「たのもうここが教官室!」
「ヒッ!?」

 クエスト終了後。
 夕暮れ時。
 カルマさんは俺を連れて、今回のダンジョンを調整した教官が滞在している部屋を訪れた。

 まぁ訪れたというよりも。
 襲撃(カチコミ)に近いのだが。

「逃げようとしてたってことは、後ろめたいことがあるってことだね?」
「ぐっ……!」
「逃げても無駄ですよ。カルマさんはダンジョン内じゃなくても、足が速いですから」

 まぁ尤も、知っているだろうけれど。
 それくらい有名人だ。
 この一年の内に冒険者見習いとしてのイメージで上書きされつつあるが、彼女が女子サッカー界に残した功績は、あまりにも大きすぎる。

「さてそれでは、話してください教官さん。
 どうして――――あんな難易度にしたんですか?」

 窓から逃げ出そうとしている、四十代くらいの教官をじっと見つめ、俺たちは問い詰める。
 今回俺たちが戦ったデーモン。アレは、明らかに強すぎた。
 カルマさんが受けた難易度は、見習いランクB相当。しかしあのデーモンは、プロランクのBか、それ以上の力を秘めていたと思われる。

「一歩間違えば死んでいました。
 そもそもこの試験、他の教員たちへも公開になっていませんよね?」
「それは……! わ、私は……!」

 しどろもどろになっている教官は。
 やがて白状した。

 彼は高ランクの教官で、プロの冒険者も兼任で行っている。
 優秀で博識。経験も積んでいて、学園内でも冒険者としても、確固たる地位を築いていた。
 しかしそんな折。
 一人の異端が現れる。

 太陽のような笑顔。
 才気あふれる身体。
 驚くべき速さで成長していくソレは、篤実に経験値を積み上げていた彼にとって、衝撃だった。

「それでいて貴様は、一切座学を受けないだろう! そんな、そんな存在など……!」

 居てはいけないと。そう思った。
 自身が真面目だからではない。
 異端の才能が。未来ある超人が。彗星のごとく現れた新人が。
 階段飛ばしで冒険者道を駆けあがっていく姿を、直視出来なかったのだ。

「異常なまでの才能の塊。それが、これまでの私を否定していく……!」

 六年間。
 ダンジョン現象が発生してから、彼はずっとこの仕事に没頭し続けていたらしい。
 四十代くらいということは、冒険者を目指したのは、早くても三十代後半から。
 きっと学べる場所も少なかっただろう。
 そうしてコツコツと真面目に『冒険者』として積み重ね。
 ようやくプロCランクに上がり。
 教鞭を振るうようになった矢先、――――カルマさんは現れた。

「そんなこと、言ったってねえ」
「いや……」

 困った顔をするカルマさんを置いて。
 俺は、教官の元へと駆け寄っていた。

「分かります、その気持ち!」
「ええ!?」
「タマ!?」

 驚く二人に、俺は力説する。

「この際だから言わせてもらいますけど! カルマさん! あなた座学くらい普通に出ましょう!」
「キミ、どっちの味方なんだよ! ボクはまだしも、キミ、一歩間違えれば死んでたんだよ!?」
「それはそれ、これはこれです!」

 ぽかんとする教官を差し置いて。
 俺は、彼女と言い合いをする。

「才能あるからって、好き勝手にしていいわけではないです!」
「いや、だってさ……」

 カルマさんは珍しく、俺の言葉に圧倒されていた。
 戦闘中は思考速度が速い彼女も、突然の言い合いで混乱をさせれば、その速度を封じれるんだなと、俺はちょっとだけほくそ笑んだ。
 ともかく。

「俺は才能の無い人の気持ちも分かるし、成功者になりたい気持ちも、痛い程分かります」
「――――、」

 嫉妬するのは当たり前で。
 足を引っ張りたくなる気持ちも分かる。……やらないけど。
 俺と同じ一年を過ごしてきた人たちは、大抵ランクを上げている。上がらない方が珍しいのだ。

「上がらなかったやつは、才能に見切りをつけて去って行きました。
 でも俺は、奨学金のことは置いておいても、諦めきれなかった」
「…………、」

 俺も。特別になりたかったから。
 そして俺は彼女のお陰で、少しだけ特別になれた気もする。けど……。

「けど、それとこれとは話が別です」

 言って俺は、真っすぐに彼女を見て言う。

「俺たちはパーティですよね? なら、言わせていただきます」
「うっ……!」
「座学に出て、少しでも教員からの見られ方を改善してください」
「うぐぐ……」

 などとうめきながらも。
 決して目は逸らさないカルマさんだった。

「それは……」

 困ったようなハの字眉が、少しずつ目を曇らせていく。
 きっと彼女にも。
 何かあるんだとは思う。
 カルマさんは馬鹿ではない。だから、自分で読んだ方が早いとか、効率が悪いとか、それ以外にもきっと、授業に出たくない理由を抱えているのだろう。

「……その、すぐじゃ無くて、良いんで」

 力強く言いはしたものの、自分の中の気持ちに引きずられ、少し尻すぼみしてしまった。

「恨みを買った教官に嫌がらせを受けた。
 これがこの先続くようなら、――――いいんですか?」
「い、いいって……、何が?」

 たじろぐ彼女に、俺ははっきりと言葉を投げる。

「育って一人前になる前に――――俺、死にますよ!!!???」
「…………は、」

 ぶっちゃけ。
 今日みたいなことが続くと、生きていられる自信が無いです!
 生き残ったのはたまたまだ。
 この教官がもうワンランクでもレベルを上げていたら、今こうして口を開いていることは無かっただろう。

「…………、」
「……ど、どうですか」
「……ぷふっ」

 沈黙。後。噴き出し。
 彼女は一気に感情のダムを崩壊させ、大笑いをした。

「あはははははッ! あはははははははッ! 馬鹿だなー、タマは!
 ひっ、ひー……! 自分が死んじゃうって宣言を、交渉材料にするヤツ、いる!?」
「うるさいですね……。事実なんだから仕方ないでしょう」

 見ると、若干教官も口元を抑えていた。
 でもそうだよな! アンタだけは笑っていい立場じゃ無いもんなァ!? そこわきまえてくれてて良かったよ! ちゃんと大人で良かったよ!

「だっ、だいたいさぁタマ。そうなる前に、パーティ抜けるって考えはないの?」
「え、無いですよ。俺だって、このパーティ気に入ったんですから」
「ぅ――――、」

 笑いながら言葉を紡いでいた彼女の顔が、ぴたりと止まった。

「そのことば、は……」

 ずるいよと。
 カルマさんは静かにこぼした。

 教官室の窓から入る夕日が。俺たちを穏やかに照らす。
 ここは西日が強い。
 だからきっと、太陽の光が目に入ったんだろう。
 そうじゃないと、こんな理由で、彼女の瞳に涙なんてたまらないだろうから。

「…………ボク、は」

 カルマさんが何かを言おうと口を開いた直後だった。
 脇でずっと立っていた教官は、途端に土下座をして、深々と頭を下げた。

「すまなかった……!」
「…………、」
「一瞬の気の迷いで、私は……、私は……! きみたちに、なんてことを……!」

 震えているのは。これから下る処分のことを思ってか、それとも自分の矮小さを知ったからか。
 きっと冒険者になる前からも、こつこつ何かを積み上げて、ここまで来たのだろう。
 だから。

「――――だから」

 俺は呟いて。
 背中越しにカルマさんへ言葉を飛ばす。

「ねぇ、カルマさん」
「なに、タマ?」
「俺……、今日って何してましたっけ?」
「え……? 何言ってんの?」

 俺は座り込み、土下座する教官の肩を叩いて。出来るだけ柔らかく口を開く。

「せっかく用意してくれた汎用ダンジョン――――、すっぽかして(・・・・・・)すみませんでした」
「…………は?」
「いやあ……、ど、どうしてもサボりたくなっちゃって……。
 真面目さだけが取り柄の俺も、こうして、魔が差しちゃうことってあるんですよねぇ」
「何……、言ってんの、タマ?」
「そ、そうだきみ。きみは、この汎用ダンジョンで……」

 混乱する二人に対して、俺は右手を上げて言葉を制した。
 ぴたりとやんだ言葉の隙間。
 俺は自分の考えを口にする。

「一度魔が差すくらい。失敗することくらい。凡人にはあります」

 俺の強い言葉尻に圧倒されたのか。
 二人は黙って、顔をぽかんとさせていた。

 教官にとって。
 騎馬崎(きばさき) 駆馬(かるま)という太陽は、直視するには熱すぎた。
 きっと彼が嫉妬に狂ったのは、彼が向上心を持ち続けていたが故だ。
 そうじゃなきゃ。とっくに自分とは別の生き物だと割り切って、嫉妬なんて感情はもたないだろうから。

「こんな向上心のある先生が、たかが俺に(・・)行った不祥事くらいでいなくなるの、学園の損失ですよ」
「タマ……」

 半分本音。半分は嘘だ。
 出来ることなら、俺だってこの不祥事を公に発表して、プロBランクをクリアしたという功績を残したい。

 けれど。
 じゃあ、一度失敗してしまった教官は、どうなる?

 一度でもこけてしまったら。
 もうやりなおせないのか?
 失敗してしまった人間は。
 立ち上がるチャンスすら与えられないのか?
 そこを奪うのが、俺が目指す冒険者像なのか?

 ――――そうじゃ、無いだろ。

 静寂を割って、俺は言葉を落とす。

「心を入れ替えてください、教官」
「…………、」
「そして今度は、ちゃんと俺たちを導いてください」

 失敗続きの日々だった。
 それでも俺は、立ち上がろうとした。
 けれど、躓いて躓いて躓いて。立ち上がることすら困難で。
 才能に踏み抜かされ、才覚に蹂躙され、凡人にもなれない最底辺で。

 俺は才能の無い人の気持ちも分かるし、成功者になりたい気持ちも分かるし、
 やり直したい人の気持ちも、存分に分かる。
 だからこれは、正義感や善人ぶりや、ましてや自己犠牲なんかではない。

 俺のため。
 自分自身を重ね合わせてしまった、今立ち上がろうとしている、俺のための言葉だ。

「だから。もう一度」
「私、は……!」

 がくりと再び顔を地面へつけて。
 教員は泣き崩れた。
 そんな彼を。俺は、ただ柔らかく見守っていた。
 その嗚咽が、鳴りやむ頃には。
 すっかり日が落ち切ろうとしていた。