「ハイ、これ、差し入れです」
 美晴は陸から缶コーヒーを受け取った。4時を過ぎると、西の空の色が紅く染まり始めた。それに伴い、冷え込みが一段と増す。
「あったかー。生き返るう」
「デモに参加しに来た人たちが、いろんな差し入れを持って来てくれるんですよ。おにぎりもあるし、お菓子もありますよ。たこ焼きとか焼き芋も」
「ありがたーい。お昼も食べてないもんねえ」 
 美晴はおにぎりをいただくことにした。

「官房長官が辞任したみたいですよ」
 陸がスマホを見せてくれた。
「他の閣僚も辞任を表明してるらしくて。片田の味方はどんどん減ってますね」
「あらら。人望がなかったのねえ。お気の毒に」
 美晴はおにぎりを満足げに頬張る。
「党内からも投票所を開けろって声を上げてる政治家もいるし。時間の問題ですかね」
「反対してる政治家も、ここに来て一緒に声を上げてくれれば、すぐに投票所は開くのに。遠くから見てるだけってのが、なんだかねえ」 

「美晴さん、今の参加者はざっと7万人ってとこかな」
 岳人の声が、耳に着けているイヤホンから流れて来た。
「この分だと、夜には10万人は超えるね」
「レイナはどうなの? まだ到着してないの?」
「それが、姿をまだ確認できてないんだよね。たぶん、レイナちゃんが東京に入る前に封鎖されたんだと思う。それに、ライブ会場を機動隊が囲んでるんだよ。ライブを中止させようとしてるのかもしれない」
「そうなの……どこまでも卑劣な人間ね、片田は」

「でも、ファンはあきらめてないよ。会場の周りに1、2万人はいるんじゃないかな。ファンが動画で呼びかけてるんだよ。国がライブを中止させようとしてて、レイナを会場に入れないようにしてるって。だから、余計にファンが集まって来てるみたいだね」
「もう国民を抑えられないってことね。ようやく、ここまで来られた……」
 美晴は感慨深げに官邸を見つめる。
「もう一息で壁を崩せるかもしれない」


 レイナはクルーズ船の上からお台場の埠頭を見つめていた。
 道路や鉄道が封鎖されていると知り、アリソンに相談してクルーズ船でお台場まで行くことにしたのだ。そのためにあちこちで渋滞している道路を走って、何とか本牧まで戻った。
 ライブ開始まであと1時間を切った。
 だが、埠頭には巡視船が待ち構えていて、とても近づけない。

「海から来るかもしれないって読んでいるってことだな」
 スティーブは舌打ちする。
「これだと近づけないな」
「ねえ、ライブ会場のまわりはポリスが取り囲んでるみたいよ」
 アリソンが動画を見せてくれた。
「そうまでして、ライブを中止しようとしてるのか」
「物騒ね。ライフルまで持って」
「まさか、日本のポリスが市民に発砲はしないだろ」

「ねえ、声が聞こえる」
 レイナは耳を澄ませる。
「私を呼んでるみたい」
 スティーブとアリソンも耳を澄ませると、潮風に乗って「レイナ、レイナ」と呼んでいるファンたちの声がかすかに聞こえた。
「そうか。みんな、レイナを待ってるんだな」
 アリソンは感激した様子で、「OH……」と胸に手を当てた。
「行かなくちゃ。絶対に、あそこに行かなくちゃ」
 レイナは唇をかみしめる。


「レイナ、レイナ、レイナ」
 ファンは声を枯らして、レイナの名前を呼んでいた。
 ファンの数は時間が経つにつれて膨らんでいき、会場のまわりだけではなく、会場から駅に続く橋の上にも人があふれかえっていた。
 機動隊がいくら「本日のライブは中止です。即刻会場から離れてください」と呼びかけても、かき消されてしまう。機動隊もファンの人数に圧倒されて、身動きが取れなくなっていた。

 会場の入り口で、機動隊とファンはにらみ合っていた。
「レイナちゃんが到着したら、私たちが体を張って会場に入れるしかないから」
 茜は紅潮した顔で、住人たちに言う。
「もちろん。その覚悟は決めてっからさ」
 住人は親指を立てて、にいっと笑う。


「私たちは、ここを離れる気はありません」
 ステージの上では、裕や笑里を始め、支配人やバンドのメンバーが機動隊とにらみ合っている。
「支配人が中止を決めるのならまだしも、権力者に、何の理由もなく一方的に決める権利はないはずです。さっきから危険だという根拠を示してほしいと言っても、何も出さないじゃないですか」
「そんなこと言っても、強制的に退去させるだけですよ?」
「強制的にとは?」
 
 裕と機動隊が言い合っている様子をアンソニーが撮影し、動画で生配信している。
「ちょっとちょっと、撮るのはやめて!」
 機動隊にさえぎられても、「いやーん、暴力はやめてえ」と逃げ回り、一向にやめる気配はない。
「強制的に排除したら、外のファンが怒り狂うんじゃない? これだけの人数が暴動を起こしたら、あんたたち止められんの? それとも、国民に銃を向ける気? 国民はみんな丸腰なのに」
 アンソニーの言葉に、機動隊は黙って下を向く。

「官邸からの指示はまだなんですか?」
 機動隊の一人がリーダーにこっそりと聞く。
「まだだ。官邸も混乱してるみたいで、何度問い合わせても、何の返事もないんだ」
「このまま待機してるのはつらいですよ」
「分かってる……」
 機動隊のリーダーはうんざりした表情でため息をつく。