紗雪は!?

 英斗は煙が立ち込める中をじっと目を凝らした。早鐘(はやがね)を打つ鼓動が胸を苦しくしめつける。

 なかなか晴れない煙にジリジリとしていると、視界の端に銀色のジャケットが動いた。

 ピョンピョンと軽快な動きで、どうやら無事なようである。

 ホッと胸をなでおろす英斗。

 ただ、火傷を負ってしまったのだろうか、頭をかばいながら跳びあがりアパートの屋根を超え、消えていった。

 ギュオォォォォ――――!

 ドラゴンは超重低音の恐ろし気な雄たけびを上げ、逃げる紗雪を満足そうに見つめる。

 さすがの紗雪もドラゴンには勝てなかったようだ。しかし、このドラゴンは何なのだろうか? 紗雪を殺すつもりもないらしいし、女の子が言っていたように『おしおき』であるのなら、紗雪の秘密に関係がありそうだ。

 見ると、女の子が置いていったかわいい赤いバックパックが、手すりの脇に置いてある。

 エイジは段ボールを抜け出すと急いでそれを取り、また段ボールに隠れた。

 やがてドラゴンはバッサバッサと巨大な翼を揺らしながらマンションに近づき、ボンと爆発して爆煙を上げ、姿を消す。

「これでヨシっと!」

 そう言いながら金髪おかっぱの女の子は踊り場に着地する。

 やはり、あのドラゴンはこの娘だったようだ。

「ありゃ……? (われ)の荷物が無い……」

 キョロキョロとする女の子。

 英斗は覚悟を決め、全身全霊の力をこめて段ボールをバン! と投げ飛ばして女の子にぶつけた。どんな理由であれ、紗雪を攻撃したものは敵である。ドラゴンであれば到底勝負にならないが、華奢(きゃしゃ)な女の子の状態なら何とかなるに違いない。

 英斗は一気に勝負に出た。ひるむ女の子に飛びかかり、その手からクリスタルのスティックを取り上げ、そのまま腕をつかむと後ろ手に捻り上げる。

「キャァ! なにすんじゃ!」

 女の子は焦って暴れようとしたが、英斗はさらに腕をひねり上げ、

「お前がドラゴンだな。紗雪に何すんだよ!」

 と、怒鳴った。

「痛い! 痛い! そんなところに隠れとったんか! ぬかった」

 女の子はそう言いながら。もう一方の手でポケットから小さな円筒を取り出すと、英斗の顔めがけてプシュッと噴霧した。

 ぐわぁ!

 英斗はひるんで思わず手を放してしまい、薬剤を吸わないように息を止め耐える。臭いは紗雪にかけられていたものと同じだった。記憶を消そうとしているらしい。

「カッカッカ。ざまぁみろなのじゃ。これですっぱり忘れるのじゃ。お疲れ~」

 女の子は嬉しそうにニヤッと笑った。

 しかし、英斗には耐性があるのだ。

 ぐっ!

 英斗は気合を入れなおすと女の子に突進した。

 えっ!?

 余裕の表情が消え、青くなる女の子。

 油断していた女の子の(きょ)を突き、英斗はそのままコンクリートの壁に女の子を押し付ける。そして腕をのど元に押し当て、身動きを奪った。

「ぐぁぁぁ! く、苦しい! なぜ効かんのじゃ!」

 女の子はバタバタと暴れる。

「おあいにくさま、この薬は僕には効かないんだ。観念しろ!」

 英斗はハァハァと息を上げながら女の子を鋭くにらみつけた。

「くぅぅ……ぬかった……」

 女の子は目に涙をため、悔しそうに英斗をにらむ。

「お前は何者だ!? なぜ紗雪を狙う!」

 女の子は必死に抜け出そうと暴れたが、英斗が腕でさらに首を押し上げるので観念し、腕をタンタンタンとタップした。

「分かった、我の負けじゃ……。人間ごときにやられるとは末代までの恥……、くぅ……」

 女の子は悔しそうに涙をポロリとこぼした。

 英斗は力を緩め、女の子を見据(みす)える。

 サラサラとした美しい金髪に透き通るような白い肌。まだ幼さが残るもののかなりの美少女といってよかった。

 今まで興奮してて気づかなかったが、甘酸っぱい若い女の香りが漂ってきて英斗は思わずほほを赤らめる。

 女の子はベソをかきながらゆっくりと話し始めた。

「我はレヴィア、龍族の棟梁(とうりょう)じゃ。あの娘、紗雪といったか? あれは龍族の末裔(まつえい)、龍の血を引く同胞じゃ」

 英斗は驚いた。あの可愛い紗雪がドラゴンの血を引いているらしい。そもそもドラゴンの存在自体意味不明ではあるが、とりあえず、超常的な力が出る理由はその血筋にあったのだ。

 紗雪が狙われる理由が気になった英斗は、レヴィアの真紅の瞳をのぞきこんで聞く。

「同胞をなぜ狙うんだ?」

「あ奴は魔王との協定違反をしておる。龍族としては非常に困るのじゃ」

 レヴィアはそう言って眉をひそめた。

 レヴィアの話を総合すると、龍族もまたゲートの向こうに拠点を持つ存在で、魔物率いる魔王軍とは反目し、終末戦争まで行ったらしい。しかし、長きにわたる不毛な戦争に疲弊(ひへい)し、数百年前に相互不可侵の条約を結んだ。そして、その頃、たまたま地球へのゲートが開き、龍族の一部が地球へと移り住むことになる。この末裔(まつえい)が紗雪らしい。

 英斗は腕を組み、その信じがたい話を聞いてどう理解したらいいか分からず、大きく息をついた。

「我は嘘は言わんぞ」

 レヴィアは澄んだ瞳で英斗を見つめている。

 確かに嘘をつくならもっとましな嘘をつくだろう。

 英斗は首を振ると、魔物について聞いてみる。

「なぜ、最近魔物が地球に来るようになったんだ?」

「魔王の行動については我にも分からん。ただ、最近ゲートを自由に開く方法を開発したみたいじゃな。好きな場所へ開けるようになって、計画的に侵攻ができるようになったということじゃろう」

「じゃぁ、これからもドンドン来るということ?」

「知らん。魔王の考えを我に聞くな。地球も魔王も龍族には関係のない話じゃ」

 レヴィアは肩をすくめる。

「関係ないって、紗雪をイジメたじゃないか!」

「あ奴が相互不可侵条約を破って魔王軍に攻撃をしたから、お仕置きをしただけじゃ」

「攻撃するのはやりすぎでしょ?」

 英斗はムッとして怒る。大切な紗雪を攻撃したのは許しがたかった。

「何言っとる! 紗雪を口実に龍族が攻められたらどうしてくれる? 龍族存亡の問題じゃぞ! 部外者は黙っとれ!」

 レヴィアは真っ赤になって怒る。その小さな体からは信じられないほどの気迫で英斗を圧倒した。

 確かに紗雪も龍族であるのならレヴィアの言うことも一理ある。一度紗雪とちゃんと話をしないとならないだろう。

 英斗は渋い顔で口をキュッと結んだ。







7. 昂るキス

 紗雪の超人的な力の理由は分かった。しかし、どうやったらドラゴンになるのか、キスするとなぜ強くなるのかがよく分からない。

「レヴィアのドラゴン化にはこの棒が要るのか?」

 英斗はぶんぶんと水色のクリスタルのスティックを振り回した。

「おいバカ! やめろ! 割れたらどうしてくれるんじゃ!」

 レヴィアは必死に棒を奪おうと手を伸ばしたが、英斗は軽々とそれを制止する。人化しているレヴィアの力は女子中学生レベル。ドラゴン化さえしなければいくらでも力で押せるのだ。

「しばらく僕が預かっておく。それより……、キ、キスすると強くなるとかは……あるのか?」

 英斗は顔を赤くしながら聞いた。

 それを見たレヴィアはニヤッと笑い、

「ははーん、お主、あの娘とキスしとるんか? ヌフフフ」

 と、煽った。

「あ、そういう態度するならこの棒どうなっても知らないよ」

 英斗はムッとして、スティックを外に投げるふりをする。

「あーーーー! やめてくれぇ! キスは龍族の神聖な行為、龍族の力を引き出せるんじゃぁ」

 レヴィアはスティックに手を伸ばし、焦って答える。

「そんな神聖かどうかの話じゃなくてさ。キスの何に反応してるの? どういう仕組みなの?」

 英斗はレヴィアのふわっとした説明に満足せず、突っ込んだ。

「エクソソームじゃよ。細胞から出てくる顆粒状のm-RNA。他の人の細胞が生成したてのこいつを体内に取り込むことで全身の細胞が活性化され、普段では出ない力が出るんじゃ」

「ふーん、ではキス以外でも出来たての体液を飲めばいい?」

「……、おい。どこの体液飲ますつもりじゃ?」

 レヴィアは汚らわしいものを見るような目で英斗を見る。

「あ、いや、キ、キスでいいよキス」

 英斗は予想外の突っ込みに真っ赤になった。

 思った通り、強くなるために紗雪は自分にキスしていたのだ。しかし、誰とでもいいという事だったら単に使われただけということになる。そこは自分のことを好きであっていて欲しい。

「そ、それは、紗雪は僕のことを、す、好きってこと……だよな?」

 英斗は上目遣いに恐る恐る聞く。

「そんなのあの娘に聞け! 知らんわ!」

 レヴィアは呆れたように返す。

「そういう態度、良くないと思うな!」

 英斗はムッとして、またスティックを捨てるしぐさを見せる。

「わ、わ、悪かった。気持ちが(たかぶ)らないとキスの効果は上がらん。だからあの娘はお主が好きじゃ、好きに違いない!」

 レヴィアは冷や汗を流しながら泣きそうな顔で叫んだ。

「マ、マジか……。やった……」

 英斗は思わずガッツポーズ。

 紗雪は自分のことが好きで、自分とキスをすると昂るのだ。

 うんうん、そうだよなぁ……。

 英斗はにやけ顔でうなずく。

 小学校時代あれだけ仲良く気持ちを交わしあっていた仲だったのだ。好きでいて当たり前、僕らは両思いなのだ!

 英斗はチロチロと愛おしそうに動いていた紗雪の柔らかな舌を思い出し、ボッと頬を赤らめた。

 しかし……。そうなると、急に冷たくなったことには理由があるに違いない。それは一体何なのだろうか?

「紗雪がね、キスしても記憶を消そうとするんだよ。龍族は人間と恋……しちゃダメなの?」

 英斗はレヴィアをチラッと見ておずおずと聞いた。

「あー、それは『しちゃいけないキス』に昂ってるのかもしれんな。くふふふ」

「しちゃいけないキス?」

「要は、毎回お主のファーストキスをいきなり奪うことに興奮しとるんじゃろ。変態じゃな」

「えっ!? いや、まさか……そんな……」

 英斗は眉をひそめた。確かにラブラブになって頻繁にキスするようになったら昂らなくなってしまうのかもしれない。記憶を消して何度も新鮮なキスをする……。

 ここにきて英斗は、高校に入ってから何度か記憶を失っていたことがあった事に気が付いた。

 ん……? まさか……。

 冷静になって思い返すと、教室で、自宅で、いつのまにか寝てしまっていたことがあったのだ。

 さ、紗雪……、お前やってくれたな……。

 くっ、くくくっ……。はっはっは!

 英斗は思わず笑ってしまった。

 紗雪と上手く行かないことを悩んでいる間にも、自分は紗雪とキスを何度もしていたのだ。それも両想いのキスを。思えばファーストキスにしては自分も上手くできていた。初めての時は歯をぶつけたりしてしまうという話を聞いたことがあるが、そんなこともなくお互いを求めあうことができていた。いつの間にかキスに慣れていたのである。

 英斗は額に手を当て、とんでもない真実にたどり着いたことに心が付いていかず、大きく息をついた。

 最近記憶が残るようになったのは、何度も記憶喪失薬を使われたから、いつの間にか薬剤耐性がついてしまったのだろう。

「まぁ、単にお主を暴力の世界に巻き込むことを避けたかったのかも? 知らんけど」

 レヴィアは肩をすくめて言った。

 こっちの説の方が納得感はある。ファーストキスを奪い続けたいというのさすがにないだろうと思ったが……、正解は紗雪に聞かねば分からない。

 しかし、どうやって聞いたらいいか? 自分は記憶がないことになっているのだ。下手に聞くわけにはいかない。

 英斗はため息をつき、首を振る。

「恋愛……そのものは問題ないの?」

 英斗はチラッとレヴィアを見て聞いた。

「紗雪の両親も片方は人間じゃろ? 別に問題なかろう」

「そうか……」

 英斗はうなずく。

 自分はこれから紗雪とどう接して行ったらいいのだろうか? 両想いなのだからもっと親しくしたいが……、いいやり方が思い浮かばない。

 ふぅと大きく息を息をつくと、今は、『紗雪は自分のことを大切に思っている』ということだけかみしめておこうと決め、唇をそっとなでた。














8. 壮大なノズルスカート


「本当に大丈夫なんでしょうね?」

 瑠璃色に揺らめく空間の裂け目、ゲートに当たり前のように入っていこうとするレヴィアに英斗は聞いた。

 スティックを返す代わりにゲート内を案内してもらい、龍族についての情報を一通りもらうことにはしたものの、実際に入るとなるとやはり不安を感じる。

「嫌なら来るな。お主が来たがったんじゃぞ?」

 レヴィアはジロっと英斗をにらむと、突き放すようにそう言ってゲートの中へと消えていった。

 英斗は深呼吸を何度か繰り返すと、意を決して瑠璃色の面妖な輝きの中へと飛び込んで行く。

 ゲートの向こうがどうなっているのかは、謎に包まれたままだった。今まで多くの探索隊が突入していったが、いまだに誰も戻ってきていないのだ。砂漠のような地平線が広がっている映像だけは残っているが、その向こうに何があるのかは全く分かっていない。魔物が普段は何をやっているのか、どこにどうやって生息しているのか、興味は尽きないが人類は砂漠しか見たことが無かったのだ。

 ゲートを超えるとそこはやはり砂漠だった。草が一本も生えない不毛の大地が延々と広がり、灼熱の太陽がじりじりと肌を焼く。

「こんなところに住んでるんですか?」

 陽炎がゆらゆらと立ち上る中、英斗はゴツゴツとした岩と砂の世界に眉をひそめ、レヴィアに聞く。

「ここはダミーの空間じゃ、ここにはなんも無い。こっち来い」

 そう言ってしばらく歩き、庭石のような風情な形をした岩のところまで来ると、その表面に指を()わせた。

 まるでスマホのロックを解除する時のように、キュッキュッキュと図形を描くように指を動かすレヴィア。すると、ボンと爆発音がして紫色の怪しい光を放つゲートが開いた。

 へっ!?

 まさかゲートの世界の中に新たなゲートが開くとは。

 英斗は驚いて口をポカンと開けたまま怪しく揺らめく紫の煌めきを見つめる。

「さぁ、こっちじゃ」

 レヴィアはそう言ってゲートをくぐっていく。

 英斗も急いで後に続いた。

 なるほど、探索隊はただ何もない砂漠を延々と探し回り、どこかでわなに落とされてしまったのだろう。こんな仕掛けなのだから砂漠をいくら探しても本当のことは分からない。

 英斗は初めてゲート内の真実に触れた人類となったのだった。


        ◇


 ゲートの向こうには草原が広がり、その先には草木の生い茂る山があった。それはオーストラリアのエアーズロックのようにポッコリと草原の上にそびえる独特な形を見せている。

 レヴィアはけもの道みたいな細い道をスタスタと山に向かって歩きながら、

「あー、もう、草刈りをせんとな。この季節はあっという間に生い茂って困るわ」

 と、文句を言いながらビシッと道に覆いかぶさってくる葉を叩いた。

「あの山が拠点なんですか?」

 英斗が聞くと、

「はっはっは。山に見えるか。そうかそうか」

 と、レヴィアは楽しそうに返した。

「えっ!? 山じゃ……ないんですか?」

 英斗はそう言って目を凝らした。

 すると、草木の間になにやら窓のような物が見えないこともない。また、アンテナみたいな長い構造物が生えているし、右側の崖の方の岩は不思議な形をしている。確かに高さ数百メートルはあろうかという立派な山に見えるが、いろいろと奇妙だった。

 と、ここで初めて気づいた。崖の岩は、百メートルはあろうかという巨大なパラボラ状の構造物が崩壊してできた形にも見える。あちこちに草木が茂っていて詳細までは見えないものの、そう考えた方が自然な形をしていた。

 となると、この山全体が何かの人工的な構造体に違いない。しかし何だろうか?

 英斗は首を傾げながらレヴィアの後を歩いていく。すると、アパートサイズの巨石がゴロゴロと転がっている脇をすり抜けていく。巨石には木が生い茂り、立派な根がアンコールワットのように巨石の周りにまとわりついていた。

 何気なく巨石を見ていると、文字が書いてあることに気が付いた。なんと人工物だったのだ。そして、中には割れて中が見えているものもあった。タンクみたいに見えたが、中をのぞいてみると耐圧の隔壁がびっしりと張り巡らされており、ただのタンクではなさそうだった。強烈な内圧に耐えるタンクだろう。それはテレビで見たNASAのロケットの部品をほうふつとさせる。

 え……?

 英斗は慌てて崖のパラボラを見る。それはロケットエンジンについている炎を噴き出すノズルスカートに見えなくもない。

 ここでようやく英斗は気が付いた。あれがロケットエンジンだとすると、この山は宇宙船ではないだろうか?

 英斗は思わず立ち止まり、その壮大な巨大構造物を見回して、思わずその威容に身体がぶるっと震えるのを感じた。

 百メートルのロケットエンジンを抱いた巨大な宇宙船。一瞬バカなとは思ったが、そう思ってもう一度小山を見渡せばそれはもう宇宙船にしか見えなかった。全長数キロ、太さが数百メートルの宇宙船が横たわり、もう長い月日を経て草木が茂ってしまったと考える以外なかった。














9. プニプニのほっぺ

「どうした? 分かったか?」

 レヴィアは振り返り、ニヤッと笑った。

「こ、これは宇宙船ですよね? どうしてこんなところに?」

「いかにもこれは火星移住船【エクソダス】じゃ。遠い昔のな」

 レヴィアはちょっと寂しそうにそう言って、遠い目で宇宙船を眺めた。

「火星!?」

 英斗はその壮大な計画のスケールに言葉を失う。その昔、こんな山のような宇宙船を作る文明が栄え、そして、何かただならぬ理由があってここに横たわり、今や朽ち果て、自然に還るのを待ちながら住居となっている。一体どれだけの人の想いがここには詰まっているのだろう。英斗は畏敬の念で胸に重苦しさを覚えた。

 英斗は静かに首を振り、草原を駆け抜けてくる風に髪の毛を揺らしながら、ただ、その偉大なる宇宙船に見入っていた。


       ◇


「頭に気をつけるんじゃ」

 レヴィアはそう言いながら、ガコッとハッチを開け、船内を案内する。

 英斗はハッチをつかみ、その異様な軽さに驚いた。さすがに火星へ行ける科学技術力を持つ文明だけはある。

「あら、レヴィちゃん、お客さんかい? 珍しいねぇ」

 すれ違うおばちゃんに声をかけられ、

「あー、ちょっと腐れ縁でな」

 と、苦笑しながら返す。まるで田舎の村のようである。

 宇宙船の内部はさすがにいろいろと手が入って改装されており、少し窮屈ではあるが住みやすそうな集合住宅になっていた。ただ、住民は少なく、さびれた雰囲気が随所に見受けられる。

 きゃははは!

 いきなり幼女の笑い声が響き、幼女が上の方の通気ダクトから英斗めがけて飛びおりてくる。

 うわぁぁぁ!

 英斗はあわてて受け止め、抱きしめる。

 ボブのショートカットでサラサラとしたブラウンの髪にクリっとしたつぶらな瞳、プニプニとした紅いほっぺたは柔らかく、目じりには泣きぼくろが一つ。幼女は可愛いほほえみを浮かべ、まるで天使のように見えた。

「ねぇ、あそぼ! きゃははは!」

 幼女は屈託のない笑顔で笑う。3歳前後だろうか? ミルクのような甘い香りがふんわりと漂ってくる。

「こらこら、タニア! おにぃちゃん困っとるぞ」

 レヴィアはたしなめるが、タニアと呼ばれた幼女は小首をかしげ、

「ダメ?」

 と、英斗に聞いてくる。

 その天使のようなしぐさにキュンと来てしまう英斗。

「しょうがないなぁ、後で遊んでやるからね。ちょっと待っててね」

 そう言いながら、マシュマロのようなふんわり温かなほっぺたにスリスリと頬ずりをした。

 きゃはっ!

 タニアは満面に笑みを浮かべ、嬉しげに笑うと、もぞもぞと動いて英斗の腕の中から抜け出し、トコトコトコと通路の先を目指した。

「こらっ! タニア!」

 レヴィアは追いかけたが、タニアは一足先に作戦指令室へと入っていく。

 英斗もついていくと、タニアはお菓子の袋をゴソゴソとあさっていた。

 何だろうと思ってみていると、タニアは小さなパイの個包装を取り出し、トコトコトコと英斗の前にやってきて、

「どうじょ!」

 と、差し出した。嬉しさを顔じゅうにほころばせて、それはまるで満開のひまわりのように英斗の心に温かい風を吹き込んでいく。

「お、おう。ありがとう」

 英斗はしゃがんで受け取ると、くしゃくしゃとタニアの頭をなでる。

 キャハァ!

 タニアは歓喜の声を上げ、両手をバッと上げた。

「おいおい、勝手にお菓子を漁っちゃダメじゃぞ」

 レヴィアは渋い顔で指摘する。

 ぶぅ!

 タニアは唇を震わせながら眉をひそめ、顔いっぱいに不満を表明する。英斗は、

「このくらいいいじゃないですか。ねぇ、タニア?」

 そう言ってかばった。

 レヴィアは渋い顔をして、

「まぁええわ。コーヒー淹れるからその辺に座っとけ」

 そう言うと、奥へと引っ込んでいく。

 部屋は年季を感じさせるインテリアで、かなり昔に塗られた淡いミントグリーンのペンキにはヒビがあちこちに入ってしまっている。天井には巨大なクリスタルの円筒が設置され、よく見るとバウムクーヘンのような筋が入っている。何らかの投影装置だろうか?

 部屋の奥にはたくさんの計器やタッチパネルやスイッチが並んでいたが、ほこりがかぶっていて長年使われていないように見える。

 英斗が椅子に座ると、タニアは嬉しそうによじ登ってきた。

 苦笑いしながら英斗はタニアを抱き上げ、ももに乗せ、頭をなでる。

 にまぁ、とタニアは人懐っこい笑顔を見せてくるので、英斗も嬉しくなってパイを取り出し、ひとかけらタニアの口に含ませた。

 タニアはシャリシャリと美味しそうにパイを味わい、キャハッ! と喜びの声を上げ、ダラーっとよだれを垂らした。

「あー、もう。しょうがないなぁ」

 英斗はハンカチを出してタニアの口の周りを拭いてあげる。

 するとタニアは手を出して、

「もっと!」

 と、嬉しそうにせがんだ。










10. パパは高校生

 奥の方からコーヒーカップを両手に持ったレヴィアが戻ってきて、

「タニアちゃん、これからお兄ちゃんはお姉さんとお話があるんじゃ。大人しくしとくんじゃぞ」

 そう言ってタニアを見るが、タニアはパイの甘味に心を奪われていて全然聞いていない。

「大丈夫ですよ。……。いい子にしてるもんな?」

 英斗はタニアの頭をなでると、パイをまた小さく割ってタニアに渡した。

 タニアはパイのかけらを大切そうに受け取ると、パクっと口に放り込み、英斗ににまぁ(・・・)と最高の笑顔で微笑む。

 レヴィアはそんな二人を優しい目で見つめながらコーヒーを一口すすり、ふぅと息をつくと話し始めた。

「ふむ、では、龍族の話から始めるか。龍族は別の地球で栄えた一族でな、今から五百年前に火星行きの宇宙船を飛ばしたんじゃ」

 英斗はいきなり『別の地球』から話が始まって面食らう。

「ちょ、ちょっと待ってください! 別の地球って何なんですか? そもそもこことは違うんですか?」

「あー、そこからか……」

 レヴィアは思わず宙を仰ぎ、タニアはきゃははは! と嬉しそうに笑った。


 話を総合すると、この世界にはパラレルワールドとも言うべき地球がいくつもあり、そのうちの一つが龍族の栄えた地球、日本はまた別の地球になるそうだ。そして、魔物のいるこの空間は大陸サイズの異空間で、流刑地らしい。

 五百年前、地球を飛び立ったレヴィアたちを乗せた巨大宇宙船は、火星に行く途中女神の制止を受けた。なんと作戦指令室に女神がふわりと降臨し、火星行きを止めるように警告したらしい。しかし、船長は今さら止める訳にはいかないと警告を無視して航行を続け、気が付いたらこの空間に飛ばされていたそうだ。

 マッハ十の超高速のまま大気に突っ込まされた宇宙船は大爆発を起こし、バラバラと崩壊しながら墜落。多くの犠牲者を出しながら原形をとどめない程ズタズタになってしまい、廃墟のような小山になってしまったそうだ。

 死者行方不明者数千人、その壊滅的な被害の中で奇跡的に難を逃れたごくわずかな生き残りが今なおここに暮らしている。当時生き残りの中で階級が一番高かったレヴィアが棟梁としてこの地での生活基盤の構築に奔走し、今なおリーダーをやっているそうだ。

 だが、この地は元々魔王が支配する魔物の大地である。当然、魔物たちの襲来が相次いだ。レヴィア達はドラゴン化し、また、まだ使える宇宙船内の粒子エネルギー装置などを粒子砲に改造し、魔物たちに対抗した。

 数百年にわたる激しい戦いの末、停戦協定が持たれ、今では軍事境界線が引かれてお互い干渉しないようになっている。それでもたまに小競り合いは発生し、その際はレヴィアも出撃するらしい。

 そんな中で、魔王軍の日本侵攻で紗雪が暴れてしまった事は、レヴィア達には頭の痛い話だった。

 英斗は日ごろ飲みなれないコーヒーをちびりちびりすすり、眉間にしわを寄せながら聞いていた。

 にわかには信じがたい話の連続で、どう理解したものかどうか正直困っていた。地球がたくさんあることも、この異空間も、女神も到底科学の範疇から飛び出してしまったファンタジーの話にしか聞こえない。しかし、レヴィアの声には五百年を生き抜いてきた凄みがあり、切実さがこもっていてとても嘘だとは思えなかった。


 大人の話に飽きてきたタニアが足をブラブラと()らし、グズりだした。

「ねぇ、パパ、あそぼ~」

 そう言いながら英斗の腕をペチペチと叩いた。

「パ、パパ?」

 いきなり父親にされてしまって目を白黒させる英斗。

 レヴィアは笑い、

「おや、タニアの父親はお主だったか。カッカッカ」

 と、嬉しそうに冷やかした。

「ちょっと待ってくださいよ、この子の親はどこにいるんですか?」

 英斗は眉を寄せながらタニアを抱き上げ、じっとタニアのつぶらな瞳を見つめる。

「わからん。ある日、(われ)が寝てたら金縛りみたいに苦しくなって、目が覚めたらこの子が胸の上で寝てたのじゃ」

 レヴィアは渋い顔をして首を振る。

 ニッコリと英斗に笑いかけるタニア。目じりの泣きぼくろが可愛さを何倍にも引き立てているように見えた。

「え? 不用心ですよ。寝るときはカギしなきゃ」

「それが戸締りはバッチリだったのじゃ」

 首をかしげて肩をすくめるレヴィア。

「じゃあ……、どうやって……?」

「わからん。じゃが、龍族の末裔(まつえい)であることは間違いない。同胞であれば保護せざるを得んのじゃ」

「親御さん心配してるんじゃないんですか?」

「一応一族のみんなには心当たりがあったら教えて欲しいとは聞いておるんじゃが……、誰も知らんのじゃ」

 あまりに奇妙な話に英斗は首をひねり、タニアを見つめる。

 タニアはキャハッ! と、嬉しそうに笑った。