちてきたような圧倒的な迫力で、エイジは改めてファンタジーな生き物であるドラゴンの凄まじさに気おされる。

「早く乗れ!」

 ドラゴンは頭を地面にまで下ろし、腹の底に響く重低音で言った。

 漆黒のいかつい鱗に覆われたドラゴンだったが、鱗にはとげが伸びており、それをつかんでいくとよじ登っていけそうだった。

 英斗がとげの具合を引っ張って確かめていると、横をタニアが登っていく。

「タ、タニアも行くのか?」

 英斗が驚くと、

「あたちも行くー! きゃははは!」

 と、上機嫌に笑った。

 ピョンと身軽に飛び乗った紗雪は、タニアをにらみ、

「ちょっと! 遊びに行くんじゃないんだからね!」

 と、渋い顔で怒る。

 しかし、タニアは器用にまるで猿のようによじ登ると、

「ママー!」

 と、言いながら紗雪に飛びついた。

「マ、ママ!?」

 目を皿のようにして驚いた紗雪は、幼女にしがみつかれてどうしたものか困惑し、

「ちょっと、この娘なんとかしてよ! なんで私がママなのよ?」

 と、口をとがらせ、英斗に助けを求める。

「同じ龍族だから紗雪とも親戚なんだと思うよ? どことなく目元もそっくりじゃないか」

「こんな娘、知らないわよ!」

 すると、タニアは紗雪と英斗を交互に見ながら言った。

「パパ! ママ! ケンカはダメ!」

「ちょ、ちょっと待って。なんでこいつがパパなのよ?」

「だってさっきチュウ……」

 タニアがそう言いかけると、紗雪は真っ赤になって、言葉をさえぎるように、

「あ――――! 分かった! 分かったわ! いい子ね、よしよし!」

 と、叫び、タニアをギュッと抱きしめ、プニプニのほっぺにすりすりと頬ずりをした。

 タニアは、目をつぶり、幸せそうにつぶやく。

「ママぁ……」

「もう、しょうがないわねぇ。子供には勝てないわ」

 紗雪は幸せそうな顔をしながら、サラサラのタニアの髪を優しくなでた。

 美少女と可愛い幼女の組み合わせは尊く、英斗はうんうんとうなずきながら目を細める。

 決戦前の心温まるひと時。英斗はこんな時間がいつまでも続けばいいのにと軽く首を振った。













17. 凸凹魔王討伐隊

 タニアを連れて行ったらいいのかどうかは英斗にもよく分からない。タニアは強い。それこそ訳の分からない力で魔物十万匹を瞬殺するほど強い。しかし、その強さの正体が分からないのでどうしたものか悩む。何しろ、あの『手のひら』について本人は何も覚えていないようなのだ。

「でも、これから恐いところへ行くのよ? お家で待っててね」

 紗雪は(さと)しながらプニプニのほほをなでる。

「やだやだやだやだ! いくの!」

 今にも泣きそうになりながら駄々をこねるタニア。

 英斗は大きく息をつくと、

「僕が面倒を見るから連れて行こう。こう見えて……、この中で一番強いかもしれないんだ」

「強い? この子が?」

 紗雪は驚いてタニアの顔をのぞきこむ。

「強いじょ。きゃははは!」

 英斗は渋い顔をする紗雪からタニアを取り上げると、

「レヴィア、出発しよう」

 そう言って鱗をパンパンと叩いた。

「タニアも龍族じゃから下手な魔物よりは強かろう。頼みたいこともあるしな……。では行くぞ、しっかりつかまっとれ!」

 そう言いながら、レヴィアは武骨な骨格に薄い皮膜のついた巨大な翼をバサバサっと動かし、帆船の帆のように青空へピンと伸ばした。太陽の光を浴びてゴツゴツとした表面のディテールが浮かび上がり、まるで現代アートのように見える。

 英斗はその精緻な造形、洗練された所作の美しさに見とれ、ぽかんと口を開けながらしらばく見入ってしまった。

 ドラゴンは強く、美しい。その強さはこれらの繊細なディテールに潜む美を羽織ることによって顕現(けんげん)しているのではないだろうか? そう思わせるほどにレヴィアは気高く壮麗な美を(まと)っていた。

「しっかりつかまっておけ! 行くぞ!」

 レヴィアは太い後ろ足で力強く跳び上がると、バサッバサッと大きな翼をはばたかせながら大空へと舞い上がっていく。

 飛行機とは全然違う躍動には乗馬に通ずるものがあり、英斗は振り落とされそうになりながら必死にトゲにしがみついた。

 翼は風をつかみ、グングンと高度を上げていく。

 みるみるうちに小さくなっていくエクソダス。

 うわぁ……。

 英斗は、ドラゴンの背に乗って大空を(かけ)るという、まるでファンタジーの冒険(たん)のような状況に圧倒される。

 雲を抜けると青空のもと、この世界が一望できた。草原が広がり、川がキラキラと光り、遠くには山脈も見える。レヴィアはここを『流刑地』と言っていたが、美しい自然豊かな世界のように見える。なぜそんな呼び方をするのだろう。

 それにしても、一昨日までただの高校生だったのに、なぜ世界の存亡をかけ魔王討伐の一員になっているのだろうか?

 いきなり運命の激流に流されてしまった自分の境遇に軽いめまいを覚え、英斗はため息をつくと首を振り、ただ流れていく風景を眺めた。

 横を見ると紗雪が険しい顔でじっと行く手を見つめていた。その目には自分が世界の未来を勝ち得るのだという確固たる決意が浮かんでいる。まだ十五歳の少女に背負わされた悲しい宿命。きっと逃げることもできたはずだが、逃げて知らんふりするには紗雪の力は強大過ぎたのだろう。

『大いなる力は、大いなる責任を伴う』

 どこかで聞いた言葉が頭をよぎった。

 人化状態で魔物を次々と(ほふ)れる力、それは紗雪を魔物討伐へと動かし、今、魔王討伐隊のエースとして期待されている。もちろん、龍化したレヴィアの方が戦闘力は上だが、魔王城内での戦闘を考えると紗雪の方が適しているのだろう。

 そして自分はキス要員。紗雪のパワーアップ効果が切れた時のチャージ要因なのだ。

 自分で言ってて情けないが、言わばエナジードリンクみたいなものである。愛しい幼馴染が命がけで世界を守ろうとしているのに、自分はエナジードリンクにしかなれない。

 英斗はそんな歯がゆさに胸が絞めつけられるような思いをしてうなだれる。

「これ、着なさいよ」

 えっ……?

 顔を上げると紗雪がカーディガンを差し出している。

「寒いんでしょ? 無理しないで」

「あ、ありがとう」

 ツンツンした態度しながらも気遣ってくれるその優しさに、英斗は嬉しくなってニッコリと笑った。

 しかし、紗雪は照れ隠しなのか不機嫌そうに忠告する。

「いい? あなたたちは絶対前に出ないで」

「わ、分かったよ。何か手伝えることがあったら何でも言って」

「あんたに手伝えることなんて……」

 そう言いかけて、紗雪はハッとすると、顔を真っ赤にしてプイっと向こうを向いてしまった。

 そのウブなリアクションに英斗も、さっきの甘いキスを思い出して思わず赤面する。

 そう、きっともう一回くらいはキスする局面が来るに違いない。あの甘いキスをもう一度……。

 英斗はブンブンと首を振り、にやけ顔にならないようにするのに必死だった。

 きゃははは!

 英斗にしがみついているタニアは嬉しそうに笑った。







18. 邪悪の総本山

 やがて草原のかなたにいくつもの黒煙が上がっているのが見えてきた。

 その向こうには漆黒の円柱がそびえ立っている。それは大草原の中にポツンとたたずむタワマンのような風情だった。

「おぉ、頑張っとるな」

 レヴィアは満足そうに言いながらさらに高度を上げていく。

「あれは何なの?」

 英斗が聞くと、

「あの黒い円柱が魔王城。攻撃しとるのは黄龍隊。言わば陽動作戦じゃな。奴らが魔王軍の注意を引きつけている間にワシらは魔王城に忍び込むって寸法じゃ」

「忍び込む!? この大きさで?」

「フフン、ステルスのバリアを張ればレーダーには映らん。上空から一気に行くぞ!」

 そう言うとレヴィアはバサッバサッと力強く羽ばたいて、さらに高度を上げていった。

 英斗はタニアをギュッと抱きしめ、じっと魔王城を眺める。倒すべき魔王はあそこにいるのだ。英斗は早鐘を打つ胸をギュッと押さえた。

 近づいていくと魔王城の様子が徐々に分かってくる。漆黒の円柱であるが、表面には現代アートのような不気味な禍々(まがまが)しい模様が浮き彫りにされており、上の方には目のような意匠があしらわれている。まさに邪悪の総本山とも言うべき姿に英斗はブルっと震え、背筋に冷たいものが流れた。

 あの中に小太りの中年男が居て多くの人の命を奪っている。何のためにそんなことをやっているのか分からないが、今ここで奴の暴挙を止めるしかない。


         ◇


 やがて魔王城の上空に差し掛かるとレヴィアは、

「総員戦闘準備!」

 と、叫んだ。

「いよいよだね」

 英斗は紗雪に声をかける。

 紗雪はひどく緊張した面持ちでキュッと口を結び、不安そうに英斗を見つめていた。その瞳にはさっきまでの力強さはなく、どうしたらいいのか分からなくなった迷子の子犬のような困惑が浮かんでしまっている。

 やはりまだ十五歳なのだ。圧倒的に場数が足りないのだろう。こんな調子では戦う前に負けてしまう。

 英斗は焦った。なんとかして青い顔した紗雪に力を与えなくてはならない。しかし、どうやって……?

 一計を案じると、英斗は口を開いた。

「紗雪、覚えてるか? 迷子になった時のこと」

 ニッコリとした穏やかな表情を作り、精いっぱい楽しげな声で聞いた。

 まだ小学校入学前、二人が家族に連れられて少し離れた神社のお祭りへ行った時のこと。英斗はいろいろな縁日に興奮し、紗雪の手を引っ張りながらちょこちょこと先行しているうちに、親とはぐれてしまったのだ。慌てて必死に親を探す二人だったが、それこそ何万人もいる中で見つけるのは不可能に思えた。

 泣きじゃくる紗雪をギュッとハグした英斗は、自分も泣きたい気持ちをグッと我慢して、『このまま見つからなかったら僕が紗雪の面倒を見るから』と、誓う。それは幼児らしい可愛い誓いだったが、お互いが特別な存在へと一歩近づいた忘れられない誓いとなった。

 英斗はその出来事を持ち出して、元気を取り戻すきっかけを探そうとする。

「迷子……? お祭りの……時のこと?」

 けげんそうな顔を見せる紗雪。

「あの時、二人でみんなとはぐれちゃって大変だったじゃないか」

「私がいっぱい泣いちゃったから……」

 紗雪はうつむき、申し訳なさそうに言った。

「いやいや、泣くのは仕方ないよ。でも、はぐれたところに戻ったら見つけられたろ?」

「うん……」

「不安で、耐えられなくなったら原点に戻ればいい。そして僕がいる」

 英斗はちょっと強引だったかなとも思ったが、力いっぱい笑顔を作った。

「ははっ。『僕がいる』って何よ」

「あ、いや、ホント役立たないんだけど、気持ちでは力になりたいんだ」

 紗雪は目をつぶり、何かを考える。

 英斗は美しくカールする長いまつげを見つめ、この不器用な応援が届いてほしいと願った。

「ありがと……。そう、原点に戻らないと。魔王を倒して世界を明るくする。それが私の原点……」

 紗雪はギュッとこぶしを握り、目には光が戻ってきた。

「やり遂げよう」

「うん。……。で、これが終わったら話したいことがあるの」

 紗雪は上目づかいでちょっと照れながら言った。

「わかった。……。実は、僕も話したいことがあるんだ」

「え? ……、何? 今すぐ言って!」

 紗雪は焦ったように前のめりで言う。紗雪もなんとなく気付いているのだ。

「あ、いや、だから終わってからだって」

「なんでよ! 気になるじゃない」

「いや、だから、それは……」

 そこでレヴィアの重低音が響いた。

「何をジャレあっとる! 突入じゃ、しっかりつかまっとけ!」

 急に翼をすぼめ、真っ逆さまに魔王城へと降りていくレヴィア。

「ぬおぉぉぉ!」「ひぃぃぃ!」「きゃははは!」

 いきなり無重力になって必死にしがみつく一行。見ると豆粒のようだった魔王城はみるみる大きくなっていく。

 覚悟はしてたものの無重力でお尻が浮いてしまう状態は、本能的に耐えがたい恐怖を呼び起こす。

 くぅぅぅ……。

 英斗はタニアをギュッと抱きしめて、ただ時を待った。

 しかし、タニアは嬉しそうに手をバタバタさせながらフリーフォールを楽しんでいる。

 なぜこの子は恐くないのだろうかと、英斗は半ば呆れながら早く到着を祈った。

 直後、レヴィアは大きな翼をブワッと広げ、ブレーキをかけていく。

 今度は逆に激しいGがかかり、英斗は鱗に押し付けられる。

 バサバサバサッとレヴィアは全力ではばたき、ズンっと急に衝撃が伝わってきたと同時に、

「降りろ!」

 と、叫んだ。

 ワタワタとあわてて降りる英斗。

 こうして一行はついに魔王城にやってきたのだ。










19. 肉球手袋

 魔王城の屋上は漆黒の素材でできた、のっぺりとした野球場サイズの丸い広場だった。隅の方に排気ダクトがニョキっと生えている程度であとは何もない。

 下の方では黄龍隊が魔物たちと激しい戦闘を行っており、爆発音が絶え間なく響いている。急がないと見つかって陽動作戦が台無しになってしまう。

 レヴィアは床をこぶしでガンガンと叩き、

「くあーっ! こりゃダメだ。コイツは突き破れんのう」

 と、渋い顔をする。

「え? じゃあどうしたら?」

「プランBじゃ。タニアを連れてこい」

 そう言いながら排気ダクトの方へと走っていく。

「えっ? まさか……」

 嫌な予感をしながら、英斗はタニアを抱えて走った。

 きゃははは!

 英斗にしがみつきながら楽しそうに笑うタニアを英斗は複雑な気持ちで眺める。この幼女に一体何をやらせるのだろうか?

「よーしタニア! パワーアップじゃ!」

 レヴィアは何やらガジェットを用意しながら叫ぶ。

 アーイ!

 タニアは嬉しそうに返事をすると、

「パパ! パパ!」

 と、ニコニコしながら両手を英斗の方に伸ばした。

「え? 何?」

 英斗は何を言われているのか分からず、眉をひそめながらタニアの顔を見つめる。

 直後、タニアは英斗の顔をガシッとつかむと、ぶちゅっといきなりキスをしてきた。

 ん、んむー!

 いきなりのことに何が起こったのかすぐに理解できず固まってしまう英斗。

「ちょ、ちょっと何やってんのよ!」

 紗雪が焦ってタニアを引きはがす。

 呆然とする英斗をしり目にタニアは、

 キャハッ!

 と、嬉しそうに笑ってペロッとくちびるを舌で舐めると、激しい黄金の光を放った。

「へ?」「は?」

 紗雪の時とは全然違う眩しい輝きに一行は唖然とする。それは心にまで染み渡る、温かで神聖な光であり、英斗は思わず後ずさった。

 やがて光が落ち着いてくるとタニアが胸張ってニコッと笑っている。

「お、お前……、まさか……」

 英斗は自分とのキスでパワーアップしたタニアを見て言葉を失う。パワーアップのキスとは昂る相手としなくてはならないのではなかっただろうか? なぜ、こんな幼女が自分で昂るのか分からず、英斗はどうしたらいいのか分からなくなった。

 タニアは、キャハッ! と楽しそうに笑うと、ポッケから肉球のついた可愛い手袋を取り出し、身に着けた。

 レヴィアは予想外の展開に少し困惑しながらも、タニアの頭にヘッドライト兼カメラを装着していく。

 タブレットでカメラと同期するのを確認したレヴィアは、

「ヨシ! タニア。ここを潜って屋上への通路を開けるやり方を探せ!」

 と、床からにょっきりと生えている排気ダクトを指さした。

「あーい!」

 タニアは楽しそうに敬礼をする。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。タニアをこの狭い管に落とすんですか?」

 英斗は幼女に危険なことをやらせるレヴィアにクレームをつけた。

「じゃあお主、どうするんじゃ? 他に方法でもあるんか?」

 レヴィアは毅然とした口調で反論する。その真紅の瞳にはゆるぎない信念が映っている。

「え、いや、それは……」

「いいか、我々は生きるか死ぬか、それこそ八十億人の人命を背負っておるんじゃ。道徳を説くな!」

「わ、分かりますけど……」

 と、その時、タニアがキャッハァ! と上機嫌に叫び、肉球手袋を振り上げる。

 すると、タニアの周りに黄金色の光の微粒子がぶわぁと浮かび上がり、それが急速に手袋に集まっていく。

 手袋に光が集まりきった瞬間、タニアは排気ダクトに向けて肉球手袋を斜めに振り下ろした。

 刹那、黄金色の閃光が走り、手袋から発生した黄金の光がまるでレーザー光のように排気ダクトを一刀両断にする。

 ガン! グワン、グワン!

 と、派手な音を立ててダクトは床に転がった。

 英斗たちはその圧倒的な破壊力に言葉を失う。レヴィアですら突破をあきらめた特殊素材でできた排気ダクトを、まるでダンボールを切るようにあっさりと崩壊させた。それはとんでもない想定外の力だった。

 きゃははは!

 タニアは嬉しそうに笑うと、トコトコと排気ダクトの根元まで行ってそのまま中へと飛びおりていった。

「ああっ!」

 英斗は急いでダクトをのぞきこむ。そんな気軽に飛び込んでいい所ではないはずだ。幼女の向こう見ずな蛮勇に嫌な予感がよぎる。

「タニアぁ……」

 冷汗をかきながら目を凝らすと奥の方でチラチラと動くヘッドライトが見える。どうやら無事なようだが、この先一体どうなってしまうのか胸がキュッと痛んだ。
















20.太陽のシャーペン

「いいぞいいぞ、そこ、入ってみようか?」

 レヴィアがタブレットの映像を見ながらタニアに指示を出している。

『キャハッ!』

 楽しそうに笑いながら、細いダクトの中をハイハイしていくタニア。

「よしよーし、もうちょい前進じゃ」

 レヴィアはタニアの位置をマッピングしながら淡々と指示を出していく。

「これ、空調設備ですよね?」

「そうじゃ。まさか魔王も、こんな小さな幼女が侵入してくるとは想定していないじゃろう。クフフフ」

 最初からタニアを使うプランを準備していたレヴィアのしたたかさに、英斗は舌を巻く。そう、これは誰かの命を危険にさらしてでも勝たねばならない戦いなのだ。改めて平和ボケしていた自分のぬるさにウンザリし、静かに首を振った。

「よーしそこでストップ! ダクトの下を切り裂け!」

『キャッハァ!』

 画面が黄金色にフラッシュし、ガシャーン、バラバラと破壊音が響き渡る。

 果たして、画面に映ったのはダクトの下を通る通路と、そして、凶悪な魔物の群れだった。

 魔物は筋骨隆々とした一つ目のゴリラたちだった。黒毛がふさふさの両腕に熱い胸板、その運動能力の高さは圧倒的で、素早く跳び回って戦車の上に飛び乗り、砲塔をもぎ取った動画は魔物の悪夢として何億回もの再生回数を誇ったほどである。

 そして今、全てを見透かすかのような巨大な一つ目の群れが、全てタニアを凝視している。

 考えうる限り最悪の展開に一行は血の気が引いた。

「ヤ、ヤバい! 逃げるんじゃ!」

 レヴィアは真っ青になって叫んだが、直後、ゴリラが飛びかかり、パンチ一発でダクトは爆散。タニアも吹き飛ばされる。ただ床に転がり落ちたカメラが瓦礫を映すばかりだった。

「あ、あぁぁ……」「ひっ!」

 お通夜のように黙り込んでしまう一行。

 タブレットからはゴリラの奇声と断続的な衝撃音が響きつづけた。

「あぁ……、タニアぁ……」

 英斗はその凄惨な事態に頭を抱えうなだれる。

「待ち伏せ……、されておった」

 レヴィアはガックリと肩を落とした。魔王はこちらの行動をしっかりと把握して魔物を配備していたのだろう。その抜け目のなさに英斗は魔王の恐ろしさの片りんを感じた。

「た、助けに行けないんですか!?」

「お主はこの狭い穴を抜けられるんか?」

 レヴィアはダクトの穴を指さし、悲痛な面持ちで返す。

「し、しかし……。タ、タニアぁ……」

 いきなり可愛い仲間を失い、潜入に失敗した。その苛烈(かれつ)な現実は英斗の心をえぐり、絶望色に塗りたくる。

 紗雪は英斗の手を取り、ギュッと握った。その瞳には涙がたたえられ、今にも決壊しそうである。

「さ、紗雪……」

 直後、紗雪は英斗の唇を強引に奪った。

 んっ! んんっ!

 それは悲痛な焦りにあふれたキスだった。ポロリとこぼれた涙が英斗のほほを伝い、現実の苛烈さに抗おうとする必死な思いが伝わってくる。

 紗雪はバッと離れると、赤いシャーペンを下向きに両手でもって精神集中を図った。全身からは黄金の光があふれ出し、やがてそれはシャーペンに集まっていく。

 激しい輝きをまとったシャーペン、それはもはや地上に現れた太陽のようだった。

「紗雪……」

 タニアの救出のために全力を傾ける紗雪に英斗は胸が熱くなる。

 ハァーーーーッ!

 全体重をかけ、シャーペンを床に突き立てる紗雪。

 ズン! という激しい振動とともに爆発が起こり、辺りは爆煙が立ち込めた。

 煙が晴れると数メートルくらいのクレーターができているのが見える。中心部からは天井裏のような内部の様子も垣間見える。

 紗雪はすかさず中に入ろうとしたが、青黒いねばねばの液体がクレーターのあちこちからピュッピュと湧きだしてきて、悪臭が立ち込める。

 明らかに異常だった。

 レヴィアは紗雪を制止して、指先を液体にチョンとつけてみて、叫んだ。

「ダメじゃ! これは強アルカリ。身体が溶けるぞ」

「ええっ!?」

 せっかく開けた穴に入れない、それではタニアを助けられないのだ。紗雪は泣きそうな顔でガクッとひざをつく。

 魔王城の外壁には自動修復機能があるようで、まるで怪我した時の傷口のように穴は液体で覆われ、表面にはかさぶたのような硬い板ができあがり、やがて元通りになってしまった。

紗雪は呆然として床に崩れ落ち、ポタポタと涙をこぼす。

「お主は寝たふりをしとけ!」

 レヴィアは英斗の耳元でそうささやくと英斗を引きずり倒し、紗雪のもとへ行く。

 レヴィアが記憶を奪ったというシナリオにしてくれるらしい。

 英斗は納得がいかなかったが、できることもないのでゴロンと横たわり、薄目を開けて青空にぽっかりと浮かぶ白い雲を眺めた。

 鉄壁の守り。さすが魔王城、考えつくされている。あの小太りの中年は相当にできる奴なのだ。だてに魔王を名乗っていない。

 潜入に失敗した、というその厳然たる事実の前に英斗は自然と涙がこぼれた。

 これからどうしたらいいのか全く分からなくなった英斗は、大きくため息をつき、ぼやけて見える雲をただ眺めた。