王女は、勇者を懐柔すべく言った。
「魔物討伐という国の最重要の難題を勇者様とシスリーにほとんど押し付ける形で背負わせてしまったのは、国王である父を含めて、私にも責任があります。その心労は私には推し量るなど、残念ながら出来ません。しかし、シスリーが暴挙に出てしまったのは、きっとそういう事なんでしょう………えぇ、勿論分かりますよ? 彼女は決してそのような事を普段からするような人ではありません。勇者様が好いておられるのもきっとそのような所でしょう? 目を見れば分かりますよ」
「………」
宥めるように、まるで駄々をこねる子供をあやすような口ぶりの王女に、勇者はしばらく黙って聞いていたが、王女が勇者とシスリーの関係に言及すると、はじめてギロリと睨みつけたが、王女は臆することなく――。
「シスリーは今疲れているんですよ。彼女と二人っきりでお話してみてそう思いました。だから、今回だけ特例ということでシスリーの犯した罪に対して、目を瞑ります。無罪ですよ、無罪」
あえて二回言う事で無罪を強調する王女。
勇者はそれでもまだ王女に対して、何か納得のいかない表情を向けていた。
「? 心配ありませんよ。彼女に関しては裁量はすべて私に委ねられているので、他の誰が口を挟もうとこれは覆りません。安心してください。ですが………」
王女がそこまで言うと、勇者は肩をブルッと大きく震わせた。
これからが本番か、勇者は王女が何を言い出すのか聴く心構えをした。
「その代わりといっては何ですが、シスリーはしばらく城で静養させます。さっきも申しましたが、彼女は今とても疲れています。休養が絶対に必要です。心の安定を取り戻すまで、私の侍女という形で、私の傍に置きます」
それだけか、と勇者は即座に問いた。
勇者は王女を信用していない。
彼女の無罪が告げられても、それは温情であり、勇者は未だに彼女が蛮行に手を染めたと思っていない。
自供を聞いたとしても。
それだけは認めない。認めたくない。
何より、勇者はシスリーの目をまだ見ていない。
今も自分ではなくシスリーの方を虚ろな目で見つめている彼女。ふわふわしている。
薄々気がついてきたが、勇者からすれば、今の方がシスリーは疲れている。
――いっその事、このままシスリーを連れて国を抜け出………?
だが、王女に欠損していない左肩を優しく擦られて、思考はそこで遮断された。
「えぇ、それだけですよ。それだけ。私も野暮なことはこれ以上言いません。………勇者様もそのお身体で申し上げるのは言いにくいのですが………魔物討伐………よろしくお願いします。これはお守りです。どうぞ受け取ってください、私からの気持ちです。傷口を癒す効果があります」
「………」
押し付けられるような形で差し出されたのは、黒の指輪。
見た瞬間、嫌悪感がまず全身に駆け巡るような指輪だったが、これを勇者は拒否することはあえてしなかった。
スッと胸ポケットにしまいこもうとしたが、
「………あら? つけては頂けないのですか?」
物哀しそうな王女の声に、勇者の手が止まった。
――結論から言うと、勇者は指輪を嵌めなかった。
例え、王女にどう言いくるめられようが、それだけはしなかった。
指輪なんてものを、王女からしかもシスリーの前で嵌めることなど、勇者は絶対にしたくなかった。
指輪を投げ捨てたい衝動にかられたが、こらえてポケットにしまい込んだ。
そして、目線を合わせないシスリーに近づき、
「元気になったら迎えに来る。いつでも呼んでくれ。……それまで俺は魔物討伐に行く」
強い口調で言い放ち、城を後にした。
王女は、「いつでもお待ちしておりますよ。勇者様。フフ」と微笑を浮かべて勇者を見送った。
☆★☆
シスリーと再び一緒にいる日を夢見て、勇者は魔物討伐を再開した。
だが、半年もの間、討伐を行わなかったため、魔物は雑草の如く各地に繁殖し、国民はその被害に苦しんでいた。
各地から要請を受けて、一つ一つ処理に当たっていたが、ブランクもあり、以前より腕はさらに数段落ちていた。
傷は毎日のように身体のどこかに負い、血を流さない日はない。
おまけに、傷を癒してくれるシスリーも居ない。
だが、勇者に弱音を吐くことは出来なかった。
国民が、魔物に苦しむ民が、勇者に救いを求めていた。
勇者には休暇など無かった。
――弱きを助け、強きを挫く。
彼の信念は、確実に彼を壊していた。
☆★☆
勇者の力が衰える一途を辿る一方で、魔物は繁栄を遂げようとしていた。
進化を遂げ、魔物から魔族へと昇華した種族もいるとかいない、とか。
それらを抑止する力などとうの昔に失せており、国民は魔物に蹂躙され、国土は荒れに荒れていた。
それでも勇者は諦めなかった。
村を巡って、村人に護身術を教え、抵抗する術を伝授するなどをして、策を講じた。
が、まるでそこに狙いを打ったかのように、村は魔物に破壊された。
しかもタイミングはいつも同じで、勇者が村を去った数刻後。
急いで村に引き返した時には、既に遅し。
燃え盛る炎に包まれた村を前にして、勇者は涙を流して、村を当てもなく彷徨った。
生存者を求めて。
――見つけた。
瓦礫の下敷きになり、気絶しているがまだ生きている15に届くか届かないかの少女。
勇者はすぐに瓦礫をどかして、子供を救助した。
(この子の他に生存者は………?)
急いで探索したが、少女以外にはいなかった。
勇者は諦め、少女をおぶって、近隣の診療所まで運んだ。
☆★☆
その少女の名ははカレン。
色白でどこか人間離れした容姿をしていて、将来はとてつもなく美女になるであろう事は想像に難くない。
カレンは、診療所のベッドの上で意識を取り戻した。
勇者は、目を覚ました彼女に体調を気遣う言葉をかけた。
カレンは目をパチリパチリとさせるだけで、状況を飲み込めていない様子だったが、しばらくして、両親の死を直感的に悟ったのか、ワンワン泣き出して、勇者を責めた。
勇者は甘んじてカレンの言葉を黙って聞いていた。
『詐欺師』と言われるまでは。
片手を失った勇者は勇者と呼べない。
一介の兵士に成り下がった。
それなのに、勇者はソレを認めず、意地を張り続け「勇者」だと詐称するから、村の皆は自分も含めて騙された、と。
結果は、このザマ。
村は跡形もなく焼き尽くされ、家族は皆死に、自分だけ生きている。
「全部、アンタのせいだ! アンタが村を滅ぼしたんだ! アンタを詐欺師と言わずして、何と呼べばいいの! この嘘つき!」
真っ赤に目を腫らして、八つ当たりであることは心のどこかで分かっていても、哀しみが絶望が、本来魔物へ向けられるべき怒りが、勇者へと向けられた。
「………俺のせい……。俺は……一体何のために………、なんの……ため?」
別に見返り何て求めていなかった。
偶々、自分が『力』を持っていて、弱者を救いたい一心で行動した先の果てが、恋人一人すら守れず、目の前の少女も救えない。
(………もう……限界だ……)
ただ、じっと彼女の罵倒にじっと耐えていただけの勇者は亡者のように、フラフラとおぼつかない足どりで診療所を出て行った。
目の焦点は定まっておらず、よろめいて何処かへ行ってしまった。
そして――それ以降ばったりと、勇者の行方は分からなくなった。
☆★☆
勇者が失踪して、早半年。
勇者という切り札を失った人々はいよいよ、魔物の侵攻に歯止めがかからなくなり、一時は王都を除いてほぼ国の全域が奪われ、滅亡まで秒読みの段階に入ろうとしていた。
だが、この絶望の状況の中、奇跡とも呼べるタイミングで『魔道具』という革新的な発明が為された。
これは勇者ではない一般人でも魔物並みの武力を手にすることを可能にして、息を吹き返した国防軍は、初めて勇者が居なくとも、魔物に対し、優位に立った。
後、少しで完全に魔物の息の根を止めることが出来る。
再び、魔物に怯えることのない平和な国を築ける。
――そして、そのためには何が足りないのか。何をするべきなのか。
国王には分かっていた。
『勇者』
行方不明とはいえ、依然として人々から高い支持を得ている勇者。
勇者が先導してくれれば、士気も必然的に上がり、この戦に終止符が打てる。
国王は勇者捜索に乗り出すことを宣言した。
首輪には絶対遵守の力が備わっていた。
だが、それはあくまで肉体的なものであり、精神には影響を及ぼさない。
それ故に、シスリーは堕ちても自我を失うことはなかった。
「なんで……」
――なんでこんな事をするのですか?
口に出すことさえ許されなかった言葉。
身体は動かない。
手も足も瞬き一つさえ、ままならない。
「貴方のような平民風情が私の邪魔をするなんて許されない事。これは罰よ。罪は償わないと。今日から貴方は私の奴隷。私のために尽くし、私のために動きなさい。分かったら、返事しなさい」
「………ハイ」
愉悦に浸りきった表情を浮かべて。命令を下す王女に、シスリーは首を縦に振って、無機質に返事した。
その胸の内は如何なるものか。
☆★☆
基本的に王女はずっとシスリーを傍に置き、身の回りの世話をさせていた。
平民の彼女に城での立ち振る舞いなど赤子同然。
そのような役割を務めることは、うまく行くはずもなく、手助けしてくれる者もいなかった。
『王女の毒殺を企んだ悪女』としてのレッテルを貼られているシスリーへの周囲の視線は冷ややかだった。
裏で影口を叩く者、中には直接面と向かって暴言を吐く者もいたが、いくら言われても無反応で素っ気ないシスリーの態度は、さらに怒りを買った。
――私が何をしたって言うの? グレン……助けて……
心が捻じ切れそうで、発狂しかけていたシスリーが、ギリギリ持ちこたえていたのは、心の拠り所があったから。
毎日、毎日。
勇者の名前を念仏のように唱えて、救いを求めていた。
そんな日々を過ごす中で、シスリーは王女が最近どうも様子がおかしいのを何となく感じ始めていた。
ソワソワしていて落ち着きがない。
そしてその訳は王女自身が自慢げにシスリーに話した。
「これが何か分かるかしら? シスリー」
見せられたのは、二つの指輪。
片方は真紅に染まりきり、片方はどす黒く漆黒に染まっていた。
王女曰く、この指輪は二つで一セットであり、何よりもその特徴はーー。
「想いを伝え合う素晴らしい指輪! 指輪をつけてもらえば、互いの気持ちを! 私の愛を! 誰よりも理解してもらえる。まさに私にうってつけの宝石だわ。共鳴! コレこそ私が求めたもの! あの方に……あぁ彼が私の所有物になる事を想像しただけで、胸が高鳴るわ!」
(………悪魔)
狂っている。
シスリーはこの時、王女が人間に見えなくなった。
――あぁ、どこかに私にふさわしい男は居ないのかしら……。
絶え間なく私の元に届く縁談話に、あの頃私はうんざりしていた。
王女という身分、恵まれた美貌、政略……。
どの男も邪な考えを持ち、醜い顔をした男共が下心をもって私に近づいてきた。
でも、グレンは違った。
グレンを初めて見た時、私はこの男と結ばれたいと渇望した。
『目』が良かった。
どこまでも透き通っていて、ただ自分の信念をどこまでも貫き通そうとするグレンが好きだった。
初めてだった。
国のどこを見渡しても彼に勝る男なんていない――まさに私にふさわしい男。
そう思うや否や、私はすぐに行動した。
国中を飛び回る彼に初めて恋文とやらを送って、父に彼に私との婚姻話を持ち込むように頼み込んだ。
縁談話を断り続けてきた私が、自分から、しかも相手は平民。
父は目を白黒させていたが、勇者とも呼ばれている彼を王族に迎え入れることに父は賛成してくれた。
☆★☆
だけど、彼の返事はNoだった。
頭の中が真っ白になった。
(私を拒否するの?)
恥をかかされたと思った。
私が、私から歩み寄ったのに、あろうことか彼は私の申し出を無下にした。
(何で? ありえない、ありえない、ありえない――ッ!)
でも、冷静になって考えれば分かる話。
私が目を付けたほどの彼に、恋人がいないはずなんかなかった。
グレンに金魚の糞のようにくっつく女――シスリー。
グレンは、私には決して見せない顔を彼女に見せていた。
(あの女のどこが言い訳? 容姿も教養も私の方がはるかに優れているじゃない!)
理解しがたい。
生まれて初めて味わった失恋の味は私には耐えがたいものがあった。
悔しい。
悔しい、悔しい悔しい悔しい悔しいッ!
手に入らないのがこんなに辛いなんて。
1週間、私は悩んだ。
グレンの事はもう忘れよう。
何度もそう思った。
だけど、忘れる――諦める何て絶対無理。
悩みぬいた末に私はある事にたどり着いた。
私とグレンとの間にある障害を取り除こう。
そのためなら、私は何だってする。
グレンの隣に居るべきなのは私しかいないのだから。
☆★☆
綿密な計画を立てた。
致命傷に至るか至らないかのギリギリの量の毒薬を予め用意して、病を偽装した。
そして、シスリーに診療させ、彼女が治療用に処方した薬草に混ぜて、罪を着せて、地下牢に入れた。
二人の仲を裂くために。
グレンは激しく抗議してきたが、強気な彼の行動の中に、私には彼の心が確実に弱ってきているのが目に見えて分かった。
コレでいい。
私は完全に二人の関係に終止符を打つべく、彼女を手にかけて、グレンが私を無視できないように策を講じた。
自供させるのは造作もなかった。
必死に彼女を擁護するグレンに、シスリー自身の口で「いかに自分がクズな女」であるかを台本通りに言わせ、その彼女を赦す私。
完璧じゃない?
『恩赦』という貸しをでっちあげ、代わりに魔物討伐に行かせてーー。
魔物討伐をボイコットされてはたまらない、と嘆いていた父も、「この件を全て任せる。やりたいようにやれ」と言って、この案に賛成したわ。
欲を言えば、私>シスリーという認識を植え付けたかった。
これが計画だった。
――だけど。
彼は腐っても勇者。
いくら真実であるように見せかけた『嘘』も、私が惚れ込んだあの『透き通った目』の前では、カムフラージュにもならなかった。
シスリーの自供を聞いたグレンは、しつこく「嘘だと言ってくれ!」「僕の目を見て話してくれ!」を何度も何度も大声で……。
まぁ、シスリーに彼と自由に意思疎通させる許可を与えていなかったから、いくらグレンが叫んでも無意味なのだけど……嘘って分かるんでしょうね。
しばらくして、糸がプツンと切れたように黙って、右足が一歩シスリーの方に前へと出かけたグレンを見た瞬間、察したわ。
(逃げる気?)
ずっと彼の事を思い続けていたかしら。
グレンが何を考えているかなんて手に取るように分かるの。グレンよりもね。
グレンを見るに、彼は自分がこれからどう行動するべきか、まだ彼の中で纏まり切ってなさそうに見えたわ。
これはラッキーね。
彼に心の余裕や時間があれば、未来はまた変わったのかもしれないけれど、私はそんな未来を望んでなかった。
私は、彼が行動に出る前より先に行動に出た。
時に早口、時に囁くように、巧みな話術を使って、彼の駆け落ちを阻止した。
彼も言いたげな様子だったけど、もう遅いわ。
主導権は私にあるの。
そして、最後に私は彼に用意していた指輪をプレゼントした。
その指輪は、隣国から入手した、二つで一セットのペアリング。
妖しく、眩く光を放つ紅と黒の鉱物が填め込まれたこの世に二つとない指輪。
そして、何よりもその特徴は、どこに居ても持ち主は相手の持ち主の位置が分かる事。
国の最北端、極寒の地。
至る所に魔物が幅を利かせて生息し、人など到底住める場所ではない辺境。
勇者はその地に小屋を建て、世俗を絶っていた。
暖炉もない凍えるような冷気に包まれた小屋だったが、寒さを感じていないのか、揺りかご椅子を漕いで、窓から見える外の景色をぼんやりと眺めることに、一日の大半を過ごしていた。
勇者の頭の中には、魔物討伐のことも、城での出来事も何もない。
思考の放棄。
魔物討伐、城での事、カレン……。
全てが勇者を追い詰めた結果、そうなり、人里離れた秘境に身を置いていた。
☆★☆
そんな日々をしばらく送っていたある日。
いつものように外の景色を眺めて、うつらうつら夢の世界に入りかけそうになったその時。
ドンドン………ドンドンドンッ!!
びゅうびゅうという猛吹雪に負けないぐらいに、扉をけたましく叩く音が。
(またか……)
魔物が小屋にある食べ物を求めて、襲撃することは珍しくなかった。
その度に返り討ちにしてきたので、ここ最近は襲撃もめっきり減ってきていたのだが……。
剣を握り、今にも破壊されそうな木扉をバンっと開けて、勢いのまま外敵に剣を振りかざした。
「——ヒッ!」
だが、あとほんの数センチというところで気がついた。
魔物だと思い込んでいたが、人である事に。
頭に雪を積らせ、鼻からカチコチに凍った鼻水をつけた武装した中年の兵士。
慌てて剣を下ろし、勇者は謝罪をした。
そして、どうしてこんなところまで来たのか。
疑問を口にしたが、寒さで体をガタガタ振るわせるのを見て、質問は後だと思いとどまり、中に入れた。
☆★☆
温かいお茶を一気に飲み干した中年の兵士。
身体が温まってくると、勇者に感謝の意を述べ、額を床につけて、
――自分は王の命を受けてココに来た。迫りくる魔物の脅威を退けるべく、今一度国の為に力を貸してほしいと。
どれくらい時間が経っただろうか。
兵士の必死の頼みにも勇者が返答することはなく、兵士も頭を上げずに、ただ両手を冷たい床に両手と頭を擦り付けて、ずっと同じ姿勢を保ったままだった。
「名は何というのですか? 兵士さん」
「――え?」
静寂を打ち破り、人を包み込むような優しい笑顔を向けてくる勇者に、兵士は一瞬気が遅れた。
「だから、名前ですよ。貴方の名前。兵士さん、と呼ぶのは気が引けるので。…貴女が初めてになると思うので」
「? ……私の名前はフルーガだが」
戸惑いながらも、名乗ったフルーガに喰いつくように、勇者は質問を投げがけた。
「フルーガさん。貴方は何故、ここに来たのですか?」
「なぜって……私は王に命じられたとさっき」
「では、何の為に? 魔物を討伐する為にですよね?」
「そうです。勇者様が居なくなられては困ります。 だから……!」
「違うでしょ。フルーガさん」
左手で遮り、否定する勇者。そして、無い方の右肩をさすって
「俺は……見ての通りです。今、フルーガさんと剣を交えたとしても互角でしょう。そんな俺に何を求めます?」
「……」
フルーガの目が微かにしか動揺の色を見せなかったのを、勇者は見逃さなかった。
「あぁ……その感じだと、やはりそうなんですね。王は私に偶像になれと。魔物から皆を守るための」
「………………はい」
嘘偽りを述べても勇者を説得することはできない。
フルーガは覚悟を決めて、素直に答えた。
それで勇者を納得させることが出来るものなら、と。
その思惑は外れてない。当たってもないが。
勇者は笑顔から一転、冷めた表情になり、声を落して言った。
「……皆の中に……シスリーはいますか?」
「あ、あの大罪に……い、いえ! シスリー殿も勿論です! 王女様の元で働く、勇者様が守られる人々の一人です!」
シスリーの名が出ると、嫌悪感を滲ませるフルーガを見て、歯をギシギシと鳴らせ、自然と拳に力が入る勇者。
失言に気がつき、慌てて訂正したが勇者の意をより強固にさせることになった。
「フルーガさん。俺はココを離れるつもりはありませんよ。それでも連れて行く気ですか?」
「ッ――意が変わらないというのであれば、止む無しです。勇者様の意思は関係ありません」
言動・表情、共に元々の勇者を知っていたフルーガには到底想像できない程、この時の勇者は豹変していた。
フルーガは交渉決裂と踏み、懐に忍ばせた本来は魔物捕獲用に使うべき魔道具を勇者に使おうとした。
☆★☆
それは勇者には見た事の無いオモチャのような代物だった。
殺意を含ませフルーガが、カチャカチャと金具のようなものを引いて自分に向けてきた。
だが、何も起こらなかった。
そして、「バカな…」と困惑するフルーガを気がつけば、首に手を掛け力を込めていた。
殺人を犯しても、勇者には何の感情も湧き上がらなかった。
――魔物も人も変わらない。
そう思うと、乾いた笑いが自然と出た。
ただただ、虚しいだけ。
心にできた空洞を紛らわせるために、勇者は足元で転がる既に躯と化した死体の持ち物をあらためた。
出てきたのは自分が所有するのと色違いの指輪と、フルーガに下された指令が書かれた書類。
「なんて事だ…」
書類を読み終えて、勇者は後悔し、自分の意思の弱さを呪った。
全ては王女の企みだった。
シスリーが意思を剥奪され人の扱いを受けていない事。
指輪は原理は分からないが、自分の位置を補足する能力を有している事。
そして、このままフルーガと共に城に行けば、シスリーと同じ目に遭う予定になっていた事。
シスリーはあの時、自分を無視したのではない。
無視させられていたのだ。
そして、嘘の告白を無理矢理させられて………。
自分が感じた『違和感』の正体はこれか。
「クソがッ!」
あまりにも醜い。そして愚かだ。
王女も。そして薄々分かっていながらも行動に移さなかった自分も。
心のどこかで否定していた自分を殴りたい。
あの時、シスリーの手を引っ張って、逃げるべきだったんだ。
自分は今までこんな奴らの為に魔物と……。
何が『弱き者を助ける』だ。
助けるべきはシスリーだった。
「あアァァァああああアアアあァァあああ!!」
頭をガンガンと壁に打ち付け、流血してもそんな事は勇者にはどうでも良かった。
小屋に籠ってる場合では無くなった。
「……シスリー……ごめんな。今…迎えに……行くよ」
憎悪と悲哀に侵食された目は、闇に染めあげられていた。
☆★☆
後にこの後起こる出来事は、歴史書にこう記されている。
――強気を挫き、弱気を助ける。
心優しき隻腕の勇者の信念は、民から尊敬の念を浴びて止まず、次期国王とも噂されていた。
また、勇者は非常に容姿に優れ、高慢でプライドが高いと言われた『悪魔』マリア王女の心さえ掴んだ。
が、勇者グレンは王女からの申し出を断った事により、彼女の自尊心は大きく傷つけられ、彼の信念は揺らぐことになる。
マリア王女は、『勇者を我が物にする』という私欲のために、勇者の恋人で会った薬師シスリーに王女毒殺という濡れ衣を着せ、牢に入れた。
そして、人の理に外れた『奴隷堕ちの首輪』をシスリーに嵌め、嘘の自供をさせた。
グレンは失意の最中だったが、当時魔物の侵攻は凄まじく、勇者は魔物討伐に赴くことになる。
道中、魔物討伐する彼だが、助けられた者もいれば助けられ無かった者もいた。
助けられなかった者の中には、怒りの矛先を勇者に向け、数々の誹謗中傷を受けた勇者は、一度行方をくらまし、世俗を絶った。
だが、マリア王女はそんな彼の元に遣いを送り、もう一度彼にプロポーズする面持ちであり、拒否されれば、シスリーを解放する条件を婚姻との引き合いに出す、はずだった。
——マリア王女の思惑は叶うことは無い。
勇者は遣いと揉め、そのまま殺害。
遣いが所持していたマリア王女の指令書を読んだ勇者は激怒したという。
勇者はシスリーを救うべく、人を辞めた。
穢れた魔物の上位種である魔族と盃を交わし、勇者は魔族の血を受け入れ一員となった。
——欠けた腕は再生して、人であった時よりも、数倍数十倍の力を手にし、それまで難攻不落だった城を単身で奇襲し、シスリーの身柄を抑え、亡命を図ろうとした。
しかし、すんでのところで、追手の兵士による無数の弾丸を被弾し、絶命。
死ぬ間際までシスリーに謝り続け、彼女を同胞の魔族に託したというが、薬師シスリーのその後は不明。
勇者という象徴を失ったガリア王国に関しては、統制が取れず、勇者の死後から半年で、ハーマン帝国の侵略を受け滅亡。
マリア王女含め王族は全員処刑されて、今に至る。