あの娘のキスはピリリと魔法の味 ~世界は今、彼女の唇に託された~

「ねぇ、キスして」

 つややかな黒髪をサラサラと流しながら紗雪(さゆき)は小首をかしげ、不機嫌さを隠しもせず英斗(えいと)を見つめながら意味深な言葉を放った。

 放課後の教室に忘れ物を取りに来ただけの英斗は、紗雪の真意をはかりかねて眉をひそめ、紗雪のご機嫌斜めな顔を見つめた。三組のクールビューティと噂される紗雪の肌は透き通るようにきめ細やかで、整った目鼻立ちには見る者の心を揺り動かす魔力をはらんでいた。

 紗雪は英斗の幼馴染ではあったが、仲が良かったのは小学校まで。中学時代に呼び出され、

「もう声かけないで」

 と、紗雪に宣告されてからというもの、関係はすっかり破綻していた。同じ高校に進んだ後はお互い目を合わさないような関係となり、席が隣となっても言葉一つ交わしたこともない。それなのにいきなりキスをしろという。

 幼いころ、紗雪はいつも笑っている太陽のような娘だった。そんな紗雪と毎日のように遊ぶうち、いつしか英斗にとって紗雪は、心の真ん中に輝く存在になっていた。

 だからあの日、断交を宣告された時には絶望の中で心臓が止まりかけたし、自分の何が悪かったのか何度も何度も考えた。しかし、ちゃんと彼女と向き合う機会を設けられずにここまで来てしまっている。

 確かに、何のとりえもなく、異世界物のラノベを読み漁っては妄想を楽しんでいるような男では、クールビューティとは釣り合わないだろう。それでも、英斗には誠実にまっすぐに生きてきた自負はあった。

 だから、キスをせがまれることには心をときめかせる色がある。あの頃の笑顔で笑ってくれるなら自分は何だってできるのだ。しかし、紗雪の言う『キス』はそんな甘い感傷とは程遠く感じられる。

 単にからかっているだけかと思ったが、ラムネのビー玉みたいに澄み通った紗雪の瞳には深い憂いの色が浮かんでいる。

 英斗は真意を問いただそうと口を開いたが、いい言葉が見つからず、間抜けにも口を開けたまま止まってしまった。

 窓から入ってくる風がモスグリーンのカーテンを膨らませ、まるで催促(さいそく)するようにパタパタとはためく。

「早くしてよ」

 紗雪は口をとがらせ、眉をひそめる。

 美少女はずるい。そんな不機嫌な顔でも美しさをたたえているのだ。

 雲がすっかり傾いた太陽を覆い隠し、教室はふっと暗くなる。紗雪の表情には悲壮ささえ感じさせる闇のニュアンスが見て取れた。

 英斗は眉をひそめ紗雪の瞳をのぞきこむ。そして、大きく息をつくと、ニコッと笑いながら近づき、

「何があったんだい? 何でも聞く……」

 と、言いかけた時、紗雪は

「黙って!」

 と叫ぶと、英斗の頭をつかみ、強引に唇を重ねてきた。

 英斗は意識を持っていかれる。視界が覆われ、目の前に美しくカールしたまつ毛が迫っていた。

 ん!? んん……?

 これがキスというものなのだろうという事は分かったが、どうしたらいいのか全く分からず、英斗はただ両手で宙をもがくばかりだった。

 紗雪の柔らかい舌が、チロチロと英斗の唇を愛しそうに()い、英斗の脳髄(のうずい)を揺らす。

 英斗は頭が真っ白になってしまったが、自然と舌が紗雪を求めていく。

 失われていた紗雪が戻ってきてくれた。ついそう思ってしまった英斗は調子に乗り、両手で紗雪を抱きしめる。

 直後、紗雪は英斗を突き飛ばすように離れ、顔を真っ赤にし、手の甲で唇をぬぐった。その全てを貫きとおすような瞳は鋭く英斗をにらみ、息も上がっている。

 英斗はただ紗雪の不可解な行動に言葉を失い、この幼馴染の胸中を推しはかりかねていた。

 紗雪は急いでポーチからリップスティックのような筒を取り出す。

 何だろうと思った瞬間、紗雪は筒を英斗の顔に向けプシュッと何かを噴きかけた。

 くはっ……。

 思わず顔をそむけた英斗だったが、急に意識が遠くなっていく。

「な、なにするん……」

 そう言いかけて、英斗は椅子にどさりともたれかかると机に突っ伏すように倒れ込んでしまう。

「ゴメンね、英ちゃんに酷いことしちゃった……。でもこれでみんな忘れるわ」

 紗雪はそう言いながら近未来的なシルバーのジャケットにそでを通す。心なしか黄金色の淡い光が紗雪を包んで見えた。

 そして、窓枠にピョンと飛び乗ると、そのまま三階の窓から裏庭に飛び降りていく。

 え……?

 ぼんやりとした意識の中で、現実感のない光景をどう理解したらいいのか混乱する英斗。

 紗雪はそのまま裏庭をピョンピョンと凄い速度で駆け抜けると、まるでハードルを飛ぶ陸上選手のように高い(へい)を軽々と飛び越え、街の方へ消えていった。


         ◇


 しばらくぼんやりしていた英斗だったが、徐々に頭がはっきりしてきた。

 いきなりキスをして、超人的な身のこなしで街の方へと消えていった美しい幼馴染。英斗はその現実感のない出来事に顔をしかめ、首をひねる。

 しかし、唇に残るあのチロチロとした紗雪の舌の動き、柔らかな舌の温かさは今でもありありと思いだせる。それは夢でも何でもない現実として自分に起こったミラクルな物語だった。

 英斗はほほを赤く染めながらそっと唇をなで、紗雪の不可思議な行動について考えてみる。しかし、いきなりのキスも超人的な運動能力も理解の及ぶような話ではない。首を振って、大きく息をついた。

 ヴィ――――ン! ヴィ――――ン!

 いきなりスマホがけたたましく鳴り響いた。ゲート発生の緊急警報だ。

 あわててスマホを開くと、

『小杉町にゲートが発生しました。至急避難してください』

 というメッセージが踊っている。

 マジか……。

 英斗はドバっと悪い汗が噴き出る感覚に襲われ、血の気が引く。

 急いでSNSアプリを開くと、見慣れた駅前広場に瑠璃色の輝きが揺らめくゲートが開き、魔物がワラワラと出てきている動画が上がっている。たくさんの人が逃げ惑う動画や魔物たちの破壊活動の状況も凄い勢いで流れてくる。

 去年あたりから地球上のあちこちでゲートと呼ばれる空間の切れ目が発生し始め、そこから湧いてくる面妖(めんよう)な魔物たちが人々を襲うようになっていたのだ。日本ではこれで五回目、東京では初めての襲来だった。

 LIVE映像を見ると、駅前で十頭くらいの魔物が暴れている。毛皮に覆われた魔物は巨大なヒグマのようで、四つ足でズンズンと飛び跳ね、鋭い爪のついた太い腕で鉄骨もコンクリートも粉砕してしまう。不思議なことにその顔には凶悪なデカい口があるだけで目も鼻もなかった。そして魔物たちはガチガチガチと鋭い歯を鳴らし、身のすくむような奇声を上げている。

 英斗はそのこの世のものと思えない不気味な存在が自分の街に現れてしまったことに、苦虫をかみつぶしたような表情をしながら首を振った。最高とは言えないまでも愛しい日常が壊されてしまう予感が真綿のように首の周りにまとわりついて、思わずため息をつく。

 魔物たちは嬉々として破壊活動に精を出す。車を軽々と持ち上げるとそのままバスにぶつけて爆発炎上させ、駅前公園の赤いタワー型のモニュメントを一撃で粉砕するとガレキをブンブンと振り回して放り投げ、駅ビルの喫茶店をグチャグチャにぶち壊した。

 その時、銃声が上がり、魔物が断末魔の悲鳴を上げながらひっくり返る。

 見ると、駅前の歩道橋の上に自衛隊員らしき人影があり、そこから銃を撃っているようだった。

『うぉぉぉぉ!』『キタ――――!』

 LIVE映像のコメント欄には歓喜の声が一斉に流れていく。何とかこの奇怪な化け物どもから日本を守って欲しい。みんなの思いがコメント欄の勢いに現れていた。

 さらなる攻撃を加える自衛隊員だったが、魔物たちは素早く動き、なかなか当たらない。当たっても体表の毛皮は強靭で、弾丸は弾かれてしまう。ツルっとした口だけの顔に当てない限り効果は無いようだった。

 そうこうしているうちに歩道橋に迫った魔物は屈強な熊パンチ一撃で橋脚を粉砕し、歩道橋はあっさりと崩壊していく。自衛隊員は放り出され、魔物の餌食となってしまう。

『あぁぁ……』『マジかよ……』

 魔物は身の毛もよだつ雄たけびを駅前広場にこだまさせた。

 直後、重機関銃の重い銃声がビル街に響きわたり、魔物が吹き飛んだ。応援の装甲車がビルの影から魔物たちを狙い撃ちにしたのだ。

 再び盛り上がるコメント欄だったが、それも長くは続かなかった。

 ゲートから真っ赤な巨体の【オーガ】と呼ばれている魔物が出てきたのだ。世界各地で甚大な災厄をもたらしてきた筋骨隆々とした体躯はまさに赤鬼。まるで重機のように一歩歩くたびにズシンズシンと地響きを鳴り響かせながら装甲車に迫る。重機関銃を集中砲火させる自衛隊だったが、オーガにはすべて弾かれて全く効果が見られなかった。

 急いで撤退し始めた装甲車だったが、オーガは全身に力をこめ、身の毛がよだつ雄たけびを上げると口から閃光を放つ。

 パウッ!

 鮮烈なレーザー光が撤退中の装甲車を貫き、爆発炎上。激しい爆炎がもうもうとビル街に上がっていった。

 お通夜のようなコメント欄。

 オーガは調子に乗り、次々とレーザー光を辺りに放ちだした。雑居ビルはレーザー光で斜めに切り裂かれ、崩落しながら爆発炎上していく。次々と火の海に沈んでいく駅前のビル群。

 その時だった。小さな雑居ビルの一階の本屋が映像に映り、中で人影が動く。英斗は思わず息をのんだ。それは英斗が子供の頃から通っていたなじみの本屋である。お店のおばちゃんは気さくな人で、いつもおまけをたくさんくれた。英斗はこのおばちゃんのおかげで本好きになり、今や英斗を構成する血肉になっている。まさに原点ともいえる聖地だったのだ。

 それがオーガのレーザーを受け爆発炎上し、火の海に沈んでいく。

「お、おばちゃん!」

 英斗は真っ青になった。失ってはいけないものが目の前で燃え上がっている。それは心の奥の柔らかいところを容赦なく激しくえぐり、英斗の存在そのものを揺らした。

 直後、絶望に震えるスマホの映像に、銀色に煌めく影が横切る。すると、急にオーガが苦しみだした。

 え……?

 一体何が起こったのか分からず、コメント欄も書き込みが止まる。

 ガクッとひざをつくオーガ。

 次の瞬間カメラが映し出したのは銀色のジャケットを着込んだ女の子だった。女の子はオーガから距離を保ちながら軽やかに跳び回り、手に持った棒からカチカチカチと光の筋を無数発射してオーガに当て続けている。

 銃機関砲すら跳ね返す強靭な皮膚もこのレーザーには無力なようで、当たったところは焼け焦げて青い血を吹きだしていた。

『え?』『は?』『誰これ?』

 コメント欄にはたくさんの『?』マークが流れていく。過去の襲来ではこんな女の子が出てきたことはなかったのだ。

 女の子は仮面舞踏会で使うようなマスクで顔を隠しているが、英斗にはすぐにわかってしまう。紗雪だった。そのプリッとした紅い唇は見間違いようのない、さっきキスしたばかりの唇そのものである。

「な、何やってんだ!?」

 英斗は人間ばなれした紗雪の身のこなしに唖然としながら、無意識に唇をなでていた。

 オーガもやられるばかりじゃない、紗雪が着地する地点を狙ってその辺りにレーザー光を斜めに流し打ちする。

「危ない!」

 英斗は青くなって叫ぶ。しかし、紗雪を真っ二つに切り裂いたはずのレーザーは銀色のジャケットに跳ね返され、近くのビルに爆炎が上がった。

「見てらんないよもう!」

 英斗は駆け出す。大切な人がこの街を守るために戦っているのだ。自分に何ができるか分からないが、最悪盾にくらいはなれるだろう。

 自転車に跳び乗って英斗は駅を目指した。


       ◇


 その頃、オーガと紗雪の戦闘はクライマックスを迎えていた。

 オーガはレーザーを乱射し、紗雪は軽快な身のこなしで何とかかわす。たまに被弾するが、ジャケットに守られてギリギリ事なきを得ていた。しかし、もうジャケットもあちこち黒焦げで猶予は無くなってきている。

 紗雪は一か八か、オーガの動きを読み、一直線にオーガに迫る。オーガはすかさずレーザーを放ったが、それを両腕のジャケットではじき、そのまま頭の上を飛び越えざまに手に持っていた棒を後頭部に突き立てた。

 機関銃を跳ね返す鋼鉄の筋肉も、後頭部は弱点なのだろう。断末魔の叫びを上げながらオーガは倒れ、地響きをあたりに響かせた。

『マジかよ……』『スゲェ』

 自衛隊も歯が立たなかった怪物を、はかなげな美少女が一撃で倒してしまった。そんな現実離れした事態に日本中が騒然とする。

 映像では引き抜かれた棒がアップで映し出され、先端からは青い血が滴っていた。

『シャーペン!?』『文房具?』『そんな馬鹿な……』

 コメント欄には混乱したコメントが並ぶ。

 確かにそれは赤いシャーペン、学生が良く使っている見慣れた文房具だった。

 オーガが倒されたのを見た魔物たちは恐れおののき、急いでゲートへと逃げていく。

 紗雪はそれを眺め、ふぅと大きく息をつくと駅舎の屋根へと軽やかに飛びあがり、そのまま駅の向こうへと消えていった。

 英斗が駅前に来た時にはもう勝負はついていて、ただ、消えていく紗雪の後ろ姿だけが見えただけだった。

 駅前には息絶えているオーガの巨体が転がっていて、そのおぞましさに思わずブルっと身体を震わせる。

「紗雪……、お前……」

 幼馴染が魔法少女ばりの活躍をして街を守ったことに理解が追い付かず、英斗は頭を抱え、宙を仰いだ。


 英斗は自宅に帰ると夕食も食べずにベッドにもぐりこむ。

 強引にキスした後に超人的な力を発揮したことを考えれば、力のきっかけにキスが必要なのだろう。しかし、キスで力が出るというのは全くもって意味不明であり、その荒唐無稽(こうとうむけい)さに英斗はめまいすら覚えた。もしかしたら自分は選ばれた人間で、自分とキスをすると超人的な力を得られるようになっているのかもしれない、とも思ってみたが、さすがにバカバカしすぎて笑ってしまう。

 それよりも……、

『ゴメンね、英ちゃんに酷いことしちゃった』

 キスの後に真っ赤になりながらそう謝っていた紗雪の言葉を思い出す。『英ちゃん』とは仲良かった時の呼び方。四年ぶりに聞いたこの言葉には紗雪の本心が滲んでいる気がするのだ。さらに、あの紗雪のチロチロとした優しい舌遣い……。英斗は真っ赤になって毛布の中に潜り込む。

 そして、続く言葉、

『これでみんな忘れるわ』

 これを思い出して英斗は顔をしかめる。

 あの変なスプレーで自分の記憶を消そうとした……、のだろうか?

 だとしたら紗雪は、自分の記憶が残っているとは思っていないことになる。

 英斗はスマホのメッセンジャー画面を前に考えこむ。なぜ自分にキスしたのか、あの超人的な戦闘力は何なのか聞いてみたい。しかし、どう聞いたらいいか考えるとなかなか文章が思い浮かばなかった。

 紗雪が急によそよそしくなったことと、紗雪の秘密にはかかわりがある気がする。秘密を守るために本意ではなく距離を取った。そう考えるのが妥当だったし、英斗としてもそうあって欲しかった。

 紗雪は何らかの考えで自分の記憶を消した。そこには重大な理由があるだろう。それがどういうものか分からないと聞き方が難しい。せっかく再びつながった紗雪との縁。これを壊さないような聞き方をするには情報が足りなかった。

 うーん、どうしたら……。

 どう聞いたらいいか、英斗はその晩いつまで経っても寝付けなかった。


        ◇


 その夜、紗雪もまた寝付けずに起きだして窓際の椅子に腰かけていた。物憂げに窓の外を眺める紗雪の美しい黒髪を、月の光がキラキラと照らしている。

 視線の先には英斗の家があった。植木で見えにくいが、二階の奥の部屋、そこには英斗が寝ているはずだった。

 ふぅ、と、大きくため息をつくと紗雪は背もたれに深くもたれかかり、ギシっと椅子をきしませる。

 うなだれてしばらく動かなくなる紗雪。

 ポトリと涙が落ち、可愛いうさぎ模様のパジャマを濡らした。

「英ちゃん、ゴメン……。私……、どうしたらいいの?」

 そうつぶやくと静かに肩を揺らす。

「助けて……」

 紗雪は机に突っ伏した。

 満月も近い丸い月は煌々と輝き、美しい少女の苦悩を癒すかのように静かに紗雪を照らす。

 こうして二人の眠れない夜は更けていった。


        ◇


 まんじりともしない夜が明けた――――。

 カラッと晴れたさわやかな青空の下、にぎやかな高校生たちが二人、三人と固まりながらにぎやかに談笑し、通学路を歩いていた。

 英斗はその中に混じり、一人あくびをしながら登校する。結局結論は出なかった。判断するには手掛かりが少なすぎるのだ。

 日差しが思ったより強く、ジワリと汗が湧いてくる。英斗はネイビーのジャケットを脱ぎ、指先で引っ掛けて肩に担いだ。


        ◇


 教室につくと、すでに紗雪が座っていた。いつもと変りなく、窓際の席で背筋をピンと伸ばし、物憂げに窓の外を眺めている。窓からのふんわりとそよぐ風が紗雪のきれいな黒髪をサラサラと揺らし、英斗はその水彩画に描かれるような(うるわ)しい情景に思わずほおが緩んだ。

 この娘とキスをしたのだ。

 英斗は思わずあの時の舌の柔らかさを思い出し、顔が真っ赤になってしまう。そして、ブンブンと首を振って大きく深呼吸を繰り返し、雑念を振り払った。

 英斗は紗雪の隣の自席につき、平静を装いながら現国の教科書を机に並べる。

 紗雪は何も言わない。昨日あんなことがあったのに、全くいつも通りである。

 英斗は大きく深呼吸を繰り返すと、意を決して紗雪に声をかけた。

「あ、あのさぁ……」

 紗雪はチラッと英斗を見てまた窓の外を眺める。

「なによ?」

 不機嫌そうな声が響く。

「な、何か……悩んでたり……しない?」

 英斗は声が裏返りながら必死に声を絞り出す。

 紗雪はけげんそうな顔で英斗をじっと見つめ、

「話しかけないでって言わなかったっけ?」

 と、冷たく言い放つとまた窓の外を向いてしまう。

 英斗はふぅと息をつき、ゴンと額を教科書にぶつける。じんわりと伝わってくる額の痛みの中、自分は何をやっているのだろうと打ちひしがれる英斗は『うぅぅ』と喉の奥をかすかに鳴らし、(もだ)えた。

 ただ、紗雪もなぜ英斗がそんなことを言い出したのか気が気ではない。『もしかして記憶が残っている?』と、悩み、真っ赤な顔をしながら、高鳴る鼓動を悟られないように必死だった。






3. 秘密の行為

 現国の授業を聞きながら英斗はチラッと紗雪の手元を見た。そこにはすらっとした白い指の中でメタリックな赤色のシャーペンが踊っている。

 ペン先がシルバーのその赤いシャーペンは、あのオーガを倒したものに酷似している。しかし、ただの筆記具が重機関銃の効かない魔物を倒すなんてことがあるだろうか? 英斗は大きく息をつき、また机に突っ伏した。

 魔物も不可解だが、紗雪はもっと謎だった。

 キスにシャーペン、なんだよこれ……。

 寝不足の英斗はゆっくりと温かく白い睡魔に包まれていく。

 その時だった、ズンと急に突き上げるような揺れが来て机が一瞬浮き、ガン! と窓が一斉に音を立て、重低音の爆音が街に響き渡った。

 おわぁ!

 急いで顔を上げ、窓の外を見ると、少し先の公園で爆煙が上がり、木陰の向こうに瑠璃(るり)色の輝きが揺らめいていた。それはゲートだった。新たなゲートが近所にまた開いてしまったのだ。昨日の侵攻に失敗した魔物たちが、リベンジをしにまたやってきたに違いない。

「キャ――――!」「ゲートだぁ!」「ヤバい、逃げろ!」

「静かに、静かに――――!」

 先生は必死に混乱を押さえようとするが、いきなりやってきた災厄に生徒たちの動揺は収まらない。

 紗雪は眉を寄せ、しばらくゲートの方を見つめていたが、いきなり英斗の方を向きうるんだ目で何かを言いかけ、キュッと口を結び、うつむいた。

 その、口にはできない心の悲鳴に英斗は胸をギュッと締め付けられる。

「逃げよう!」

 英斗は紗雪の手を取ると引っ張った。

 一瞬困惑した表情を浮かべた紗雪だったが、うなずいてカバンを持って立ち上がる。

 二人は急いで教室を飛び出て廊下を走った。

 どの教室も大騒ぎだったがまだ逃げ始めているのは二人だけのようである。

「ちょっと待って!」

 いきなり紗雪が立ち止まり、理科準備室のドアを開けた。そして眉をひそめ、何も言わずにジッと英斗を見つめる。

 一瞬、何が起こったのか分からなかった英斗だったが、秘密の行為を狙っているのだと気が付き、ドクンと心臓が鳴った。

「来て……」

 紗雪は低い声を出し、ぐいっと英斗を理科準備室に引っぱった。

「な、なんだよ……」

 英斗は抵抗する振りをしながらついていく。

 英斗をうす暗い理科準備室に引き込むと、紗雪はドアを閉めた。そしてジッと英斗を見つめる。

 はぁはぁという少し上がった息が静かな室内に響く。

 紗雪のうるんだつぶらな瞳には今にも泣きだしそうな悲痛な色が滲み、英斗は言葉を失う。

 街の人たちを守るために命懸けの戦いに(おもむ)かねばならない宿命。そんな過酷な運命に押しつぶされそうになっている悲壮な少女の魂を、どう救ったらいいのかなど英斗には全く分からなかった。

「い、一緒に、逃げよ……」

 そう言いかけた英斗にいきなり抱き着くと、紗雪は強引に唇を重ねてきた。

 んんっ……!

 紗雪は昨日よりも大胆に舌を入れてくる。

 英斗は一瞬焦ったが、そっと紗雪の柔らかい舌を受け入れ、絡めていく。

 むせかえるような柑橘系の華やかな匂いに包まれながら、英斗は想いを舌にのせていった。

 しかし、情熱的に動く紗雪の舌からは『助けて』という胸の裂けるような想いが感じられる。

 紗雪はこれから命がけの戦いに赴く。昨日は魔物を簡単に撃退できたが、今日も勝てる保障などどこにもない。なぜ、紗雪が行かねばならないのか?

 思わず英斗の目に涙がにじんだ。

『このまま一緒に逃げてしまおう』英斗は決意をして、唇から離れる。

 すると、紗雪は鋭い目で英斗を見据えた。ふぅふぅという上がった息遣いが伝わってくる。

 口を真一文字にキュッと結ぶと、紗雪はポケットからスプレーを出す。

「いや、ちょ、ちょっと待って! に、逃げ……」

 英斗がそう言いかけると、紗雪はプシューっと吹き付けてきた。

 うわっ!

 何とか意識を失わないようにしようと頑張ったが身体は言うことを聞かない。英斗はガクッとひざが折れ、そのまま床に突っ伏してしまう。

 英斗は窓から飛び降りていく紗雪の後姿を苦々しく眺めていた。


       ◇


 しばらくして身体の自由が戻ってくると、英斗は部屋を飛び出し、ダッシュで紗雪を追う。無力な自分に何ができるか分からないが、最後は盾になってでも紗雪を守ってやろうと英斗は心に決めていた。

「急げー!」「いや――――!」「早く早く!」

 大勢の人が叫びながら逃げてくる道を英斗は逆行しながら走る。角を曲がり、見えてきた見慣れた公園には瑠璃色の輝きが揺らめき、怪しげに黒煙を上げていた。多くの人の命を、紗雪を狙おうとする、その美しい悪意の煌めきを英斗はにらみつけ、ギュッとこぶしを握る。















4. 無慈悲な閃光

 英斗はあたりを見回し、近くのマンションの非常階段へと忍び込む。見ると階段の下には粗大ごみの段ボールが積まれていた。少し考えて、大きなものを一つ抜き取ると階段を上っていく。

 階段の上の方からはゲートの様子がよく見えた。英斗は段ボールを組み立てて、いくつか穴を開けるとそれをかぶり、中に入った。やや窮屈(きゅうくつ)ではあるが、魔物に見つからないようにはできただろう。

 穴からゲートの方を(のぞ)いているとゲートがギラギラッと面妖(めんよう)な輝きを放ち、中から何かが飛び出してきた。それはバサッバサッとドアくらいの大きさの(つばさ)ではばたきながら、朝のまだ冷たい空気をつかみ、一気に高度を上げ、空に舞う。翼には黒い縁取りに青と紫のキラキラとした筋が入っている。――――蝶だ。

 この蝶は【パピヨール】と呼ばれる昆虫系飛行種であり、今まで多くの街を火の海に沈めてきた極めてたちの悪い魔物だった。

 英斗は紗雪との相性の悪さに顔をしかめる。

 紗雪は空を飛べない。空から延々と攻撃を加えられたら紗雪は一方的にやられてしまう。これは、魔物はただ破壊が好きなだけの野蛮生物ではない事を示していた。知性をもって目的を達成しようとする恐るべき存在に違いない。

 奥歯をギリッと鳴らす音がかすかに段ボールの中に響く。

 魔物は一匹だけではなかった。次々と無数飛び出してくる。パピヨールは上空へ上がると鳥の群れのようにグルグルと編隊飛行をはじめた。それは、あたりが薄暗くなるほどのものすごい数で、英斗はこれから始まる惨劇の予感に青ざめる。そして、顔を両手で覆い、ギュッと目をつぶると何とか潰れそうになる心をギリギリのところで保っていた。

 やがて、ぶわぁと街を覆うように広がると一斉に激烈な閃光を放つ。直後、街のあちこちが派手に爆発し、地震のように衝撃が襲ってきた。

 ぐわっ!

 英斗は頭を抱えて小さくなる。TVでパピヨールの攻撃も見たことがあったが、自分が体験してみると全く違う。パピヨールは画面の向こうではなく目の前にいて、すぐそこに死が待っている。まさに死神のような抜き身の殺意がこの自分の街を覆っているのだ。

 英斗はドクンドクンと激しく鼓動が響く中、漂ってくる死の気配に震える手を何とか抑え込み、荒い息を漏らしながら穴からそっと街をのぞいてみる。あちこちで家は吹き飛び、ビルは半壊してどす黒い黒煙を吐き、トラックはひっくり返って火の手が上がっていた。

 しかし、これで終わりではない。パピヨールたちは鮮やかな鱗粉(りんぷん)の煌めきを誇示するように輝かせながら第二弾の空爆を展開した。再度激しい爆発音が街を覆い、焦土へと変えていく。

 刹那(せつな)、マンションが激しく揺れた。

 くっ!

 英斗は慌てて冷たいコンクリートの床を押さえる。

 死――――。

 今まさに死神のサイコロが自分の命を標的にかけている。その切迫した現実が真綿のように英斗の首を絞めつけていく。

 このままでは殺されてしまう。自衛隊は、紗雪はどういう状況だろうか?

 英斗は穴から必死に辺りを見回した。

 直後、近くのビルから金色の光の筋が無数空へと放たれていくのが見えた。その輝きは昨日見た紗雪のシャーペンの攻撃だろう。紗雪はあそこにいるのだ。

 しかし、飛び回るパピヨールに当てるのは難しい。当たってもシャーペンの芯のような(ニードル)なので、羽であればほとんどダメージにならない。

 逆にパピヨールたちは紗雪の位置を把握し、集まってきてしまう。

 やはり紗雪とパピヨールは相性が悪い。これはマズい事になった。

 英斗は紗雪の大ピンチに青くなる。

 助けなきゃ! でも、どうやって?

 あんな圧倒的な化け物相手に高校生ができることなど何もない。英斗はあまりの無力、ふがいなさに、ギギギっと奥歯を鳴らした。

 直後、パピヨールたちは紗雪のいたビルめがけて次々と激烈な閃光を撃ち込んでいく。無数のパピヨールたちの集中砲火を浴び、ビルは轟音をあげながら爆発を繰り返し、崩落していく。その恐るべき火力は立派なビルをあっという間に瓦礫の山へと変えていった。

 あ……あぁぁ……。

 英斗は頭を抱え、声にならない声を上げながらその凄惨な殺戮劇を見つめていた。愛しい紗雪が爆炎の中、瓦礫に沈んでいく。そんな認めたくない現実が、英斗の心の柔らかな部分をビリビリと引き裂いていった。

「さ、紗雪ぃ……」

 容赦のない攻撃はさらに続き、街には無慈悲な爆発音が響き渡っていく。

 英斗のほほを知らぬ間に涙が伝った。











5. 灼熱のドラゴンブレス

 その時、何かが公園の方で動く。

 え?

 それは見慣れた銀色のジャケットを着た女の子、紗雪だった。

 あ、あれ?

 英斗は涙をぬぐうと居住まいを正し、紗雪をジッと見つめる。そして、この公園の下には川が流れていたことを思い出した。公園は暗渠(あんきょ)の上に作られていたのだ。多分、紗雪はビルの裏手から暗渠をたどって公園に移動してきたのだろう。よく考えれば、集中砲火を浴びることなど分かり切っているのだから、そのままやられたりする訳がないのだ。

 よ、良かった……。

 英斗はへなへなと全身から力が抜けていくのを感じた。紗雪は英斗が考えるよりずっと賢く行動力もある。もう、泣き虫だった幼いころの紗雪ではないのだ。

 英斗は大きく息をつき、頼もしい紗雪を見つめた。

 すると、紗雪はあの赤いシャーペンで空中に何かを描き始める。空中に絵を描けること自体極めてナンセンスな話だったが、ペンの跡は緑色に蛍光して輝いていた。紗雪は大きな円を描き、中に六(ぼう)星を描き、そして円弧(えんこ)に沿ってルーン文字を書き加えていく。それはなんと魔法陣だった。

 まさか……。

 英斗は唖然(あぜん)とする。シャーペンで空中に魔法陣を描く女子高生、それはもはやファンタジーの世界そのものだった。

 もちろん、昨日の超常的な紗雪の攻撃力も常軌を逸していたが、まだ『科学』という線も考えられなくはない。しかし、魔法陣となればもはや科学なんかではない、もはや異世界ファンタジーだった。

 描き終わった魔法陣は緑色に怪しく輝き、直後、激しい閃光を放ちながら竜巻のような強烈な風の渦を爆発的に吹き出す。ゴォォォと激しい轟音を立てながら、竜巻は一気にビルの上に集まっていたパピヨールたちに襲いかかった。

 無数いたパピヨールたちはあっという間に風の渦に引き込まれ、ズタズタに切り裂かれ、まるで空を舞うごみクズの山へと化していく。

 逃げ出そうとしたパピヨールも激しい強風にあおられて渦を巻くように吸い寄せられ、最後には竜巻で処理されていった。

 その鮮やかな殺戮劇に英斗は戦慄を覚える。かわいい幼なじみが繰り出したその恐るべき破壊力はもはや大量破壊兵器であり、とても女子高生のやる事には思えなかった。

 一体紗雪はどうしちゃったんだ……。

 科学では説明のつかない力を操る紗雪に英斗は戸惑い、頭を抱える。

 もちろん、魔物を退治してくれたことは感謝したかったが、それ以上に紗雪が巻き込まれている恐ろし気な状況の方が気になってしまう。少なくとも小学生の頃は本当にただの可愛い女の子だったのだ。

 いつから? なぜ? どうやって? これは紗雪の意志? 誰かにやらされている?

 次々と疑問が頭の中をぐるぐると回り、英斗は目をギュッとつぶってうなだれた。

 その時だった、

「あーあ、派手にやってくれおったな」

 いきなり女の子のかわいい声が非常階段に響き、英斗はビクッとして固まった。

 そっと穴をのぞくと、そこには金髪おかっぱの可憐(かれん)な女の子が、手すりをつかんで紗雪の方を見下ろしている。中学生くらいだろうか、黒とグレーの近未来的なジャケットを着込み、その真紅の瞳にはゾクッとさせる何かを宿していた。

「おしおきタイムじゃ」

 女の子はそう言うとポケットから水色のクリスタルのスティックを取り出し、高く掲げる。

 直後、爆発音がして女の子は消え去り、上空に巨大な影が浮かんだ。

 へ?

 英斗が見上げると、そこには巨大な翼をはばたかせる恐竜のような巨体が浮かんでいた。いかつい漆黒の鱗に覆われた身体は金色の光を(まと)い、恐ろしい牙を生やした大きな口はまるでティラノサウルス……。そう、それはファンタジーによく出てくるドラゴンだった。

 ギュアァァァ――――!

 腹に響く超重低音の恐るべき咆哮(ほうこう)が街に響き渡る。

 英斗は目を疑った。あの可愛い女の子が凶悪な巨大ドラゴンに変身したとしか考えられないが、そんなことなどあるのだろうか? 物理法則も何もない。さっきの紗雪の魔法にしても、いつから日本は異世界になってしまったのだろう。

 ドラゴンはバサッバサッと巨大な翼をはばたかせながら紗雪を目指した。

 紗雪はすかさずシャーペンから光の筋を乱射しドラゴンに当てていくが、ドラゴンは平然としている。黄金に輝く重厚な鱗には全く通用しないようだった。

 諦めた紗雪は今度は魔法陣を描き始める。瑠璃色に輝く円に六芒星、そしてルーン文字。

 するとドラゴンは車をかみ砕けそうな巨大な口をパカッと開く。その中にはオレンジ色の光が輝き始めていた。

 紗雪が魔法陣を描き終わると、魔法陣は激しく青い鮮烈な光を放ちながらツララのような巨大な氷の槍を無数射出する。ツララは鋭いエッジを光らせながら目にもとまらぬ速度でまっすぐにドラゴンへと襲いかかっていったが、直後ドラゴンは激烈な閃光を放った。

 その閃光がもたらす激しい熱線は全てを焼き払う。ツララは瞬時に蒸発、公園の木々は茶色く焦げ、そして炎をあげていった。

「あぁぁぁ……、さ、紗雪……」

 これがファンタジーの小説によく出てくるドラゴンブレスという奴だろうか?

 実際に目にするとその圧倒的なパワーに英斗は気おされ、改めてドラゴンの破格な攻撃力にゾッとして言葉を失った。
 紗雪は!?

 英斗は煙が立ち込める中をじっと目を凝らした。早鐘(はやがね)を打つ鼓動が胸を苦しくしめつける。

 なかなか晴れない煙にジリジリとしていると、視界の端に銀色のジャケットが動いた。

 ピョンピョンと軽快な動きで、どうやら無事なようである。

 ホッと胸をなでおろす英斗。

 ただ、火傷を負ってしまったのだろうか、頭をかばいながら跳びあがりアパートの屋根を超え、消えていった。

 ギュオォォォォ――――!

 ドラゴンは超重低音の恐ろし気な雄たけびを上げ、逃げる紗雪を満足そうに見つめる。

 さすがの紗雪もドラゴンには勝てなかったようだ。しかし、このドラゴンは何なのだろうか? 紗雪を殺すつもりもないらしいし、女の子が言っていたように『おしおき』であるのなら、紗雪の秘密に関係がありそうだ。

 見ると、女の子が置いていったかわいい赤いバックパックが、手すりの脇に置いてある。

 エイジは段ボールを抜け出すと急いでそれを取り、また段ボールに隠れた。

 やがてドラゴンはバッサバッサと巨大な翼を揺らしながらマンションに近づき、ボンと爆発して爆煙を上げ、姿を消す。

「これでヨシっと!」

 そう言いながら金髪おかっぱの女の子は踊り場に着地する。

 やはり、あのドラゴンはこの娘だったようだ。

「ありゃ……? (われ)の荷物が無い……」

 キョロキョロとする女の子。

 英斗は覚悟を決め、全身全霊の力をこめて段ボールをバン! と投げ飛ばして女の子にぶつけた。どんな理由であれ、紗雪を攻撃したものは敵である。ドラゴンであれば到底勝負にならないが、華奢(きゃしゃ)な女の子の状態なら何とかなるに違いない。

 英斗は一気に勝負に出た。ひるむ女の子に飛びかかり、その手からクリスタルのスティックを取り上げ、そのまま腕をつかむと後ろ手に捻り上げる。

「キャァ! なにすんじゃ!」

 女の子は焦って暴れようとしたが、英斗はさらに腕をひねり上げ、

「お前がドラゴンだな。紗雪に何すんだよ!」

 と、怒鳴った。

「痛い! 痛い! そんなところに隠れとったんか! ぬかった」

 女の子はそう言いながら。もう一方の手でポケットから小さな円筒を取り出すと、英斗の顔めがけてプシュッと噴霧した。

 ぐわぁ!

 英斗はひるんで思わず手を放してしまい、薬剤を吸わないように息を止め耐える。臭いは紗雪にかけられていたものと同じだった。記憶を消そうとしているらしい。

「カッカッカ。ざまぁみろなのじゃ。これですっぱり忘れるのじゃ。お疲れ~」

 女の子は嬉しそうにニヤッと笑った。

 しかし、英斗には耐性があるのだ。

 ぐっ!

 英斗は気合を入れなおすと女の子に突進した。

 えっ!?

 余裕の表情が消え、青くなる女の子。

 油断していた女の子の(きょ)を突き、英斗はそのままコンクリートの壁に女の子を押し付ける。そして腕をのど元に押し当て、身動きを奪った。

「ぐぁぁぁ! く、苦しい! なぜ効かんのじゃ!」

 女の子はバタバタと暴れる。

「おあいにくさま、この薬は僕には効かないんだ。観念しろ!」

 英斗はハァハァと息を上げながら女の子を鋭くにらみつけた。

「くぅぅ……ぬかった……」

 女の子は目に涙をため、悔しそうに英斗をにらむ。

「お前は何者だ!? なぜ紗雪を狙う!」

 女の子は必死に抜け出そうと暴れたが、英斗が腕でさらに首を押し上げるので観念し、腕をタンタンタンとタップした。

「分かった、我の負けじゃ……。人間ごときにやられるとは末代までの恥……、くぅ……」

 女の子は悔しそうに涙をポロリとこぼした。

 英斗は力を緩め、女の子を見据(みす)える。

 サラサラとした美しい金髪に透き通るような白い肌。まだ幼さが残るもののかなりの美少女といってよかった。

 今まで興奮してて気づかなかったが、甘酸っぱい若い女の香りが漂ってきて英斗は思わずほほを赤らめる。

 女の子はベソをかきながらゆっくりと話し始めた。

「我はレヴィア、龍族の棟梁(とうりょう)じゃ。あの娘、紗雪といったか? あれは龍族の末裔(まつえい)、龍の血を引く同胞じゃ」

 英斗は驚いた。あの可愛い紗雪がドラゴンの血を引いているらしい。そもそもドラゴンの存在自体意味不明ではあるが、とりあえず、超常的な力が出る理由はその血筋にあったのだ。

 紗雪が狙われる理由が気になった英斗は、レヴィアの真紅の瞳をのぞきこんで聞く。

「同胞をなぜ狙うんだ?」

「あ奴は魔王との協定違反をしておる。龍族としては非常に困るのじゃ」

 レヴィアはそう言って眉をひそめた。

 レヴィアの話を総合すると、龍族もまたゲートの向こうに拠点を持つ存在で、魔物率いる魔王軍とは反目し、終末戦争まで行ったらしい。しかし、長きにわたる不毛な戦争に疲弊(ひへい)し、数百年前に相互不可侵の条約を結んだ。そして、その頃、たまたま地球へのゲートが開き、龍族の一部が地球へと移り住むことになる。この末裔(まつえい)が紗雪らしい。

 英斗は腕を組み、その信じがたい話を聞いてどう理解したらいいか分からず、大きく息をついた。

「我は嘘は言わんぞ」

 レヴィアは澄んだ瞳で英斗を見つめている。

 確かに嘘をつくならもっとましな嘘をつくだろう。

 英斗は首を振ると、魔物について聞いてみる。

「なぜ、最近魔物が地球に来るようになったんだ?」

「魔王の行動については我にも分からん。ただ、最近ゲートを自由に開く方法を開発したみたいじゃな。好きな場所へ開けるようになって、計画的に侵攻ができるようになったということじゃろう」

「じゃぁ、これからもドンドン来るということ?」

「知らん。魔王の考えを我に聞くな。地球も魔王も龍族には関係のない話じゃ」

 レヴィアは肩をすくめる。

「関係ないって、紗雪をイジメたじゃないか!」

「あ奴が相互不可侵条約を破って魔王軍に攻撃をしたから、お仕置きをしただけじゃ」

「攻撃するのはやりすぎでしょ?」

 英斗はムッとして怒る。大切な紗雪を攻撃したのは許しがたかった。

「何言っとる! 紗雪を口実に龍族が攻められたらどうしてくれる? 龍族存亡の問題じゃぞ! 部外者は黙っとれ!」

 レヴィアは真っ赤になって怒る。その小さな体からは信じられないほどの気迫で英斗を圧倒した。

 確かに紗雪も龍族であるのならレヴィアの言うことも一理ある。一度紗雪とちゃんと話をしないとならないだろう。

 英斗は渋い顔で口をキュッと結んだ。







7. 昂るキス

 紗雪の超人的な力の理由は分かった。しかし、どうやったらドラゴンになるのか、キスするとなぜ強くなるのかがよく分からない。

「レヴィアのドラゴン化にはこの棒が要るのか?」

 英斗はぶんぶんと水色のクリスタルのスティックを振り回した。

「おいバカ! やめろ! 割れたらどうしてくれるんじゃ!」

 レヴィアは必死に棒を奪おうと手を伸ばしたが、英斗は軽々とそれを制止する。人化しているレヴィアの力は女子中学生レベル。ドラゴン化さえしなければいくらでも力で押せるのだ。

「しばらく僕が預かっておく。それより……、キ、キスすると強くなるとかは……あるのか?」

 英斗は顔を赤くしながら聞いた。

 それを見たレヴィアはニヤッと笑い、

「ははーん、お主、あの娘とキスしとるんか? ヌフフフ」

 と、煽った。

「あ、そういう態度するならこの棒どうなっても知らないよ」

 英斗はムッとして、スティックを外に投げるふりをする。

「あーーーー! やめてくれぇ! キスは龍族の神聖な行為、龍族の力を引き出せるんじゃぁ」

 レヴィアはスティックに手を伸ばし、焦って答える。

「そんな神聖かどうかの話じゃなくてさ。キスの何に反応してるの? どういう仕組みなの?」

 英斗はレヴィアのふわっとした説明に満足せず、突っ込んだ。

「エクソソームじゃよ。細胞から出てくる顆粒状のm-RNA。他の人の細胞が生成したてのこいつを体内に取り込むことで全身の細胞が活性化され、普段では出ない力が出るんじゃ」

「ふーん、ではキス以外でも出来たての体液を飲めばいい?」

「……、おい。どこの体液飲ますつもりじゃ?」

 レヴィアは汚らわしいものを見るような目で英斗を見る。

「あ、いや、キ、キスでいいよキス」

 英斗は予想外の突っ込みに真っ赤になった。

 思った通り、強くなるために紗雪は自分にキスしていたのだ。しかし、誰とでもいいという事だったら単に使われただけということになる。そこは自分のことを好きであっていて欲しい。

「そ、それは、紗雪は僕のことを、す、好きってこと……だよな?」

 英斗は上目遣いに恐る恐る聞く。

「そんなのあの娘に聞け! 知らんわ!」

 レヴィアは呆れたように返す。

「そういう態度、良くないと思うな!」

 英斗はムッとして、またスティックを捨てるしぐさを見せる。

「わ、わ、悪かった。気持ちが(たかぶ)らないとキスの効果は上がらん。だからあの娘はお主が好きじゃ、好きに違いない!」

 レヴィアは冷や汗を流しながら泣きそうな顔で叫んだ。

「マ、マジか……。やった……」

 英斗は思わずガッツポーズ。

 紗雪は自分のことが好きで、自分とキスをすると昂るのだ。

 うんうん、そうだよなぁ……。

 英斗はにやけ顔でうなずく。

 小学校時代あれだけ仲良く気持ちを交わしあっていた仲だったのだ。好きでいて当たり前、僕らは両思いなのだ!

 英斗はチロチロと愛おしそうに動いていた紗雪の柔らかな舌を思い出し、ボッと頬を赤らめた。

 しかし……。そうなると、急に冷たくなったことには理由があるに違いない。それは一体何なのだろうか?

「紗雪がね、キスしても記憶を消そうとするんだよ。龍族は人間と恋……しちゃダメなの?」

 英斗はレヴィアをチラッと見ておずおずと聞いた。

「あー、それは『しちゃいけないキス』に昂ってるのかもしれんな。くふふふ」

「しちゃいけないキス?」

「要は、毎回お主のファーストキスをいきなり奪うことに興奮しとるんじゃろ。変態じゃな」

「えっ!? いや、まさか……そんな……」

 英斗は眉をひそめた。確かにラブラブになって頻繁にキスするようになったら昂らなくなってしまうのかもしれない。記憶を消して何度も新鮮なキスをする……。

 ここにきて英斗は、高校に入ってから何度か記憶を失っていたことがあった事に気が付いた。

 ん……? まさか……。

 冷静になって思い返すと、教室で、自宅で、いつのまにか寝てしまっていたことがあったのだ。

 さ、紗雪……、お前やってくれたな……。

 くっ、くくくっ……。はっはっは!

 英斗は思わず笑ってしまった。

 紗雪と上手く行かないことを悩んでいる間にも、自分は紗雪とキスを何度もしていたのだ。それも両想いのキスを。思えばファーストキスにしては自分も上手くできていた。初めての時は歯をぶつけたりしてしまうという話を聞いたことがあるが、そんなこともなくお互いを求めあうことができていた。いつの間にかキスに慣れていたのである。

 英斗は額に手を当て、とんでもない真実にたどり着いたことに心が付いていかず、大きく息をついた。

 最近記憶が残るようになったのは、何度も記憶喪失薬を使われたから、いつの間にか薬剤耐性がついてしまったのだろう。

「まぁ、単にお主を暴力の世界に巻き込むことを避けたかったのかも? 知らんけど」

 レヴィアは肩をすくめて言った。

 こっちの説の方が納得感はある。ファーストキスを奪い続けたいというのさすがにないだろうと思ったが……、正解は紗雪に聞かねば分からない。

 しかし、どうやって聞いたらいいか? 自分は記憶がないことになっているのだ。下手に聞くわけにはいかない。

 英斗はため息をつき、首を振る。

「恋愛……そのものは問題ないの?」

 英斗はチラッとレヴィアを見て聞いた。

「紗雪の両親も片方は人間じゃろ? 別に問題なかろう」

「そうか……」

 英斗はうなずく。

 自分はこれから紗雪とどう接して行ったらいいのだろうか? 両想いなのだからもっと親しくしたいが……、いいやり方が思い浮かばない。

 ふぅと大きく息を息をつくと、今は、『紗雪は自分のことを大切に思っている』ということだけかみしめておこうと決め、唇をそっとなでた。














8. 壮大なノズルスカート


「本当に大丈夫なんでしょうね?」

 瑠璃色に揺らめく空間の裂け目、ゲートに当たり前のように入っていこうとするレヴィアに英斗は聞いた。

 スティックを返す代わりにゲート内を案内してもらい、龍族についての情報を一通りもらうことにはしたものの、実際に入るとなるとやはり不安を感じる。

「嫌なら来るな。お主が来たがったんじゃぞ?」

 レヴィアはジロっと英斗をにらむと、突き放すようにそう言ってゲートの中へと消えていった。

 英斗は深呼吸を何度か繰り返すと、意を決して瑠璃色の面妖な輝きの中へと飛び込んで行く。

 ゲートの向こうがどうなっているのかは、謎に包まれたままだった。今まで多くの探索隊が突入していったが、いまだに誰も戻ってきていないのだ。砂漠のような地平線が広がっている映像だけは残っているが、その向こうに何があるのかは全く分かっていない。魔物が普段は何をやっているのか、どこにどうやって生息しているのか、興味は尽きないが人類は砂漠しか見たことが無かったのだ。

 ゲートを超えるとそこはやはり砂漠だった。草が一本も生えない不毛の大地が延々と広がり、灼熱の太陽がじりじりと肌を焼く。

「こんなところに住んでるんですか?」

 陽炎がゆらゆらと立ち上る中、英斗はゴツゴツとした岩と砂の世界に眉をひそめ、レヴィアに聞く。

「ここはダミーの空間じゃ、ここにはなんも無い。こっち来い」

 そう言ってしばらく歩き、庭石のような風情な形をした岩のところまで来ると、その表面に指を()わせた。

 まるでスマホのロックを解除する時のように、キュッキュッキュと図形を描くように指を動かすレヴィア。すると、ボンと爆発音がして紫色の怪しい光を放つゲートが開いた。

 へっ!?

 まさかゲートの世界の中に新たなゲートが開くとは。

 英斗は驚いて口をポカンと開けたまま怪しく揺らめく紫の煌めきを見つめる。

「さぁ、こっちじゃ」

 レヴィアはそう言ってゲートをくぐっていく。

 英斗も急いで後に続いた。

 なるほど、探索隊はただ何もない砂漠を延々と探し回り、どこかでわなに落とされてしまったのだろう。こんな仕掛けなのだから砂漠をいくら探しても本当のことは分からない。

 英斗は初めてゲート内の真実に触れた人類となったのだった。


        ◇


 ゲートの向こうには草原が広がり、その先には草木の生い茂る山があった。それはオーストラリアのエアーズロックのようにポッコリと草原の上にそびえる独特な形を見せている。

 レヴィアはけもの道みたいな細い道をスタスタと山に向かって歩きながら、

「あー、もう、草刈りをせんとな。この季節はあっという間に生い茂って困るわ」

 と、文句を言いながらビシッと道に覆いかぶさってくる葉を叩いた。

「あの山が拠点なんですか?」

 英斗が聞くと、

「はっはっは。山に見えるか。そうかそうか」

 と、レヴィアは楽しそうに返した。

「えっ!? 山じゃ……ないんですか?」

 英斗はそう言って目を凝らした。

 すると、草木の間になにやら窓のような物が見えないこともない。また、アンテナみたいな長い構造物が生えているし、右側の崖の方の岩は不思議な形をしている。確かに高さ数百メートルはあろうかという立派な山に見えるが、いろいろと奇妙だった。

 と、ここで初めて気づいた。崖の岩は、百メートルはあろうかという巨大なパラボラ状の構造物が崩壊してできた形にも見える。あちこちに草木が茂っていて詳細までは見えないものの、そう考えた方が自然な形をしていた。

 となると、この山全体が何かの人工的な構造体に違いない。しかし何だろうか?

 英斗は首を傾げながらレヴィアの後を歩いていく。すると、アパートサイズの巨石がゴロゴロと転がっている脇をすり抜けていく。巨石には木が生い茂り、立派な根がアンコールワットのように巨石の周りにまとわりついていた。

 何気なく巨石を見ていると、文字が書いてあることに気が付いた。なんと人工物だったのだ。そして、中には割れて中が見えているものもあった。タンクみたいに見えたが、中をのぞいてみると耐圧の隔壁がびっしりと張り巡らされており、ただのタンクではなさそうだった。強烈な内圧に耐えるタンクだろう。それはテレビで見たNASAのロケットの部品をほうふつとさせる。

 え……?

 英斗は慌てて崖のパラボラを見る。それはロケットエンジンについている炎を噴き出すノズルスカートに見えなくもない。

 ここでようやく英斗は気が付いた。あれがロケットエンジンだとすると、この山は宇宙船ではないだろうか?

 英斗は思わず立ち止まり、その壮大な巨大構造物を見回して、思わずその威容に身体がぶるっと震えるのを感じた。

 百メートルのロケットエンジンを抱いた巨大な宇宙船。一瞬バカなとは思ったが、そう思ってもう一度小山を見渡せばそれはもう宇宙船にしか見えなかった。全長数キロ、太さが数百メートルの宇宙船が横たわり、もう長い月日を経て草木が茂ってしまったと考える以外なかった。














9. プニプニのほっぺ

「どうした? 分かったか?」

 レヴィアは振り返り、ニヤッと笑った。

「こ、これは宇宙船ですよね? どうしてこんなところに?」

「いかにもこれは火星移住船【エクソダス】じゃ。遠い昔のな」

 レヴィアはちょっと寂しそうにそう言って、遠い目で宇宙船を眺めた。

「火星!?」

 英斗はその壮大な計画のスケールに言葉を失う。その昔、こんな山のような宇宙船を作る文明が栄え、そして、何かただならぬ理由があってここに横たわり、今や朽ち果て、自然に還るのを待ちながら住居となっている。一体どれだけの人の想いがここには詰まっているのだろう。英斗は畏敬の念で胸に重苦しさを覚えた。

 英斗は静かに首を振り、草原を駆け抜けてくる風に髪の毛を揺らしながら、ただ、その偉大なる宇宙船に見入っていた。


       ◇


「頭に気をつけるんじゃ」

 レヴィアはそう言いながら、ガコッとハッチを開け、船内を案内する。

 英斗はハッチをつかみ、その異様な軽さに驚いた。さすがに火星へ行ける科学技術力を持つ文明だけはある。

「あら、レヴィちゃん、お客さんかい? 珍しいねぇ」

 すれ違うおばちゃんに声をかけられ、

「あー、ちょっと腐れ縁でな」

 と、苦笑しながら返す。まるで田舎の村のようである。

 宇宙船の内部はさすがにいろいろと手が入って改装されており、少し窮屈ではあるが住みやすそうな集合住宅になっていた。ただ、住民は少なく、さびれた雰囲気が随所に見受けられる。

 きゃははは!

 いきなり幼女の笑い声が響き、幼女が上の方の通気ダクトから英斗めがけて飛びおりてくる。

 うわぁぁぁ!

 英斗はあわてて受け止め、抱きしめる。

 ボブのショートカットでサラサラとしたブラウンの髪にクリっとしたつぶらな瞳、プニプニとした紅いほっぺたは柔らかく、目じりには泣きぼくろが一つ。幼女は可愛いほほえみを浮かべ、まるで天使のように見えた。

「ねぇ、あそぼ! きゃははは!」

 幼女は屈託のない笑顔で笑う。3歳前後だろうか? ミルクのような甘い香りがふんわりと漂ってくる。

「こらこら、タニア! おにぃちゃん困っとるぞ」

 レヴィアはたしなめるが、タニアと呼ばれた幼女は小首をかしげ、

「ダメ?」

 と、英斗に聞いてくる。

 その天使のようなしぐさにキュンと来てしまう英斗。

「しょうがないなぁ、後で遊んでやるからね。ちょっと待っててね」

 そう言いながら、マシュマロのようなふんわり温かなほっぺたにスリスリと頬ずりをした。

 きゃはっ!

 タニアは満面に笑みを浮かべ、嬉しげに笑うと、もぞもぞと動いて英斗の腕の中から抜け出し、トコトコトコと通路の先を目指した。

「こらっ! タニア!」

 レヴィアは追いかけたが、タニアは一足先に作戦指令室へと入っていく。

 英斗もついていくと、タニアはお菓子の袋をゴソゴソとあさっていた。

 何だろうと思ってみていると、タニアは小さなパイの個包装を取り出し、トコトコトコと英斗の前にやってきて、

「どうじょ!」

 と、差し出した。嬉しさを顔じゅうにほころばせて、それはまるで満開のひまわりのように英斗の心に温かい風を吹き込んでいく。

「お、おう。ありがとう」

 英斗はしゃがんで受け取ると、くしゃくしゃとタニアの頭をなでる。

 キャハァ!

 タニアは歓喜の声を上げ、両手をバッと上げた。

「おいおい、勝手にお菓子を漁っちゃダメじゃぞ」

 レヴィアは渋い顔で指摘する。

 ぶぅ!

 タニアは唇を震わせながら眉をひそめ、顔いっぱいに不満を表明する。英斗は、

「このくらいいいじゃないですか。ねぇ、タニア?」

 そう言ってかばった。

 レヴィアは渋い顔をして、

「まぁええわ。コーヒー淹れるからその辺に座っとけ」

 そう言うと、奥へと引っ込んでいく。

 部屋は年季を感じさせるインテリアで、かなり昔に塗られた淡いミントグリーンのペンキにはヒビがあちこちに入ってしまっている。天井には巨大なクリスタルの円筒が設置され、よく見るとバウムクーヘンのような筋が入っている。何らかの投影装置だろうか?

 部屋の奥にはたくさんの計器やタッチパネルやスイッチが並んでいたが、ほこりがかぶっていて長年使われていないように見える。

 英斗が椅子に座ると、タニアは嬉しそうによじ登ってきた。

 苦笑いしながら英斗はタニアを抱き上げ、ももに乗せ、頭をなでる。

 にまぁ、とタニアは人懐っこい笑顔を見せてくるので、英斗も嬉しくなってパイを取り出し、ひとかけらタニアの口に含ませた。

 タニアはシャリシャリと美味しそうにパイを味わい、キャハッ! と喜びの声を上げ、ダラーっとよだれを垂らした。

「あー、もう。しょうがないなぁ」

 英斗はハンカチを出してタニアの口の周りを拭いてあげる。

 するとタニアは手を出して、

「もっと!」

 と、嬉しそうにせがんだ。










10. パパは高校生

 奥の方からコーヒーカップを両手に持ったレヴィアが戻ってきて、

「タニアちゃん、これからお兄ちゃんはお姉さんとお話があるんじゃ。大人しくしとくんじゃぞ」

 そう言ってタニアを見るが、タニアはパイの甘味に心を奪われていて全然聞いていない。

「大丈夫ですよ。……。いい子にしてるもんな?」

 英斗はタニアの頭をなでると、パイをまた小さく割ってタニアに渡した。

 タニアはパイのかけらを大切そうに受け取ると、パクっと口に放り込み、英斗ににまぁ(・・・)と最高の笑顔で微笑む。

 レヴィアはそんな二人を優しい目で見つめながらコーヒーを一口すすり、ふぅと息をつくと話し始めた。

「ふむ、では、龍族の話から始めるか。龍族は別の地球で栄えた一族でな、今から五百年前に火星行きの宇宙船を飛ばしたんじゃ」

 英斗はいきなり『別の地球』から話が始まって面食らう。

「ちょ、ちょっと待ってください! 別の地球って何なんですか? そもそもこことは違うんですか?」

「あー、そこからか……」

 レヴィアは思わず宙を仰ぎ、タニアはきゃははは! と嬉しそうに笑った。


 話を総合すると、この世界にはパラレルワールドとも言うべき地球がいくつもあり、そのうちの一つが龍族の栄えた地球、日本はまた別の地球になるそうだ。そして、魔物のいるこの空間は大陸サイズの異空間で、流刑地らしい。

 五百年前、地球を飛び立ったレヴィアたちを乗せた巨大宇宙船は、火星に行く途中女神の制止を受けた。なんと作戦指令室に女神がふわりと降臨し、火星行きを止めるように警告したらしい。しかし、船長は今さら止める訳にはいかないと警告を無視して航行を続け、気が付いたらこの空間に飛ばされていたそうだ。

 マッハ十の超高速のまま大気に突っ込まされた宇宙船は大爆発を起こし、バラバラと崩壊しながら墜落。多くの犠牲者を出しながら原形をとどめない程ズタズタになってしまい、廃墟のような小山になってしまったそうだ。

 死者行方不明者数千人、その壊滅的な被害の中で奇跡的に難を逃れたごくわずかな生き残りが今なおここに暮らしている。当時生き残りの中で階級が一番高かったレヴィアが棟梁としてこの地での生活基盤の構築に奔走し、今なおリーダーをやっているそうだ。

 だが、この地は元々魔王が支配する魔物の大地である。当然、魔物たちの襲来が相次いだ。レヴィア達はドラゴン化し、また、まだ使える宇宙船内の粒子エネルギー装置などを粒子砲に改造し、魔物たちに対抗した。

 数百年にわたる激しい戦いの末、停戦協定が持たれ、今では軍事境界線が引かれてお互い干渉しないようになっている。それでもたまに小競り合いは発生し、その際はレヴィアも出撃するらしい。

 そんな中で、魔王軍の日本侵攻で紗雪が暴れてしまった事は、レヴィア達には頭の痛い話だった。

 英斗は日ごろ飲みなれないコーヒーをちびりちびりすすり、眉間にしわを寄せながら聞いていた。

 にわかには信じがたい話の連続で、どう理解したものかどうか正直困っていた。地球がたくさんあることも、この異空間も、女神も到底科学の範疇から飛び出してしまったファンタジーの話にしか聞こえない。しかし、レヴィアの声には五百年を生き抜いてきた凄みがあり、切実さがこもっていてとても嘘だとは思えなかった。


 大人の話に飽きてきたタニアが足をブラブラと()らし、グズりだした。

「ねぇ、パパ、あそぼ~」

 そう言いながら英斗の腕をペチペチと叩いた。

「パ、パパ?」

 いきなり父親にされてしまって目を白黒させる英斗。

 レヴィアは笑い、

「おや、タニアの父親はお主だったか。カッカッカ」

 と、嬉しそうに冷やかした。

「ちょっと待ってくださいよ、この子の親はどこにいるんですか?」

 英斗は眉を寄せながらタニアを抱き上げ、じっとタニアのつぶらな瞳を見つめる。

「わからん。ある日、(われ)が寝てたら金縛りみたいに苦しくなって、目が覚めたらこの子が胸の上で寝てたのじゃ」

 レヴィアは渋い顔をして首を振る。

 ニッコリと英斗に笑いかけるタニア。目じりの泣きぼくろが可愛さを何倍にも引き立てているように見えた。

「え? 不用心ですよ。寝るときはカギしなきゃ」

「それが戸締りはバッチリだったのじゃ」

 首をかしげて肩をすくめるレヴィア。

「じゃあ……、どうやって……?」

「わからん。じゃが、龍族の末裔(まつえい)であることは間違いない。同胞であれば保護せざるを得んのじゃ」

「親御さん心配してるんじゃないんですか?」

「一応一族のみんなには心当たりがあったら教えて欲しいとは聞いておるんじゃが……、誰も知らんのじゃ」

 あまりに奇妙な話に英斗は首をひねり、タニアを見つめる。

 タニアはキャハッ! と、嬉しそうに笑った。
「お前のパパはどこにいるんだい?」

 英斗はタニアのつぶらな瞳をのぞきこみ、聞いてみた。しかし、タニアは嬉しそうに、

「パパぁ~」

 と言って、英斗に抱き着いてくる。

「いや、僕は龍族じゃないし、パパじゃないって」

 英斗は困惑してタニアを引きはがす。

「ちがうの! パパなの!」

 タニアはベソをかきながら怒る。

 英斗は困惑してレヴィアと顔を見合わせる。

「まぁ、しばらく親代わりになってやれ。この子も寂しいんじゃろう」

 レヴィアは無責任にそんなことを言って、コーヒーをすすった。

「親代わりって……、まだ高校生なんですけど……」

 渋い顔でタニアを見る。

 タニアはニコッと笑い、

「パパぁ~」

 と、また抱き着いてきた。

「あぁ、はいはい……」

 英斗はそう言ってため息をつき、トントンとタニアの背中を叩いた。

 と、その時、穏やかな時間をぶち破り、耳をつんざく警告音が鳴り響く。

 ヴィーーーーン! ヴィーーーーン!
 
 いきなりの非常警報である。

 レヴィアは急に真顔になり、慌てて、ガン! とコーヒーカップをテーブルに叩きつけ、天井の円筒向けて腕をのばすと指をパチンと鳴らした。

 ヴゥン……。

 かすかな電子音が響いてテーブルの真ん中あたりに映像が浮かび上がる。そこには無数の魔物たちが行進している様子が映っていた。

『軍事境界線まで後一キロです! その数およそ十万!』

 若い男の声が響く。そこには焦りを感じさせる色があった。

「カーーーーッ! やっぱり来たか……」

 レヴィアは頭を抱えて考え込む。

 土煙をもうもうとたてながら大挙して押し寄せてくる魔物たち。昨日やってきていた魔熊やオーガだけでなく、ゴブリンや見たことのない一つ目の巨体の魔物など、まさに全ての魔物が集結して津波のようにエクソダスを目指している。

 魔王軍は全てを破壊尽くせる破壊力とエネルギーを持ち、今、龍族根絶を目指しその暴威をエクソダスに向けたのだった。

 窓から見ると、遠くの方に不穏な土煙が上がって見える。それは映像の世界ではなく現実として暴力が牙をむいて襲いかかってきているのだ。英斗はその身の毛のよだつ恐るべき光景に圧倒され、タニアをギュッと抱きしめた。

「総員、第一種戦闘配置につけ! 核融合炉出力全開! 砲兵隊配備パターンA! 黄龍(ホアンロン)隊スクランブル用意!」

 レヴィアは叫び、テーブルをパシパシと叩いて画面をクルクルと変えていく。

 やがて、うっすらと金色に光を放つフィルムがドーム状にエクソダスを覆った。何らかのバリアだろうか?

「なぁに、そう簡単にはやられはせんよ」

 レヴィアは青くなっている英斗をチラッと見ると、ニヤッと笑って言った。

 五百年間守り通してきたエクソダスである。レヴィアには勝算があるのだろう。しかし、自衛隊なら一匹でも手こずる魔物が十万匹という現実は、英斗の胸を締め付ける。

『大変です! 上空にパピヨールの大群です!』

 緊張した声が響き、映像が上空に切り替わる。

 そこには巨大な蝶の魔物が空を覆うかのように飛来していた。今朝、紗雪が倒した数も相当だったが、それよりも桁違いに多く見える。

「な、何ぃ! いつの間に!? 砲兵隊、パターンCに変更! 準備でき次第発砲を許可する! 黄龍隊はまだか!」

 レヴィアの額には冷汗が浮かんでいる。状況は良くなさそうだった。

 直後、腹の底を揺らす爆発音が次々と響き渡る。パピヨールの攻撃が始まってしまったらしい。それに続いて今度はヴィヨン! ヴィヨン! という電子音が閃光と共に放たれる。迎撃が始まったようだ。

 バラバラと降ってくるパピヨールの残骸、響き続ける爆発音。辺りは爆煙がもうもうとたちこめ、焦げ臭いにおいに覆われる。エクソダスは戦場のど真ん中となってしまった。

 直後、激しい爆発音が響き、奥の窓ガラスが吹き飛んだ。

「うはぁ!」「ぐはぁ!」「きゃははは!」

 英斗はたまらずタニアと一緒にテーブルの下に隠れ、頭を抱える。

 爆煙が立ちこめ、今まさに死が目の前に迫ってきている現実に、英斗は胸がキュッとなって必死に深呼吸をくりかえす。

左舷(さげん)何やっとる! 弾幕足りんぞ! 黄龍隊、ポイントCから突入じゃ!」

 レヴィアは額に青筋を立て、叫んだ。

『棟梁! 大変です、核融合炉が安定しません!』

 エンジニアの悲痛な声が響く。

「泣き言なんて聞きたくないね、何とかするんじゃ! 黄龍隊、散開し焼き尽くせ! 頼んだぞ!」

 窓の向こうをパピヨールから雨あられのようにレーザー光線が降り注ぎ始め、その中をオレンジ色の光をまとったドラゴンが次々とものすごい速度で通過していく。

 ドラゴンは被弾するたびにふらつきながらも健気に反撃のタイミングを計って灼熱のドラゴンブレスを浴びせかけていった。

 パピヨールを何とか殲滅(せんめつ)できたとしても、問題はあの津波のような魔物たちである。いきなり巻き込まれた無慈悲な全面戦争の衝撃に英斗はどうしたらいいのか見当もつかず、ただガタガタと震えていた。

 タニアはキョトンとしてそんな英斗を不思議そうに見つめ、キャハッ! と笑ってよじ登ってくる。

 英斗はタニアの豪胆(ごうたん)さに少し救われる思いがして、両手で抱きかかえるとプニプニのほっぺにほほ寄せた。

 しばらく続いた激しい応酬も一段落がついたようで、やがて静けさが訪れる。黒煙とともにキラキラとしたパピヨールの鱗粉が風に舞い、攻防の激しさを感じさせた。

 黄龍隊の活躍でどうやらパピヨールは一掃できたものの、粒子砲は多くがやられ、フィルムバリアも穴だらけとなっているらしい。

 レヴィアは次々と報告される被害状況を整理しながら対応を指示していく。しかし、(ほほ)にはタラリと冷汗が流れ、事態の深刻さを物語っていた。









12. 魔王

「くぅ……。魔王許すまじ……」

 レヴィアは歯をギリッと鳴らし、こぶしを握る。

 その時、バリバリッと音がして無線が着信した。

 レヴィアはハッとして大きく息をつくと、

「噂をすればなんとやらじゃ、魔王め……」

 と言いながら、タンタンッとテーブルを叩く。

「よう、ロリババア! どうだ? 降伏する気になったか? クフフフ」

 画面に浮かび上がっているのは小太りの男だった。ダサいTシャツにボサボサの頭、風采(ふうさい)の上がらない男はいやらしい笑みを浮かべている。

 英斗はこのだらしない男が魔王ということに困惑した。見た目はまるで引きこもりのニートである。なぜこんな男が十万の魔物を操り、地球に侵攻したりしているのだろうか?

 レヴィアは真紅の瞳をギラリと光らせ、

「なぜこんなことをするんじゃ!」

 と、青筋を立てながら吠えた。

「おや? お前らの一族が俺の可愛い魔物ちゃんを攻撃したんだ。報いは受けてもらわんとな」

 男は肩をすくめながら答える。

 英斗はそれが紗雪の事だとすぐに気づいた。

 やはり紗雪のやったことはペナルティ対象とされてしまっているらしい。

「あやつはもう何百年も前から日本に帰化していて我々とは縁はない。難癖付けるのはやめろ!」

 レヴィアは抗弁をするが、魔王はそんなのはどうでもいいといったような風に鼻で笑うと、

「まぁいい。強い者が勝ち、勝てば官軍。降伏勧告はしたからな。せいぜいあがいてくれ。はっはっは」

 そう言って、一方的に無線を切った。

 レヴィアはガン! とこぶしをテーブルに叩きつけ、フーフーと荒い息を漏らす。

 窓の外には土煙がもうもうと上がり、無数の黒い点がうごめいているのが見える。状況は相当にヤバいようだった。

「魔物の本体が来るぞ! 各班は使える兵力をレポートせい! 龍族の興廃この一戦にあり!」

 レヴィアは声をからし、叫ぶ。真紅の瞳はギラリと光を放ち、とても声をかけられるような雰囲気ではない。

 英斗は大きくため息をつき、とんでもない事に巻き込まれてしまった運命を呪った。

 思えば昨日の放課後まで自分は平凡な高校生だった。あの紗雪の甘いキスが全ての引き金となって今、戦場のど真ん中にいる。しかし、紗雪を恨む気はない。彼女の行為はただひたすらに尊く、純粋な色を纏っていた。ただ、それが強大過ぎただけなのだ。

『大いなる力は大いなる責任を伴う』

 かつて聞いた言葉が脳裏をかすめ、英斗はため息をつき、宙を仰いだ。

「これを渡しておく」

 レヴィアが一丁の銃を英斗に渡した。

「えっ!? これは……?」

「紗雪のシャーペンと同じニードル銃じゃ。引き金を引いている間、針が出続ける。素人でも使えるからお主にぴったりじゃ」

「い、いや、しかし……」

 そののっぺりとした金属光沢を放つ、近未来的なフォルムを持った銃を英斗は眺め、困惑する。

「タニアは任せたぞ!」

 そう言うとレヴィアはまた映像に向かい、各部隊に(げき)を飛ばし始めた。

 英斗は状況がかなり悪いことを理解し、目をギュッとつぶる。今にも人生の走馬灯が回り始めそうなくらい追い込まれ、心臓の鼓動はかつてないほど高まっていた。

 テーブルの下をのぞくとタニアがちょこんと座っていて、英斗を見て小首をかしげる。

 英斗はタニアの所に行くと、

「ここは危ないかもしれない、どうしようか?」

 と、話しかける。幼女にこんなこと聞いたって仕方ないことは分かっているが、英斗もどうしたらいいか分からないのだ。

「危なくないよ?」

 タニアはキョトンとした顔で答える。

「いや、すっごーく怖い魔物がたくさん押し寄せているんだよ」

「まもの? メッ! する?」

 タニアは首を傾げ、聞いてくる。

「メッ……って。どうやって?」

「タニアがね、メッ! するの! きゃははは!」

 タニアはそう言って笑うと、全身を淡く金色に輝かせ始めた。

 は……?

 いきなり光り始めた幼女に英斗は唖然とする。

 タニアは龍族である。だからもしかしたら龍族なりの攻撃方法があるのかもしれないが、一体何をするのか見当もつかなかった。

 英斗は小首をかしげながら、その神々しく光り輝く幼女をぼーっと眺める。

 ひょぉぉぉぉ……。

 タニアはそう言いながら右手の手のひらを下に向け、そのままゆっくりと下ろし始める。

 一体何をやっているのかピンとこない英斗であったが、いつになく真剣なタニアに口をはさむのもはばかられ、ただ静かにその神聖な儀式を見つめていた。












13. 宇宙の手

 ゆっくりと下ろす手のひらは、やがて床へと近づいていく。

 英斗は何か意味があるのか、と小首をかしげながら窓の外を見て驚いた。何とそこには巨大な手のひらが宇宙から降りてきていたのだ。

 はぁ!?

 目の前で起こっている、理解不能で滑稽な光景に混乱した英斗は目をゴシゴシとこすってもう一度見直す。

 しかし、それは間違いなく手のひらだった。

 手のひらのサイズは十キロメートルはあるだろうか? 腕は青空のはるかかなた向こう、ずっとずっと高いところから雲を突き抜け、降りてきていた。

 いや、これ……、えぇ……!?

 想像を絶する出来事に英斗は息をのむ。

 それこそ東京23区がすっぽりと覆われてしまうサイズの手のひらなど、物理的に可能なのだろうか? 可能だとしてそれを宇宙から下ろしてくるということなどどうやったらできるのだろうか?

 やるとしたら誰が?

 それはタニアしか考えられなかった。不思議な幼女タニアが宇宙から魔物たちを潰そうとしているのだろう。

 しかし、どうやって?

 唖然としている英斗の目の前で、そのまま手のひらは地面を押しつぶす。直後、巨大な砂嵐が巻き起こり、辺り一面土煙に覆われて何も見えなくなった。

 地面に降りた手のひらからあふれる空気が、爆発的速度で周りにふき出したのだろう。

 レヴィアも画面に映し出される巨大な砂嵐に驚き、叫んだ。

「な、なんじゃこりゃぁ!? 総員退避! たーいひ!」

 画面に出ていたレーダーによる魔物の反応も一斉に消えていった。

「タ、タニアの手ですよあれ!」

 英斗は興奮して叫んだが、レヴィアは呆れ、

「何がタニアじゃ! こっちは忙しいんじゃ、黙っとれ!」

 と、叫びながらパシパシとテーブルを叩いていく。

「いや、手のひらが宇宙から降りてきたんですって!」

「バカも休み休み言え! なんで宇宙から手なんて降りてくるんじゃ!」

「な、なんでって……、なんで?」

 英斗がテーブルの下をのぞくとタニアが倒れている。

「タ、タニア!」

 英斗は急いでタニアの様子を見る。ペシペシとほほを軽く叩いてみたが反応はない。ただ、スースーと息をする音がする。

 ん……?

 胸に耳をつければ心臓もトクトクと軽快な鼓動を刻んでいるし、血行もよさそうだ。どうやら寝てしまったらしい。

「良かった……」

 英斗は大きく息をつき、ペタリと床に座り込む。

 十万匹もの魔物を潰して寝てしまった幼女。その規格外の存在に英斗はどうしたものかと考えこんだ。

 あんなことができるのだとしたら、今この世界で一番強いのはタニアということになる。米軍だってあの手のひらには対抗できないだろう。タニアの機嫌次第で世界は滅びかねない。

 なんだか凄いことになってしまったと、英斗は大きなため息をついた。


 改めてそのかわいい寝顔を見つめると、まだ幼いながら整った顔立ちに美しくカールした長いまつ毛が生えている。その刹那、キスの時に見た紗雪のまつ毛がフラッシュバックした。

 ドキッとした英斗は顔を赤くし、ブンブンと首を振る。

 龍族というのはまつ毛が長くて綺麗な種族なのだな、と英斗はとりとめのないことを思いながら、そっとタニアの髪をなでた。


      ◇


 その晩、集会場で祝勝会が開かれた。レヴィアたちは酒盛りで大騒ぎをし、宿敵の魔王軍撃破を祝う。何しろ、窮地(きゅうち)からの逆転劇である。喜びもひとしおだった。

 ただ、十万もの大群がなぜ砂嵐の中に沈んだのかは結局分からないままである。これは後日データ解析をすることでまとまったらしい。

 あの時、英斗が見たタニアの巨大な手のひらは誰にも見えていなかったようで、誰からも相手にもされなかった。

 しかし、あの幼女独特のかわいい小さなモミジのような手のひらは、明らかにタニアのものであり、なぜタニアがそんなことができたのか、英斗には皆目見当もつかなかった。

 英斗はキツネにつままれたような気分で宴会場の隅っこに座り、タニアをひざに乗せる。

「魔物つぶしたのはタニアだよな?」

 スプーンでご飯を食べさせながら聞いてみた。

「わかんない! きゃははは!」

 タニアは嬉しそうに笑うとスプーンをパクっとくわえ、美味しそうにモグモグとほっぺたを揺らした。

 英斗は渋い顔をして、かわいいプニプニのほっぺたについたご飯粒を取ってあげる。

 もちろん、ここで「そうだよ!」と、言われたとしても事態は何も変わらない。幼女の言うことなど何の説得力もないのだ。
















14. 愛しい男

「これは好機じゃ! 魔王打倒じゃ!」

 向こうの方でレヴィアがビールジョッキを高々と掲げながら叫んだ。

「オ――――!」「いよっ! 棟梁!」「やりましょう!」

 作業服を着た若い男たちがレヴィアを囲みながら盛り上がっている。若いと言っても千歳くらいなのかもしれないが。

 もし、魔王を打倒できるのであれば、これは日本にとっても朗報である。ゲートからの魔物の侵略が止まることは人類にとっても福音なのだ。

 レヴィアはジョッキを持ちながら、ふらふらと上機嫌に英斗のところまでやってくると、

「おい、紗雪呼ぼう。あいつと一緒に魔王城行くぞ!」

 と、座った目で言った。

「さ、紗雪を? な、なんで?」

「あの娘の攻撃力はピカイチじゃ。ドラゴン化せずにあそこまでできる奴はそうはいない。それに、今回の騒動の原因でもあるんだから頑張ってもらわんとな」

 そう言ってレヴィアはジョッキを傾ける。

 英斗としては紗雪をこれ以上戦いの現場に出したくはなかった。だが、迷惑をかけたことは確かなので、それは協力しないわけにもいかなかった。

「あ、そうだ。お主にもキス要員で来てもらうからな。クフフフ」

 レヴィアはいたずらっ子の目でそう言うと、ジョッキを一気にあおる。

「キ、キス要員!?」

 英斗は何とも間抜けな役割を与えられ、唖然とする。本来恋人同士だけの秘密の営みが、世界を守るための役割として自分に降りかかってきている。あまりに間抜けでバカバカしい話に英斗はウンザリしてうなだれた。

「なんじゃ? 紗雪とキスしたくないのか?」

 酔っぱらってほほを紅潮させたレヴィアは、ニヤニヤしながら絡んでくる。

「い、いや、そういう話ではなく、なんかもっとこう活躍できる役目ってないんですかね? キスだけってまるで水商売ですよ」

「カッカッカ! 人間に戦闘なんて無理じゃろ。大人しくその唇で紗雪を興奮させるんじゃな」

 散々な言われように英斗はムッとして聞いた。

「レヴィアさんは誰とキスすると興奮するんですか?」

 ピタッと止まるレヴィア。ジョッキを持つ手が少し震えている。

 いつもの軽口が来ると思っていた英斗は、そのリアクションに少し後悔し、慌てた。思えばエクソダスは大量の死者を出した凄惨な事故現場であり、レヴィアたちは遺族なのだ。言葉は選ばねばならなかった。

 レヴィアはジョッキを一気に飲み干し、大きく息をつき、

「ええ男じゃった。お主も悔いのないようにな」

 と、ボソッと言うと奥の部屋へと消えていった。


       ◇


 翌日、少し離れた広場で、英斗は木陰のベンチに寝かされていた。紗雪をおびき出すエサの役をやらされたのだ。

 青空には太陽が燦燦(さんさん)と輝き、木漏れ日がチラチラと眩しく光っている。

 タッタッタッタ――――。

 遠くの方から誰かが駆けてくる。シルバーのジャケットをザックリと羽織(はお)った見慣れたその姿、紗雪だった。近未来的なぴっちりとした黒いタイツには赤いラインが走り、スタイルの良いスラっとした長い脚を際立たせている。

 ただ、髪の毛はショートカットになっていた。レヴィアに髪を焼かれたので短くしたのだろう。

「いいか、お主は目を開けちゃいかんぞ!」

 レヴィアはニヤッと笑って言った。

「いかんぞ! きゃははは!」

 タニアもマネして笑う。

 交渉の場にタニアは似つかわしくなかったが、泣いて騒ぐので仕方なく連れてきたのだった。

「タニアはいい子にしてること! 分かったね!」

 英斗はタニアをにらんで言った。

「うん! タニア、いい子だよ!」

 タニアは満面に笑みを浮かべる。


       ◇


 急いで広場までやってきた紗雪は、ベンチに横たえられた英斗を見つけ、青い顔で、

「ああっ! 英ちゃん! 英ちゃんに何したのよ!」

 と、レヴィアを鋭くにらむ。ハァハァと荒い息が響いた。

 それはいつものクールビューティとは全く違う昔の紗雪だった。英斗はそのなつかしい生き生きした紗雪の姿に心が温まり、ほほが少しだけ緩む。

「なんもしとらんよ。単に寝てるだけじゃ。自分で見てみろ」

 くっ!

 紗雪は英斗のところまで駆け寄ってくると英斗のほほをやさしくなでる。

「あぁぁ……、ごめんね、英ちゃん……」

 声を震わせ涙ぐむ紗雪に、英斗は胸がチクリと痛んだ。

「召喚状は読んだじゃろ? お主には一緒に魔王城に来てもらう。いいか?」

 紗雪は英斗の手をぎゅっと握りしめるとキッとレヴィアをにらみ、

「嫌だと……言ったら?」

 と、低い声で静かに言った。

 その瞳には激しい怒りの色が揺れている。

「お前の愛しい男は二度と目覚めることがないだけじゃ」

 レヴィアは肩をすくめ、挑発するように言った。

 ギリッと紗雪の奥歯が鳴る。

 英斗は心臓が高鳴り、ポッと赤くなった。

 一瞬、『そんなの構わないわ』と言われるのではないかと構えたが、どうやら紗雪は本当に自分のことを大切に思ってくれているらしい。

 しかし、そんな紗雪をこんな形でだましていることに胸が苦しくなり、思わず静かに深呼吸を繰り返した。











15. 会心の嘘

「私が行けば英ちゃんは解放してくれるのね?」

 紗雪は怒気のこもった声を出す。

「いや、同行してもらう。お主には必要じゃろ? 他の男でもええんか?」

 レヴィアは意地悪な顔をして返す。

「ダ、ダメ……。私は……英ちゃんじゃなきゃ……」

 紗雪は真っ赤になってうつむいた。

 英斗は実質告白されてしまったようなもので、居てもたってもいられなくなる。思わず呼吸が荒くなり、顔も真っ赤だった。

 その様子を見てレヴィアは思わず吹き出しそうになる。

「な、何がおかしいのよ!」

「あ、いや、悪かった。若いっていいなって思ってな」

 紗雪は口をとがらせレヴィアをにらみ、少し考えこむ。

 英斗にはついてきて欲しい。もちろん、パワーアップの効果が必要だという面はあるが、それ以上にそばにいて欲しかったのだ。魔王城に知らない人たちだけで乗り込むことはさすがに心細い。

 とはいえ、それは自分のわがままだということはよく分かっている。英斗に命懸けの同行を頼むなど、自分の口からは到底言えなかった。

 考えがまとまらず、紗雪は大きく息をつくと聞く。

「いつ、行くのよ?」

「今からじゃ、善は急げというからのう」

「い、今!?」

 紗雪は目を真ん丸に見開き、言葉を失う。

「昨日、魔王軍は壊滅させておいた。警備も手薄じゃろう。やるなら今じゃ。お主も地球を守りたいんじゃろ?」

「か、壊滅!? ど、どうやって?」

 紗雪は唖然として聞く。五百年間手こずっていた強敵相手に、じり貧の龍族が巻き返すなど想定外だったのだ。

「分からん。だが神風が吹いたんじゃ」

「神風って……」

「理由は分からんが魔王軍には警備兵くらいしか残っとらんだろう。今を逃したらもう滅ぶしかないぞ」

 紗雪はうつむき、ゆっくりとうなずく。

「で、でも、英ちゃんをそんな危険なところに連れていけないわ。英ちゃんは何て言ってるのよ?」

「こ奴は『紗雪とならどこまでも行く。紗雪を愛している』って言っとったぞ」

 ブフッ。

 思わず吹き出してしまう英斗。そんなこと言っていない。

 英斗はレヴィアを怒鳴りたい気持ちを必死に抑える。

 えっ!?

 一瞬英斗が吹きだしたように見えた紗雪は、けげんそうに英斗を眺める。

「まさか……、起きてる……?」

 英斗は必死に寝たふりをする。

 ツンツンと英斗のほほをつつく紗雪。

 しかし、寝たふりを厳命されている英斗は、何があっても目を開ける訳にはいかなかった。

 しばらく英斗の様子をじっと見て、ふぅとため息をつくと、紗雪はほほをやさしくなでる。その顔には愛しさが満ちあふれていた。

「ほ、本当に……そんなこと……言ったの?」

 チラッとレヴィアを見上げて言った。

 笑いをこらえていたレヴィアは、ゴホンと咳ばらいをして、顔を作り、答える。

「お主だってこ奴の気持ちには気づいておろう」

「そ、そりゃぁ……。でもその気持ちを私は利用してしまったの。もう私には愛される資格なんて……ないわ」

 紗雪はガクッと肩を落とす。

「はっはっは!」

 レヴィアは嬉しそうに笑った。

「な、何がおかしいのよ!」

 紗雪は涙を浮かべた目でキッとレヴィアをにらんだ。

「こ奴はそんなこと気にせんよ。まぁ、落ち着いたらすべて話すといい。いつまでも薬に頼ってちゃいかんぞ」

「そうね……。魔王を倒せたら……、ちゃんと話すわ」

 紗雪は英斗をジッと見つめながら額から髪の毛をやさしくなでる。その優しい手の動きには恋しさがあふれていた。

「じゃあ、ついてきてくれるな?」

「英ちゃんも納得しているなら……、行くわ。魔王の脅威におびえる暮らしからみんなを解放しなきゃ」

 紗雪はグッとこぶしを握った。その瞳には決意がみなぎっている。

 そこには、理科準備室でみせた悲痛さはなく、むしろ希望の色すら見えた。

「よーし、じゃぁ、今すぐパワーアップするんじゃ」

 レヴィアはそう言って英斗の唇を指さした。

「えっ!? こ、ここでですか?」

 紗雪は真っ赤になる。

「大丈夫、ワシらは後ろ向いとるからな」

 そう言ってレヴィアは背を向ける。タニアも真似してキャハッ! といいながら背を向けた。

 えっ? ちょっと……、ええっ!?

 紗雪はキスのおぜん立てをされてしまって戸惑う。

 しかし、キスをするなら英斗の意識が戻る前にしておかないとならない。魔王を倒してちゃんと話をするまでは、キスのことは秘密にしておきたかったのだ。

 紗雪は英斗の脇にそっとしゃがむと愛おしそうに英斗の髪をなで、そしてほほをそっとさすった。

「ごめんね、英ちゃん。ついに巻き込んじゃった……。でも、好きなの……。大好き……」

 そう言って瞳を潤ませ、そっと唇を重ねる。

 チロチロと愛撫する舌先が英斗の唇を押し広げていく。

 英斗はその愛情のこもったキスに、思わず抱きしめたくなる衝動にかられた。しかし、ここで意識があることを悟られてはならない。全ては魔王を倒した後、ちゃんと自分から告白するつもりなのだ。

 両想いだと分かった後のキスの味は、今までとは違う温かさ愛おしさのフレーバーが加味され、天にも昇る気持ちになる。英斗は温かく柔らかい紗雪の舌に身をゆだね、荒い息遣いを感じていた。

 儀式が終わり、紗雪は静かに目をつぶり、まるで英斗との熱い営みを心の奥で温めるかのように手を胸に当て大きく息をついた。刹那、黄金色の光がブワッと噴き出して、全身が光に包まれる。龍族に与えられたその神聖な力は紗雪に限りない力を与えていく。

 悪逆非道な魔王を打ち滅ぼして人類の未来を勝ち得なくては、と紗雪は取り出したシャーペンに力をこめ、赤く光らせた。


     ◇


「おーい、もういいぞ」

 レヴィアがニヤけながら英斗の耳元でささやく。

 英斗は渋い顔でレヴィアをにらみつけると、わざと大きな声で、

「あー、良く寝た!」

 と、言いながら起き上がる。

 紗雪は腕組みをしながら険しい顔で遠くを眺めていた。それはまさにいつもの【三組のクールビューティ】。隙のない完璧な美少女だった。

 英斗はゴホッと咳ばらいをすると、

「さ、紗雪……、ど、どうしたんだ?」

 と、渾身の演技をする。

「『どうしたんだ』じゃないわ。呼び出されて、いい迷惑なんだけど?」

 紗雪はムスッとした顔でぶっきらぼうに言うと、手の甲で髪の毛をかき上げるしぐさをする。しかし、ショートになった髪型ではそこに髪の毛はなかった。

 それを恥ずかしく思ったのか、口をとがらせて苛立たしそうに英斗をにらみつける。

「ご、ごめんよぉ。でも、助けに来てくれたんだね……、ありがとう」

 さっきとは打って変わった態度に苦笑しながら、英斗は頭を下げる。

「別にあんたのためじゃないわ。私は魔物退治に来ただけ。勘違いはやめて」

 紗雪は不機嫌そうにそう言うとプイっと顔をそむけた。白く透き通る肌が紅潮し、照れているのが一目瞭然(りょうぜん)である。

 紗雪の本心を知ってしまった今では、そんなぶっきらぼうな態度すら英斗には愛しく思えてしまう。

 英斗は微笑みを浮かべながら、謝り続ける。

 早く全て終わらせてちゃんとした両想いの関係を築いていくのだと、英斗は秘かにギュッとこぶしを握った。


         ◇


 ズン! と、激しい地響きを響かせながらドラゴン形態のレヴィアが着地する。

 まるでアパートが落ちてきたような圧倒的な迫力で、エイジは改めてファンタジーな生き物であるドラゴンの凄まじさに気おされる。

「早く乗れ!」

 ドラゴンは頭を地面にまで下ろし、腹の底に響く重低音で言った。

 漆黒のいかつい鱗に覆われたドラゴンだったが、鱗にはとげが伸びており、それをつかんでいくとよじ登っていけそうだった。

 英斗がとげの具合を引っ張って確かめていると、横をタニアが登っていく。

「タ、タニアも行くのか?」

 英斗が驚くと、

「あたちも行くー! きゃははは!」

 と、上機嫌に笑った。

 ピョンと身軽に飛び乗った紗雪は、タニアをにらみ、

「ちょっと! 遊びに行くんじゃないんだからね!」

 と、渋い顔で怒る。

 しかし、タニアは器用にまるで猿のようによじ登ると、

「ママー!」

 と、言いながら紗雪に飛びついた。

「マ、ママ!?」

 目を皿のようにして驚いた紗雪は、幼女にしがみつかれてどうしたものか困惑し、

「ちょっと、この娘なんとかしてよ! なんで私がママなのよ?」

 と、口をとがらせ、英斗に助けを求める。

「同じ龍族だから紗雪とも親戚なんだと思うよ? どことなく目元もそっくりじゃないか」

「こんな娘、知らないわよ!」

 すると、タニアは紗雪と英斗を交互に見ながら言った。

「パパ! ママ! ケンカはダメ!」

「ちょ、ちょっと待って。なんでこいつがパパなのよ?」

「だってさっきチュウ……」

 タニアがそう言いかけると、紗雪は真っ赤になって、言葉をさえぎるように、

「あ――――! 分かった! 分かったわ! いい子ね、よしよし!」

 と、叫び、タニアをギュッと抱きしめ、プニプニのほっぺにすりすりと頬ずりをした。

 タニアは、目をつぶり、幸せそうにつぶやく。

「ママぁ……」

「もう、しょうがないわねぇ。子供には勝てないわ」

 紗雪は幸せそうな顔をしながら、サラサラのタニアの髪を優しくなでた。

 美少女と可愛い幼女の組み合わせは尊く、英斗はうんうんとうなずきながら目を細める。

 決戦前の心温まるひと時。英斗はこんな時間がいつまでも続けばいいのにと軽く首を振った。













17. 凸凹魔王討伐隊

 タニアを連れて行ったらいいのかどうかは英斗にもよく分からない。タニアは強い。それこそ訳の分からない力で魔物十万匹を瞬殺するほど強い。しかし、その強さの正体が分からないのでどうしたものか悩む。何しろ、あの『手のひら』について本人は何も覚えていないようなのだ。

「でも、これから恐いところへ行くのよ? お家で待っててね」

 紗雪は(さと)しながらプニプニのほほをなでる。

「やだやだやだやだ! いくの!」

 今にも泣きそうになりながら駄々をこねるタニア。

 英斗は大きく息をつくと、

「僕が面倒を見るから連れて行こう。こう見えて……、この中で一番強いかもしれないんだ」

「強い? この子が?」

 紗雪は驚いてタニアの顔をのぞきこむ。

「強いじょ。きゃははは!」

 英斗は渋い顔をする紗雪からタニアを取り上げると、

「レヴィア、出発しよう」

 そう言って鱗をパンパンと叩いた。

「タニアも龍族じゃから下手な魔物よりは強かろう。頼みたいこともあるしな……。では行くぞ、しっかりつかまっとれ!」

 そう言いながら、レヴィアは武骨な骨格に薄い皮膜のついた巨大な翼をバサバサっと動かし、帆船の帆のように青空へピンと伸ばした。太陽の光を浴びてゴツゴツとした表面のディテールが浮かび上がり、まるで現代アートのように見える。

 英斗はその精緻な造形、洗練された所作の美しさに見とれ、ぽかんと口を開けながらしらばく見入ってしまった。

 ドラゴンは強く、美しい。その強さはこれらの繊細なディテールに潜む美を羽織ることによって顕現(けんげん)しているのではないだろうか? そう思わせるほどにレヴィアは気高く壮麗な美を(まと)っていた。

「しっかりつかまっておけ! 行くぞ!」

 レヴィアは太い後ろ足で力強く跳び上がると、バサッバサッと大きな翼をはばたかせながら大空へと舞い上がっていく。

 飛行機とは全然違う躍動には乗馬に通ずるものがあり、英斗は振り落とされそうになりながら必死にトゲにしがみついた。

 翼は風をつかみ、グングンと高度を上げていく。

 みるみるうちに小さくなっていくエクソダス。

 うわぁ……。

 英斗は、ドラゴンの背に乗って大空を(かけ)るという、まるでファンタジーの冒険(たん)のような状況に圧倒される。

 雲を抜けると青空のもと、この世界が一望できた。草原が広がり、川がキラキラと光り、遠くには山脈も見える。レヴィアはここを『流刑地』と言っていたが、美しい自然豊かな世界のように見える。なぜそんな呼び方をするのだろう。

 それにしても、一昨日までただの高校生だったのに、なぜ世界の存亡をかけ魔王討伐の一員になっているのだろうか?

 いきなり運命の激流に流されてしまった自分の境遇に軽いめまいを覚え、英斗はため息をつくと首を振り、ただ流れていく風景を眺めた。

 横を見ると紗雪が険しい顔でじっと行く手を見つめていた。その目には自分が世界の未来を勝ち得るのだという確固たる決意が浮かんでいる。まだ十五歳の少女に背負わされた悲しい宿命。きっと逃げることもできたはずだが、逃げて知らんふりするには紗雪の力は強大過ぎたのだろう。

『大いなる力は、大いなる責任を伴う』

 どこかで聞いた言葉が頭をよぎった。

 人化状態で魔物を次々と(ほふ)れる力、それは紗雪を魔物討伐へと動かし、今、魔王討伐隊のエースとして期待されている。もちろん、龍化したレヴィアの方が戦闘力は上だが、魔王城内での戦闘を考えると紗雪の方が適しているのだろう。

 そして自分はキス要員。紗雪のパワーアップ効果が切れた時のチャージ要因なのだ。

 自分で言ってて情けないが、言わばエナジードリンクみたいなものである。愛しい幼馴染が命がけで世界を守ろうとしているのに、自分はエナジードリンクにしかなれない。

 英斗はそんな歯がゆさに胸が絞めつけられるような思いをしてうなだれる。

「これ、着なさいよ」

 えっ……?

 顔を上げると紗雪がカーディガンを差し出している。

「寒いんでしょ? 無理しないで」

「あ、ありがとう」

 ツンツンした態度しながらも気遣ってくれるその優しさに、英斗は嬉しくなってニッコリと笑った。

 しかし、紗雪は照れ隠しなのか不機嫌そうに忠告する。

「いい? あなたたちは絶対前に出ないで」

「わ、分かったよ。何か手伝えることがあったら何でも言って」

「あんたに手伝えることなんて……」

 そう言いかけて、紗雪はハッとすると、顔を真っ赤にしてプイっと向こうを向いてしまった。

 そのウブなリアクションに英斗も、さっきの甘いキスを思い出して思わず赤面する。

 そう、きっともう一回くらいはキスする局面が来るに違いない。あの甘いキスをもう一度……。

 英斗はブンブンと首を振り、にやけ顔にならないようにするのに必死だった。

 きゃははは!

 英斗にしがみついているタニアは嬉しそうに笑った。







18. 邪悪の総本山

 やがて草原のかなたにいくつもの黒煙が上がっているのが見えてきた。

 その向こうには漆黒の円柱がそびえ立っている。それは大草原の中にポツンとたたずむタワマンのような風情だった。

「おぉ、頑張っとるな」

 レヴィアは満足そうに言いながらさらに高度を上げていく。

「あれは何なの?」

 英斗が聞くと、

「あの黒い円柱が魔王城。攻撃しとるのは黄龍隊。言わば陽動作戦じゃな。奴らが魔王軍の注意を引きつけている間にワシらは魔王城に忍び込むって寸法じゃ」

「忍び込む!? この大きさで?」

「フフン、ステルスのバリアを張ればレーダーには映らん。上空から一気に行くぞ!」

 そう言うとレヴィアはバサッバサッと力強く羽ばたいて、さらに高度を上げていった。

 英斗はタニアをギュッと抱きしめ、じっと魔王城を眺める。倒すべき魔王はあそこにいるのだ。英斗は早鐘を打つ胸をギュッと押さえた。

 近づいていくと魔王城の様子が徐々に分かってくる。漆黒の円柱であるが、表面には現代アートのような不気味な禍々(まがまが)しい模様が浮き彫りにされており、上の方には目のような意匠があしらわれている。まさに邪悪の総本山とも言うべき姿に英斗はブルっと震え、背筋に冷たいものが流れた。

 あの中に小太りの中年男が居て多くの人の命を奪っている。何のためにそんなことをやっているのか分からないが、今ここで奴の暴挙を止めるしかない。


         ◇


 やがて魔王城の上空に差し掛かるとレヴィアは、

「総員戦闘準備!」

 と、叫んだ。

「いよいよだね」

 英斗は紗雪に声をかける。

 紗雪はひどく緊張した面持ちでキュッと口を結び、不安そうに英斗を見つめていた。その瞳にはさっきまでの力強さはなく、どうしたらいいのか分からなくなった迷子の子犬のような困惑が浮かんでしまっている。

 やはりまだ十五歳なのだ。圧倒的に場数が足りないのだろう。こんな調子では戦う前に負けてしまう。

 英斗は焦った。なんとかして青い顔した紗雪に力を与えなくてはならない。しかし、どうやって……?

 一計を案じると、英斗は口を開いた。

「紗雪、覚えてるか? 迷子になった時のこと」

 ニッコリとした穏やかな表情を作り、精いっぱい楽しげな声で聞いた。

 まだ小学校入学前、二人が家族に連れられて少し離れた神社のお祭りへ行った時のこと。英斗はいろいろな縁日に興奮し、紗雪の手を引っ張りながらちょこちょこと先行しているうちに、親とはぐれてしまったのだ。慌てて必死に親を探す二人だったが、それこそ何万人もいる中で見つけるのは不可能に思えた。

 泣きじゃくる紗雪をギュッとハグした英斗は、自分も泣きたい気持ちをグッと我慢して、『このまま見つからなかったら僕が紗雪の面倒を見るから』と、誓う。それは幼児らしい可愛い誓いだったが、お互いが特別な存在へと一歩近づいた忘れられない誓いとなった。

 英斗はその出来事を持ち出して、元気を取り戻すきっかけを探そうとする。

「迷子……? お祭りの……時のこと?」

 けげんそうな顔を見せる紗雪。

「あの時、二人でみんなとはぐれちゃって大変だったじゃないか」

「私がいっぱい泣いちゃったから……」

 紗雪はうつむき、申し訳なさそうに言った。

「いやいや、泣くのは仕方ないよ。でも、はぐれたところに戻ったら見つけられたろ?」

「うん……」

「不安で、耐えられなくなったら原点に戻ればいい。そして僕がいる」

 英斗はちょっと強引だったかなとも思ったが、力いっぱい笑顔を作った。

「ははっ。『僕がいる』って何よ」

「あ、いや、ホント役立たないんだけど、気持ちでは力になりたいんだ」

 紗雪は目をつぶり、何かを考える。

 英斗は美しくカールする長いまつげを見つめ、この不器用な応援が届いてほしいと願った。

「ありがと……。そう、原点に戻らないと。魔王を倒して世界を明るくする。それが私の原点……」

 紗雪はギュッとこぶしを握り、目には光が戻ってきた。

「やり遂げよう」

「うん。……。で、これが終わったら話したいことがあるの」

 紗雪は上目づかいでちょっと照れながら言った。

「わかった。……。実は、僕も話したいことがあるんだ」

「え? ……、何? 今すぐ言って!」

 紗雪は焦ったように前のめりで言う。紗雪もなんとなく気付いているのだ。

「あ、いや、だから終わってからだって」

「なんでよ! 気になるじゃない」

「いや、だから、それは……」

 そこでレヴィアの重低音が響いた。

「何をジャレあっとる! 突入じゃ、しっかりつかまっとけ!」

 急に翼をすぼめ、真っ逆さまに魔王城へと降りていくレヴィア。

「ぬおぉぉぉ!」「ひぃぃぃ!」「きゃははは!」

 いきなり無重力になって必死にしがみつく一行。見ると豆粒のようだった魔王城はみるみる大きくなっていく。

 覚悟はしてたものの無重力でお尻が浮いてしまう状態は、本能的に耐えがたい恐怖を呼び起こす。

 くぅぅぅ……。

 英斗はタニアをギュッと抱きしめて、ただ時を待った。

 しかし、タニアは嬉しそうに手をバタバタさせながらフリーフォールを楽しんでいる。

 なぜこの子は恐くないのだろうかと、英斗は半ば呆れながら早く到着を祈った。

 直後、レヴィアは大きな翼をブワッと広げ、ブレーキをかけていく。

 今度は逆に激しいGがかかり、英斗は鱗に押し付けられる。

 バサバサバサッとレヴィアは全力ではばたき、ズンっと急に衝撃が伝わってきたと同時に、

「降りろ!」

 と、叫んだ。

 ワタワタとあわてて降りる英斗。

 こうして一行はついに魔王城にやってきたのだ。










19. 肉球手袋

 魔王城の屋上は漆黒の素材でできた、のっぺりとした野球場サイズの丸い広場だった。隅の方に排気ダクトがニョキっと生えている程度であとは何もない。

 下の方では黄龍隊が魔物たちと激しい戦闘を行っており、爆発音が絶え間なく響いている。急がないと見つかって陽動作戦が台無しになってしまう。

 レヴィアは床をこぶしでガンガンと叩き、

「くあーっ! こりゃダメだ。コイツは突き破れんのう」

 と、渋い顔をする。

「え? じゃあどうしたら?」

「プランBじゃ。タニアを連れてこい」

 そう言いながら排気ダクトの方へと走っていく。

「えっ? まさか……」

 嫌な予感をしながら、英斗はタニアを抱えて走った。

 きゃははは!

 英斗にしがみつきながら楽しそうに笑うタニアを英斗は複雑な気持ちで眺める。この幼女に一体何をやらせるのだろうか?

「よーしタニア! パワーアップじゃ!」

 レヴィアは何やらガジェットを用意しながら叫ぶ。

 アーイ!

 タニアは嬉しそうに返事をすると、

「パパ! パパ!」

 と、ニコニコしながら両手を英斗の方に伸ばした。

「え? 何?」

 英斗は何を言われているのか分からず、眉をひそめながらタニアの顔を見つめる。

 直後、タニアは英斗の顔をガシッとつかむと、ぶちゅっといきなりキスをしてきた。

 ん、んむー!

 いきなりのことに何が起こったのかすぐに理解できず固まってしまう英斗。

「ちょ、ちょっと何やってんのよ!」

 紗雪が焦ってタニアを引きはがす。

 呆然とする英斗をしり目にタニアは、

 キャハッ!

 と、嬉しそうに笑ってペロッとくちびるを舌で舐めると、激しい黄金の光を放った。

「へ?」「は?」

 紗雪の時とは全然違う眩しい輝きに一行は唖然とする。それは心にまで染み渡る、温かで神聖な光であり、英斗は思わず後ずさった。

 やがて光が落ち着いてくるとタニアが胸張ってニコッと笑っている。

「お、お前……、まさか……」

 英斗は自分とのキスでパワーアップしたタニアを見て言葉を失う。パワーアップのキスとは昂る相手としなくてはならないのではなかっただろうか? なぜ、こんな幼女が自分で昂るのか分からず、英斗はどうしたらいいのか分からなくなった。

 タニアは、キャハッ! と楽しそうに笑うと、ポッケから肉球のついた可愛い手袋を取り出し、身に着けた。

 レヴィアは予想外の展開に少し困惑しながらも、タニアの頭にヘッドライト兼カメラを装着していく。

 タブレットでカメラと同期するのを確認したレヴィアは、

「ヨシ! タニア。ここを潜って屋上への通路を開けるやり方を探せ!」

 と、床からにょっきりと生えている排気ダクトを指さした。

「あーい!」

 タニアは楽しそうに敬礼をする。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。タニアをこの狭い管に落とすんですか?」

 英斗は幼女に危険なことをやらせるレヴィアにクレームをつけた。

「じゃあお主、どうするんじゃ? 他に方法でもあるんか?」

 レヴィアは毅然とした口調で反論する。その真紅の瞳にはゆるぎない信念が映っている。

「え、いや、それは……」

「いいか、我々は生きるか死ぬか、それこそ八十億人の人命を背負っておるんじゃ。道徳を説くな!」

「わ、分かりますけど……」

 と、その時、タニアがキャッハァ! と上機嫌に叫び、肉球手袋を振り上げる。

 すると、タニアの周りに黄金色の光の微粒子がぶわぁと浮かび上がり、それが急速に手袋に集まっていく。

 手袋に光が集まりきった瞬間、タニアは排気ダクトに向けて肉球手袋を斜めに振り下ろした。

 刹那、黄金色の閃光が走り、手袋から発生した黄金の光がまるでレーザー光のように排気ダクトを一刀両断にする。

 ガン! グワン、グワン!

 と、派手な音を立ててダクトは床に転がった。

 英斗たちはその圧倒的な破壊力に言葉を失う。レヴィアですら突破をあきらめた特殊素材でできた排気ダクトを、まるでダンボールを切るようにあっさりと崩壊させた。それはとんでもない想定外の力だった。

 きゃははは!

 タニアは嬉しそうに笑うと、トコトコと排気ダクトの根元まで行ってそのまま中へと飛びおりていった。

「ああっ!」

 英斗は急いでダクトをのぞきこむ。そんな気軽に飛び込んでいい所ではないはずだ。幼女の向こう見ずな蛮勇に嫌な予感がよぎる。

「タニアぁ……」

 冷汗をかきながら目を凝らすと奥の方でチラチラと動くヘッドライトが見える。どうやら無事なようだが、この先一体どうなってしまうのか胸がキュッと痛んだ。
















20.太陽のシャーペン

「いいぞいいぞ、そこ、入ってみようか?」

 レヴィアがタブレットの映像を見ながらタニアに指示を出している。

『キャハッ!』

 楽しそうに笑いながら、細いダクトの中をハイハイしていくタニア。

「よしよーし、もうちょい前進じゃ」

 レヴィアはタニアの位置をマッピングしながら淡々と指示を出していく。

「これ、空調設備ですよね?」

「そうじゃ。まさか魔王も、こんな小さな幼女が侵入してくるとは想定していないじゃろう。クフフフ」

 最初からタニアを使うプランを準備していたレヴィアのしたたかさに、英斗は舌を巻く。そう、これは誰かの命を危険にさらしてでも勝たねばならない戦いなのだ。改めて平和ボケしていた自分のぬるさにウンザリし、静かに首を振った。

「よーしそこでストップ! ダクトの下を切り裂け!」

『キャッハァ!』

 画面が黄金色にフラッシュし、ガシャーン、バラバラと破壊音が響き渡る。

 果たして、画面に映ったのはダクトの下を通る通路と、そして、凶悪な魔物の群れだった。

 魔物は筋骨隆々とした一つ目のゴリラたちだった。黒毛がふさふさの両腕に熱い胸板、その運動能力の高さは圧倒的で、素早く跳び回って戦車の上に飛び乗り、砲塔をもぎ取った動画は魔物の悪夢として何億回もの再生回数を誇ったほどである。

 そして今、全てを見透かすかのような巨大な一つ目の群れが、全てタニアを凝視している。

 考えうる限り最悪の展開に一行は血の気が引いた。

「ヤ、ヤバい! 逃げるんじゃ!」

 レヴィアは真っ青になって叫んだが、直後、ゴリラが飛びかかり、パンチ一発でダクトは爆散。タニアも吹き飛ばされる。ただ床に転がり落ちたカメラが瓦礫を映すばかりだった。

「あ、あぁぁ……」「ひっ!」

 お通夜のように黙り込んでしまう一行。

 タブレットからはゴリラの奇声と断続的な衝撃音が響きつづけた。

「あぁ……、タニアぁ……」

 英斗はその凄惨な事態に頭を抱えうなだれる。

「待ち伏せ……、されておった」

 レヴィアはガックリと肩を落とした。魔王はこちらの行動をしっかりと把握して魔物を配備していたのだろう。その抜け目のなさに英斗は魔王の恐ろしさの片りんを感じた。

「た、助けに行けないんですか!?」

「お主はこの狭い穴を抜けられるんか?」

 レヴィアはダクトの穴を指さし、悲痛な面持ちで返す。

「し、しかし……。タ、タニアぁ……」

 いきなり可愛い仲間を失い、潜入に失敗した。その苛烈(かれつ)な現実は英斗の心をえぐり、絶望色に塗りたくる。

 紗雪は英斗の手を取り、ギュッと握った。その瞳には涙がたたえられ、今にも決壊しそうである。

「さ、紗雪……」

 直後、紗雪は英斗の唇を強引に奪った。

 んっ! んんっ!

 それは悲痛な焦りにあふれたキスだった。ポロリとこぼれた涙が英斗のほほを伝い、現実の苛烈さに抗おうとする必死な思いが伝わってくる。

 紗雪はバッと離れると、赤いシャーペンを下向きに両手でもって精神集中を図った。全身からは黄金の光があふれ出し、やがてそれはシャーペンに集まっていく。

 激しい輝きをまとったシャーペン、それはもはや地上に現れた太陽のようだった。

「紗雪……」

 タニアの救出のために全力を傾ける紗雪に英斗は胸が熱くなる。

 ハァーーーーッ!

 全体重をかけ、シャーペンを床に突き立てる紗雪。

 ズン! という激しい振動とともに爆発が起こり、辺りは爆煙が立ち込めた。

 煙が晴れると数メートルくらいのクレーターができているのが見える。中心部からは天井裏のような内部の様子も垣間見える。

 紗雪はすかさず中に入ろうとしたが、青黒いねばねばの液体がクレーターのあちこちからピュッピュと湧きだしてきて、悪臭が立ち込める。

 明らかに異常だった。

 レヴィアは紗雪を制止して、指先を液体にチョンとつけてみて、叫んだ。

「ダメじゃ! これは強アルカリ。身体が溶けるぞ」

「ええっ!?」

 せっかく開けた穴に入れない、それではタニアを助けられないのだ。紗雪は泣きそうな顔でガクッとひざをつく。

 魔王城の外壁には自動修復機能があるようで、まるで怪我した時の傷口のように穴は液体で覆われ、表面にはかさぶたのような硬い板ができあがり、やがて元通りになってしまった。

紗雪は呆然として床に崩れ落ち、ポタポタと涙をこぼす。

「お主は寝たふりをしとけ!」

 レヴィアは英斗の耳元でそうささやくと英斗を引きずり倒し、紗雪のもとへ行く。

 レヴィアが記憶を奪ったというシナリオにしてくれるらしい。

 英斗は納得がいかなかったが、できることもないのでゴロンと横たわり、薄目を開けて青空にぽっかりと浮かぶ白い雲を眺めた。

 鉄壁の守り。さすが魔王城、考えつくされている。あの小太りの中年は相当にできる奴なのだ。だてに魔王を名乗っていない。

 潜入に失敗した、というその厳然たる事実の前に英斗は自然と涙がこぼれた。

 これからどうしたらいいのか全く分からなくなった英斗は、大きくため息をつき、ぼやけて見える雲をただ眺めた。
「撤退……か?」

 レヴィアはしおれた様子で紗雪に声をかける。

 しかし、紗雪はうなだれたまま動かない。全力を尽くしてもタニアを助けられなかった事実が重苦しく心を押し沈め、言葉も出せなかったのだ。

 と、その時、ヴォォォンと奇妙な電子音とともに少し先の床が四角く浮き上がり始める。

「マズい! 戦闘準備!」

 レヴィアは叫び、銃を構える。紗雪も急いで飛び起きてシャーペンを構えた。

 英斗もあわてて起き上がり、へっぴり腰でニードルガンを向ける。

 せり上がってきたのはエレベーターである。床から四角く飛び出てきた箱には扉が付いており、屋上との出入り口として使う物のようだった。

 いきなりの展開に英斗の手はブルブルと震え、照準も定まらない。

 鬼が出るか蛇が出るか、一行は何が出てくるのか固唾(かたず)を飲んで見守った。

 キャッハァ!

 ドアが開くと同時に歓喜の声が響く。

 なんと、タニアが一人でトコトコトコと出てくるではないか。てっきりやられたものだとばっかり思っていた幼女は、なぜかエレベーターを使って任務を果たしてきたのだ。

 武器を下ろして唖然とする英斗の前を紗雪が駆けていく。

 紗雪は何も言わず凄い速さでタニアの所まで行くと、ひざまずいてギュッと抱きしめた。

 きゃははは!

 タニアは嬉しそうに笑う。

 見ると紗雪の肩が揺れている。タニアの危機に一番胸を痛めていたのは彼女だったのだ。クールを装っていたが、ママと言って人懐っこく抱き着いてくる可愛い幼女に内心情愛を感じていたのだろう。

 英斗はそんな紗雪とタニアの心の交流を、少し羨ましく思いながらしばらく眺めていた。

 見るとタニアのボーダーシャツには真っ青の血しぶきがかかっており、顔もほこりや血でぐちゃぐちゃである。

 英斗はハンカチでそっとタニアの顔をぬぐい、タニアは幸せそうにそっと目を閉じた。

「お手柄だね、お前凄いな」

 英斗は頭をなでながら話しかける。

 しかし返事がない――――。

 いつもならキャッハァ! と、にこやかに返事してくれるのだが。

「お、おい、どうしたんだ?」

 英斗はタニアのプニプニのほっぺたをつついたが、タニアは糸が切れたように首をガクッとさせた。

「えっ!? おい!」

 心配して声をかけた英斗だったが、

 すぴー、すぴー、と寝息が聞こえてくる。

 紗雪は驚いてそっとタニアの首を支えて様子を見た。

「ね、寝ちゃった?」

 むにゃむにゃ、と口を動かしてまた寝息を立てるタニア。

 二人は顔を見あわせ、ちょっと困惑した様子で微笑みあった。

 『手のひら攻撃』の時もそうだったが、タニアは力を使うと寝てしまうらしい。今はゆっくりと寝かせてあげたいが、こんな敵地では寝かせておく場所もない。

 英斗はレヴィアからもらったおんぶひもでタニアを背中に背負う。親戚の子供を何度か背負ったことがあるのである程度慣れてはいるが、人類の命運のかかった戦闘に子供をおんぶして突入することにさすがに困惑は隠せなかった。

 それにしても、あの屈強なゴリラの群れをタニアが一掃したという事実は、少なからずレヴィアと紗雪を動揺させた。あのゴリラはすばしこく、例えドラゴン化したレヴィアであっても手こずる敵なのだ。つまり、タニアが一番強いということになる。

 この不可解な幼女が人類の行方を決めるのかもしれない。


         ◇


 可愛い寝息を聞きながらいよいよ魔王城潜入である。

 一行はついにやってきた正念場に口数も少なく、口をキュッと結びながらエレベーターへと乗り込んだ。紗雪も強引にキスしたことなんてもう気にもかけていない様子で、眉をひそめ、深呼吸を繰り返している。

 行先階は一つだけ、タニアが戦っていた階だろう。

 レヴィアは恐る恐るボタンを押し、魔王城の中へと降りていく。

「ドアが開き次第散開じゃ!」

 レヴィアは緊張感のある声で指示をする。

 英斗はニードルガンをチェックし、両手でしっかりと握った。ドクドクと早鐘を打つ鼓動が感じられ、手に汗がにじむ。

 チーン!

 エレベーターのドアが開くと同時に飛び出す一行――――。

 しかし、そこには誰もおらず、まるでビル解体現場のような瓦礫(がれき)に埋め尽くされた広い空間が広がるだけだった。

 床には紫色にキラキラと輝く魔石が多数転がっており、これらがゴリラの遺体からできたのであれば、相当数のゴリラがここで倒されたことは間違いないようだった。

 不気味な静けさの中、英斗が口を開く。

「これ……、タニアがやったんですかね?」

 元はオフィスの会議室のような空間だったような名残が見えるが、まるで竜巻に滅茶苦茶にされてしまった被災現場かのようである。

「分からんが……、そうなんじゃろう」

 レヴィアは予想以上の壊滅具合に青い顔をしながら答える。

 あの可愛い幼女が無数のゴリラ相手にどんな戦いをしたのかは分からないが、これを見る限り一方的な蹂躙だったのだろう。

 しかし、一体どうやって?

 一行はその凄まじさに押し黙ってしまった。





22. 特異点

 と、その時、ガガガガッ! とノイズが響き渡り、3D映像が天井から降りてきて目の前に大きく浮かび上がった。椅子にふんぞり返った小太りの中年男、魔王である。少し薄くなった頭髪に脂ぎった肌、そして細い目がいやらしく一行を睥睨(へいげい)した。

「フンッ! 好き放題やってくれたな、おい!」

 不機嫌そうに言い放つ魔王。

「何を言っとる! 好き放題やっとったのはお主の方じゃろう!」

 レヴィアは鋭い視線でにらみつける。

 魔王は一行をジロジロと眺め、英斗で目を止め、興味深そうに目を細めると言った。

「ほほう、小僧、お前か……」

「えっ……?」

 単なるキス要員の自分になぜ興味など持つのか分からず、英斗は動揺する。

「お前を始末するのが先だったな……」

 魔王はあごをなでながら、少し悔しそうに言った。

「な、何を言ってるんですか!? 自分はただの何もできない……」

「どうだ、小僧。ワシと取り引きせんか?」

 魔王は英斗をさえぎるようにもちかけ、いやらしい笑みを浮かべる。

「は? 取り引き……?」

「ワシの部下になれ。地球の半分をやろう」

「はぁっ!?」「えぇっ!?」「へっ!?」

 一行はその荒唐無稽な提案に唖然とする。ただの無力な高校生になぜそんな取引をもちかけたのか理解できなかったのだ。

 もちろん、紗雪もタニアも英斗のキスでパワーアップしているのだから、弱体化させるうえで英斗の切り崩しは正攻法とも言えなくもなかった。しかし、そうだとしても地球の半分というオファーは異常だった。

「なぜ……、私なんですか?」

「お前は特異点だ。ただの学生だったらなぜここにいる? オカシイと思わんのか?」

「と、特異点って……、何ですか?」

「知りたいだろ? クフフフ……。部下になれ。悪いようにはせん。クフフフ」

 いやらしく笑う魔王。彼は何かを知っている様子だった。

 英斗はその蠱惑(こわく)的な話に思わず吸い込まれそうになる。『自分は特別な人間だ』そう思わせてくれる言葉の魔力はすさまじい。何の変哲もないただの高校生が魔王討伐で魔王城まで来ていることは確かに変なのだ。

 その時、紗雪が英斗の腕をつかみ、今にも泣きそうな顔で英斗を見る。その瞳にはクールビューティの鋭さはなく、捨てられそうな子犬のような胸に迫る悲哀の色が浮かんでいた。

 ハッと自分を取り戻す英斗。そう、魔王の側へ行くことは全人類に対する裏切り、紗雪に対する背信なのだ。選べるわけがない。

 英斗はふぅと大きく息をつくと、紗雪の手をギュッと握り、

「お断りします!」

 と、毅然(きぜん)と断った。こんな提案をしてくるということは相当追い詰められているということだろう。自分を特別扱いしてくれることに若干の未練はあるが、ただのブラフかもしれない。そんな甘言に期待するようなことはあってはならない、と自分に言い聞かせた。

「ハッ! まぁいい。後悔して死んでいけ」

 魔王は肩をすくめ、首を振る。

「下らん話ばかりしおって。その()っ首叩き落としてくれるわ!」

 レヴィアは親指を立てて首を切るしぐさをしながら、叫ぶ。

「クハハハ! 威勢はいいが、ここは俺の城なんだぜ? せいぜいあがいて見せろ!」

 魔王はいやらしい笑みを浮かべると、親指で下を指さした。

 へっ!?

 レヴィアは焦って辺りを見回す。

 直後、ガタガタガタっと音をたてながら床板が次々と崩落していく。なんと、魔王は一行の一帯を落とし穴にしたのだった。

「ひぃ!」「きゃぁ!」「このやろぉぉぉ!」

 床板と一緒に落ちていく一行。

「クハハハハ!」

 高笑いが上の方で響く。

 暗い穴を真っ逆さまに落ちながら英斗は必死に手立てを探す。しかし、パラシュートも何もない英斗には打つ手など何もなかった。もはや絶望的な破滅しか考えられず、無重力の中、走馬灯が回りかける。

 次の瞬間、ボン! という爆発音とともにレヴィアがドラゴン化した。しかし、穴はドラゴンが入れるようなサイズではない。レヴィアは落とし穴にすっぽりと詰まり、不完全な変形状態のまま

「痛てててて!」

 と、叫び、壁面を鱗のトゲでガリガリと削りながらズリ落ちていく。

 紗雪はレヴィアのシッポの上に落ち、素早く体制を整えると続いて落ちてくる英斗を上手く抱きとめた。

「ひ、ひぃぃ……。あ、ありがとう」

 九死に一生を得た英斗は、ガタガタと震えながら涙目で紗雪に抱き着く。

 甘酸っぱく優しい紗雪の香りがふんわりと英斗を包んだ。

「ちょ、ちょっと離れなさいよ!」

 紗雪は真っ赤になりながら英斗を引きはがそうとしたが、英斗の震えを見てふぅと息をつき、険しい目で上を見上げた。

 かなり落ちてきてしまったようで、さっきのフロアがはるかかなた上の方に見える。これでは戻ることは現実的ではなかった。

 レヴィアは徐々にゆっくりになり、やがて停止する。

「痛ててて! お主ら早く何とかしてくれぇ!」

 下の方から重低音の声が響く。

 紗雪は英斗を、安全なレヴィアの尻尾の裏に座らせると、シャーペンを握り締め、穴の壁面をあちこち叩いていく。

 ガンガン、カンカン、キンキン、と叩く場所によってそれぞれ反響音が違う。

 紗雪は目星を付けると黄色く輝く魔法陣を描いた。

 魔法陣から飛び出す岩の槍たちは激しい衝撃音をたてながら壁面をうがち、やがて大穴を開けていく。どうやら外壁とは違って通れそうだった。

 こうして何とか死地からの復帰はできたものの、魔王城の中は魔王のテリトリーであり、圧倒的なアウェイであることは変わらなかった。







23. 百万匹の脅威

 壁を抜けるとそこは暗闇に沈む広大な空間になっていた。

 コンクリート打ちっぱなしの硬い床を歩くと、コツコツと高い音を立てる足音が反響して辺りに響きわたる。

「ここは……?」

 シーンと静まり返るその空間には、暗闇の中に何かがたくさん並んでいる。

 紗雪はライトの魔法でフロアを照らし出し、あまりのことにギョッとする。何とそこには大小織り交ぜて無数の魔物が陳列されていたのだった。

「な、なんだこりゃぁ」

 英斗はその異様な空間に背筋がゾッとした。

 オーガやゴリラ、サイクロプスだけでなく、見たこともない大蛇やフクロウにコウモリなど凶悪な面構えをした魔物が静かに微動だにせず並んでいた。

 最初は剝製(はくせい)かとも思ったが、体表は温かく熱を帯びており、いつ動き出してもおかしくなかった。

「魔物の研究室かもしれんな」

 レヴィアが腰をさすりながら言う。

「研究室?」

「ここで新たな魔物を創り出し、それを量産して魔王軍にするんじゃろう」

 確かに見渡す限り同じものはなく、全部別の魔物だった。ここで作っているというよりは研究目的の方がぴったりくる。しかし、どうやって創り、量産しているのだろうか? まさに魔王軍の強さの秘密がこの研究室に隠されていそうだった。

 一行は静かに魔物たちの間をぬい、奥を目指す。

 最奥までいくと、手術台のようなステージが見えてくる。よく見ると、多くの機械がびっしりと並んでいた。どうやらここで新たな魔物を創るようだったが、これだけでは何とも言えなかった。

 レヴィアは興味深そうに機械を観察していくが、それはバイオ的な機械というよりは発電所のようなエネルギー系の機械であり、なぜ巨大電力で魔物が生まれるのか首をひねるばかりだった。

 これを見ると魔物は生き物ではないということになる。魔物は倒すと魔石になって転がるので生き物ではないのではないか、とは言われていたが、それを補強する証拠といえそうだ。

 さらに、散らばっているメモ書きを読み込んでいくと、ここ数年で魔物の生産速度が飛躍的に向上していることが分かった。単純に計算してみて百万匹に達する数が生産されたことになる。

「百万匹!?」

 英斗は青い顔をして叫んだ。昨日の大攻勢でも十万匹しか倒していない。残る九十万匹はどこへ行ってしまったのだろうか?

 世界を簡単に焼き尽くせる圧倒的な武力がどこかに隠されている。その事実に一行は言葉を失い、お互い顔を見合わせ、腕組みをして考えこんだ。

 この空間にいるのだとしたらとっくに現れていてもおかしくないが、魔王城の警備は比較的手薄だった。となると、地球にすでに送り込んでいることになるが、そんな話は聞いたこともない。一体どうなっているのだろうか?

 九十万匹の大軍隊が地球のどこかに秘かに配備されているかもしれない。その可能性に英斗は胸が苦しくなり、思わず深呼吸を繰り返した。

 今ここで魔王を仕留めない限り、人類滅亡は避けられないかもしれない。魔王城攻略の重要性は一気に高まってしまった。

「とりあえず、こいつら焼いちゃっていいですか?」

 紗雪は不機嫌そうにレヴィアに聞く。

 確かにこの数百匹の魔物たちが動き出したらとんでもない事になる。停止している間に叩くというのが得策だろう。

 レヴィアはニヤッと笑い、

「よし、大暴れしてやるか!」

 と、真紅の瞳に決意の色をにじませて叫んだ。

 紗雪は手術台の上にピョンと跳び乗るとそこから魔物たちに向けて炎の魔法陣を次々と描いていく。オレンジ色に燃え上がるかのような輝きを帯びた魔法陣は、暗い空間を煌々と照らし、刹那、無数放たれる炎の槍はまるで花火のように美しい輝きを放ちながら次々と魔物たちに襲いかかる。

 着弾した炎の槍は魔物たちを吹き飛ばし、燃やし、隅へと変えていく。

 レヴィアはドラゴン化し、フロアに降りると、重低音の咆哮を放つ。ビリビリと手術台は揺れ、英斗は思わずしゃがみ込む。

 不気味に光る巨大な牙の並んだ口をパカッと開けたレヴィアは、入口の方の天井めがけてドラゴンブレスを放った。鮮烈なエネルギーの奔流は天井を直撃し、やがて溶岩のような輝きを放ちながらどんどんと溶けだしてくる。こうなると魔王城も弱い。上のフロアの床も抜け、瓦礫が降り注ぎ始めた。形勢逆転である。

 グワッハッハーーーー!

 レヴィアの豪快な笑いがフロア中に響き渡る。

 英斗は二人の圧倒的な破壊力に気おされ、手術台の裏で小さくなっていた。

 ただ、魔王としたら魔王城内でここまでの破壊活動をされてはたまらないはずだ。きっと何か手を打ってくるだろう。










24. 魔王城炎上

 さて、どういう手を打ってくるかと、英斗は辺りを必死に警戒した。自分のできる事なんてこんなことくらいなのだ。二人の派手な攻撃の後ろで頑張って辺りをジッとチェックしていく。

 すると、隅っこの方にかすかに動く影を見つけた。それは様子をうかがうような、明らかに不穏な動きをしている。小型の緑色の魔物、ゴブリンだろうか?

「何かいるぞ!」

 英斗は叫んで立ち上がり、震える手でニードルガンを構えた。生まれて初めての射撃、ドクドクと高鳴る鼓動の音を聞きながら静かに引き金を引く。

 ニードルガンから放たれた針のようなニードルは、青色に美しく輝きながら光跡を描き、次々とゴブリンへと迫った。

 最初は大外ししていた英斗だったが、連射しているので修正は容易である。逃げ惑うゴブリンに合わせてニードルガンを操り、最後はついに命中させた。

 グギャッ!

 と、断末魔の悲鳴を上げながらゴブリンは倒れ、手元から何かが転がる。

「伏せろ!」

 レヴィアが叫んだ直後、それは大爆発を起こした。なんと、手りゅう弾を持たせた魔物を送り込んできているのだ。

 直後、ワラワラとゴブリンたちが物陰から身を現したが、レヴィアがブレスで一気に焼き払う。大爆発が次々と起こり、英斗はその激しい衝撃に頭を抱えて何とか耐えた。

「ふぅ、油断もすきも無いのう……。英斗、よくやった!」

 英斗は少しは役に立ててホッとして胸をなでおろす。

 しかし、レヴィアが焼き払ったあたりの壁が崩壊すると、爆煙の向こうに妖しく赤色に光る点がならんでいる。

「へっ?」「えっ?」「きゃぁ!」

 なんと、魔物たちの群れが殺る気満々でスタンバっていたのだ。

 直後、サイクロプスにオーガにゴリラたちが雄たけびを上げながら瓦礫を跳び越え、一気に押し寄せてくる。

「正念場じゃ! ()ぎ払え!」

 レヴィアは立て続けにブレスを連射し、次々と魔物たちを火に包んでいく。撃ち漏らしを紗雪が魔法の風の刃で薙ぎ払い、さらに生き残りを英斗がニードルガンで始末していく。

 フロアは一気に苛烈な戦場と化し、風魔法が切り裂く魔物の血しぶきが舞い、焼け焦げた死体が転がり、爆発音が響いた。

 攻撃をかいくぐって飛びかかってくる魔物に英斗は必死にニードルガンを当て続け、戦線を防衛する。魔王城内ということもあって、魔物たちはレーザー攻撃を禁止されているらしく、何とか英斗も役に立てていた。レーザーを撃たれていたら英斗など即死だっただろう。


       ◇


 激しい戦闘も終焉を迎え、やがて静けさが訪れる。何とか一行は魔物の襲撃の一掃に成功したのだ。

 はぁはぁと荒い息をしながら、英斗はニードルガンをおろし、ふぅと大きく息をつくとペタンと座り込んだ。

 背中からは、すぴー、すぴー、という寝息が聞こえてくる。これでも起きないとはタニアは大物かもしれない。

「どうやら敵さんの手は尽きたようじゃな」

 レヴィアも一息ついて満足そうに笑みを見せた。

 紗雪もひざに手をつき、大きく肩を揺らしている。まさに死闘だった。


 すると、ガラガラっと音を立てて入口の方にたくさんの瓦礫が降ってくる。天井を攻撃していたのが効いてきたらしい。

「見てくるわ」

 紗雪は疲れた体に鞭を打ち、ピョンピョーンと魔物の焼け焦げた死体の間を器用に飛び越えながら天井の穴の方へ行き、上を見上げる。そこには激しい炎がオレンジ色に辺りを照らしている様子が見て取れた。

 上のフロアのさらに上のフロアでも火災が発生していて、次々と延焼が進んでいるらしい。

「ねぇこれ、このまま全部ぶち抜けないかしら?」

 紗雪はレヴィアに聞く。

 レヴィアも穴を見上げ、その延焼具合にニヤリと笑うと、

「ほう、思ったより安普請(やすぶしん)じゃな……。やってみるか」

 そう言ってまたブレスを派手におみまいした。

 降ってくる瓦礫を器用によけながら、紗雪も岩の槍で上層階のフロアの天井を抜き、レヴィアと一緒に魔王城を火に包んでいく。

 それは想定外の展開ではあったが、確かにこのまま魔王のフロアまで焼き尽くせば勝ちである。

 上の方のフロアで断続的に発生する爆発音、ガラガラと次々と降り注ぐ瓦礫、初めて見えた勝ち目らしいチャンスに英斗は手に汗握って二人の活躍をジッと見つめていた。もしこれで魔王を仕留めることができたら、自分も世界を救った英雄の一員なのだ。それは人類八十億人を救った偉業であり、ただの高校生が成し遂げたとんでもない英雄譚になる。

 英斗は早鐘を打つ鼓動を感じ、湧き上がってくる興奮を抑えられずにいた。


          ◇


 激しい爆発音が上の方で上がり、いよいよクライマックスが近いことを感じさせたその時、いきなりレヴィアは攻撃をやめてしまう。

「やられた!」

 と、叫びながら英斗の方へ、ズシンズシンとフロアを響かせながら駆けてくるレヴィア。

「えっ……?」

 英斗はいきなりの展開に焦ってキョトンとしてしまう。

 レヴィアは手術室脇の非常口らしきドアのところまでやってくると、

「ダメだ! 逃げられた! 追うぞ!」

 そう言って、シッポをブンとものすごい速度で振り回し、ドアを吹き飛ばす。

 英斗はガックリとうなだれ、ふりだしに戻ってしまったような脱力感に大きなため息をつき、大きく首を振った。













25. 無慈悲

 外で戦っていた黄龍隊から連絡があり、シャトルが上層階から射出され、北の方へと飛んでいるらしい。今、メンバーが追跡しているということなので急いで後を追うしかない。

 ドアが吹き飛ばされた非常口からは太陽の光が差し込み、外の景色が良く見えた。外からは一切侵入を受け付けない外壁だったが、内側からは簡単に開けられてしまうらしい。

 英斗は恐る恐る首を出して辺りを見回した。先ほどまで激しい戦闘が行われていた周囲も今は静まり返り、くすぶっている木々から白い煙がうっすらと上がるばかりである。

 下を見ると、はるかかなた下の地面まで何もない。手すりや非常階段など何もない、実に魔王城らしい割り切った作りだった。落ちたら一巻の終わりだと思うと、英斗は肝がキュッと冷える。

 レヴィアは一足先に外へと飛び出し、翼の調子を確かめてステップに頭を横付けして叫ぶ。

「早く乗れ!」

 紗雪はピョンと跳び乗り、眩しそうに目を細めて辺りを見回した。

 英斗も跳び乗ろうと思ったが、レヴィアは羽ばたいているので、揺れ動いて隙間もそれなりにある。普通に人間にはとても跳び乗れそうにない。英斗が恐る恐る鱗のトゲに手を伸ばすと、紗雪はすっと手をつかみ、

「は、早くしてよね!」

 と、真っ赤になりながら英斗を引っ張り上げる。

「あ、ありがとう」

 うまく乗り移れた英斗はニッコリと笑ったが、次の瞬間、足を滑らせて思わず紗雪にしがみついた。

 うわっ!

「ちょ、ちょっとなにやってるのよぉ」

 口調は厳しかったが、紗雪は微笑みを浮かべながら優しく英斗を確保すると、そっと座りやすいところへと移動させた。

 英斗はそんな紗雪の心遣いが嬉しくなり、紗雪を隣に座らせるとしっかりと手を握る。

 紗雪はちょっと驚いたような表情を見せたが、拒むわけでもなくプイっと向こうの方を向いた。

 英斗は柔らかな紗雪の手の温かさを感じながら、早く穏やかな日々を取り戻したいと願った。


       ◇


「つかまっとれ! 急いで追うぞ!」

 そう言うとレヴィアは力強く大きな翼をはばたかせ、一気に高度を上げていく。

 振り返るとブスブスと黒い煙を噴き上げている魔王城が小さくなっていくのが見えた。拠点を潰せたことは大きな成果ではあったが、英斗は胸騒ぎが押さえられず、キュッと唇を結ぶ。

 どこかに隠された九十万もの魔物たち、あっさりと捨てられた魔王城。自分たちは追い詰めたつもりでいるが、もしかしたら魔王にしてみたら想定の範囲内なのかもしれない。

 英斗は紗雪の手を握りなおし、気持ちを落ち着けようとなんども大きく息を吸った。


        ◇


 雲を抜け、さらに加速した時だった。

 いきなり激しい閃光が天地を埋め尽くし、体中の血液が沸騰するかのような激しい熱を受け、英斗は思わず気を失いそうになる。

 グハァァァ!

 レヴィアは絶叫するとドラゴン形態を維持できなくなり、気絶したまま少女の姿に戻ってしまった。

 空中に放り出された一行。

 ただ地面へ向かって一直線へと落ちていった。

 いきなりの大ピンチに何が何だか分からないながら、英斗は必死に歯を食いしばって意識を保つ。全身がやけどしたように激痛が走りながらも、何とか顔を上げた。

 紗雪を見ると、気絶してしまったようでぐったりとしてしまっている。

「さ、紗雪!」

 そう叫んだ時、巨大な灼熱のもくもくとした塊が視界に入ってきた。

 え……?

 その禍々しいエネルギーの塊に唖然とする英斗。

 それはやがて巨大なキノコ雲へと成長し、熱線をまき散らし、赤く輝きながら上空へと舞い上がっていく。

 それを見て英斗は全てを理解した。核兵器だ。魔王は核を使って魔王城を爆破したのに違いない。

 証拠を残さないため、そして、あわよくば自分達を抹殺するために核で魔王城を吹き飛ばしたのだろう。

 その、容赦ない蛮行に英斗は震え、生ぬるかった自分の発想を反省した。自分たちが戦いを挑んでいる全人類の敵とは、こういう無慈悲で容赦ないサイコパスなのだ。

 英斗はギリッと奥歯を鳴らし、キノコ雲をにらむ。

 しかし、このままでは地面に激突して全滅である。

 英斗は紗雪の手をつかんだまま、手足をうまく動かして落ちる向きを変え、少し離れたところを落ちていくレヴィアの手をつかんだ。

 レヴィアは全身赤く腫れあがっていて、とても意識を取り戻せるような状態には見えない。

 万事休す。

 英斗はギュッと目をつぶり、事態の深刻さに混乱する頭を必死に動かした。
「くっ!」

 英斗は自然と湧いてくる涙をぬぐいもせず、次に紗雪に叫んだ。

「おい! 紗雪! 紗雪!」

 しかし、自分よりダメージは深いようで、うめき声を上げるばかりで気が付く様子がない。

 その間にもどんどん迫ってくる地面。

 圧倒的な絶望が英斗を襲い、湧きだす涙は風に吹かれて宙を舞った。

 英斗はギリッと奥歯を鳴らし、意を決すると紗雪の唇を吸う。初めて自分から紗雪に手を出したのだ。

 柔らかなぷっくりとした唇を割って侵入し、紗雪の舌を探しだす。そして、ありったけの想いをこめて舌を吸い、また、軽く甘噛(あまが)みした。

 英斗の想いは紗雪の脳髄を官能的に揺らす。

 直後、ピクッと反応があり、紗雪の舌が自然と英斗の舌を求め始めた。そして金色に輝き始める紗雪。

「よし! いいぞ!」

 英斗はバッと離れると、レヴィアを抱えながら紗雪のほほを叩いた。

 紗雪はゆっくりとまぶたを開き、ぼーっとしていたが、辺りを見回し、真っ逆さまに堕ちている状況を把握するとバッと大きく見開いた。

「ひ、ひぃぃぃ!?」

 おびえる紗雪を英斗はギュッと抱きしめ、

「核攻撃を受けた。何とか落ちるのを止められないか?」

 と、紗雪の耳元で頼み込む。もはや紗雪の超常的な力にしか頼れないのだ。

 胸にしがみついて硬直している紗雪の背中を、英斗は優しくトントンと叩き、

「紗雪にならできる。そうだろ?」

 と、耳元で語り掛ける。

 どんな方法があるのかなんてさっぱり分からないが、紗雪もドラゴンの仲間なのだ。きっと空を制するやり方があるに違いない。

 紗雪はしばらく何かを考えると、ゆっくりとうなずいた。

 シャーペンを取り出した紗雪は、下向きに何やら魔法陣を描き始める。

 英斗はレヴィアを抱きしめながら一緒に紗雪の腰にしがみついた。黒光りする光沢のあるタイツ越しに紗雪の体温が感じられ、ちょっとドキドキしながらしっかりと身体を固定させる。

 もう地面激突まで数十秒もないのだ。

 背中からはうなされているようなタニアの声が聞こえる。

「タニアー! もうちょい頑張れ! ママが何とかしてくれるから!」

 英斗は後ろを向いてそう叫びながら、タニアのプニプニの手を優しくなでた。

 直後、紗雪の描いた魔法陣が緑色に輝きを放ち、英斗は目をギュッとつぶってただ紗雪の体温を感じる。

 次の瞬間、紗雪の風魔法が暴風を巻き起こし、一行は噴き上げられる形で少しずつ減速しはじめた。

 元々は攻撃魔法なのだろう。その暴風は容赦なく英斗たちを襲い、服など千切れんばかりにはためいている。しかし、地面に激突することに比べたら我慢できる話だった。

 そっと英斗がうす目を開けると、うっそうと茂る森の木々はいぜんとして徐々に大きくなっていくが、このペースで減速していくなら何とかなりそうだった。

 英斗がホッとしてキノコ雲の方を向くと、爆心地から白い(まゆ)状に広がっていく白い球体が目に入った。


 え……?

 英斗はそれが何かすぐには分からなかった。まるでガチャガチャの透明カプセルみたいに綺麗な球体がどんどんと大きくなっていくのだ。

 しかし、地面の方を見ると、まるで火砕流のように白い(まゆ)が通過していくところはありとあらゆるものがことごとく破壊され、煙の津波に埋もれていっていた。

 そう、それは核爆発のエネルギーの衝撃波だったのだ。

 英斗は真っ青になり、

「紗雪! やばいやばい! 逃げなきゃ!」

 と、叫んだ。

「え?」

 紗雪が顔を上げたが、もう間に合わない。

 白い繭が目の前に大きく広がり、視界を真っ白に変えていく。

「来るぞ! 備えて!」

 英斗はそう叫ぶと紗雪をギュッと抱きしめ、腰のあたりに顔をうずめた。

 刹那、激しい衝撃波が一行を襲う。そのとんでもない核のエネルギーは、みんなをまるでピンポン玉のように弾き飛ばす。その衝撃で散り散りとなった一行は火砕流の爆煙の中に飲みこまれていった。

 英斗はなすすべもなく瓦礫の渦巻く爆流にもみくちゃにされ、意識を失ってしまう。

 後に残されたのは全ての木がなぎ倒された瓦礫だらけのハゲ山で、まさに死の大地が広がるばかりだった。









27. 襲いかかる悪夢

 ピッ、ピッ、ピッ――――。

 電子音の単調なリズム音が聞こえてきて英斗が目を覚ますと、そこは見知らぬベッドの上だった。

 えっ……、あれっ……?

 目をこすりながらバッと体を起こした英斗だったが、あちこちから激痛が走る。

「うっ! 痛てててて……」

 思わず顔をしかめ硬直する英斗。

「うぅぅぅ……。なんだよこれ……」

 腰を押さえながらゆっくりと辺りを見回すと、それは病室のようだった。近未来的なドアの形状からするとエクソダスの中の病院なのかもしれない。

「なんでこんなところに……、あっ!」

 ようやく核攻撃を受けて吹き飛ばされたことを思い出した。あの絶望的な状況から生還したらしい。英斗は両手を眺め、傷一つなくきれいないつもの自分の手であることを確認し、小首をかしげた。

 確かに身体の節々が痛いので、それなりのダメージを受けているようだったが、傷が一つもないのは不自然だった。エクソダスの医療技術が発達しているということなのだろうか?

 隣のベッドを見ると毛布が膨らんでいる。誰かいるようだ。

 英斗は体をいたわりながらそっと床に足を下ろし、隣のベッドをのぞいてみる。

 それは毛布で顔を隠したショートカットの黒髪の少女だった。きっと紗雪だろう。

「さ、紗雪か?」

 声をかけてみると、彼女は毛布をずり上げて隠れてしまった。

「ねぇ、あれから……、どうなったの……かな?」

 恐る恐る聞いてみると、もぞもぞと毛布が動き、隙間から手が伸びてきてスマホを差し出してくる。

「ス、スマホ……? 見ろって?」

 英斗は怪訝に思いながらもスマホを受け取り、画面を見た。そこには動画が映っている。

 再生をタップして英斗は凍り付いた。それは無数の魔物が世界中を破壊しつくしている動画だったのだ。

「え……? これ、本物? 映画とかじゃなくて、リアルなの?」

 海から無数の魔物が次々と上陸し、レーザー光線を乱射しながら街を火に包んでいく。

 東京上空からのドローン映像では、あっという間に海岸線から上がった火の手がどんどんと内陸に進んでいる様子が見て取れた。それはまるで貪欲な炎が東京を食べつくしていくかのように、炎の津波がゆっくりと、しかし確実に全てを炎に沈めていく。

 英斗は凍り付いた。この圧倒的な破壊力に対抗できる力を人類は持ち合わせていない。このままだと人類は滅亡してしまう。

 な、何とかしないと……。

 しかし、この圧倒的な魔物の攻勢を止められる方法など思いつかなかった。タニアに頼んでまた宇宙からの手で押しつぶしてもらおうかとも思ったが、どこを潰すというのだろうか? 東京を丸ごと押しつぶしてしまったらみんな死んでしまう。

 それにこれは録画映像だ。もう全ては終わってしまっているかも知れない。

 やがて、炎の波は英斗たちの街も飲みこみ、全てを灰燼に帰していく。

 あ……、あぁ……。

 英斗はスマホを持つ手が震え、気が遠くなっていく。

 パパもママも、友達も、あの住み慣れた我が家もすべてこの世から消えていく。それはとても信じたくない現実だった。

「な、なんだよこれ!」

 ポトリ、ポトリと落ちる涙をぬぐいもせず、英斗は叫んだ。

 九十万の魔物は地球各地の海の中に隠れており、一気に世界各国の都市を襲い始めたらしい。当然、軍隊も出動したが、圧倒的な数の暴力の前に殲滅され、もはや魔物の破壊を止める方法は残されていなかった。

 うっうっ……。

 紗雪の毛布が揺れる。

 英斗は紗雪の手を取るとギュッと握りしめた。

「もう……、終わりなのよ……、全部終わり。もう生きてる意味なんてないわ!」

 激しい悲しみが紗雪から吹き出す。英斗は返す言葉も見つからず、ただ、呆然としながら涙を流していた。

 確かにみんな死んでしまったら、どう生きて行ったらいいか全く分からない。勉強したって行く大学も無ければ勤める会社もない。気になるマンガもアニメも続きは二度と作られないし、お気に入りのアーティストももう二度と歌わない。農家も漁師もなく、レストランも無ければお菓子もない。瓦礫の山と化した日本で、世界で、自分たちはどうやって生きていくというのだろうか?

 英斗はただゆっくりと紗雪の手をさすった。自分にはもうこんなことしかできなかった。

















28. 究極のオカルト

「ねぇ……、どうしたらいいの?」

 毛布の隙間から泣きはらした紗雪の瞳がのぞく。そこにはクールビューティの冷徹な美しさはみじんもなく、ただの迷える子犬だった。

 英斗はそっと優しく紗雪の髪をなで、涙にぬれるほほに手のひらを当てる。

 紗雪は目をつぶり、英斗の手に自分の手を重ねて大きく息をつく。

 そのなまめかしく動く、赤いぷっくりとした唇に英斗は目が釘付けになった。

 何度もキスを交わした愛しい唇……。

 英斗は吸い寄せられるように近づいていく。

 紗雪は少し驚いた様子を見せたが、うるんだ瞳で英斗をジッと見つめ、次の瞬間貪るように英斗の唇に吸いついた。

 熱いキス。二人は全てを忘れお互いを求めあう。激しく舌をかわし、唇を吸い、また舌を重ねあった。

 苛烈な現実から逃げるように熱く抱きしめあい、ただ、お互いを貪るように全てを吸いつくしていく。

 やがて、英斗は胸に当たっている二つのふくらみに自然と手が伸びていく。まだ発達途中の小ぶりなふくらみではあったが、張りがあってそれでいて柔らかく吸い付くように英斗の手のひらになじんだ。

 いきなりのアクションに紗雪は舌の動きがピタッと止まる。

 しかし、英斗の手はもう止まらない。

 そして、ゆっくりとまた紗雪の舌が動き始め、熱い吐息が漏れた。

 その時だった。

 バシュー!

 と、自動ドアが開き、二人は慌てて飛びのくように離れる。

「おいこら、そこまでにしとけ。病室じゃぞ!」「きゃははは!」
 
 レヴィアはいつもの黒とグレーの近未来的なジャケットの姿で呆れたように言い、タニアは嬉しそうに笑った。

 紗雪は真っ赤になって毛布をかぶり、英斗はバツが悪そうにうつむく。

「まぁ、気持ちは分からんでもない。じゃが、そんなことしてる暇はない。魔王討伐の続きをやるぞ!」

「討伐って……、今さら討伐したってどうしようもないじゃないですか」

 英斗は力なく首を振る。

 レヴィアは静かにじっとうなだれる英斗を見た。

 しばらく何かを考えた末にレヴィアは、うんうんとうなずくと、

「地球を……、死んだ人を元に戻せるとしたら?」

 と、とんでもない事を言い出した。

 は?

 英斗は眉をひそめ、レヴィアを見た。

 レヴィアは、じっと英斗を見つめている。

「何言ってんですか、死んだ人が生き返る訳ないじゃないですか!」

 英斗は荒唐無稽なことを言い出したレヴィアに(いきどお)りを覚え、にらむ。

 しかし、レヴィアは動じない。その真紅の瞳は澄み渡り、とても嘘や冗談を言っている雰囲気ではなかった。

 英斗はどういうことかレヴィアの真意をはかりかね、首をかしげる。

 レヴィアはクスッと笑うと、言った。

「生き返りはありえないと思っとるのか?」

「どんなに医療が発達しても死んだ人は生き返りません。常識ですよ」

 ハッハッハッハ!

 レヴィアは楽しそうに笑った。

「な、何がおかしいんですか!」

 レヴィアはベッドの下からカゴを取り出すと、それを英斗に見せた。

 それはズタズタになったシャツで、赤黒くテカっている。

「これは……、何ですか……?」

 そう言いながら持ち上げて英斗はハッとした。

 それは英斗の着ていたシャツだった。そして、赤黒いのは血の固まったもの。ズタズタになりぐあい、出血量からいって着ていた人は即死に違いない。と言うことは……。英斗は背筋にゾッと冷たいものが流れるのを感じた。

「お主は一度死んだんじゃ」

「……。マジですか……? それでは蘇生の技術がここにはあるって……事ですか?」

 英斗は震える手で、自分の血が真っ黒になって染みついたシャツをまじまじと眺め、呆然とする。

「違うんじゃ。ここでは人は死なんのじゃ」

 レヴィアはそう言ってウンザリしたように肩をすくめた。

 英斗は驚いた。人が死なないとはどういうことだろうか? 全く想像もつかない非科学的な話に頭が付いていかない。

「死なないってどういうことですか? そんなこと……、あるんですか?」

「ここは流刑地といったろ? ここの食べ物を一度でも口にしたものは、ここでは人は年も取らないし死んでも生き返ってしまうんじゃ。死なずに無限の時を反省し続けろって事じゃろうな」

「ま、まさか……」

 英斗は青くなる。そんなバカげたことが現実にあるとはとても思えなかったが、それでもこのシャツを見れば自分が一度死んだこと自体は認めざるを得ない。あの核爆発の膨大なエネルギーの火砕流に飲みこまれて、生き残れる方がオカシイのだ。

 今生きている自分自身の身体が不老不死を証明してしまっている。そんなオカルトめいた事実が英斗の心を言いようなく不安にさせた。









29. 不老不死の恐怖

「もちろん、地球だったら死ぬぞ。紗雪の祖先だってみんな死んどるからな。じゃが、ここにいたら死なんのじゃ」

 エクソダスがここに墜落(ついらく)してから五百年、それでもレヴィアの身体は子供のままだ。その理由が不老不死にあるとすれば辻褄(つじつま)があわないこともない。

「では、死んだ日本のみんなも生き返らせられる?」

「原理的には可能じゃろうな」

 レヴィアは淡々と言うが、そんな荒唐無稽なことをどう理解していいのか分からず、英斗は言葉を失った。

 するといきなり毛布を跳ね上げて紗雪が起き上がり、

「ど、どうしたらいいんですか?」

 と、叫んだ。その悲痛な瞳には光が戻り、一縷(いちる)の望みに託す切実な想いが浮かんでいた。

「分からん」

 首を振るレヴィア。

「分からんってどういうことですか?」

 英斗は食って掛かる。

「まぁ、おちつけ。全ては女神さまの(おぼ)()しじゃ」

「女神……?」

「このエクソダスを撃墜した憎っくき神様じゃな」

 レヴィアは肩をすくめ、渋い顔で答える。

「じゃあ、女神さまに会って、地球を元に戻してくれって頼めばいいって事ですね?」

 英斗はレヴィアに迫り、手をつかんだ。

「まぁ、そうじゃな。そもそもこの流刑地からの攻撃で地球は滅亡しかかってるんじゃから、元に戻す理由にはなるじゃろう」

 紗雪も身を乗り出して聞く。

「どこに女神さまはいるんですか?」

「分からん。分からんが、魔王は知っているようじゃ」

「魔王……?」

 紗雪は眉をひそめ、英斗と目を合わせた。

 地球を滅ぼしている悪の権化(ごんげ)が救済の手がかりを持っている。それがどういうことなのかいまいち二人にはピンとこなかった。

「魔王は以前『女神に復讐してやる!』と、息巻いておったから、女神さまについての情報を持っているようなんじゃ」

「女神に復讐……、彼もここに閉じ込められたということなんですかね?」

「龍族と一緒じゃな。何か女神さまの逆鱗に触れることをして飛ばされたんじゃろう。あの魔物を創る能力が関係してるかもしれんな」

「魔物で悪さをしたとか……、ですかね?」

「その辺りじゃろうな。何しろ嫌な奴じゃ」

 レヴィアは目をつぶり、肩をすくめた。


      ◇


 レヴィアから現状と今後の作戦についての説明が続いた――――。

 地球では七十億人以上が死に、いまだに魔物の攻勢は衰えていないそうだ。人類はもう長くはもたないだろう。しかし、地球制覇が終われば九十万の魔物の大群はこちらに戻ってきてしまう。そうなればここも無事ではすまない。それまでの間に魔王を仕留めるしかもはや道はないとのことだった。

 今やるべきことは本当にそれなのかすら確信が持てないまま、英斗はフワフワした気分でただ相槌を打っていた。

 説明が終わるころには陽はすっかりと沈み、窓の向こうではたなびく雲が茜色に輝いている。

 英斗は広いバルコニーに出ると伸びをして、少し冷たくなってきた空気を大きく吸い込んだ。

 そして手すりに腕を預けながら徐々に鮮やかさを増していく茜雲を眺める。

 死んでしまった両親や友人、滅んでしまった日本、もはや当たり前のように続いていた愛しい日々は(つい)えた。ただ、まだどこかでそれが自分の中では()に落ちていない。

『自分の目で確かめるまでは信じられない……』英斗はそう思ったが、実際のところは信じたくないだけだった。多分それを受け入れてしまったら心が崩壊してしまいかねないので、心が自然とブレーキをかけているのだろう。

 英斗はふぅと大きく息をつき、うなだれる。

「英ちゃん?」

 気がつくと紗雪が隣にいた。うすいピンクの入院服をまとい、心配そうに英斗の顔をのぞきこんでいる。

 英斗は両手で顔をこすり、

「あ、ああ、紗雪。どうしたんだ?」

 と、無理ににこやかな顔を作って答えた。

「魔王討伐だけど……、本当に……続ける?」

 紗雪は困惑する思いを素直に口にしてうつむく。

 ふぅと英斗は大きく息をついた。

 レヴィアの言うことには筋が通っている。確かに女神という超常的存在に頼るしか今はもう道はないし、そのために魔王を制圧することは必須条件だ。しかし……。

 英斗は頭を抱えて首を振る。

 女神になんて本当に会えるのか? 女神は地球を再生なんてしてくれるのか? ということを考え出すとどう考えても上手く行きそうになかった。

 しかし、やらないというのであれば自分たちを待つのは死だけだ。さらにたちが悪いことに、ここでは死なないらしいから永久に苦しみ続けるような末路が待っているのかもしれない。

 今回も誰かが瓦礫の中から自分を掘り出してくれたから、ベッドの上で蘇生ができたが、もしそのままだったら、瓦礫の中で永遠に苦しみ続けていたのかもしれないのだ。

 英斗は死なない事の本当の恐ろしさをここで初めて実感し、ブルっと体を震わせた。

 もしかしたら地球へ行って自殺することが本当は正解なのかもしれない。英斗はそんな発想にハッとして自分が恐くなり、胸がキュッと痛んだ。










30.バカバカバカバカ!

 英斗は首をブンブンと振り、後ろ向きな発想を振り払う。

 ネガティブな思いに負けないためには希望を追うしか道はない。たとえ可能性がほとんど無くても、今はレヴィアの無理筋のプランに乗る以外道はなさそうだった。

 英斗は自分の頬を両手でパンパンと叩き、気合いを入れなおすと、紗雪の手を取り、うるんだ瞳を見つめ、

「大丈夫! 女神さまに地球を再生してもらおう」

 と、笑みかける。

 紗雪は口をとがらせベソをかきいていたが、他に道が無いことも分かっているのだろう。ゆっくりとうなずいた。

「『できる』と思っていれば道は開けるよ。一緒に頑張ろう」

 英斗は必死に鼓舞する。我ながら無責任なことを言っているとの自覚はある。しかし、中途半端な取り組み方では絶対に上手く行かない。やると決めたら全力でやる以外ないのだ。

 しかし、紗雪は無言でうなだれている。

 英斗は大きく息をつくと紗雪を自分の方へと向かせ、やさしく両手で抱き着いた。

 えっ!?

 小声で驚く紗雪。

「大丈夫、僕がついてるよ」

 耳元でそう言って優しく紗雪の黒髪をなでた。ふんわりと柔らかい柑橘系の香りに包まれながら、ちょっと調子に乗りすぎてしまったかと英斗は苦笑する。

 紗雪はキュッと口を結ぶと、静かにうなずいた。

 群青色から茜色への美しいグラデーションの夕暮れ空を風が踊り、サワサワと木々の葉を揺らしていく。

 故郷を失い、たった二人の日本人となった二人はお互いの体温を感じながら底なしの不安に何とか抗おうと必死にもがいていた。


       ◇


 やがて紗雪が大きく息をつく。こわばっていた身体からも力みが抜けたようだった。

「あの……」

 紗雪が真っ赤になって口を開いた。

「どうした?」

 紗雪は英斗の手をギュッと握り、

「私、英ちゃんにひどいこといっぱいしちゃった……」

 と、小声で言うと胸に顔をうずめた。

 英斗はそのしおらしい紗雪を見て、こみあげてくるおかしさをこらえきれず、クスクスと笑った。

「な、何がおかしいのよぉ」

 紗雪は泣きそうな顔で英斗をにらむ。

「ごめんごめん。僕はそんなこと全く何にも気にしてないんだよ。紗雪は僕のところに戻ってきてくれた。もうそれだけで十分なんだよ」

 英斗は優しい目で紗雪のほほをなでた。

 紗雪はボッと一気に顔を真っ赤にすると英斗の胸に顔をうずめ、

「バカ!」

 と、照れ隠しに怒った。

 英斗は顔いっぱいに幸せを浮かべ、サラサラとした美しい黒髪を優しくなでる。絶望の中でただ一つのよりどころとなってしまった紗雪。こみあげてくる限りない愛しさに英斗はしばらく言葉を失い、ただじんわりと伝わってくる紗雪の体温を感じていた。

 紗雪がいなければ今頃日本で魔物たちに殺されていただけの人生だったが、いまだに生きながらえて大逆転のチャンスをうかがえている。見方によってはそれはまさに奇跡だった。

「もしかして……」

 紗雪はピクッと動いてつぶやく。

「え?」

「あの時、寝たふりしてたでしょ?」

 紗雪はジロリと英斗を見上げた。

「あ、あ、あの時って……どの時?」

 英斗は紗雪の気迫に気おされ、しどろもどろに返す。

「『どの』って……。もしかして全部!?」

 真っ赤になる紗雪。

「い、いや、そのぉ……」

「バカバカバカバカ!」

 紗雪は英斗の胸をベチベチと叩いた。

「ごめんごめん。なかなか言い出せなくてさ……」

 紗雪は口をとがらせ、涙目で英斗をにらむ。

 英斗はそんな紗雪を限りなく愛おしく感じ、ニコッと笑うとそっとすべすべのほほをなでた。

 紗雪はピクッとして恥ずかしそうにうつむく。

「ごめんね」

 英斗が耳元でささやくと、紗雪は英斗を見上げた。

 キュッキュと澄み通るこげ茶色の瞳が動き、英斗はそのギリシャ彫刻のような端正な紗雪の美貌に引き込まれていく。

 次の瞬間、紗雪はそっと目を閉じた。

 英斗は一瞬驚き、困惑する。

 これは……、そう言うことなのだろう。

 おねだりするかのようにぷっくりとした紅い唇がかすかに動く。

 早鐘を打つ心臓の音を聞きながら、英斗は大きく息をつくとそっと唇を近づけていった。
 コホン!

 咳払いが聞こえ、二人はハッとしてあわてて離れる。

「悪いがヘルスチェックの時間じゃ。今、パワーアップされると困っちゃうんでな」

 レヴィアはニヤニヤしながら、言った。

 二人は真っ赤になってモジモジとしている。

「お、魔王の拠点が見えるじゃないか!」

 レヴィアはそう言って遠くの山の方を指さした。

 二人は驚き、指の指す方を見る。

 そこには、水色にボーっと輝いているドーム状のものが小さく見えた。それは遠くの山脈の切れ目に、まるでイルミネーションのような鮮やかな彩りを与えている。

「えっ? あれ……、ですか?」

 英斗は弱い近視を補うように目を細め、必死に目を凝らしながら聞く。

「さよう。あの水色は巨大シールドじゃな。火山丸ごと覆っておるんじゃ」

「シールド……?」

「物理攻撃を一切通さない厄介な膜じゃな。そんな長時間維持はできんと思うんじゃが、今回は我々にも時間がない。面倒な話じゃよ」

 レヴィアは肩をすくめる。

「ど、どうやって突破するんですか?」

「今、工作隊が秘かにトンネルを掘っている。明日の朝には内部に到達するからそれからがお主らの出番じゃ」

 レヴィアはニヤリと笑って二人を見る。

「魔王は……、あの中にいるんですね?」

 紗雪は眉をひそめながら聞く。その顔には重すぎる任務に対する悲壮感が浮かんでいた。

 核攻撃も辞さない深刻な人類の敵、そして逆転の手がかりを握る中年男。それが鉄壁な守りを展開する火山に立てこもっている。とても一筋縄ではいきそうにない。

 紗雪は美しい顔を曇らせ、ため息をついてうなだれる。

 英斗はそんな紗雪の肩をポンポンと叩き、

「僕がついてる。一緒に行こう」

 と、言いながら優しくハグをした。


        ◇


 翌朝、タニアを含めた一行はレヴィアの背に乗って火山を目指す――――。

 レヴィアは力強く飛び上がると、バサッバサッと巨大な翼をはばたかせ、朝の冷たい空気を切り裂きながら一気に高度を上げていった。

 みるみる小さくなっていくエクソダス。上空から見ると巨大なパラボラのノズルスカートの形がよく分かり、宇宙船の形をしているのが良く見えた。今度は死に戻りではなくちゃんと戻ってきたいと思いながらも、ミッションの難易度はむしろ前回より高く、気が重くなる英斗だった。

 英斗は大きくため息をつき、抱えたタニアの頭をなでながら、昇ってくる真っ赤な太陽を渋い顔で眺めた。

 ふと見ると、紗雪はそんな英斗をジッと心配そうに見つめている。

 英斗は、失敗したと思い、慌ててグッとサムアップして無理に笑顔を作る。

 自分なんかより前衛の紗雪の方が圧倒的に不安は大きいはずだ。自分が士気を下げるようなことをしてはならないと、英斗は気合を入れなおした。

 レヴィアは力強く羽ばたくと雲を抜け、さらに高度を上げながら眩しい朝日を浴びながら火山を目指し飛んでいく。

 タニアは飛んでいく大きな鳥の群れを見つけて指さし、キャハッ! と嬉しそうな歓声を上げて英斗を見上げる。

 英斗はそんなタニアの頭をそっとなで、マシュマロのようなプニプニのほっぺたを軽くつまんだ。

 きゃははは!

 タニアは楽しそうに笑い、英斗の心にのしかかる重しをひと時軽く癒したのだった。


        ◇


 火山を見渡せる稜線へと降りてきた一行――――。

 目の前には半透明の巨大なシールドのドームが水色に輝きながら火山全体を覆っている。高さは五キロほどはあるだろうか、その遠近感が狂う圧倒的な大きさに英斗は気おされ、改めて魔王の型破りな技術力、実践力に舌を巻いた。女神と過去にいろいろあったらしいという魔王は、その存在自体が神に近いのかもしれない。

 ズン! ズン! と腹に響く爆発音が響いてくる。

 見下ろすと警護の魔物たちと黄龍隊らしきドラゴンがすでに戦闘を行っている。地下を掘り進んでいる工作隊がバレないようにする陽動作戦なのかもしれない。

 レヴィアはドラゴンのままシールドのドームを忌々しそうに見つめると、

「核融合炉出力最大! 充填でき次第全砲門ポイントAに全力砲撃!」

 と、重低音の声を上げた。エクソダスに通信しているらしい。

 いよいよ始まる魔王討伐の第二弾。倒すだけでよかった前回とは重みが全然違う。

 英斗は稜線を渡る強い風に髪を揺らしながら、キュッと口を結んでこれからの戦闘にブルっと武者震いをした。













32. 不可解なオーロラ

「お主、何やっとる。()よ準備せんかい」

 レヴィアは巨大な真紅の瞳をギロリと光らせ、英斗に小声で伝える。

「えっ!? じゅ、準備って?」

 あわてる英斗に、レヴィアはあごをシャクって紗雪を指した。

「ぼ、僕から行くんですか?」

「昨日は自分から行っとったじゃろ?」

 ニヤッと笑うレヴィア。

「み、見てたんですか!?」

 英斗は真っ赤になって目をギュッとつぶり、顔をそむけた。

「重篤なけが人を観察するのは基本じゃからな。じゃが、健全で安心したぞ。ガハハハ」

 英斗はチラッと紗雪の方を見る。

 紗雪は大きな岩の上に立って黄龍隊の戦いっぷりを真剣に見つめていた。

 ふぅと大きく息をつくと英斗は覚悟を決め、紗雪のところまで行って、

「紗雪、ちょっと……」

 と、声をかけて手招きした。

「何?」

 キョトンとする紗雪。

「そろそろ準備を……」

 そう言いながら赤くなってうつむく英斗。

「準備……? あっ!」

 そう言って真っ赤になる紗雪。

「あっちに行こう」

 英斗は紗雪の手を取ると林の中へといざなった。


      ◇


 カサカサと落ち葉を踏み分けながら紗雪は沈んだ声で言った。

「ねぇ……、私たち勝てるかしら?」

 確かにあんな巨大で壮麗なシールドを展開する魔王にたった四人で突っ込んでいく、それも完全なアウェイで。勝率は限りなく小さく見える。不安になるのは仕方ないだろう。

「もちろん勝てるよ!」

 英斗はニコッと笑って返したが、言っていて自分でも無責任に感じてしまう。

「ありがと……、でも本当は……どう考えてるの?」

 紗雪は上目づかいで聞いてくる。

 英斗は足を止め、大きく息をついてうんうんとうなずくと、紗雪をじっと見つめて答える。

「正直勝てるかどうかは時の運だね。でも勝つと信じてる人だけが勝てるって思うんだ」

 紗雪は目をつぶり、しばらく考えこむ。

 高いとは言えない成功確率。でも、それはゼロじゃない。であればそれをどうたぐり寄せるかだけがポイントなのだ。

 そもそも一度は死んだ命である。惜しんでいるような話でもない。成功を信じて全力を尽くすこと、それが今やるべきことだろう。

 紗雪はギュッとこぶしを握り、カッと目を見開いた。その瞳には決意が浮かんでいる。

「ありがと!」

 英斗に笑いかける紗雪。

 そして、すっと歩み寄り、唇を近づけてくる。

 英斗も自然にそれを受け入れた。

 決戦前の熱いキス。二人は舌を絡ませ、またお互いの舌を吸った。もしかしたら最後のキスになってしまうかもしれないという想いが二人を熱く求めあわせていく。

 やがてズン、ズンという激しい爆発音が響き始める。エクソダスからの粒子砲の攻撃が始まったらしい。

 英斗は紗雪からそっと離れる。

 紗雪は眉をひそめ、うるんだ瞳で『もっと』と、訴える。

 もちろん、いつまでも求めあっていたいのは英斗も同じだったが、さすがに戻らねばならないだろう。

 英斗は唇にチュッと軽くキスをするとニコッと笑いかけ、紗雪は口をとがらせて伏し目がちにうなずいた。


      ◇


 レヴィアのところへ戻ると、シールドのドームに次々と爆発が起こり、爆炎が上がっている様子がよく見えた。

 粒子砲はドームの一点を次々と狙い撃ちし、シールドは徐々にダメージが蓄積していっているように見える。

 さらに怒涛のような連射が加わり、やがて、シールドを突き抜け、火山で爆発が起こる。

「よっしゃぁ!」

 レヴィアはガッツポーズしながら重低音で吠えた。

「おぉ! シールド破れるんですね」

 英斗は晴れやかな顔で声をかける。

 すると、ドームの頂上から打ち上げ花火のように虹色に輝く光の玉が射出され、宇宙へ向かって一直線へと飛び上がっていった。

 光の玉はオーロラのような不思議な光の幕を周りに形作りながら上昇し、辺り一面を幻想的な光のアートへと変えていく。

 何だろう? と思った瞬間だった。

 目の前に広がったのはたくさんの落ち葉、そしてうっそうとした森の木々……。

 へ?

 直後、全身に激痛が走り、のたうち回る。

 英斗はなぜか全身傷だらけで森の中で寝っ転がっていたのだ。

 着ていた服はズタズタで、英斗は額から垂れてくる鮮血に視界が赤く染まり、言葉を失った。

『一体何をされた?』

 英斗は激しく早鐘を打つ鼓動を聞きながら、冷汗をタラリと流す。

 オーロラを眺めたら血だらけになって転がっていた。吹き飛ばされて転がされたということだろうが、攻撃を受けた記憶もない。攻撃のショックで記憶を失ったのなら、オーロラの記憶もあやふやになっているはずだがそこは鮮明である。まるで時間を止められている間に攻撃を受けたような不気味で異質な攻撃だった。

 どんな攻撃か分からなければまたくらってしまうかもしれない。英斗は極めて面倒な事態になってしまったことにウンザリしながら額から垂れてくる血を手で拭った。









33. 可愛いスライム

「み、みんなは……?」

 英斗は傷だらけの身体を何とか持ち上げ、足を引きずりながら斜面を登り、稜線を目指す。

 林を抜けると、レヴィアが倒れているのが見えた。巨大なドラゴンのどてっぱらに大穴が開き、おびただしい血が流れ出している。地面には血液がまるで小川のようにちょろちょろと流れ、くぼみには赤黒い血だまりができていた。

 あわわわわ……。

 英斗はその凄惨な情景に思わずよろけ、ペタンと座り込んでしまう。

 あの頼もしいドラゴンが倒されてしまった。それは英斗の心を折るのに十分なインパクトをもって脳髄を揺らす。もはや魔王討伐どころではない。

「そ、そうだ、紗雪とタニアは?」

 英斗はガクガクと震えるひざに(むち)を打ち、よろよろと立ち上がって辺りを見回すと、向こうの林の方に銀色の輝きが見えた。紗雪のジャケットに違いない。

「さ、紗雪ーーーー!」

 英斗は、叫びながらヨタヨタとしながら必死に足を動かし、紗雪を目指した。かなりの距離を吹き飛ばされてしまっていてダメージが心配だ。

 近づくと紗雪は藪の中でぐったりとしている。顔は傷もなく綺麗で安心したが、血色が悪い。

「お、おい、大丈夫か!?」

 英斗は声をかけてみるが返事がない。

「お、おいって……」
 
 英斗はほほを軽く叩いてみる。すると、口から真っ赤な鮮血がタラリと流れだした。

 ひっ!

 あわてて身体を調べると、太い枝が紗雪の胸を貫通するという絶望が目に入ってくる。

 英斗は声にならない声を上げながらしりもちをついてしまった。血のりのべったりとついた太い枝のあたりからはおびただしい血が流れた跡があり、見るからに即死という状況である。

 英斗は凄惨な状況に声を失い、ガタガタと震えながら首を振り、後ずさった。

 次々と失われていく命。一体何がおこっているのかわからず、英斗は青い顔をしながら紗雪のきれいな死に顔を見つめていた。

 さっきまでみずみずしく、熱いキスを交わした唇も今や青くなり、石の彫刻のようになってしまっている。

「う、嘘だろ。おい……」

 自然と湧いてくる涙をぬぐいもせず、英斗はただ紗雪に話しかける。しかし、紗雪はもはやピクリとも動かなかった。

 あ……、あぁ……。

 どうしたらいいか分からず、英斗は力なく紗雪に手を伸ばし……そしてガックリとうなだれた。

 と、その時、青白い光が紗雪から放たれ始める。

 え?

 英斗はその神聖な淡い輝きを不思議そうに見つめる。

 やがて紗雪の身体が徐々に色を失い始め、透明になっていく。

 一体何が起こっているのか分からず、英斗は呆然としながらガラスみたいになっていく紗雪を眺めていた。

 紗雪がすっかり透明な水色になった時だった、いきなりドロリと液体になって紗雪が流れ出す。

 死体が溶けていく、そんな想像もしない出来事に英斗は驚き、思わず飛びのいた。

 流れ出した水色の液体はやがてくぼみのところに集まり、神聖な水色の光を放ちながら球体となり、大きく育っていく。

 最終的に紗雪はまるで魔物のスライムのようになってしまった。

 英斗はこの不可思議な現象に圧倒され、首をひねる。

 レヴィアはこの世界では自分たちは不老不死だと言っていた。であるならば、これは紗雪が再生するプロセスなのだろう。しかし、スライムがどうやって紗雪になるのか見当もつかなかった。

 神々しい光を放つ水色のスライム。英斗は次はどうなるのかドキドキしながらじっと眺めていた。

 いつまで経っても何も変わらないと思っていた英斗だったが、よく見るとスライムの内部に金色に輝く小さなかけらがあることに気が付いた。

 英斗は急いでスライムに近づき、そっとそのかけらを見つめる。それは小さすぎて良く分からなかったが小魚のシラスのような形に見えた。なぜスライムの中に魚が生まれたのかよく分からず首をひねる英斗。

 徐々に大きくなってきた魚は頭が丸くなり、小さなクリっとした目が付いた。

 英斗はハッとする。ここに来てようやくこれが人間の胎児だということに気が付いたのだった。そう、きっとこれは受精卵から赤ちゃんになる過程なのだ。

 さらに胎児は大きくなっていき、水色のスライムの中で立派な赤ちゃんへと成長していく。それはまさに生命の神秘ではあったが、本来お母さんのおなかの中で十カ月かかるプロセスを数十分で再現している。こんなので本当に大丈夫なのだろうか?

 そろそろ出産となってスライムから出てくるのかと思ったが、赤ちゃんはそのままスライムの中で成長を続けていく。

 (たま)のようにかわいい赤ちゃんがスライムの中でピクピクと手足を動かしている。その顔はどことなく紗雪の面影が感じられた。

 紗雪が戻ってくる。それは絶望に打ちひしがれた英斗にとっては福音だったが、不老不死という自然の摂理を無視したこの世界の奇妙な力はまた別の不安を呼び起こす。

 こんな復活方法があるとしたら自分たち人間は何なんだろう? 今まで培った記憶や経験はどうなってしまうのだろうか? 次々と湧きおこる疑問に首をひねりながら、英斗は静かに可愛い赤ちゃんを眺めていた。












34. バチーン!

 さらに大きくなっていく赤ちゃんは保育園児くらいにまで育ってきた。ここまでくるともう記憶の中にある紗雪そのものである。一緒に公園で駆けずり回っていたころの紗雪を思い出し、英斗は思わず顔をほころばせた。

 ここに来て英斗は、昨日自分もこうだったに違いないことに気がつく。自分が昨日、一度死んで受精卵からやり直したという荒唐無稽な話をどう理解したらいいか分からず、英斗は首をひねり、眉をしかめた。

 もし、本当に再生したのなら何か証拠があるはずである。英斗は自分の両手をじっと見つめ、ふと思いついて自分のひじを見てみた。子供の頃に側溝に落ちて、その時にコンクリートのエッジで思いっきり切ってしまった大きな傷跡が、ここに残っているはずである。

 首をひねってひじをのぞきこむ英斗。しかし、そこはつるっとしていて傷跡など全く見えなかった。

 えっ……?

 英斗は青い顔をして頭を抱え、大きく息をつく。これまで何度も何度も見て気になっていた肉の盛り上がった不格好な傷跡、それがない。この身体はすでに愛着のある自分の身体ではなかったのだ。自分は今、スライムになって再生された第二の身体にいる。

 しかし、身体が違っても自分だと感じてしまう。これは一体なんなのだろうか? 自分という存在は脳の中に宿っているのではなかったのか? 一体魂はどこにあるのか? 英斗は知ってはならないこの世界の真実に触れた気がして、背筋にゾクッと冷たいものが流れるのを感じた。

 そうこうしているうちにも紗雪は成長し、スライムの膜の中でひざを抱えた姿勢でゆったりと揺れ動いている。森の中で水の珠に閉じ込められた美少女、それはアートを超えた神々しさをはらみ、触れてはいけない神聖な輝きを放っていた。

 やがて胸が膨らみ始める。透き通るような白い肌が静かにゆっくりと盛り上がり、美しい紡錘形を形作っていく。そこには神秘的な美が宿り、英斗は目が釘付けになって思わずゴクリと唾をのんだ。

『見ちゃダメ!』

 英斗は頭にこだまする心の声を聞き、正気を取り戻す。ギュッと目をつぶると大きく息をつき、服を取りに歩き出した。

 枝に刺さった服と下着を回収していると、バシャ! という音がする。見るとスライムの膜が破け、羊水とともに紗雪が出てきていた。

 落ち葉の地面に横たわる裸体の美少女。

 英斗はあわてて駆け寄ってジャケットをかぶせ、抱き起こすとハンカチで顔をぬぐってあげた。

 直後、ゴポォと勢いよく羊水を吐き出し、咳をする紗雪。

 英斗は急いで背中をさすってあげる。

 紗雪はまぶたをゆっくりと開けた。澄み通るこげ茶色の瞳がキュッキュと動き、やがて英斗を見つめる。

 一瞬どうなるのかと構えた英斗だったが、紗雪はいつもの調子で、

「あら、英ちゃん……。どうしたの?」

 と、笑いかける。

 英斗は言葉に詰まる。さっきまで胎児だった人に『どうしたの?』と、聞かれてもどう答えていいか分からなかったのだ。

 困惑している英斗にいぶかしく思った紗雪は、自分が素っ裸でびしょぬれなことに気が付く。

「きゃぁ! 何よこれ! エッチー!」

 バチーン!

 森に盛大なビンタの音が響き渡る。

 あひぃ……。

 英斗はいきなりの攻撃に対応が遅れ、まともに食らって思わずしりもちをついた。

 ふーふーと息を荒くしながら、真っ赤になって英斗をにらんだ紗雪だったが、辺りを見回して首をかしげた。彼女にとってみれば、オーロラを見上げていた次の記憶が英斗に顔を拭かれているものだったのだ。

「紗雪は生き返ったんだよ」

 英斗は叩かれたところをさすりながら言った。

「生き……返った?」

「そう、別に僕が脱がした訳じゃないよ」

 英斗は渋い顔で説明する。

「えっ……あっ……そ、そうなのね……」

 紗雪は真っ赤になって小さくなり、申し訳なさそうにジャケットを整えた。

「レヴィアさんとかも死んじゃったから見に行ってるね」

 英斗はそう言って立ち上がって歩き始める。

『確かに気が付いたら裸体だったら正気ではいられないよなぁ』と、英斗は理解はするものの、我慢したのに叩かれたことには納得がいかなかった。さらに、さっきまで胎児だったのに記憶も人格もしっかりと連続していることを確認して、人間とは何なのだろう? という悩みがまた深くなってしまう。

 紗雪は、申し訳なさそうにもじもじしながら、

「英ちゃん……、ゴメン……」

 と、謝った。

 英斗は振り向かずにサムアップすると、そのままレヴィアの方へと進んで行った。









35. 本番

 稜線に戻ってくると、レヴィアもびしょぬれの金髪おかっぱの少女姿で倒れていた。

 紗雪と同じく受精卵から再生されたのだろう。まだ幼いながら、その透き通るような肌の美しい裸体は英斗には目の毒だった。

 英斗は顔を赤くして顔を背けながら、タオルで胸を覆ってレヴィアを抱き起こす。

 う……、うぅ……。

 眉間にしわを寄せ、うめくレヴィア。

 白い肌に整った目鼻立ち、長い金色のまつげが美しくカールしている。どことなく紗雪にも通じるものがあり、血のつながりがあるのかもしれない。

「レヴィアさん、起きてください」

 英斗はほほをペチペチと叩き、声をかける。

 レヴィアはゆっくりとまぶたを開け、

「ん? んん……?」

 と、辺りを見回す。そして、素っ裸でびしょぬれの自分を見て、

「我は死んどったのか?」

 と、ウンザリしたような表情で英斗を見上げた。

 英斗は水のしたたる美少女に少しドキッとしながら、真紅の瞳を見つめてゆっくりとうなずいた。

 きゃははは!

 林の方から元気な笑い声が聞こえ、見下ろすとタニアが素っ裸でトコトコと歩いてくる。これで全員無事ということではあるが、唯一死ななかった英斗だけが全身傷だらけで痛みをこらえているのは何だか腑に落ちず、英斗は首を傾げた。


      ◇


 一行は地下に掘られたベースキャンプに後退し、被害状況を確認する。

 記録班の映像を見ると、オーロラが展開された直後、英斗たちも黄龍隊もすべて動かなくなり、そこに火山の砲門から次々と砲撃を当てられていたようだった。

 オーロラには意識を断つ機能があったらしい。レヴィアたちも知らない新兵器を投入してくる魔王の底知れなさに、英斗は渋い顔をして映像を見つめていた。

 自分のことを『特異点』と呼び、部下にしようとした小太りの中年男、魔王。彼が一体何を考え、何を目指しているのかさっぱり分からない。誰しも何らかの意図があって動いているものだが、魔王に限って言えばそれが滅茶苦茶だった。

『女神に復讐』というのが本当なら女神と直接やってもらえばいい話で人類は関係ない。なぜ滅ぼす必要があるのか?

 英斗は大きくため息をつき、肩をすくめた。

 ズン! ズーン!

 地響きが響いてくる。魔物たちの攻撃が始まったようだった。

 ベースキャンプは小さなドーム状のシールドで覆われ、魔物たちの攻撃から耐えていたが、いつまでも耐え続けられるわけではない。一行と黄龍隊は急いで再度攻撃の態勢を整えていく。

 明り取りの穴から見上げると、パピヨールたちが上空で群れてレーザー攻撃をシールドに雨のように降らし、爆音の嵐を奏でている。このままだとシールドを突破されるのも時間の問題のように思えた。

 気が気でない英斗はそわそわしてしまうが、紗雪は堂々としたもので、タニアをひざに乗せて一緒に手遊びをしている。

「これ、大丈夫なのかな?」

 英斗は眉をひそめながら紗雪に声をかける。

「ダメならまた生き返るだけだわ」

 紗雪は覚悟を決めた様子でそう言うと、タニアをキュッと抱きしめた。

 タニアはきゃははは! と、嬉しそうに笑い、紗雪はその楽しそうな顔に癒され、優しい顔をする。

『生き返ればいい』

 理屈ではそうなのだが、そう簡単に割り切れない英斗は渋い顔でため息をついた。

 それにしても死に戻りを計算するなんてまるでゲームの世界である。なぜ、こんなリアルな世界でゲームみたいな戦略が成り立ってしまうのか英斗は困惑し、首をかしげた。


      ◇


 タッタッタと軽快な足音が通路の穴の方から響いてきて、

「さて、そろそろ本番じゃ!」

 と、レヴィアが顔を出して言った。

「魔物を倒すんですか?」

「そんなのは黄龍隊に任せとけ。ワシらは一気に火山へ行くぞ!」

 そう言いながら手招きをした。

 一気に魔王のいる火山へ行くというレヴィアの言葉に、英斗の心臓がドクンと高鳴る。いきなり核心がやってきてしまったのだ。

 緊張でこわばっている英斗の肩を紗雪はポンポンと叩き、

「大丈夫よ。『僕がついてる』んでしょ?」

 と、言ってニコッと笑った。その笑顔には曇り一つなく、まるで吹っ切れたように明るい表情だった。

「え? いや、まぁ、そうなんだけど……」

 英斗は生き返ってからすっかりポジティブになった紗雪に、少し違和感を感じながらも、自分の言葉を使われては反論もできない。

 大きく息をつき、パンパンと自分の頬を両手で張った英斗は、

「大丈夫、行こう!」

 と笑顔を見せてレヴィアの後を追った。
 ベースキャンプから工作隊によって何キロも掘られたトンネルを、速足で進む一行。暗く、足場は悪い中を少しかがみながら進むのでかなり疲れるが、そんなことも言っていられない。

 小一時間進んだだろうか、向こうの方に明かりが見えてきた。ようやく出口らしい。

 英斗は一瞬安堵したが、これから苛烈な命のやり取りが始まることを思い出し、キュッと唇をかんだ。

 出口の所では、ヘッドライトつきヘルメットに泥だらけのつなぎを着た工作隊の若い男たちが待っていた。夜通し穴を掘り続けたその表情には疲れが見えるが、それでも重要な仕事をこなした達成感が浮かんでいる。

「棟梁! 皆さん! 託しましたよ!」

 代表の男はヘルメットを脱いでそう言うと、背筋を伸ばし胸に手を当て、他の男も続いた。前回、魔王城を崩壊させた一行の功績は龍族の中ではとても高く評価され、今回もみんなの期待が英斗らに向けられている。五百年間苦しめられたにっくき魔王城から魔王が逃げ出す動画は、みんなが何度も再生していた程だった。

「任せとけ! 五百年の恨み、キッチリ晴らして見せる!」

 レヴィアはそう言って代表の男の肩をバシッと叩き、サムアップすると、はしごを登って地上を目指す。成功確率なんて高くない挑戦ではあるが、リーダーとしてはそう言う以外ないのだろう。英斗は上に立つ者の辛さをひしひしと感じた。

 英斗も激励を受け、軽く会釈をすると逃げるようにレヴィアに続く。

 もう自分たちの挑戦には多くの人たちの希望がかかってしまっている。人類のためだけではなく、必死に道を切り開いた彼らや黄龍隊のためにも結果を出さねばならない。

 英斗はどんどんと積み重なる重圧に押しつぶされないよう、必死に深呼吸を繰り返し、成功を祈った。


        ◇


 はしごを登りきって穴を抜けると、そこは静謐(せいひつ)な森だった。高い(こずえ)からの木漏れ日がチラチラと英斗を照らし、チチッチチッという小鳥のさえずりが響き、トンネルを無事抜けたことを祝ってくれているかのようである。

 時折、ドーン、ドーンと戦闘音が聞こえてくるが、シールドの向こうでの音はあまり伝わってこないようだった。

 少し歩くと、高い木々のさらに上に、荒々しい岩肌を見せる火山がそびえているのが見えてくる。魔王はここにいるのだ。

 先頭を歩いていたレヴィアはくるっと振り返り、

「よーし、お前ら戦闘準備!」

 と、紗雪と英斗を見てニヤッと笑う。

 え?

 ポカンとする英斗の手を紗雪はキュッと握ると、

「行きましょ!」

 と、言って、そばの大樹の裏へといざなった。

 英斗はようやくどういうことか理解した。これからの戦いに向けて気を引き締めているのに、この【戦闘準備】はそれとは逆の力を揺り起こす。

 英斗は赤くなって何も言わず紗雪について行った。

 木陰に入ると、紗雪は英斗に振り返り、

「いよいよ……だね」

 と、言ってうつむく。人類の未来がこの一戦にかかっているという事実が紗雪の心に重くのしかかっているように見える。

 英斗は気持ちをほぐそうと、おどけた調子で、

「魔王捕まえて女神の居所を吐かせる……簡単なお仕事だよ」

 と、肩をすくめた。

「簡単って……、もう……」

 紗雪は口をとがらせ、ジト目で英斗をにらむ。

「人間はできることしかできない。できることを丁寧に積み重ねていく事にフォーカスした方がいい、って塾の先生は言ってたよ」

 英斗は諭すように言った。

 紗雪はしばらく考え込み、

「そうね……。できることしかできないもんね……」

 と、うなずくと、つきものが落ちたようにニコッと笑い、

「きて……」

 と、両手を伸ばした。

 英斗もほほ笑むとそっと唇を重ねる。

 これから始まる限界を超えた最難関の挑戦。そのプレッシャーを吹き飛ばすように二人はお互いの想いを確かめ合った。


       ◇


 タニアにも【戦闘準備】を施した後、一行はドラゴン化したレヴィアに乗り、一気に火山へと舞い上がる。

 ステルスのシールドを展開して気づかれないようにして、一気に高度を上げていく。切り立った溶岩でできた火山は赤茶けた岩がゴロゴロとしていて草一つ生えていない。

 こんな殺風景な火山のどこに魔王は潜んでいるのだろうか?

 硫黄の臭気漂う中、英斗は辺りを見回し、顔をしかめた

「おっ! どうやらあそこのようじゃな」

 峰の連なる少しくぼんだ所に隠れるように洞窟が開いているのをレヴィアは見つけた。入り口には巨大な魔物が二体立っている。

 魔物は巨大な岩でできた胴体に手足が生え、円筒形の首が乗っている。

 レヴィアは岩陰に着陸すると、三人を下ろした。

「ゴーレムじゃな。とてもワシらでは倒せん」

 そう言いながら肩をすくめるレヴィア。

 ドラゴンブレスの炎でも平気な体躯に、強烈なパンチ力、そして高出力のレーザー攻撃。ゴーレムは極めて厄介な相手だった。









37. 決意

「じゃあどうすれば……?」

 紗雪は青い顔をして、心配そうに言った。

「なあに、倒す必要はないんじゃ。お主はちょいと奴らを引き付けてもらえんか?」

「引き付ける……?」

「奴はパワーはあるがノロマじゃからな。お主が洞窟の入り口から奴らを手前に引きつけてくれたらワシらがその隙に洞窟に入るって寸法じゃ」

「ちょ、ちょっと待って! 紗雪はどうするの?」

 英斗があわてて聞くと、

「奴らはノロマだし、あのサイズじゃ洞窟には入って来られん。ピョンピョンと奴らの間をぬって洞窟に飛び込めばいいだけじゃ」

 と、レヴィアは事も無さげに言う。

「そんな簡単にいかないでしょう。レーザーとか撃ってくるんですよね?」

「そりゃ撃ってくるが、動き回っていたら当たらん」

 レヴィアは悪びれもせず、無責任に言う。

「いやいや、そんなの危険ですよ」

 英斗が抗議すると、

「じゃあどうするんじゃ?」

 と、にらんだ。その真紅の瞳には非難というより、諭す色が浮かんでいる。レヴィアもすべてわかった上で言っているのだ。となると、もっといいやり方を提案しないとならなかったが、レーザー撃ってくる頑強な相手に安全なやり方など思い浮かばない。

「ど、どうって……」

 英斗がしどろもどろになっていると、紗雪は英斗の肩を叩き、

「大丈夫、ノロマを引き付けて洞窟に逃げ込むだけの簡単なお仕事だわ」

 そう言ってニコッと笑った。

「紗雪……」

「それが一番確実だわ」

 紗雪の瞳には決意が浮かんでいる。

 英斗は大きく息をつき、ゆっくりとうなずいた。


         ◇


「ハーイ! ノロマ達、こっちよ!」

 紗雪は単身飛び出してゴーレムを挑発する。

 しかし、ゴーレムは微動だにしない。

「あ、あれ……?」

 拍子抜けした紗雪は大きく息をつき、

「じゃあ、これでどう?」

 と、黄色い魔法陣を描き、岩の槍を次々とゴーレムに射出した。先の鋭い重い槍、それが超高速でゴーレムの顔面に突っ込んでいく。

 ズガガガガ! と激しい衝撃音が走り、土煙がもうもうと上がった。

 しかし、ゴーレムは微動だにしなかった。顔の表面には細かな傷がたくさんついてはいるもののダメージらしいダメージは受けていないようである。

「何よこれ……。あんたたち壊れてるんじゃないの?」

 紗雪は口をとがらせるとジト目でゴーレムたちを見て、大きく息をついた。

 ここまでやって反応がないなら普通に強行突破でいいのではないか、と思った紗雪は、

「じゃあ、通してもらうわよ!」

 そう言ってピョンピョンと軽やかに跳ねながらゴーレムの間を通ろうとした。

 刹那、ゴーレムの目が激しく輝き、激しい咆哮が火山の峰々にこだまする。

 きゃあ!

 紗雪は急いで距離を取ろうとしたが、ゴーレムが口から発したレーザーを胸のところに浴びてしまった。

 もんどりうって倒れる紗雪。

 あぁぁ!

 英斗は思わず飛び出してしまいそうになるのをレヴィアに制止される。

「さ、紗雪ぃ!」

 英斗は震える手を力なく紗雪の方に伸ばした。

「大丈夫じゃ。あ奴のジャケットなら致命傷にはならん」

 レヴィアは英斗の腕をガシッとつかみながら諭す。

 果たして、紗雪はピョンと跳びあがり、痛む胸を押さえながらゴーレムをにらんだ。

 ゴーレムは地響きをたてながら前進し、また口をパカッと開く。

 紗雪はジグザグにピョンピョンと跳びながら後退していき、ゴーレムたちの撃ってくるレーザーを上手く避けていく。

「こ、こっちよ! このノロマ!」

 紗雪は痛そうに胸をさすりながら虚勢を張り、さらに後退し、大きな岩の裏に隠れる。

 ゴーレムは土煙を派手に上げながら巨体を揺らし、一歩ずつ紗雪を目指しながらレーザーを次々と放った。紗雪の隠れている岩は次々と爆発を起こしながら少しずつ削れていく。

「紗雪ぃ……」

 英斗は手を組んで、泣きそうになりながら紗雪の無事を祈った。

「何やっとる! 行くぞ!」

 レヴィアは紗雪のことはお構いなしに洞窟へと行こうとする。

「待って! 紗雪が……」

 追い詰められている紗雪を見捨てて先を急ぐ。それは確かに正解かもしれない。しかし、どんなに正解でも英斗には荷の重い決断だった。

「お主は馬鹿か! 何のため紗雪が頑張ってると思っとるのか? 紗雪の献身を無駄にするのか?」

 くぅぅ……。

 ゴーレムたちの総攻撃を受けて隠れている岩はどんどんと小さくなっている。紗雪は逃げられるのだろうか?

 しかし、ここで助太刀に入れば洞窟侵入すら怪しくなるのは避けられない。

 英斗はギリッと奥歯を鳴らし、自然に湧いてきた涙をぬぐうとタニアを抱きかかえ、レヴィアにうなずいた。








38. 一か八か

 なるべく足音を立てないように静かに駆け、洞窟の入り口を目指す。ゴーレムたちは紗雪にご執心でこちらのことは気づいていないようだ。

 必死になって駆け込んだ洞窟、そこには巨大な扉が行く手を阻んでいる。まるで水門みたいな巨大な鋼鉄製の自動ドア。当たり前だが、そう簡単には入れてくれないらしい。

「タニア! GO!」

 レヴィアは予期していたかのようにタニアに指示を出し、タニアは英斗からピョンと跳びおりる。

 なるほどタニアは適任だ。先々のことを考えて行動するレヴィアに英斗は舌を巻き、自らのふがいなさに首を振った。

 タニアは胸のポッケから肉球手袋を取り出すと、キャハッ! と奇声を上げ、扉に向けて縦横無尽に光の刃を射出する。直後、鋼鉄の扉は大小さまざまな三角形のかけらとなってガラガラと崩れ落ちた。

「急げ!」

 レヴィアはすぐに内部へと駆けだしていく。

「さ、紗雪を待たないと……」

 英斗は紗雪が気になって前へ進めない。

「馬鹿もん! 紗雪を信じろ!」

 レヴィアは真紅の瞳をギロリと光らせて怒鳴った。

 『信じろ』その言葉に英斗は口をキュッと結んだ。そう、レヴィアは正しい。自分たちは仲良しグループではなく、人類の命運がかかった魔王討伐隊なのだ。

 個々の安否より目的遂行が優先される。それは分かっている、分かっているがゆえにキュッと胸が苦しくなる。

 英斗はギリッと奥歯を鳴らし、無言でタニアを抱きかかえると、レヴィアを追いかけた。


        ◇


 その頃、紗雪はゴーレムたちに追い詰められていた。

 ズン! ズン! と岩が爆破され削られていく中で、岩にはあちこちにひびが入り、いつ崩壊してもおかしくない状況になっている。

 英斗たちはもう洞窟には入れただろうか? 英斗のことだから『紗雪を放って洞窟へは行けない』などとごねてはいないだろうか?

 紗雪の本音としては英斗に待っていて欲しい。先に行かれて追いつけなかったら、もう二度と会えないかもしれないのだ。

 だが、これは魔王討伐。自分を見殺しにしてでも魔王を制圧するのが正解なのである。

 紗雪は静かに首を振り、寂しそうにキュッと口を結んだ。

 何とかこの岩から抜け出して洞窟へと行きたいが、ゴーレムの脇をすり抜けて洞窟へと走ればレーザーをもらってしまうのは避けられない。ジャケットでどこまで耐えられるだろうか? 下半身に当たってしまったらと考えると、とても現実解ではなかった。

 その時、岩の上部が吹き飛び、ガラガラと大きな石が落ちてくる。

 ひぃ!

 もう残された時間は長くない。紗雪は頭を抱え、必死に考えた。何としてでも英斗に会いたい。

「英ちゃん……、どうしたら……?」

 紗雪は何度も大きく息をつき、活路を探す。

 追い詰められた紗雪は最終的に一つのアイディアにたどりつく。それは大切なジャケットを放棄する一か八かの戦略だった。

 紗雪はシルバーのジャケットを脱ぐとその辺の石を詰めてジッパーを閉め、袖先を結んだ。これで囮の出来上がりである。

 大きく息をつき、タイミングを計った紗雪は、砲丸投げのようにジャケットをブンブンと振り回して、思いっきり崖の方へと放り投げた。

 この作戦が失敗したら紗雪にはもう打つ手がない。紗雪は祈りながらジャケットの行方を見守る。

 大きく弧を描きながら銀色のジャケットは空を飛び、陽の光をキラキラと反射しながら落ち、ガン、ガンと何度かバウンドして崖の下の方へと転がり落ちていった。

 果たして、ゴーレムは攻撃をやめ、ジャケットを紗雪と誤認して崖の方へと歩き出す。成功だ。ゴーレムがお馬鹿で助かった。紗雪はギュッと両手のこぶしを握る。

 これで英斗に会いに行ける。紗雪は両手で顔を覆い、ポロリと涙をこぼした。

 ズン! ズン! と、ゴーレムが崖の方へと歩いていく。

 紗雪は涙をぬぐうとそっと岩陰からゴーレムの様子をうかがい、ゴーレムの死角をうまく()うように、ピョンピョンと軽やかに溶岩だらけの大地を駆け、洞窟へ飛び込んだのだった。










39. 泣きぼくろ

 洞窟を進む英斗たち――――。

 洞窟と言っても、ドアから内側はまるで宇宙船のように金属でできた通路となっていた。歩くたびにカンカンと音が響き、英斗は渋い顔をしながらなるべく静かに進んでいく。

 ヴィーン! ヴィーン!

 警報音が通路に響き渡る。

 どうやら戦闘は避けられそうにない。

 英斗はタニアを降ろすとニードルガンを取り出し、辺りをうかがう。

 直後、少し先の通路脇のドアがプシューと音を立てて開いた。

「来るぞ!」

 レヴィアは銃を構え、英斗はあわててニードルガンの安全装置を外し、へっぴり腰で備える。

 刹那、魔物が次々と飛び出してくる。

 それは魔王城でも見た一つ目のゴリラだった。厚い胸板、ムキムキの筋肉を誇示しながらワラワラと通路をふさぎ、グルルルとのどを鳴らす。全てを粉砕しそうなその屈強な腕は英斗などワンパンチで潰されてしまうに違いない。

 くっ!

 明らかに銃なんか効かない敵にレヴィアと英斗は後ずさりして冷や汗を流した。

 しかし、タニアは嬉しそうにキャハッ! と奇声を上げるとトコトコとゴリラに向けて歩き出す。

「お、おい、タニア……」

 可愛い幼女と屈強なゴリラたち。どう考えても幼女に勝ち目はなさそうなのであるが、なんとゴリラたちはタニアを見ると一瞬驚いたようなしぐさを見せ、後ずさりし始めた。

 きゃははは!

 タニアは肉球手袋を黄金色に輝かせ、楽しそうに笑うとピョコピョコとゴリラたちに向けて走り出す。

 直後、ゴリラたちは一目散に逃げだしたのである。そして、元居た部屋に逃げ込むとドアを閉めてしまった。

 ぶぅ?

 タニアは不思議そうに首を傾げ、物足りなそうな声を出す。

 あのゴリラたちは魔王城でタニアに惨殺されたものの生き返りではないだろうか? タニアにいいように殺されてしまった記憶が恐怖を呼び起こしたのかもしれない。

「カハハ! タニア、お主凄いな」

 レヴィアは嬉しそうに笑い、不満げなタニアを抱き上げた。

「マジかよ」

 こんな小さくてかわいいタニアが戦わずに勝利をもぎ取った滑稽さに、英斗は笑いがこみあげてきて少し笑うと、タニアの頭をグリグリとなでてやる。

 あいぃ

 タニアはチャーミングな泣きぼくろを見せながらにっこりと笑った。


      ◇


 カンカンカン!

 後ろから迫る足音に慌てて振り返ると、そこには黒いボディスーツの人影が。

 でも、その見慣れた駆けるフォームに英斗は手を高く掲げ、大きく振る。紗雪だった。

「英ちゃーん!」

 紗雪は飛ぶように突っ込んでくると英斗の胸に飛び込む。

 ぐほっ!

 パワーアップしている紗雪のハグは強烈だったが、英斗はそんなことが気にならなくなるくらい紗雪の柔らかな香りに安堵していた。

「英ちゃん、英ちゃん! うわぁぁん」

 紗雪は今まで我慢してきた心細さを英斗に爆発させる。

 英斗は優しく頭をなで、涙にぬれるほほにほほを寄せた。

「待ってやれなくてごめんな」

 耳元でささやく英斗。

「大丈夫、分かってるの。ちょっと寂しかっただけ」

 紗雪は英斗の体温を感じながら、これから始まる大勝負に向けて何とか気持ちを整えていった。

「紗雪、ご苦労じゃった。おかげで魔王までもう少しじゃ」

 レヴィアはなにやら小型の観測機械の表示を見ながら言った。

「えっ? そんなことわかるんですか?」

「この宇宙線観測装置によるとこの先に大きな空洞があることが分かっとる。きっとその辺りに奴はいるじゃろう」

 レヴィアの指示した画面には確かにぽっかりと空洞が映っている。火山の中にくりぬかれた巨大な空洞、一体何の目的で作られたのだろうか? 英斗は首をひねりながらうなずいた。








40. 最後の一人

 しばらく進み、大きな鋼鉄製の扉に来た一行。例によってタニアが強靭な扉をバラバラに壊すと内部の様子が露わになる。

 そこは夜中の体育館のように真っ暗な空洞だった。

 レヴィアは銃を構え、様子を見るが、動きはない。

 飛び散った扉の破片が、静まり返った内部にグワングワンと鳴り響くばかりだった。音の反響具合からすると相当に広そうである。

「誰も……、おらんのかのう……?」

 レヴィアが恐る恐る一歩踏み入った時だった。ズン! という爆発音とともにレヴィアが吹き飛ばされる。

 ぐはっ!

 もんどりうって通路に転がるレヴィア。

「レヴィアさん!」

 英斗が駆け寄ると、苦しそうにうめき、

「き、気をつけろ……。上から撃たれた」

 と、胸を押さえた。

 レヴィアのグレーのジャケットには焦げた跡があり、焦げ臭い煙がうっすらと上がっている。

「だ、大丈夫ですか!?」

 青くなりながら英斗が聞くと、

「このくらい大丈夫じゃ。じゃが、ちょっとばかり休ませてくれ……」

 そう言いながらレヴィアはゴロリと横たわり、苦しそうに荒い息吐く。

 くっ!

 英斗はスマホを取り出し、カメラモードにしてそっと扉の脇から差し出してみる。すると、上の方で何やらほのかな明かりが動いているのが画面に映った。

 これがレヴィアを狙撃した敵……、魔王かもしれない。

 紗雪は画面をのぞきこみ、眉をひそめると、シャーペンを取り出し、

「その辺を狙えばいいのね、見てらっしゃい!」

 と、魔法陣を描き始めた。奥歯をかみしめ、今までにない怒気を感じさせる。

 サラサラと描きあげられていく魔法陣は鮮やかに赤く輝き、強烈なエネルギーが蓄積されているのがひしひしと伝わってくる。

 紗雪は方向を確認しながら魔法陣の脇にルーン文字をいくつか書き足し、最後にぶつぶつと何かを唱えながら両手で魔法陣を回転させた。ゆっくりと回りだした魔法陣はビカビカと明滅しながら徐々に回転数を上げていく。

 刹那、魔法陣は鮮烈な紅い閃光を放ち、轟音を立てながら無数のファイヤーボールを射出する。撃ち出されたファイヤーボールは弧を描きながら斜め上の方へと眩しい光跡を残しつつ上昇していき、ズンズンズン! と激しい爆発音を響かせていった。

 動いていた明かりが何だかは分からないが、これだけの攻撃を浴びせたのだ、何か反応があるだろう。

 爆発音が広間で大きく反響し、こだましている。一行は静かになるのをじっと待った。

 直後、広間に照明が灯り、いやらしい笑い声が響き渡る。

「ハッハッハッハ! またお前らか。特異点君、出てきたまえ」

 魔王だ。英斗は紗雪と顔を見合わせる。

「何か言いたいことがあるんだろ? 日本が滅んだことに文句でもいいに来たのか? クフフフ」

 英斗はギリッと奥歯を鳴らすと、紗雪の制止も振り切って一歩広間に進み、上を見上げた。そこにはスタジアムの貴賓室のように、ガラス張りの部屋が設置されており、中で中年男がふんぞり返って高そうな椅子に腰かけている。

 英斗はギロリと魔王をにらむと、

「お前、女神の居所を知ってるな?」

 と、核心から切り出した。

「はっはっは! なるほど、女神か。確かに女神なら日本を元に戻せるからな。まぁ……それしかないか……。クフフフ……。女神なら金星だぞ」

 魔王はいやらしく笑いながら何とも理解しにくいことを言う。

 英斗はいきなり別の惑星の話になって困惑を隠せない。女神のような超常的存在が宇宙の彼方にいるというのはありえない話ではないが、どうやって会いに行ったらいいか見当もつかない。

「ど、どうすれば会える?」

「簡単な話さ。今ちょうど俺がやってることがまさに女神を呼ぶことだからな」

 英斗は魔王の言葉の意味をはかりかね、首をひねった。

「要は人類を全滅させるんだよ」

 魔王は肩をすくめながらとんでもない事を言い放ち、英斗は怒りで真っ赤になる。

「お前、ふざけてんのか!」

 英斗の怒りが広い広間にこだまする。

 魔王は肩をすくめ、やれやれといった表情であざける。

「人類は女神が創り、育ててきたもの。それが滅んだとなれば地球をやり直さないとならん。で、その準備のために地球に降り立つんだ。そして、その時に最後の一人に声をかけるのさ」

「最後の……、一人……?」

「そう、あいつは結構滅びの美学が好きでね。最後の一人の話が特に好物なのさ」

 英斗はその捉えどころのない話に困惑する。人類が滅亡する最後の一人と話すのが好きというのはどういった性癖なのだろうか? あまりにも趣味が悪すぎるのではないか?

 英斗は首をひねり、大きく息をつく。

 こんな荒唐無稽な話を信じて良いのだろうか? そもそも女神とは何者なのだろうか? 魔王との関係は?

 英斗は混乱し、仏頂面で魔王を見上げた。