「桐斗様と蘭姫様が到着なされました」
 朝食を済ませ桜河と共に居間で待っていると使用人から報告を受ける。
 (いよいよだ……)
 初めて会う神様に先日自分に厳しい言葉をかけた桜河の元婚約者。
 せめて今日は桜河の迷惑にならないように。
 花嫁として隣にいたいと願ったのだから堂々としていたい。
 再び表情が強張っていたのだろう。
 桜河が撫子の手に自分の手を重ねる。
 「大丈夫」
 安心させるように小さな手をぎゅっと握る。
 撫子は頷き、二人は客間へ向かった。

 客間に入ると下座には蘭姫と蘭姫とよく似た顔立ちの男性が座っていた。
 すぐに蘭姫の兄、桐斗であることが分かった。
 撫子と桜河が上座に座ると桐斗がこちらに視線を向けた。
 「初めまして、撫子様。花の神の桐斗と申します」
 花の神、桐斗。
 生きとし生ける花・植物全ての守護が彼の務め。
 天候を司る龍神、桜河と共に緑豊かな自然を守ってきた旧知の仲だ。
 丁寧に挨拶をされ撫子もすぐに口を開く。
 「お初にお目にかかります。撫子と申します」
 できる限りの美しいお辞儀を心がける。
 相手は神。
 失礼のないようにしなければと指先まで神経を尖らせる。
 挨拶を返した瞬間、桐斗が座ったまま後ろに下がり勢いよく土下座をした。
 「この度は妹の蘭姫が失礼を致しました!」
 想像していなかった行動に顔を上げ目を丸くする撫子。
 桜河は表情を変えずじっと桐人を見ている。
 「い、いえ!私は怒ったり……」
 「お兄様、花の神ともあろう方がこんな平凡な娘に頭を下げるなんて情けないですわよ」
 撫子の話を遮り蘭姫は呆れたような表情で桐人を見ている。
 目の前の状況にどうすれば良いのか分からず桜河に視線を向ける撫子。
 しかし桜河の表情を見て体を固まらせてしまう。
 それは桜河が蘭姫の『平凡な娘』という言葉に怒り鋭い眼差しを言った張本人に向けているから。
 この部屋に流れている空気は今まで感じたことがなく戸惑ってしまう。
 謝罪、呆れ、怒りが混ざり合った異様な空気。
 何か言わないとと考えあぐねていると蘭姫が口を開いた。
 「先日の件、考えてくださいましたか?」
 空気に圧倒されていたが蘭姫の言葉でハッと我に返る。
 「は、はい。私は……」
 「では花嫁を辞退なさるのね」
 また撫子の話を遮り勝手に結論を出される。
 「ら、蘭!お前何言ってんだ!」
 桐斗が顔を青ざめ慌てて蘭姫を叱る。
 桜河と桐斗は昔からのよしみだがきっと自分の立場を理解しているのだろう。
 格上の龍神の花嫁に対して次々と無礼を申す妹にすぐさま止めに入る。
 兄弟だがかなり性格は違うようだ。
 もうこれ以上好き勝手話す蘭姫の話を聞いていられず桜河が口を開こうとしたとき。
 「それは出来ません」
 撫子のしっかりと大きな声が客間に響いた。
 その場にいた全員の視線が一斉に撫子に向けられる。
 初めて聞く撫子の反論に特に桜河が目を見開いていた。
 (言わなくちゃ。自分の気持ち……)
 ゆっくりと息を吐きまっすぐに蘭姫を見る。
 撫子を弱々しいと思っていた蘭姫は急に向けられた強い眼差しに一瞬体をビクリとさせた。
 「確かに蘭姫様が仰っていることは正しいです。桜河様の花嫁には私より相応しい方がいるのではと思いました」
 「なら……」
 「でも」
 蘭姫が意見をする前に撫子がそれを遮った。
 「私は桜河様のことをお慕いしております。これからも隣にいたいと……。その為に相応しい存在でいられるようこれから先精進していきます。私に至らぬ点があったら遠慮なくご指導下さい。お願い致します」
 両手を畳みに置き頭を下げる撫子。
 「な、撫子様顔を……」
 土下座をしている撫子を見て桐斗は慌てふためく。
 蘭姫はそこまで表に出して動揺していなかったが瞳が微かに揺れていた。
 「蘭姫」
 桜河の声に蘭姫はふと視線を向ける。
 その瞳は真剣そのもので自然と背筋が伸びるのが分かった。
 「俺は撫子以外を娶るつもりは一切無い。撫子が花嫁修業をしたいと言うなら俺はそれを全身全霊で支える。だが時にはそれも難しくなるときもあるだろう。その時は蘭姫の力が必要だ。頼む」
 撫子と同様、頭を下げる桜河に蘭姫と桐人は言葉を失ってしまう。
 あの格上の龍神が頭を下げて願いを乞うているから。
 撫子は頭を下げたまま隣にいる桜河を見て言葉にするのが難しいような感情が溢れてきた。
 (桜河様……)
 自分の為に頭を下げてまで彼女を支えてほしいと願っている桜河を見て嬉しさと感謝でいっぱいだった。
 静かな時間が流れる。
 どうか気持ちが伝わってほしいと願っていると……。
 「龍神やその花嫁であろう方が易々と頭を下げない方が宜しいですわよ」
 その言葉に撫子と桜河はゆっくりと頭を上げる。
 蘭姫の美しい瞳が撫子を見ていた。
 「……お二人の気持ちよく分かりました。桜河様のことも諦めますわ。私こそご無礼をお許し下さい」
 洗練された所作で頭を下げる蘭姫。
 「ら、蘭……!」
 そんな妹の成長した姿に感動しているのか桐斗は瞳を涙で潤ましていた。
 「蘭姫様……」
 気持ちがちゃんと伝わったのだと撫子は安堵し隣にいる桜河に視線を向ける。
 ふと視線が交わり微笑み合う。
 「ただ指導する際は私も遠慮しませんわ。覚悟なさって下さいね」
 相変わらず蘭姫の言葉は厳しいが以前よりも温かさが含まれているような気がした。
 「は、はい!」
 撫子もそれに答えるよう元気に返事をする。
 「ほどほどにしろよ、蘭……」
 話をする二人を横目に桐斗はまた何か妹がやらかさないか胃が痛くなりそうな思いをしていた。
 そして桜河は隣にいる強くたくましくなった花嫁を見て小さく微笑んでいたのだった。