「その子たちを殺すなー!」
「レイナ、やめて、やめて!」
 裕とアンソニーが同時に叫ぶ。

「絶対に離れない!」
 レイナの瞳から零れ落ちた涙が、床を濡らす。
「今度は、絶対に、絶対に、助けるんだからー‼」
 脳裏によぎるのは、あの日のタクマの姿。
 あのとき、もっと早く走っていれば。
 タクマに駆け寄って、止めていれば。
 ずっと一緒にいられたのに――。
 
 ――お金なんていらなかったの、お兄ちゃん。街に出られなくても、ずっとゴミ捨て場で暮らすことになっても、お兄ちゃんと一緒にいられれば、私は、それでよかったの。お兄ちゃん。ずっとずっと、そばにいてほしかったの……!
 
「大事な人を、もう、なくしたくないっ……」
 レイナの魂の叫びに、その場は水を打ったようになる。
 そのとき、レイナのバレッタが一瞬キラリと光ったように、裕には見えた。ステージに置いてあるタクマのピアノが、ポーンと一音だけ、鳴る。
「えっ、何、何⁉」
 アンソニーが驚きの声を上げる。
 白石もビクッと反応してピアノを見るが、そこには誰もいない。
 
 その音でスイッチが入ったように、へたりこんで震えていた笑里は、よろめきながら立ち上がった。
「レイナちゃん……」
 フラフラと、レイナとアミに向かって歩き出す。
「おいっ」
 裕は止めようとしたが、足が動かない。
 笑里は二人のところに辿り着くと、崩れるように二人を抱きかかえる。
「レイナちゃん、アミちゃん、私も一緒よ」
 三人で固く抱き合う。

 その三人の姿を見て、裕も引き寄せられるように一歩踏み出した。震える足で、一歩一歩、レイナたちのところに向かう。
 その後を、アンソニーが続く。
 アンソニーの後を、スティーブが。その後を、バンドとコーラスのメンバーが。みんながレイナとアミを囲んだ。
「みんな、一緒だ」
 裕は静かに三人を包み込む。
「何があっても、ずっと一緒だよ」

「……っ!」
 白石はスイッチを押そうと手を振り上げるが――押せない。 
「なんっ、なんだよっ。みんな一緒に吹っ飛ぶぞ⁉ 何やってんだよ、あんた達! みんな死ぬんだぞ⁉」
 どんなに叫んでも、誰もレイナとアミのまわりから動かない。
 トムは背後からこっそりと白石に忍び寄っていた。その手には、ゴミ捨て場を去るときにジンからもらった、サバイバルナイフが握られている。

「いいか。これで人を傷つけたりすんなよ、絶対に。でも、自分が大切な人を守るときには使ってもいい。そのときだけ、人に向けてもいい。分かったな?」

 あのとき、ジンはそう言った。
 トムは大きく息を吸い、サバイバルナイフを思いっきり白石の太ももに突き立てた。
 白石は絶叫する。その手からスイッチが転がり落ちた。トムはそのスイッチを拾い上げて、走って逃げる。
 支配人やアリソンのSPが白石に飛びかかった。
「くそっ、くそっ」
 白石は床に組み敷かれながら、悔しがる。

「――レイナ、アミ、もう大丈夫だ」
 裕が優しく声をかけた。
「もう終わったよ。終わったんだ」
 レイナは顔を上げる。その瞳には強い光が宿ったままだ。
 レイナとアミは顔を見合わせて、もう一度抱きあう。
「レイ、ナ……!」
「アミ!」
 もう二度と離れないようにと、二人は強く、固く、抱きしめあう。


 官邸に向かう人の流れは途切れない。
 ライブ会場を出た観客たちは、その足で、官邸を目指した。
 ライブの余韻が体に残っている観客たちは、「来てよかった」「レイナ、すごかったね」「オレ、なんか、生きててよかった」と興奮が冷めない。その顔は、希望と喜びに満ち溢れていた。

 マサじいさんは、ゴミ捨て場の住人と「さあ、次は美晴さんの援護だ」と、意気揚々と向かう。
「オレらも、まだまだ、負けてられんな」
 あの二人組の少女も、「レイナちゃん、カッコよかったね」「勇気をもらったね」とはしゃぎながら、腕を組んで歩いていた。
 幸せな夜。頬を刺す夜風も心地よい。
 やがて、誰ともなく「小さな勇気の唄」を口ずさむ。
 いつしか、その歌声は一つになって、満天の星空に響き渡った。


 飛行場を降りたつ者も、電車で向かう者も、歩いて目指す者も。
 官邸に向かって、人々は歩く、歩く、歩く。
 まっすぐ前を向いて、軽やかな足取りで。
 頭上にはヘリコプターが飛び、アナウンサーが夜空から実況中継していた。
「今、大勢の人が官邸に向かっています。スマホの無数の光に道路が彩られて、まるで光の洪水のようになっています! 官邸には、既に30万を超える人が集まっているという情報もあります。官邸は、開け放たれたという情報も入っています。今夜、今夜、日本は大きく変わろうとしています。国民の力で勝ち取ったのです。真の自由と、未来を――!」
 アナウンサーはそこで言葉を切り、肩を震わして泣きだした。


 明けない夜はない。
 その夜が暗く、深く、長ければ長いほど、朝の光はまばゆく、暖かく、希望に満ちているだろう。
 やがて祝福の光が消し去るのだ。
 絶望に彩られた、今日までの日を。