「お前のパパはどこにいるんだい?」

 英斗はタニアのつぶらな瞳をのぞきこみ、聞いてみた。しかし、タニアは嬉しそうに、

「パパぁ~」

 と言って、英斗に抱き着いてくる。

「いや、僕は龍族じゃないし、パパじゃないって」

 英斗は困惑してタニアを引きはがす。

「ちがうの! パパなの!」

 タニアはベソをかきながら怒る。

 英斗は困惑してレヴィアと顔を見合わせる。

「まぁ、しばらく親代わりになってやれ。この子も寂しいんじゃろう」

 レヴィアは無責任にそんなことを言って、コーヒーをすすった。

「親代わりって……、まだ高校生なんですけど……」

 渋い顔でタニアを見る。

 タニアはニコッと笑い、

「パパぁ~」

 と、また抱き着いてきた。

「あぁ、はいはい……」

 英斗はそう言ってため息をつき、トントンとタニアの背中を叩いた。

 と、その時、穏やかな時間をぶち破り、耳をつんざく警告音が鳴り響く。

 ヴィーーーーン! ヴィーーーーン!
 
 いきなりの非常警報である。

 レヴィアは急に真顔になり、慌てて、ガン! とコーヒーカップをテーブルに叩きつけ、天井の円筒向けて腕をのばすと指をパチンと鳴らした。

 ヴゥン……。

 かすかな電子音が響いてテーブルの真ん中あたりに映像が浮かび上がる。そこには無数の魔物たちが行進している様子が映っていた。

『軍事境界線まで後一キロです! その数およそ十万!』

 若い男の声が響く。そこには焦りを感じさせる色があった。

「カーーーーッ! やっぱり来たか……」

 レヴィアは頭を抱えて考え込む。

 土煙をもうもうとたてながら大挙して押し寄せてくる魔物たち。昨日やってきていた魔熊やオーガだけでなく、ゴブリンや見たことのない一つ目の巨体の魔物など、まさに全ての魔物が集結して津波のようにエクソダスを目指している。

 魔王軍は全てを破壊尽くせる破壊力とエネルギーを持ち、今、龍族根絶を目指しその暴威をエクソダスに向けたのだった。

 窓から見ると、遠くの方に不穏な土煙が上がって見える。それは映像の世界ではなく現実として暴力が牙をむいて襲いかかってきているのだ。英斗はその身の毛のよだつ恐るべき光景に圧倒され、タニアをギュッと抱きしめた。

「総員、第一種戦闘配置につけ! 核融合炉出力全開! 砲兵隊配備パターンA! 黄龍(ホアンロン)隊スクランブル用意!」

 レヴィアは叫び、テーブルをパシパシと叩いて画面をクルクルと変えていく。

 やがて、うっすらと金色に光を放つフィルムがドーム状にエクソダスを覆った。何らかのバリアだろうか?

「なぁに、そう簡単にはやられはせんよ」

 レヴィアは青くなっている英斗をチラッと見ると、ニヤッと笑って言った。

 五百年間守り通してきたエクソダスである。レヴィアには勝算があるのだろう。しかし、自衛隊なら一匹でも手こずる魔物が十万匹という現実は、英斗の胸を締め付ける。

『大変です! 上空にパピヨールの大群です!』

 緊張した声が響き、映像が上空に切り替わる。

 そこには巨大な蝶の魔物が空を覆うかのように飛来していた。今朝、紗雪が倒した数も相当だったが、それよりも桁違いに多く見える。

「な、何ぃ! いつの間に!? 砲兵隊、パターンCに変更! 準備でき次第発砲を許可する! 黄龍隊はまだか!」

 レヴィアの額には冷汗が浮かんでいる。状況は良くなさそうだった。

 直後、腹の底を揺らす爆発音が次々と響き渡る。パピヨールの攻撃が始まってしまったらしい。それに続いて今度はヴィヨン! ヴィヨン! という電子音が閃光と共に放たれる。迎撃が始まったようだ。

 バラバラと降ってくるパピヨールの残骸、響き続ける爆発音。辺りは爆煙がもうもうとたちこめ、焦げ臭いにおいに覆われる。エクソダスは戦場のど真ん中となってしまった。

 直後、激しい爆発音が響き、奥の窓ガラスが吹き飛んだ。

「うはぁ!」「ぐはぁ!」「きゃははは!」

 英斗はたまらずタニアと一緒にテーブルの下に隠れ、頭を抱える。

 爆煙が立ちこめ、今まさに死が目の前に迫ってきている現実に、英斗は胸がキュッとなって必死に深呼吸をくりかえす。

左舷(さげん)何やっとる! 弾幕足りんぞ! 黄龍隊、ポイントCから突入じゃ!」

 レヴィアは額に青筋を立て、叫んだ。

『棟梁! 大変です、核融合炉が安定しません!』

 エンジニアの悲痛な声が響く。

「泣き言なんて聞きたくないね、何とかするんじゃ! 黄龍隊、散開し焼き尽くせ! 頼んだぞ!」

 窓の向こうをパピヨールから雨あられのようにレーザー光線が降り注ぎ始め、その中をオレンジ色の光をまとったドラゴンが次々とものすごい速度で通過していく。

 ドラゴンは被弾するたびにふらつきながらも健気に反撃のタイミングを計って灼熱のドラゴンブレスを浴びせかけていった。

 パピヨールを何とか殲滅(せんめつ)できたとしても、問題はあの津波のような魔物たちである。いきなり巻き込まれた無慈悲な全面戦争の衝撃に英斗はどうしたらいいのか見当もつかず、ただガタガタと震えていた。

 タニアはキョトンとしてそんな英斗を不思議そうに見つめ、キャハッ! と笑ってよじ登ってくる。

 英斗はタニアの豪胆(ごうたん)さに少し救われる思いがして、両手で抱きかかえるとプニプニのほっぺにほほ寄せた。

 しばらく続いた激しい応酬も一段落がついたようで、やがて静けさが訪れる。黒煙とともにキラキラとしたパピヨールの鱗粉が風に舞い、攻防の激しさを感じさせた。

 黄龍隊の活躍でどうやらパピヨールは一掃できたものの、粒子砲は多くがやられ、フィルムバリアも穴だらけとなっているらしい。

 レヴィアは次々と報告される被害状況を整理しながら対応を指示していく。しかし、(ほほ)にはタラリと冷汗が流れ、事態の深刻さを物語っていた。









12. 魔王

「くぅ……。魔王許すまじ……」

 レヴィアは歯をギリッと鳴らし、こぶしを握る。

 その時、バリバリッと音がして無線が着信した。

 レヴィアはハッとして大きく息をつくと、

「噂をすればなんとやらじゃ、魔王め……」

 と言いながら、タンタンッとテーブルを叩く。

「よう、ロリババア! どうだ? 降伏する気になったか? クフフフ」

 画面に浮かび上がっているのは小太りの男だった。ダサいTシャツにボサボサの頭、風采(ふうさい)の上がらない男はいやらしい笑みを浮かべている。

 英斗はこのだらしない男が魔王ということに困惑した。見た目はまるで引きこもりのニートである。なぜこんな男が十万の魔物を操り、地球に侵攻したりしているのだろうか?

 レヴィアは真紅の瞳をギラリと光らせ、

「なぜこんなことをするんじゃ!」

 と、青筋を立てながら吠えた。

「おや? お前らの一族が俺の可愛い魔物ちゃんを攻撃したんだ。報いは受けてもらわんとな」

 男は肩をすくめながら答える。

 英斗はそれが紗雪の事だとすぐに気づいた。

 やはり紗雪のやったことはペナルティ対象とされてしまっているらしい。

「あやつはもう何百年も前から日本に帰化していて我々とは縁はない。難癖付けるのはやめろ!」

 レヴィアは抗弁をするが、魔王はそんなのはどうでもいいといったような風に鼻で笑うと、

「まぁいい。強い者が勝ち、勝てば官軍。降伏勧告はしたからな。せいぜいあがいてくれ。はっはっは」

 そう言って、一方的に無線を切った。

 レヴィアはガン! とこぶしをテーブルに叩きつけ、フーフーと荒い息を漏らす。

 窓の外には土煙がもうもうと上がり、無数の黒い点がうごめいているのが見える。状況は相当にヤバいようだった。

「魔物の本体が来るぞ! 各班は使える兵力をレポートせい! 龍族の興廃この一戦にあり!」

 レヴィアは声をからし、叫ぶ。真紅の瞳はギラリと光を放ち、とても声をかけられるような雰囲気ではない。

 英斗は大きくため息をつき、とんでもない事に巻き込まれてしまった運命を呪った。

 思えば昨日の放課後まで自分は平凡な高校生だった。あの紗雪の甘いキスが全ての引き金となって今、戦場のど真ん中にいる。しかし、紗雪を恨む気はない。彼女の行為はただひたすらに尊く、純粋な色を纏っていた。ただ、それが強大過ぎただけなのだ。

『大いなる力は大いなる責任を伴う』

 かつて聞いた言葉が脳裏をかすめ、英斗はため息をつき、宙を仰いだ。

「これを渡しておく」

 レヴィアが一丁の銃を英斗に渡した。

「えっ!? これは……?」

「紗雪のシャーペンと同じニードル銃じゃ。引き金を引いている間、針が出続ける。素人でも使えるからお主にぴったりじゃ」

「い、いや、しかし……」

 そののっぺりとした金属光沢を放つ、近未来的なフォルムを持った銃を英斗は眺め、困惑する。

「タニアは任せたぞ!」

 そう言うとレヴィアはまた映像に向かい、各部隊に(げき)を飛ばし始めた。

 英斗は状況がかなり悪いことを理解し、目をギュッとつぶる。今にも人生の走馬灯が回り始めそうなくらい追い込まれ、心臓の鼓動はかつてないほど高まっていた。

 テーブルの下をのぞくとタニアがちょこんと座っていて、英斗を見て小首をかしげる。

 英斗はタニアの所に行くと、

「ここは危ないかもしれない、どうしようか?」

 と、話しかける。幼女にこんなこと聞いたって仕方ないことは分かっているが、英斗もどうしたらいいか分からないのだ。

「危なくないよ?」

 タニアはキョトンとした顔で答える。

「いや、すっごーく怖い魔物がたくさん押し寄せているんだよ」

「まもの? メッ! する?」

 タニアは首を傾げ、聞いてくる。

「メッ……って。どうやって?」

「タニアがね、メッ! するの! きゃははは!」

 タニアはそう言って笑うと、全身を淡く金色に輝かせ始めた。

 は……?

 いきなり光り始めた幼女に英斗は唖然とする。

 タニアは龍族である。だからもしかしたら龍族なりの攻撃方法があるのかもしれないが、一体何をするのか見当もつかなかった。

 英斗は小首をかしげながら、その神々しく光り輝く幼女をぼーっと眺める。

 ひょぉぉぉぉ……。

 タニアはそう言いながら右手の手のひらを下に向け、そのままゆっくりと下ろし始める。

 一体何をやっているのかピンとこない英斗であったが、いつになく真剣なタニアに口をはさむのもはばかられ、ただ静かにその神聖な儀式を見つめていた。












13. 宇宙の手

 ゆっくりと下ろす手のひらは、やがて床へと近づいていく。

 英斗は何か意味があるのか、と小首をかしげながら窓の外を見て驚いた。何とそこには巨大な手のひらが宇宙から降りてきていたのだ。

 はぁ!?

 目の前で起こっている、理解不能で滑稽な光景に混乱した英斗は目をゴシゴシとこすってもう一度見直す。

 しかし、それは間違いなく手のひらだった。

 手のひらのサイズは十キロメートルはあるだろうか? 腕は青空のはるかかなた向こう、ずっとずっと高いところから雲を突き抜け、降りてきていた。

 いや、これ……、えぇ……!?

 想像を絶する出来事に英斗は息をのむ。

 それこそ東京23区がすっぽりと覆われてしまうサイズの手のひらなど、物理的に可能なのだろうか? 可能だとしてそれを宇宙から下ろしてくるということなどどうやったらできるのだろうか?

 やるとしたら誰が?

 それはタニアしか考えられなかった。不思議な幼女タニアが宇宙から魔物たちを潰そうとしているのだろう。

 しかし、どうやって?

 唖然としている英斗の目の前で、そのまま手のひらは地面を押しつぶす。直後、巨大な砂嵐が巻き起こり、辺り一面土煙に覆われて何も見えなくなった。

 地面に降りた手のひらからあふれる空気が、爆発的速度で周りにふき出したのだろう。

 レヴィアも画面に映し出される巨大な砂嵐に驚き、叫んだ。

「な、なんじゃこりゃぁ!? 総員退避! たーいひ!」

 画面に出ていたレーダーによる魔物の反応も一斉に消えていった。

「タ、タニアの手ですよあれ!」

 英斗は興奮して叫んだが、レヴィアは呆れ、

「何がタニアじゃ! こっちは忙しいんじゃ、黙っとれ!」

 と、叫びながらパシパシとテーブルを叩いていく。

「いや、手のひらが宇宙から降りてきたんですって!」

「バカも休み休み言え! なんで宇宙から手なんて降りてくるんじゃ!」

「な、なんでって……、なんで?」

 英斗がテーブルの下をのぞくとタニアが倒れている。

「タ、タニア!」

 英斗は急いでタニアの様子を見る。ペシペシとほほを軽く叩いてみたが反応はない。ただ、スースーと息をする音がする。

 ん……?

 胸に耳をつければ心臓もトクトクと軽快な鼓動を刻んでいるし、血行もよさそうだ。どうやら寝てしまったらしい。

「良かった……」

 英斗は大きく息をつき、ペタリと床に座り込む。

 十万匹もの魔物を潰して寝てしまった幼女。その規格外の存在に英斗はどうしたものかと考えこんだ。

 あんなことができるのだとしたら、今この世界で一番強いのはタニアということになる。米軍だってあの手のひらには対抗できないだろう。タニアの機嫌次第で世界は滅びかねない。

 なんだか凄いことになってしまったと、英斗は大きなため息をついた。


 改めてそのかわいい寝顔を見つめると、まだ幼いながら整った顔立ちに美しくカールした長いまつ毛が生えている。その刹那、キスの時に見た紗雪のまつ毛がフラッシュバックした。

 ドキッとした英斗は顔を赤くし、ブンブンと首を振る。

 龍族というのはまつ毛が長くて綺麗な種族なのだな、と英斗はとりとめのないことを思いながら、そっとタニアの髪をなでた。


      ◇


 その晩、集会場で祝勝会が開かれた。レヴィアたちは酒盛りで大騒ぎをし、宿敵の魔王軍撃破を祝う。何しろ、窮地(きゅうち)からの逆転劇である。喜びもひとしおだった。

 ただ、十万もの大群がなぜ砂嵐の中に沈んだのかは結局分からないままである。これは後日データ解析をすることでまとまったらしい。

 あの時、英斗が見たタニアの巨大な手のひらは誰にも見えていなかったようで、誰からも相手にもされなかった。

 しかし、あの幼女独特のかわいい小さなモミジのような手のひらは、明らかにタニアのものであり、なぜタニアがそんなことができたのか、英斗には皆目見当もつかなかった。

 英斗はキツネにつままれたような気分で宴会場の隅っこに座り、タニアをひざに乗せる。

「魔物つぶしたのはタニアだよな?」

 スプーンでご飯を食べさせながら聞いてみた。

「わかんない! きゃははは!」

 タニアは嬉しそうに笑うとスプーンをパクっとくわえ、美味しそうにモグモグとほっぺたを揺らした。

 英斗は渋い顔をして、かわいいプニプニのほっぺたについたご飯粒を取ってあげる。

 もちろん、ここで「そうだよ!」と、言われたとしても事態は何も変わらない。幼女の言うことなど何の説得力もないのだ。
















14. 愛しい男

「これは好機じゃ! 魔王打倒じゃ!」

 向こうの方でレヴィアがビールジョッキを高々と掲げながら叫んだ。

「オ――――!」「いよっ! 棟梁!」「やりましょう!」

 作業服を着た若い男たちがレヴィアを囲みながら盛り上がっている。若いと言っても千歳くらいなのかもしれないが。

 もし、魔王を打倒できるのであれば、これは日本にとっても朗報である。ゲートからの魔物の侵略が止まることは人類にとっても福音なのだ。

 レヴィアはジョッキを持ちながら、ふらふらと上機嫌に英斗のところまでやってくると、

「おい、紗雪呼ぼう。あいつと一緒に魔王城行くぞ!」

 と、座った目で言った。

「さ、紗雪を? な、なんで?」

「あの娘の攻撃力はピカイチじゃ。ドラゴン化せずにあそこまでできる奴はそうはいない。それに、今回の騒動の原因でもあるんだから頑張ってもらわんとな」

 そう言ってレヴィアはジョッキを傾ける。

 英斗としては紗雪をこれ以上戦いの現場に出したくはなかった。だが、迷惑をかけたことは確かなので、それは協力しないわけにもいかなかった。

「あ、そうだ。お主にもキス要員で来てもらうからな。クフフフ」

 レヴィアはいたずらっ子の目でそう言うと、ジョッキを一気にあおる。

「キ、キス要員!?」

 英斗は何とも間抜けな役割を与えられ、唖然とする。本来恋人同士だけの秘密の営みが、世界を守るための役割として自分に降りかかってきている。あまりに間抜けでバカバカしい話に英斗はウンザリしてうなだれた。

「なんじゃ? 紗雪とキスしたくないのか?」

 酔っぱらってほほを紅潮させたレヴィアは、ニヤニヤしながら絡んでくる。

「い、いや、そういう話ではなく、なんかもっとこう活躍できる役目ってないんですかね? キスだけってまるで水商売ですよ」

「カッカッカ! 人間に戦闘なんて無理じゃろ。大人しくその唇で紗雪を興奮させるんじゃな」

 散々な言われように英斗はムッとして聞いた。

「レヴィアさんは誰とキスすると興奮するんですか?」

 ピタッと止まるレヴィア。ジョッキを持つ手が少し震えている。

 いつもの軽口が来ると思っていた英斗は、そのリアクションに少し後悔し、慌てた。思えばエクソダスは大量の死者を出した凄惨な事故現場であり、レヴィアたちは遺族なのだ。言葉は選ばねばならなかった。

 レヴィアはジョッキを一気に飲み干し、大きく息をつき、

「ええ男じゃった。お主も悔いのないようにな」

 と、ボソッと言うと奥の部屋へと消えていった。


       ◇


 翌日、少し離れた広場で、英斗は木陰のベンチに寝かされていた。紗雪をおびき出すエサの役をやらされたのだ。

 青空には太陽が燦燦(さんさん)と輝き、木漏れ日がチラチラと眩しく光っている。

 タッタッタッタ――――。

 遠くの方から誰かが駆けてくる。シルバーのジャケットをザックリと羽織(はお)った見慣れたその姿、紗雪だった。近未来的なぴっちりとした黒いタイツには赤いラインが走り、スタイルの良いスラっとした長い脚を際立たせている。

 ただ、髪の毛はショートカットになっていた。レヴィアに髪を焼かれたので短くしたのだろう。

「いいか、お主は目を開けちゃいかんぞ!」

 レヴィアはニヤッと笑って言った。

「いかんぞ! きゃははは!」

 タニアもマネして笑う。

 交渉の場にタニアは似つかわしくなかったが、泣いて騒ぐので仕方なく連れてきたのだった。

「タニアはいい子にしてること! 分かったね!」

 英斗はタニアをにらんで言った。

「うん! タニア、いい子だよ!」

 タニアは満面に笑みを浮かべる。


       ◇


 急いで広場までやってきた紗雪は、ベンチに横たえられた英斗を見つけ、青い顔で、

「ああっ! 英ちゃん! 英ちゃんに何したのよ!」

 と、レヴィアを鋭くにらむ。ハァハァと荒い息が響いた。

 それはいつものクールビューティとは全く違う昔の紗雪だった。英斗はそのなつかしい生き生きした紗雪の姿に心が温まり、ほほが少しだけ緩む。

「なんもしとらんよ。単に寝てるだけじゃ。自分で見てみろ」

 くっ!

 紗雪は英斗のところまで駆け寄ってくると英斗のほほをやさしくなでる。

「あぁぁ……、ごめんね、英ちゃん……」

 声を震わせ涙ぐむ紗雪に、英斗は胸がチクリと痛んだ。

「召喚状は読んだじゃろ? お主には一緒に魔王城に来てもらう。いいか?」

 紗雪は英斗の手をぎゅっと握りしめるとキッとレヴィアをにらみ、

「嫌だと……言ったら?」

 と、低い声で静かに言った。

 その瞳には激しい怒りの色が揺れている。

「お前の愛しい男は二度と目覚めることがないだけじゃ」

 レヴィアは肩をすくめ、挑発するように言った。

 ギリッと紗雪の奥歯が鳴る。

 英斗は心臓が高鳴り、ポッと赤くなった。

 一瞬、『そんなの構わないわ』と言われるのではないかと構えたが、どうやら紗雪は本当に自分のことを大切に思ってくれているらしい。

 しかし、そんな紗雪をこんな形でだましていることに胸が苦しくなり、思わず静かに深呼吸を繰り返した。











15. 会心の嘘

「私が行けば英ちゃんは解放してくれるのね?」

 紗雪は怒気のこもった声を出す。

「いや、同行してもらう。お主には必要じゃろ? 他の男でもええんか?」

 レヴィアは意地悪な顔をして返す。

「ダ、ダメ……。私は……英ちゃんじゃなきゃ……」

 紗雪は真っ赤になってうつむいた。

 英斗は実質告白されてしまったようなもので、居てもたってもいられなくなる。思わず呼吸が荒くなり、顔も真っ赤だった。

 その様子を見てレヴィアは思わず吹き出しそうになる。

「な、何がおかしいのよ!」

「あ、いや、悪かった。若いっていいなって思ってな」

 紗雪は口をとがらせレヴィアをにらみ、少し考えこむ。

 英斗にはついてきて欲しい。もちろん、パワーアップの効果が必要だという面はあるが、それ以上にそばにいて欲しかったのだ。魔王城に知らない人たちだけで乗り込むことはさすがに心細い。

 とはいえ、それは自分のわがままだということはよく分かっている。英斗に命懸けの同行を頼むなど、自分の口からは到底言えなかった。

 考えがまとまらず、紗雪は大きく息をつくと聞く。

「いつ、行くのよ?」

「今からじゃ、善は急げというからのう」

「い、今!?」

 紗雪は目を真ん丸に見開き、言葉を失う。

「昨日、魔王軍は壊滅させておいた。警備も手薄じゃろう。やるなら今じゃ。お主も地球を守りたいんじゃろ?」

「か、壊滅!? ど、どうやって?」

 紗雪は唖然として聞く。五百年間手こずっていた強敵相手に、じり貧の龍族が巻き返すなど想定外だったのだ。

「分からん。だが神風が吹いたんじゃ」

「神風って……」

「理由は分からんが魔王軍には警備兵くらいしか残っとらんだろう。今を逃したらもう滅ぶしかないぞ」

 紗雪はうつむき、ゆっくりとうなずく。

「で、でも、英ちゃんをそんな危険なところに連れていけないわ。英ちゃんは何て言ってるのよ?」

「こ奴は『紗雪とならどこまでも行く。紗雪を愛している』って言っとったぞ」

 ブフッ。

 思わず吹き出してしまう英斗。そんなこと言っていない。

 英斗はレヴィアを怒鳴りたい気持ちを必死に抑える。

 えっ!?

 一瞬英斗が吹きだしたように見えた紗雪は、けげんそうに英斗を眺める。

「まさか……、起きてる……?」

 英斗は必死に寝たふりをする。

 ツンツンと英斗のほほをつつく紗雪。

 しかし、寝たふりを厳命されている英斗は、何があっても目を開ける訳にはいかなかった。

 しばらく英斗の様子をじっと見て、ふぅとため息をつくと、紗雪はほほをやさしくなでる。その顔には愛しさが満ちあふれていた。

「ほ、本当に……そんなこと……言ったの?」

 チラッとレヴィアを見上げて言った。

 笑いをこらえていたレヴィアは、ゴホンと咳ばらいをして、顔を作り、答える。

「お主だってこ奴の気持ちには気づいておろう」

「そ、そりゃぁ……。でもその気持ちを私は利用してしまったの。もう私には愛される資格なんて……ないわ」

 紗雪はガクッと肩を落とす。

「はっはっは!」

 レヴィアは嬉しそうに笑った。

「な、何がおかしいのよ!」

 紗雪は涙を浮かべた目でキッとレヴィアをにらんだ。

「こ奴はそんなこと気にせんよ。まぁ、落ち着いたらすべて話すといい。いつまでも薬に頼ってちゃいかんぞ」

「そうね……。魔王を倒せたら……、ちゃんと話すわ」

 紗雪は英斗をジッと見つめながら額から髪の毛をやさしくなでる。その優しい手の動きには恋しさがあふれていた。

「じゃあ、ついてきてくれるな?」

「英ちゃんも納得しているなら……、行くわ。魔王の脅威におびえる暮らしからみんなを解放しなきゃ」

 紗雪はグッとこぶしを握った。その瞳には決意がみなぎっている。

 そこには、理科準備室でみせた悲痛さはなく、むしろ希望の色すら見えた。

「よーし、じゃぁ、今すぐパワーアップするんじゃ」

 レヴィアはそう言って英斗の唇を指さした。

「えっ!? こ、ここでですか?」

 紗雪は真っ赤になる。

「大丈夫、ワシらは後ろ向いとるからな」

 そう言ってレヴィアは背を向ける。タニアも真似してキャハッ! といいながら背を向けた。

 えっ? ちょっと……、ええっ!?

 紗雪はキスのおぜん立てをされてしまって戸惑う。

 しかし、キスをするなら英斗の意識が戻る前にしておかないとならない。魔王を倒してちゃんと話をするまでは、キスのことは秘密にしておきたかったのだ。

 紗雪は英斗の脇にそっとしゃがむと愛おしそうに英斗の髪をなで、そしてほほをそっとさすった。

「ごめんね、英ちゃん。ついに巻き込んじゃった……。でも、好きなの……。大好き……」

 そう言って瞳を潤ませ、そっと唇を重ねる。

 チロチロと愛撫する舌先が英斗の唇を押し広げていく。

 英斗はその愛情のこもったキスに、思わず抱きしめたくなる衝動にかられた。しかし、ここで意識があることを悟られてはならない。全ては魔王を倒した後、ちゃんと自分から告白するつもりなのだ。

 両想いだと分かった後のキスの味は、今までとは違う温かさ愛おしさのフレーバーが加味され、天にも昇る気持ちになる。英斗は温かく柔らかい紗雪の舌に身をゆだね、荒い息遣いを感じていた。