レイナが着替えている間、裕は玄関で待っていた。
「西園寺先生、こちらにいらしたんですか」
 振り向くと片田が立っている。
「先生たちのディナーを用意しましたので、こちらへどうぞ」
「いえ、もう遅い時間ですので、私たちはこれで」
「そうですか? 一流のシェフが作った料理を、レイナさんにぜひ召し上がっていただきたいんですが」
「レイナはまだ子供ですから、あまり遅くまで出歩かせたくないんです」
「そうですか。ずいぶん大切に育てていらっしゃるんですね」
 片田は相変わらず作り笑いを顔に張りつかせている。

「ところで、レイナさん、ゴミ捨て場で歌ってるようですね。動画を見ました」
「ああ、ゴミ捨て場の住人が撮影したみたいですね」
「ああいうことは、日本のためにはなりませんね」
 片田は笑顔を崩さない。

「え?」
「ご存じのように、オリンピックを招致できたのは、日本の経済は完全に復活していて、不況から脱却できたとアピールしたからです。日本は長らく不況が続いていて、財政破綻するんじゃないかと世界で言われていましたが、何とか乗り越えて来た。世界が望んでいるのは復活して元気になった日本の姿です。ゴミ捨て場で生活している人たちの姿ではない。ああいうのが世界に知れ渡るのは、日本のためになりませんね」

「でも、レイナはゴミ捨て場で生まれて育ったと世界中のファンが知ってます。今更、それを隠す意味はあるのでしょうか?」
 裕は冷静に反論する。片田は一瞬鼻で笑った。

「失礼しました。伝え方が悪かったようです。レイナさんが住んでいたゴミ捨て場は、住人がいなくなって、住居が撤去されましたでしょ? そのゴミ捨て場を復興のシンボルとしてアピールしたいと考えてるんです。でも、それ以外のゴミ捨て場にも同じような住人がたくさんいるんだと勘違いされたら困るんですよ。日本はそんなに貧しい国なのかって誤解を招くから。だから、これ以上、ゴミ捨て場で歌わないで欲しい。それだけです」

 裕はしばらく黙り込んでから、ゆっくりと口を開く。
「レイナが住んでいたゴミ捨て場の住人は、レイナの稼ぎで住まいを買ったから移り住めただけです。経済の復興とは何も関係ない。それに、各地のゴミ捨て場には依然として住んでいる人が多いと言うのは、歴然たる事実です。それをなかったことのようにするのは、どうなのでしょうか」
 片田の顔から、すうっと笑みが消えた。
「もっと物分かりのいい方なのかと思っていたけれど、どうやら見込み違いのようですな」
 裕はひるまず、片田の目から視線をそらさない。片田のまばたきが異様に増える。

「ハッキリ申し上げましょう。ゴミ捨て場でコンサートを開いたり、それを動画で配信するのはやめていただきたい。二度としないで欲しい。日本の恥部を世界にさらすことになるんですから。それに従っていただけないのであれば、先ほどのオリンピックの話は」
「ゴミ捨て場でコンサートを開いちゃいけないって、どういうこと?」
 振り返ると、着替えを終えたレイナが笑里とアンソニーと一緒に立っていた。
「なんでコンサートをしちゃいけないの? 私は歌いたい。ゴミ捨て場のみんなの前で歌いたい」
 レイナのまっすぐな訴えに、片田はどう返せばいいのか、言葉を探しているようだった。

「まあ、レイナさんがゴミ捨て場で歌いたいのなら、私にそれを止める権利はありません。ただ、その場合、オリンピックの開会式で歌っていただくのは難しいことになる。やはり、オリンピックで歌うのはそれなりに、いいイメージが必要ですからね」
「だったら、オリンピックに出なくていいよ。私、オリンピックってよく分かんないし。それより、ゴミ捨て場で歌うほうが大事だから」
 レイナがあっさりと申し出を断ったので、片田は顔をひきつらせた。

「いいんですか? 世界に名前を売るビッグチャンスですよ」
「レイナはすでに、世界中にファンがいますよ」
 裕が静かに答えると、片田は一瞬眉を吊り上げた。
「そうですか。どうやら、今日お招きしたのは間違っていたようだ。今日の料金は後程、担当者から連絡がいくと思います」
「お金はいらない。総理大臣に会って、ゴミ捨て場に来てくださいって伝えたかっただけだから」
 レイナはきっぱりと言う。
「そうですか、好きにしてください」
 片田はもはや興味をなくなった、という表情を隠しもせず、足早に立ち去った。
「なあにぃ、感じ悪いわねえ」
 アンソニーが小声で言う。
「小物感満載の男ね。ああいうのが日本のトップだなんて、ヤダヤダ」
 裕はレイナを優しいまなざしで見る。
「迷わずにオリンピックよりゴミ捨て場を選ぶなんて、レイナ、君を誇りに思うよ」
「だって、ゴミ捨て場で歌えなくなるなんて、やだもん。みんなから、また歌いに来てほしいって言われて、また行くからねって約束したんだもん」

 レイナの答えに、笑里は「レイナちゃあん、ホント、かわいい子」と抱きしめた。
「帰って、芳野さんのごちそうを食べましょ。ハンバーグにするって言ってたわよ」
「やった、芳野さんのハンバーグ、大好きっ!」
 帰りの車中では、いつものように森口が興奮しながらレイナの歌の感想を述べるという流れが待ち構えていた。