どれくらい時間が経っただろうか。
兵士の必死の頼みにも勇者が返答することはなく、兵士も頭を上げずに、ただ両手を冷たい床に両手と頭を擦り付けて、ずっと同じ姿勢を保ったままだった。
「名は何というのですか? 兵士さん」
「――え?」
静寂を打ち破り、人を包み込むような優しい笑顔を向けてくる勇者に、兵士は一瞬気が遅れた。
「だから、名前ですよ。貴方の名前。兵士さん、と呼ぶのは気が引けるので。…貴女が初めてになると思うので」
「? ……私の名前はフルーガだが」
戸惑いながらも、名乗ったフルーガに喰いつくように、勇者は質問を投げがけた。
「フルーガさん。貴方は何故、ここに来たのですか?」
「なぜって……私は王に命じられたとさっき」
「では、何の為に? 魔物を討伐する為にですよね?」
「そうです。勇者様が居なくなられては困ります。 だから……!」
「違うでしょ。フルーガさん」
左手で遮り、否定する勇者。そして、無い方の右肩をさすって
「俺は……見ての通りです。今、フルーガさんと剣を交えたとしても互角でしょう。そんな俺に何を求めます?」
「……」
フルーガの目が微かにしか動揺の色を見せなかったのを、勇者は見逃さなかった。
「あぁ……その感じだと、やはりそうなんですね。王は私に偶像になれと。魔物から皆を守るための」
「………………はい」
嘘偽りを述べても勇者を説得することはできない。
フルーガは覚悟を決めて、素直に答えた。
それで勇者を納得させることが出来るものなら、と。
その思惑は外れてない。当たってもないが。
勇者は笑顔から一転、冷めた表情になり、声を落して言った。
「……皆の中に……シスリーはいますか?」
「あ、あの大罪に……い、いえ! シスリー殿も勿論です! 王女様の元で働く、勇者様が守られる人々の一人です!」
シスリーの名が出ると、嫌悪感を滲ませるフルーガを見て、歯をギシギシと鳴らせ、自然と拳に力が入る勇者。
失言に気がつき、慌てて訂正したが勇者の意をより強固にさせることになった。
「フルーガさん。俺はココを離れるつもりはありませんよ。それでも連れて行く気ですか?」
「ッ――意が変わらないというのであれば、止む無しです。勇者様の意思は関係ありません」
言動・表情、共に元々の勇者を知っていたフルーガには到底想像できない程、この時の勇者は豹変していた。
フルーガは交渉決裂と踏み、懐に忍ばせた本来は魔物捕獲用に使うべき魔道具を勇者に使おうとした。
☆★☆
それは勇者には見た事の無いオモチャのような代物だった。
殺意を含ませフルーガが、カチャカチャと金具のようなものを引いて自分に向けてきた。
だが、何も起こらなかった。
そして、「バカな…」と困惑するフルーガを気がつけば、首に手を掛け力を込めていた。
殺人を犯しても、勇者には何の感情も湧き上がらなかった。
――魔物も人も変わらない。
そう思うと、乾いた笑いが自然と出た。
ただただ、虚しいだけ。
心にできた空洞を紛らわせるために、勇者は足元で転がる既に躯と化した死体の持ち物をあらためた。
出てきたのは自分が所有するのと色違いの指輪と、フルーガに下された指令が書かれた書類。