度重なる隕石の衝突により、人類は滅亡を覚悟した。
 それでも往生際悪く研究を続けようとしていたら、幸運の女神とやらも呆れて認めてくれたのだろう。私の働く研究所付近には、ほんの欠片程度の隕石しか降ってこなかった。

 そして隕石の欠片を採取して、そこに付着していた未知の物質を発見した。それは我々にとって、希望と言える存在だった。その物質を用いることで、研究は当時のテクノロジーを遥かに越えたものへと格段に、飛躍的に進化した。

 本来ゆりかご計画は、星野望が生まれるずっと前から始まっていた。全ては私の目的のために。
 これは人類のためなんて大義名分を被った利己的な計画。

 安らかな永遠の眠りを願う人間の望みをこの薬を使って叶える代わりに、痛みは伴わない条件で人体実験に参加して貰うという非合法なものだった。被験者を集めるのには中々苦労していたから、隕石により世界が混乱したのはいっそ好都合だった。

 そして隕石が降り始めた頃から、お偉方が秘密裏に作っていた、海底シェルターという名の隔離都市。そのシェルターに用いる素材を研究するのも、私達の研究施設の仕事だった。海底の水圧に耐えられて、更には独自に酸素を産み出す建造物。結局完成したそれに避難する前に、依頼主は皆死んでしまったけれど。

 此度の改変された『ゆりかご計画』において、私はそれを拝借しただけだ。
 何も知らない生き残りの人類へ弱めの薬を飲ませ、安楽死ではなく仮死状態にし、シェルターと同じ原理のゆりかごに眠らせる。そしてゆりかごを海底シェルターへと運び込んだ。
 数人の研究所の仲間と、人類復興の名目で集めた協力者とで、海底に投棄する設定だった機械のプログラムを書き換えてその作業を行った。
 ゆりかごに眠る彼等には、まだ利用価値があった。一度は死を受け入れた身だ、人体実験に使われようと文句はないだろう。

「なんだってまあ、海の底でまで研究を続けようなんて、夢さんも大概だよなぁ」

 不意に私の研究室に観測資料を持ってやって来た呆れ混じりの協力者の言葉に、思わず肩を竦める。彼も同じ穴の狢だろうに。

「大事な被験体を、隕石になんてくれてやるものですか。地球が滅亡したって、海の底でだって、宇宙の果てでだって、私は研究を続けるわ……科学者っていうのは、そういう生き物でしょう?」
「はは、違いない。俺は人類復興のためにあなたのクローン技術の進歩の手伝いを。あなたはあなたの目的のために、俺達のシェルター技術を、お互い役立てましょう」
「ええ、そろそろフェーズセブンが終わるわ。引き続きフェーズエイトもお願い」
「ええ。天才科学者、星野夢の仰せのままに」

 海底シェルターに避難して数ヶ月、やがて地球の位置が巨大隕石によりずれたのか、星が歪み何らかの影響が出たのか、しばらくして隕石の衝撃はなくなった。甚大な被害をもたらした隕石は、もうこの星を襲うことはなくなったのだ。

 安全が確認されてから、私は協力者数名と、あの子の……星野望の眠るゆりかごを連れて、地上へと戻った。何もなくなった、まっさらな土地。実験にはぴったりだった。
 そうして、ゆりかご計画の次の段階、新たな計画が幕を開けた。

「……フェーズセブンの全被験体の終了を確認。それぞれ日記のノートは回収して、精神分析班に。食糧の補給と、スマートフォンも充電しておいて」

 私はまっさらで広大な土地を見下ろしながら、それぞれ音も届かない程遠く離れた場所に設置された幾つもの四角い部屋、新しいゆりかごへと、順に視線を向ける。

「……ええ、『ゆりかごA』のストラップは修復して……中にまた薬を入れるのを忘れないで。……そう、今回は偶々見つけたみたいだったから、もう少し分かりやすくして頂戴。あくまで自分の判断で飲めるように」

 私は数人の協力者へと、直ぐに指示を飛ばす。望が目覚める前に、次の実験の準備をしなくては。

「『ゆりかごB』の方はスマートフォンは持たせてないから、代わりに与えた本を初期位置に戻しておいて。落書きされたものが幾つかあったから、その本は回収。次はCDを置いてみましょう。音楽は情操教育に良いわ」

 それぞれの白い部屋には、条件を変えて生活する同じ顔の被験体が何人も居た。

「『ゆりかごC』は先週既に薬を飲んで撤収済みだから、別条件で部屋の設置を。被験体Cは海底シェルターで眠っているから、連れてきておいて。フェーズエイト開始と共に部屋に戻して目覚めさせるわ」
「了解です、他の各ゆりかごの『星野望』はどうしますか?」
「適当に布団に寝かせておいて。先に薬を飲んだ子達も、半日もすればまた目が覚めるわ。あの薬は死をもたらすものじゃないもの。……あの子には、まだ生きていて貰わなくちゃ……あの子は私の大事な、被検体だもの」

 私は、不完全なままゆりかごに眠る、望にそっくりの少年を見下ろす。硝子の棺に閉じ込めた美しい人形のように、眠ったまま目覚めることのない、私のたった一人の宝物。私の最愛の息子、希。

 隕石なんて考えたこともなかった頃、汚れた世界で心を病んで、苦しみの果てに眠りに就いた希。
 自らの手で安楽死出来る薬なんてものを生み出したのも、彼への歪んだ愛情からだろう。私は、愛する希を生き返らせるために、死をコントロールする薬や禁忌とされる人のクローン技術や記憶の移植にまで手を出した。

 隕石が壊してくれた、汚れた世界。真っ白な世界は、この子がまた生きるのに相応しい。幸運の女神は何処までも私の味方だ。
 そしてこの子の代わりにここまで育てた望は、きっと希が生きるための役に立つ。地球滅亡くらいで死なれては困るのだ。


*******


 弱い効力の薬により半日の仮死を経て、副作用として短期間の記憶を欠落させながら、安全な白い箱庭の中、望は終わりの先の世界で、再び目を覚ます。

 フェーズセブン最後の生き残り『ゆりかごAの望』の死因は暗闇がトリガーになったものの、他に生き物が居ないことが大きな要因だったらしい。対人関係で心を病んだ希のクローンなのだから、人から遠ざけようとしたのが仇となったようだ。

 だから今度はAの近くに、同じ部屋を置いてみた。中にはゆりかごに眠っていた他の被験体。互いに姿は見えずとも気配や声はするだろう。仲間が居れば、生きることを諦めないのか。それとも、敵対して罵り合い傷付くのか。

 死の先を生きる望は、未来の希だ。彼の思考パターン、健康状態、心理状況、死に至る過程。すべて徹底的に調査する。いつか希の肉体を生き返らせたとして、心がまた死んでしまっては意味がない。心身同時に、あらゆる検証が必要だった。そのための、気の遠くなるような実験。

 海底のシェルターではクローン技術により人類復興に尽力しているのだから、地上で多少好き勝手しても許されるだろう。

 何が彼を絶望に導くのか、何が彼にとって害なのか。何度だってやり直して、安全なゆりかごという箱庭で繰り返し見極める。
 科学者の意地なのか、母としての愛なのか、もうわからない。けれどこの実験は、この希望は、最期の最期まで潰えることはないだろう。それが、人間の性というものなのだ。

「此処は……?」

 ぼんやりと目を覚ました彼は、きっと初めて薬を飲んだ日の夢を見たのだろう。死を望むとリセットされるこの実験で、毎回日記の始まりの一行はこうなのだ。

 これが、人類が永遠の眠りに至るまでの過程である。