学校から帰宅すると、家の前に見慣れた顔があった。
「よっ」
寒さで鼻を真っ赤にさせた尊が右手をあげた。尊は近所に住んでいて、物心ついたころから知った仲だ。しかも小学校から高校までずっと同じクラス。つまり腐れ縁ってやつだ。
「どうしたの。珍しいね。なんの用?」
「いやさあ、久しぶりに占ってもらおうと思ってさ」
尊はヘヘヘと笑った。
「そういうことか。だったらラインくらいしてよ。まあ、いいや。じゃあ上がって」
わたしは家のカギを開けて、尊を家にあげた。
「うわーっ占いの館に入るの久しぶりだな。なんかあんまり変わってないな」
部屋に通すと、尊ははしゃいだような声を出した。そして、カーペットの上にドカッと腰を下ろした。
「ねえ、ちょっとその呼び方やめてよ」
わたしは、尊に座布団を投げつけた。
昔から尊は我が家の、さらに言えば私の部屋を占いの館と呼んでいた。それがおおいに不満だった。家は占いの館でもなんでもなく、ごく普通の家庭だ。父はサラリーマンだし、母は工場でパートをしている。
「いやあ、なんか懐かしいと思ってさあ。昔はよくこの部屋に遊びに来てたなあと思って。あの頃は男子も女子も関係なくよく遊んだよなあ」
尊は感慨深げに部屋を見渡した。幼馴染だけど、中学にもなると男子と女子ということもあり、一緒に遊ぶどころか教室でもあまり会話をしなくなった。
「本当によく遊んだよね」
何をして遊んでいたかはあまり記憶にない。でも、ぼんやりと楽しかった記憶だけは残っている。
「小学校の4年くらいだったかな、佐奈が占いにハマったんだよな。その占いが当たるって評判でさ。今思えば変わった小学生だったな」
尊がニヤニヤと笑った。
「女子の間で占い本が流行ってたんだよ。まあ、みんなが飽きてもずっとハマっていたのはわたしだけだったけど……」
当時仲の良かった美緒ちゃんが読んでいた星座占いの本がはじまりだった。その他にも生年月日の占いなど様々な占い本がクラスでちょっとしたブームだった。でもブームというのは去るもので、1ヶ月も経つと別の関心ごとに移っていった。それでも興味を失わなかったわたしは手相にまで範囲を広げていた。その手相占いが当たると評判になったのは事実だ。
「で、何を占ってほしいの?」
わたしは目の前に座っている尊に訊いた。
「うーん。まあ、そのう。全体的な占いっていうか。ほらっ来月には卒業するわけだしさあ将来のこととか、トータル的な感じかな」
尊は歯切れ悪く言った。
私たちもあと数日で高校卒業だし、その後のことが気になるのはわかる。だだ私も尊もすでに進路は決まっていて割と呑気な3学期を過ごしている。ちなみにわたしは看護の専門学校に、尊は地元の大学に推薦での進学が決まっている。
「ふーん。まあいいや。じゃあ手出して」
わたしに言われて、尊はゆっくりと右手を差し出した。
久しぶりに尊の手に触れた。昔はバスケの試合結果とか、お年玉をたくさんもらえるかどうかとか、どうでもいいような占いをよくしてあげていた。
「なんかめっちゃ汗ばんでるね。緊張してるの?」
私が茶化すと尊は「うるせえな。早く占えよ」と恥ずかしそうに言った。
「はいはい。じゃあ、恋愛を占うね。恋愛運は、えーっと」
わたしはじっくり手のひらを見た。
「ちょっ、ちょっと待った。れっ、恋愛じゃなくて。まずは大学生活のことを占えよな」
何故だか突然尊が慌てだした。この様子で尊が何を占ってほしいか何となくわかった。
「わかったわかった。じゃあ占うよ」
わたしはニヤニヤしながら尊の手相をもう一度見た。すると、結果は可もなく不可もなくで、それを本人に伝えると、「そっか」とあっさりとした反応がかえってきた。そして、「他は?」と前のめりになって尋ねてきた。
「ねえ、尊。本当は何か気になることあるんでしょ?」
わたしは尊に訊いた。すると尊はモジモジして、
「うっ、うん。今さっきはああ言ったけど、本当は恋愛を占ってもらおうと思っていたんだ」
照れた様子で尊は頭をかいた。予想通りだった。
「なんだやっぱりそうじゃん」
本当に尊はわかりやすい。正直者で思ったことが全部顔に出てしまう。まあ、でもそれがわかるのは幼馴染だからかもしれない。恥ずかしそうにしている尊にわたしは続けた。
「で、誰かに告白でもするの?」
私が尋ねると、尊はこくりを頷いた。
「えっ、誰? それって同じクラスの子? 教えてよ」
「いや、隣のクラス。言うのはいいけど佐奈、絶対に誰にも言うなよな」
尊が真剣な顔で私を見る。
「それは大丈夫。占い師にとっては守秘義務がなによりも大事だから」
冗談で返したが、尊の顔が強張ったままだった。
「俺さあ、竹前さんに告白しようと思っているんだ」
竹前さん。すぐに顔が浮かんだ。
「あっ、ああ竹前さんか。可愛いもんね。でも尊と繋がりあるの?」
学校では二人が話しているところを見た覚えがなかった。
「ああ、竹前さんの友達と鶴田が仲良くてさ。繋げてもらったんだ。ここ最近はよくラインとかするんだ。それに複数でだけど外で会ったこともある。でもまあ、竹前さんは人気があるから難しいとは思うんだけどさ」
尊は苦笑いを浮かべた。
尊の想い人、竹前朱里さんは美人で優秀で性格も明るいから男子から人気だ。たしか二年生の時まではサッカー部のエース柱谷君と付き合っていたはず。二人が別れたとの噂が広まったときは学校中がざわついたのをよく覚えている。
尊が難しいと言うように、並みの男子ではつり合いが取れないだろう。元カレの柱谷君も文武両道のイケメンだった。
でも、尊だって悪くはないと思う。昔はわたしよりチビだったのに、今は背も高いしバスケもうまい。「尊君かっこいいよね」というヒソヒソ声を何度か聞いたことだってある。けっして釣り合いが取れないとは思わなかった。
あっ、そういえば竹前さんと言えば
「ねえ、尊。竹前さんってたしか東京の大学に行くんだよね?」
隣のクラスでも目立つ存在の竹前さんの情報が簡単に入ってくる。
「うん。そう。だから余計にハードルが上がったわけだよ。だって上京するのにこっちで彼氏作ろうとは普通思わないだろ?」
たしかにそうだ。もし付き合っても、地元に残る尊とはすぐに離れ離れになってしまう。よっぽど尊のことが好きなら別だけど、中々難しいかもしれない。
「でも、だからこそ卒業までに告白しようと思ってるんだ。このまま告白しなかったら後悔するような気がしてさ。でも振られるも怖い。なんだかどうしたらいいか分からなくて。だから佐奈に手相を見てもらってその結果で決めようと思って」
なるほどそういうことだったのか。
「そっか。わかった。じゃあ手相見るよ。その代わり結果が悪くても恨まないでよね」
「わかってるよ」
尊は小さく笑いながら手を差し出し、私はその手をとった。さっきと同様に汗ばんでいる。わたしはじっと手のひらを見た。
「ねえ、尊。本当のこと言っていい?」
「えっ、うっうん」
「じゃあ、言わせてもらうけど。失恋線が出てる。分かると思うけどこの線が出てると近いうちに失恋する」
「えっそうなの」
「うん。夏くらいから恋愛運も上昇するけど春はダメっぽい」
「そっそうなのか」
尊の顔から血の気が引いた。
「ごめんね。こんな結果で」
「いや、それはしょうがなよ。そんなの佐奈のせいじゃないし。」
あきらかに尊の声のトーンが下がっている。
「でもさ、占いがすべてじゃないからさ。それにわたしの占いが当たるとは限らないし。そもそもわたしなんか素人だしさ」
あんまりにも落ち込んでいるのでわたしは励ました。
「ああ、そうだな。まあどうするかは自分で決めるよ」
ハハハと笑うと、尊はわたしの部屋を後にした。
ついさっきまで尊が座っていた座布団を見ながら、ため息をついた。どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。わたしは自分を恨んだ。
本当は失恋線なんて出ていなかった。それなのに反射的にわたしは嘘をついた。その理由は竹前さんだ。あの時、わたしは尊と竹前さんが二人で並んで歩く姿を想像した。二人ともスラっとしていてお似合いだと思った。わたしはそれが悔しくて咄嗟に嘘をついた。二人が結ばれるなんて嫌だと思ったのだ。
竹前さんと違ってわたしは背が低いし顔も可愛くない。クラスでも目立たない地味な女子だ。
尊と比べたってそうだ。スポーツが出来て容姿も良く、イケてるグループに属している尊とわたしでは幼馴染でもキャラがまったく違う。かろうじてお互いの携帯番号やラインは交換しているけど、教室では絶対に話さない。
こんな卑屈なことは思いたくないけど、わたしと尊では住む世界が違うとすら思える。
それなのにわたしはずっと尊のことが好きだった。尊の汗ばんだ手に触れて特に実感した。
だからと言ってあんな嘘をついていいわけがない。尊は昔から元気はいいけど繊細で気が小さいところがあった。それにわたしの占いに対して全幅の信頼を寄せているから、悪い結果を聞いて、告白をあきらめてしまうに違いない。
そんなのはダメだ。尊が竹前さんと結ばれることには許せない気持ちがあるけど、尊に嘘をついた自分はもっと許せない。尊に本当のことを言わなければいけない。でも勇気がでない。直接言うのが難しければ、電話でもラインでもいい。わたしはスマホを取り出した。でも指が動かない。動かそうとしてもわたしの指は動いてくれなかった。
本当のことを打ち明けようとしたけど、それができないまま卒業式の日がやってきてしまった。本当だったら今日までに尊は竹前さんに告白するつもりだったのだと思う。でもまだ告白できていないような気がした。
卒業式の間もわたしはそのことばかり考えていた。斜め前に尊の後頭部が見える。今すぐにでも本当のことを言いたい。そうしなければ、尊は告白しなかったことを後悔することになるし、わたしはわたしで罪悪感を抱えたまま苦しむことになる。私が動かないと。
卒業式が終わり、教室で仲の良い友達と別れを惜しんだ。友達と話しながら、ちらっと尊を見ると何の気がかりもなさそうな顔で友人たちとワイワイやっている。本当は心の中はモヤモヤで一杯なのに無理をしている。それは幼馴染だからわかる。
よしっ、わたしは決意した。
わたしは友達に「ちょっとごめん」と声をかけて一歩踏み出した。
「ねえ、尊。ちょっといい? 廊下きてくれない」
わたしは尊の友人たちの間を割って入った。この教室で尊と話すことは多くなかった。ましてやわたしから話かけるなんてあり得なかった。多分、周りも驚いていると思う。
尊を廊下に連れ出すそうとすると、「告白かっ」と囃し立てる声が聞こえた。一瞬恥ずかしさを覚えたけど気にしている場合じゃなかった。
「なんだよ」
廊下に出ると、尊は不満そうに言った。
「ねえ、竹前さんに告白はしたの?」
わたしは周りに聞こえないように小さな声で訊いた。尊の顔が引きつった。
「しねえよ。だって失恋線が出てたんだろ。俺さ、やっぱりビビりでさ。振られるの怖いんだわ。情けないと思うかもしれないけど俺ってそういう奴なんだよ」
尊は今にも泣きそうな顔だ。幼馴染のこんな顔は見たくない。
「そのことなんだけどさ」
私は尊の目を見てから息を大きく吸った。
「あの占い間違えてたんだ」
「はっ、間違ってた?」
尊がポカンとした顔でわたしを見た。
「うん、占いするの久しぶりだったから間違えちゃった。あとで調べたら失恋線なんかじゃなかった」
「えっ、ていうことは」
「うん。告白成功するかもしれない。だから今から告白しなよ。チャンスはもう今日しかないんだから」
「まじかよ。でも、そんなこと急に言われてもな」
尊がモジモジしだした。
「早く行きなよ。後悔するよ」
わたしは廊下に響き渡る声で言った。
「わっ、わかったよ。そうだよな。たしかに後悔したくない。じゃあ、今から隣のクラスに行ってくるよ」
わたしの圧に突き動かされたのか、尊はためらいながらも隣のクラスに足を向けようとした。
「待って」
わたしは尊の手を掴んだ。そして手のひらにマジックで太い線を一本書き込んだ。
「なっ、なんだよ」
尊は驚いて手を引っ込めた。
「さっき失恋線は出てないって言ったけど、だからと言って特に良い恋愛線も出てなかったの。だからマジックで足しといた」
「えっ、そんなんでいいのかよ」
尊は半信半疑な表情を浮かべた。
「うん。大丈夫。私の念も入っているし。だから必ず成功する。自信を持って」
わたしは精一杯の笑顔を作った。
尊は自分の手のひらを見てふっと笑った。
「ありがとう。やっぱり持つべきものは幼馴染だな。じゃあ、行ってくるよ」
尊は勢いよく隣のクラスに入っていった。尊の顔から戸惑いが消えていた。
その背中を見送ったわたしはしばらく立ち尽くした。笑顔を崩すと、そのまま泣いてしまいそうだから、わたしは口角を上げたまま教室に戻った。
卒業式の翌日、部屋でスマホをいじっていると、尊からラインが送られてきた。
「佐奈のおかげで告白成功したよ。これから遠距離になるけどうまくいくように頑張る。ありがとうな」
そのラインを見たあと、一つため息をついてから自分の手のひらを広げた。わたしの手のひらには失恋線が刻まれていた。