「近寄るなっ!」
 追いついたジンがレイナを制し、人垣に駆けて行った。クロも後を追っていく。

「ウソだろ、タク、タクマがあ」
 息を切らしたトムがレイナにすがりつく。アミもようやく追いつき、マサじいさんは息をぜいぜい言わせながら、人垣に向かった。
 アミが「あー? あー?」とレイナの腕を引っ張る。レイナは何も答えられない。自分の心臓の音が、やけに大きく耳に響く。
 ダンプカーの運転手も降りて、車体の下を見ている。

「救急車を呼べっ、早く!」
 ジンの声が響き渡るが、誰もそこから動こうとしない。
 マサじいさんは人垣の向こうで何が起きているのかを一目見ると、戻って来た。
「マヤさんを呼んできてくれ。早くっ」と指示すると、トムは飛んで行った。

「あー? あー?」 
 アミは激しく腕を揺さぶる。
 レイナはフラフラと人垣に近づいた。まるで夢の中で歩いているような感覚だ。
 人垣の足元から、大量の血が流れているのが見えた。そして、タクマの腕。
「お兄ちゃん……?」

「見るなっ、見るんじゃない!」
 ジンが鋭く制する。マサじいさんがレイナの前に立ちはだかり、レイナを抱きとめる。
「見ないほうがいい。見ないほうがいい」
「お兄ちゃん? お兄ちゃん!」
 レイナが見ようとするのを、マサじいさんは必死で押しとどめる。アミはレイナの腕をつかみながら、ガタガタと震えている。

「救急車を呼べっ、呼べったら!」
 ジンが何度も叫ぶが、みんな遠巻きに見ているだけだ。タクマを突き飛ばした男も眉間にしわを寄せて見ているだけで、助けようとしない。

 ――あの男。あの男の顔、忘れない。
 レイナはその男の顔を凝視した。
 その男がその場から離れようとしたので、「クロ! あの男っ」とレイナは指差した。ジンの隣にいたクロは呼ばれて、レイナを見る。
「あの男、あいつが、お兄ちゃんを突き飛ばしたの!」
 ジンが何か言うと、クロはその男に向かって突進した。男は大声を上げながら逃げたが、あっという間にクロに飛びかかられ、倒れ込んだ。

「イタイイタイ、やめてくれえっ」
 男は叫ぶが、クロは腕を噛んで離さない。
 他の作業員がクロを引き離そうとすると、クロは唸り声を上げて睨むので、誰も近寄れないようだ。男はのた打ち回る。
 
 やがて、マヤや他の住人も駆けつけた。
 作業員の事務所から背広を着た肥った男が出て来た。
「ちょっと、困るんだよっ。こんなところに転がったままだと、作業をできないだろ? 早くどかしてくれ!」と怒鳴りつける。
 ジンがその男につかみかかった。その顔は、今まで見たこともないほど凄味があった。ジンの手は血だらけで、男のシャツに血がつく。
 ジンの剣幕に、男は「わわわ分かった、落ち着け、落ち着こう」と慌てふためく。

 マヤは歩くのもやっとという感じで、ふらふらとタクマのもとに向かう。
「その子の母親だ!」
 マサじいさんが叫ぶと、人垣がさっと割れた。
 人垣の奥に向かったマヤは、絶叫して崩れ落ちる。
「タクマ、タクマっ」
 悲痛な声が響き渡る。
 トムも後に続こうとすると、「子供は行っちゃいかん!」とマサじいさんが腕をつかんだ。
 
 レイナは、マサじいさんの体越しに人垣の向こうを見ようとしたが、ますます人が多くなって見えない。
「早く救急車を呼んで、早く、早くっ。なんで呼んでくれないのお?」
 マヤは泣きながら訴えている。

「奥さん、もうダメだよ。死んでる」
 作業員が声をかけると、マヤは「ウソ、ウソよおっ」と泣き叫ぶ。

「ウソでしょ……?」
 レイナは震えながら、マサじいさんを見上げる。
「お兄ちゃん……死んだなんて……ウソでしょ?」 
 マサじいさんは何も言わずに、顔をゆがめる。
 レイナは身体の力が抜けて、膝から崩れ落ちた。