****
次の日、その日は午後からの授業のため、家でたまった洗濯物を洗って部屋中に干していたところで、チャイムが鳴った。
「はい」
「すみません、警察です」
「はい?」
魚眼レンズを見ても、近所の交番で見かける制服姿の人だった。私は驚いて出て行く。
「なにかありましたか?」
「すみません。この男性を知りませんか?」
出された写真は、昨日食堂で会ったはずの男子だった。私は口を開けるものの、素直に「名前は知りません」とだけ告げる。
「だとしたら、顔は知っているんですね?」
「昨日食堂で見た……だけです」
「ありがとうございます」
他にも何個か質問され、しどろもどろで答えたものの、なにもわからず、呆然と警察が帰るのを見送っていた。
いったいなんだったんだ。ぼんやりしながら大学に出かけ、警察が来た理由を知った。
「彼、殺されたんだって」
「春海さん、そのせいで事情聴取受けてるって」
それに私は肩を跳ねさせた。
大学で上がる噂を繋げ合わせると、概ねこうだった。昨日の夜、春海さんがあの問題の男子に襲われたのを、彼女はびっくりして揉み合いになり、そのまま彼が死んでしまったらしい。彼女は現行犯で一旦捕まり、事情聴取を受けているものの、どう考えても彼女が襲われたのが原因だから、正当防衛が認められそうだと。
「……いつかは事件になると思ってたけどね」
「ね。春海さん、誰とでも寝るって思われているから」
女子たちの話が耳を通っていく。
日頃の行い。言ってしまえばそれだけで切り捨てられる話だけれど。どうして警察は私のところに来たのだろう。
一瞬頭に浮かんだ「まさか」と、人がひとり死んだ事実。
私はとうとうその日は大学に出ることができず、休んでしまった。
****
バイト先に「体調を崩しました」と電話をしたら、バイト仲間の主婦に「ひとり暮らしでも野菜は摂らないと」と言われた。摂れるものなら摂りたい。
私が寝込んでいる間に、とうとう地元でもニュースが流れたけれど、概ね大学の美人過ぎる美人がストーカーに殺されかけたのを返り討ちした、という話でまとまりそうだった。
でも、本当にそれだけの話だったんだろうか?
私がひとりで寝込んでいると、チャイムが鳴った。このまま居留守を決め込もうと思ったけれど、魚眼レンズの向こうの意外な人に驚いてしまった。
枯葉色のワンピースに、ボブカット。もうすっかり私とは違う姿に変身を遂げていた春海だった。
「どうしたの……?」
「追い出されると思ったわ。お別れを言いに来たの。入って大丈夫?」
「どうぞ」
春海に出せるようなものってあったかなと、無料でもらったカップを持ってくると「すぐ帰るからいいよ」と手を振られた。それでも彼女の持ってきているケーキ屋さんの箱を見たらなにも出さないのもお愛想なしだからと、無理矢理インスタントコーヒーを差し出した。
「ニュース見たけど……」
「うん。正当防衛って認められて釈放された」
「……ニュースになる前、私のところに警察が来てたけど」
「そうね、あなたのストーカーだったから、あなたの格好をしていた私を間違って襲ったんじゃないかと確認したかったんじゃない?」
「……はあ?」
あの食堂でしゃべっただけで接点のない男子を思い出す。春海はクスクスと笑う。
「あなた、人の視線に鈍感だから。私は奇異の目で見られるのに慣れているから、異様な視線には敏感なのよ」
「……いつから?」
「そうね、私たちが一緒のゼミになった頃くらいじゃないかしら?」
そんな前からと、ぞわりとする。
でも思い返せども思い返せども、彼との接点が見当たらない。
「……あの人、誰だったの?」
「あの人そもそも学生ですらないわ。大学の清掃員。仕事が終わったから制服を脱いでいただけ」
「あ……」
大学の清掃員が制服を脱いで大学の中にいたら、もうその人が何者かわからない。最近は個人情報保護法のせいで、カードがなかったら入れない部屋も多い代わりに、顔つきネームドカードをぶら下げる習慣もなくなってしまったのだから。
春海はにっこりとする。
「最初はまた私のことを好きな人かと思って泳がせていたの。私に告白する人たち、皆変わっているから」
「それ、春海が言うの……」
「でも私のこと、あの人スルーするのよ? なら誰見ているんだろうと思っていたら、私とたまたま近くにいたあなたを見ていたの。最初は『ふうん』と思っていたんだけれど、あなたが捨てたペットボトルやら、ゴミやらを集めはじめたときから、あ、これは放置したらヤバイ奴だと思いはじめてね」
「……それ、私にもうちょっと早くに知らせてくれたら、大事には」
「無理よ。ストーカーってね、人の嫌がることしているって自覚のある人はまずストーカーにならないの。ストーカーには道理が通じないから」
彼女はあまりにも悟りきった口調できっぱりと言った。
「だから、あなたと同じ格好をして、同じ化粧をして、釣ってみることにしたの。私が変装をしても、誰もが私がまた好きな人が変わったとしか思わないじゃない」
「……ま、まあね」
「あなたに接触したのを確認して、いよいよこれはまずいなと思って、彼が仕事終わるのを確認してから、見えるように歩いて行ったの」
「……それ、あなたが危ないじゃない」
「そうね。普通だったらね。私みたいに、ストーカー慣れしてないとね。まっ、殺しちゃったのは初めてだったけど、案の定正当防衛は認められた」
……つまりはあれだ。私がストーカーに狙われているのに気付いた。でも下手に動いたら彼を逆上させて襲われる危険が遭ったから泳がせた。私と同じような格好をしても誰も気にしないことをいいことに、私が狙われるタイミングを計っていた。
そのタイミングが来たから、彼に近付いて正当防衛に見せかけて殺した……いや、これは本当に正当防衛だったんだろう。
警察が来ていたのは、私と春海、彼の関係を確認するためだろう。指紋やらなにやらを摂られなかったのは、多分彼の殺された現場自体には、春海のものしかなかったから。
「でもさすがにやり過ぎちゃったから、親に怒られて家に帰ることになったの。以上。だからお別れに来た」
「……でも、どうして私のところに来たの? どうして私を助けてくれたの?」
「だって。あなたはどんな格好をした私も奇異の目で見なかったじゃない。それにあなたはなんにも頓着しないから、あなたの好みにはなれないわ」
最後に見た彼女は、極上の笑みだった。
「要は恋敵を消しちゃったのよ」
<了>
次の日、その日は午後からの授業のため、家でたまった洗濯物を洗って部屋中に干していたところで、チャイムが鳴った。
「はい」
「すみません、警察です」
「はい?」
魚眼レンズを見ても、近所の交番で見かける制服姿の人だった。私は驚いて出て行く。
「なにかありましたか?」
「すみません。この男性を知りませんか?」
出された写真は、昨日食堂で会ったはずの男子だった。私は口を開けるものの、素直に「名前は知りません」とだけ告げる。
「だとしたら、顔は知っているんですね?」
「昨日食堂で見た……だけです」
「ありがとうございます」
他にも何個か質問され、しどろもどろで答えたものの、なにもわからず、呆然と警察が帰るのを見送っていた。
いったいなんだったんだ。ぼんやりしながら大学に出かけ、警察が来た理由を知った。
「彼、殺されたんだって」
「春海さん、そのせいで事情聴取受けてるって」
それに私は肩を跳ねさせた。
大学で上がる噂を繋げ合わせると、概ねこうだった。昨日の夜、春海さんがあの問題の男子に襲われたのを、彼女はびっくりして揉み合いになり、そのまま彼が死んでしまったらしい。彼女は現行犯で一旦捕まり、事情聴取を受けているものの、どう考えても彼女が襲われたのが原因だから、正当防衛が認められそうだと。
「……いつかは事件になると思ってたけどね」
「ね。春海さん、誰とでも寝るって思われているから」
女子たちの話が耳を通っていく。
日頃の行い。言ってしまえばそれだけで切り捨てられる話だけれど。どうして警察は私のところに来たのだろう。
一瞬頭に浮かんだ「まさか」と、人がひとり死んだ事実。
私はとうとうその日は大学に出ることができず、休んでしまった。
****
バイト先に「体調を崩しました」と電話をしたら、バイト仲間の主婦に「ひとり暮らしでも野菜は摂らないと」と言われた。摂れるものなら摂りたい。
私が寝込んでいる間に、とうとう地元でもニュースが流れたけれど、概ね大学の美人過ぎる美人がストーカーに殺されかけたのを返り討ちした、という話でまとまりそうだった。
でも、本当にそれだけの話だったんだろうか?
私がひとりで寝込んでいると、チャイムが鳴った。このまま居留守を決め込もうと思ったけれど、魚眼レンズの向こうの意外な人に驚いてしまった。
枯葉色のワンピースに、ボブカット。もうすっかり私とは違う姿に変身を遂げていた春海だった。
「どうしたの……?」
「追い出されると思ったわ。お別れを言いに来たの。入って大丈夫?」
「どうぞ」
春海に出せるようなものってあったかなと、無料でもらったカップを持ってくると「すぐ帰るからいいよ」と手を振られた。それでも彼女の持ってきているケーキ屋さんの箱を見たらなにも出さないのもお愛想なしだからと、無理矢理インスタントコーヒーを差し出した。
「ニュース見たけど……」
「うん。正当防衛って認められて釈放された」
「……ニュースになる前、私のところに警察が来てたけど」
「そうね、あなたのストーカーだったから、あなたの格好をしていた私を間違って襲ったんじゃないかと確認したかったんじゃない?」
「……はあ?」
あの食堂でしゃべっただけで接点のない男子を思い出す。春海はクスクスと笑う。
「あなた、人の視線に鈍感だから。私は奇異の目で見られるのに慣れているから、異様な視線には敏感なのよ」
「……いつから?」
「そうね、私たちが一緒のゼミになった頃くらいじゃないかしら?」
そんな前からと、ぞわりとする。
でも思い返せども思い返せども、彼との接点が見当たらない。
「……あの人、誰だったの?」
「あの人そもそも学生ですらないわ。大学の清掃員。仕事が終わったから制服を脱いでいただけ」
「あ……」
大学の清掃員が制服を脱いで大学の中にいたら、もうその人が何者かわからない。最近は個人情報保護法のせいで、カードがなかったら入れない部屋も多い代わりに、顔つきネームドカードをぶら下げる習慣もなくなってしまったのだから。
春海はにっこりとする。
「最初はまた私のことを好きな人かと思って泳がせていたの。私に告白する人たち、皆変わっているから」
「それ、春海が言うの……」
「でも私のこと、あの人スルーするのよ? なら誰見ているんだろうと思っていたら、私とたまたま近くにいたあなたを見ていたの。最初は『ふうん』と思っていたんだけれど、あなたが捨てたペットボトルやら、ゴミやらを集めはじめたときから、あ、これは放置したらヤバイ奴だと思いはじめてね」
「……それ、私にもうちょっと早くに知らせてくれたら、大事には」
「無理よ。ストーカーってね、人の嫌がることしているって自覚のある人はまずストーカーにならないの。ストーカーには道理が通じないから」
彼女はあまりにも悟りきった口調できっぱりと言った。
「だから、あなたと同じ格好をして、同じ化粧をして、釣ってみることにしたの。私が変装をしても、誰もが私がまた好きな人が変わったとしか思わないじゃない」
「……ま、まあね」
「あなたに接触したのを確認して、いよいよこれはまずいなと思って、彼が仕事終わるのを確認してから、見えるように歩いて行ったの」
「……それ、あなたが危ないじゃない」
「そうね。普通だったらね。私みたいに、ストーカー慣れしてないとね。まっ、殺しちゃったのは初めてだったけど、案の定正当防衛は認められた」
……つまりはあれだ。私がストーカーに狙われているのに気付いた。でも下手に動いたら彼を逆上させて襲われる危険が遭ったから泳がせた。私と同じような格好をしても誰も気にしないことをいいことに、私が狙われるタイミングを計っていた。
そのタイミングが来たから、彼に近付いて正当防衛に見せかけて殺した……いや、これは本当に正当防衛だったんだろう。
警察が来ていたのは、私と春海、彼の関係を確認するためだろう。指紋やらなにやらを摂られなかったのは、多分彼の殺された現場自体には、春海のものしかなかったから。
「でもさすがにやり過ぎちゃったから、親に怒られて家に帰ることになったの。以上。だからお別れに来た」
「……でも、どうして私のところに来たの? どうして私を助けてくれたの?」
「だって。あなたはどんな格好をした私も奇異の目で見なかったじゃない。それにあなたはなんにも頓着しないから、あなたの好みにはなれないわ」
最後に見た彼女は、極上の笑みだった。
「要は恋敵を消しちゃったのよ」
<了>