自供させるのは造作もなかった。
必死に彼女を擁護するグレンに、シスリー自身の口で「いかに自分がクズな女」であるかを台本通りに言わせ、その彼女を赦す私。
完璧じゃない?
『恩赦』という貸しをでっちあげ、代わりに魔物討伐に行かせてーー。
魔物討伐をボイコットされてはたまらない、と嘆いていた父も、「この件を全て任せる。やりたいようにやれ」と言って、この案に賛成したわ。
欲を言えば、私>シスリーという認識を植え付けたかった。
これが計画だった。
――だけど。
彼は腐っても勇者。
いくら真実であるように見せかけた『嘘』も、私が惚れ込んだあの『透き通った目』の前では、カムフラージュにもならなかった。
シスリーの自供を聞いたグレンは、しつこく「嘘だと言ってくれ!」「僕の目を見て話してくれ!」を何度も何度も大声で……。
まぁ、シスリーに彼と自由に意思疎通させる許可を与えていなかったから、いくらグレンが叫んでも無意味なのだけど……嘘って分かるんでしょうね。
しばらくして、糸がプツンと切れたように黙って、右足が一歩シスリーの方に前へと出かけたグレンを見た瞬間、察したわ。
(逃げる気?)
ずっと彼の事を思い続けていたかしら。
グレンが何を考えているかなんて手に取るように分かるの。グレンよりもね。
グレンを見るに、彼は自分がこれからどう行動するべきか、まだ彼の中で纏まり切ってなさそうに見えたわ。
これはラッキーね。
彼に心の余裕や時間があれば、未来はまた変わったのかもしれないけれど、私はそんな未来を望んでなかった。
私は、彼が行動に出る前より先に行動に出た。
時に早口、時に囁くように、巧みな話術を使って、彼の駆け落ちを阻止した。
彼も言いたげな様子だったけど、もう遅いわ。
主導権は私にあるの。
そして、最後に私は彼に用意していた指輪をプレゼントした。
その指輪は、隣国から入手した、二つで一セットのペアリング。
妖しく、眩く光を放つ紅と黒の鉱物が填め込まれたこの世に二つとない指輪。
そして、何よりもその特徴は、どこに居ても持ち主は相手の持ち主の位置が分かる事。
国の最北端、極寒の地。
至る所に魔物が幅を利かせて生息し、人など到底住める場所ではない辺境。
勇者はその地に小屋を建て、世俗を絶っていた。
暖炉もない凍えるような冷気に包まれた小屋だったが、寒さを感じていないのか、揺りかご椅子を漕いで、窓から見える外の景色をぼんやりと眺めることに、一日の大半を過ごしていた。
勇者の頭の中には、魔物討伐のことも、城での出来事も何もない。
思考の放棄。
魔物討伐、城での事、カレン……。
全てが勇者を追い詰めた結果、そうなり、人里離れた秘境に身を置いていた。
☆★☆
そんな日々をしばらく送っていたある日。
いつものように外の景色を眺めて、うつらうつら夢の世界に入りかけそうになったその時。
ドンドン………ドンドンドンッ!!
びゅうびゅうという猛吹雪に負けないぐらいに、扉をけたましく叩く音が。
(またか……)
魔物が小屋にある食べ物を求めて、襲撃することは珍しくなかった。
その度に返り討ちにしてきたので、ここ最近は襲撃もめっきり減ってきていたのだが……。
剣を握り、今にも破壊されそうな木扉をバンっと開けて、勢いのまま外敵に剣を振りかざした。
「——ヒッ!」
だが、あとほんの数センチというところで気がついた。
魔物だと思い込んでいたが、人である事に。
頭に雪を積らせ、鼻からカチコチに凍った鼻水をつけた武装した中年の兵士。
慌てて剣を下ろし、勇者は謝罪をした。
そして、どうしてこんなところまで来たのか。
疑問を口にしたが、寒さで体をガタガタ振るわせるのを見て、質問は後だと思いとどまり、中に入れた。
☆★☆
温かいお茶を一気に飲み干した中年の兵士。
身体が温まってくると、勇者に感謝の意を述べ、額を床につけて、
――自分は王の命を受けてココに来た。迫りくる魔物の脅威を退けるべく、今一度国の為に力を貸してほしいと。
どれくらい時間が経っただろうか。
兵士の必死の頼みにも勇者が返答することはなく、兵士も頭を上げずに、ただ両手を冷たい床に両手と頭を擦り付けて、ずっと同じ姿勢を保ったままだった。
「名は何というのですか? 兵士さん」
「――え?」
静寂を打ち破り、人を包み込むような優しい笑顔を向けてくる勇者に、兵士は一瞬気が遅れた。
「だから、名前ですよ。貴方の名前。兵士さん、と呼ぶのは気が引けるので。…貴女が初めてになると思うので」
「? ……私の名前はフルーガだが」
戸惑いながらも、名乗ったフルーガに喰いつくように、勇者は質問を投げがけた。
「フルーガさん。貴方は何故、ここに来たのですか?」
「なぜって……私は王に命じられたとさっき」
「では、何の為に? 魔物を討伐する為にですよね?」
「そうです。勇者様が居なくなられては困ります。 だから……!」
「違うでしょ。フルーガさん」
左手で遮り、否定する勇者。そして、無い方の右肩をさすって
「俺は……見ての通りです。今、フルーガさんと剣を交えたとしても互角でしょう。そんな俺に何を求めます?」
「……」
フルーガの目が微かにしか動揺の色を見せなかったのを、勇者は見逃さなかった。
「あぁ……その感じだと、やはりそうなんですね。王は私に偶像になれと。魔物から皆を守るための」
「………………はい」
嘘偽りを述べても勇者を説得することはできない。
フルーガは覚悟を決めて、素直に答えた。
それで勇者を納得させることが出来るものなら、と。
その思惑は外れてない。当たってもないが。
勇者は笑顔から一転、冷めた表情になり、声を落して言った。
「……皆の中に……シスリーはいますか?」
「あ、あの大罪に……い、いえ! シスリー殿も勿論です! 王女様の元で働く、勇者様が守られる人々の一人です!」
シスリーの名が出ると、嫌悪感を滲ませるフルーガを見て、歯をギシギシと鳴らせ、自然と拳に力が入る勇者。
失言に気がつき、慌てて訂正したが勇者の意をより強固にさせることになった。
「フルーガさん。俺はココを離れるつもりはありませんよ。それでも連れて行く気ですか?」
「ッ――意が変わらないというのであれば、止む無しです。勇者様の意思は関係ありません」
言動・表情、共に元々の勇者を知っていたフルーガには到底想像できない程、この時の勇者は豹変していた。
フルーガは交渉決裂と踏み、懐に忍ばせた本来は魔物捕獲用に使うべき魔道具を勇者に使おうとした。
☆★☆
それは勇者には見た事の無いオモチャのような代物だった。
殺意を含ませフルーガが、カチャカチャと金具のようなものを引いて自分に向けてきた。
だが、何も起こらなかった。
そして、「バカな…」と困惑するフルーガを気がつけば、首に手を掛け力を込めていた。
殺人を犯しても、勇者には何の感情も湧き上がらなかった。
――魔物も人も変わらない。
そう思うと、乾いた笑いが自然と出た。
ただただ、虚しいだけ。
心にできた空洞を紛らわせるために、勇者は足元で転がる既に躯と化した死体の持ち物をあらためた。
出てきたのは自分が所有するのと色違いの指輪と、フルーガに下された指令が書かれた書類。
「なんて事だ…」
書類を読み終えて、勇者は後悔し、自分の意思の弱さを呪った。
全ては王女の企みだった。
シスリーが意思を剥奪され人の扱いを受けていない事。
指輪は原理は分からないが、自分の位置を補足する能力を有している事。
そして、このままフルーガと共に城に行けば、シスリーと同じ目に遭う予定になっていた事。
シスリーはあの時、自分を無視したのではない。
無視させられていたのだ。
そして、嘘の告白を無理矢理させられて………。
自分が感じた『違和感』の正体はこれか。
「クソがッ!」
あまりにも醜い。そして愚かだ。
王女も。そして薄々分かっていながらも行動に移さなかった自分も。
心のどこかで否定していた自分を殴りたい。
あの時、シスリーの手を引っ張って、逃げるべきだったんだ。
自分は今までこんな奴らの為に魔物と……。
何が『弱き者を助ける』だ。
助けるべきはシスリーだった。
「あアァァァああああアアアあァァあああ!!」
頭をガンガンと壁に打ち付け、流血してもそんな事は勇者にはどうでも良かった。
小屋に籠ってる場合では無くなった。
「……シスリー……ごめんな。今…迎えに……行くよ」
憎悪と悲哀に侵食された目は、闇に染めあげられていた。
☆★☆
後にこの後起こる出来事は、歴史書にこう記されている。
――強気を挫き、弱気を助ける。
心優しき隻腕の勇者の信念は、民から尊敬の念を浴びて止まず、次期国王とも噂されていた。
また、勇者は非常に容姿に優れ、高慢でプライドが高いと言われた『悪魔』マリア王女の心さえ掴んだ。
が、勇者グレンは王女からの申し出を断った事により、彼女の自尊心は大きく傷つけられ、彼の信念は揺らぐことになる。
マリア王女は、『勇者を我が物にする』という私欲のために、勇者の恋人で会った薬師シスリーに王女毒殺という濡れ衣を着せ、牢に入れた。
そして、人の理に外れた『奴隷堕ちの首輪』をシスリーに嵌め、嘘の自供をさせた。
グレンは失意の最中だったが、当時魔物の侵攻は凄まじく、勇者は魔物討伐に赴くことになる。
道中、魔物討伐する彼だが、助けられた者もいれば助けられ無かった者もいた。
助けられなかった者の中には、怒りの矛先を勇者に向け、数々の誹謗中傷を受けた勇者は、一度行方をくらまし、世俗を絶った。
だが、マリア王女はそんな彼の元に遣いを送り、もう一度彼にプロポーズする面持ちであり、拒否されれば、シスリーを解放する条件を婚姻との引き合いに出す、はずだった。
——マリア王女の思惑は叶うことは無い。
勇者は遣いと揉め、そのまま殺害。
遣いが所持していたマリア王女の指令書を読んだ勇者は激怒したという。
勇者はシスリーを救うべく、人を辞めた。
穢れた魔物の上位種である魔族と盃を交わし、勇者は魔族の血を受け入れ一員となった。
——欠けた腕は再生して、人であった時よりも、数倍数十倍の力を手にし、それまで難攻不落だった城を単身で奇襲し、シスリーの身柄を抑え、亡命を図ろうとした。
しかし、すんでのところで、追手の兵士による無数の弾丸を被弾し、絶命。
死ぬ間際までシスリーに謝り続け、彼女を同胞の魔族に託したというが、薬師シスリーのその後は不明。
勇者という象徴を失ったガリア王国に関しては、統制が取れず、勇者の死後から半年で、ハーマン帝国の侵略を受け滅亡。
マリア王女含め王族は全員処刑されて、今に至る。