蘭姫から茶会への招待状が届いた一ヶ月後、朝食を済ませた撫子は部屋で百合乃と共に身支度を整えていた。
 この日の為に桜河が用意してくれた牡丹柄の着物を纏っている。
 牡丹は花咲く前は小さく硬いつぼみだが花開くと美しい大輪になる意味をもつことを百合乃が教えてくれた。
 (きっと茶会で成長することを期待してくれているんだ……)
 撫子にとって初めての社交場。
 龍神の花嫁として相応しくいたいと、今日まで多くの書物を読み、桜河が屋敷に招いた講師から基礎的な立ち居振る舞いも実践して学んできた。
 (茶会といっても堅苦しくないパーティーのようなものだから緊張する必要はないと桜河様は仰っていたけれど……)
 もし失礼なことをしてしまったら。
 もし花嫁に相応しくないと不満の声が聞こえたら。
 お粉ではたいた白い肌に紅で塗った赤い唇は社交場にぴったりの華やかな姿のはずなのに鏡に映るのは憂いの表情。
 そんな撫子の様子に後ろで髪を結い上げていた百合乃が気づく。
 「撫子様、どうかなされましたか?」
 問いかけに慌てて下げていた視線を上げる。
 鏡には手を止め、心配そうにこちらを見ている百合乃が映っている。
 緊張で固まっていた口角を無理矢理上げて笑いかけた。
 「い、いえ。何でもないです……!」
 使用人に心配されるような、こんな表情で茶会に赴いたら絶対だめだと気持ちを切り替える。
 しかし長く共にいるお世話係にはすでにお見通しのようで……。
 「緊張なされているのではないですか?手が震えておりますよ」
 「……っ」
 自分でも気づかないうちに手が小刻みに震えていた。
 咄嗟に片方の手で隠すが夏だというのに冷えているのが分かる。
 あまり弱音を吐いて心配をさせたくはなかったのだが隠しすぎても失礼なような気がしてそっと口を開いた。
 「もし失敗したらと思うと不安で……」
 せっかく皆が力を貸してくれたのにそれを無駄にして迷惑をかけてしまったらと思うといたたまれない。
 これからは自分の行動が周囲にも影響を与える。
 それが神の花嫁になるということ。
 事の重大さがのしかかる。
 「撫子様」
 百合乃は櫛を鏡台に置き、撫子の肩に手を置いた。
 「撫子様は今日までたくさん努力をされました。失敗を恐れず堂々とされて良いのです」
 柔和な笑みが凍りついた心を溶かしていく。
 いつも百合乃は寂しいとき寄り添ってくれる。
 彼女の役割はお世話係だが撫子にとって姉のような、友人のような存在で感謝してもしきれないほど救われてきた。
 「はい……。ありがとうございます百合乃さん。緊張が解けてきました」
 頬の血色が少しずつ戻ってきた撫子を見て百合乃は切れ長の目を細め、再び櫛を手に取った。
 「自信をもち堂々と振る舞う為に普段から美しい撫子様をさらに私が輝かせてみせます!」
 「ふふっ。お願いします」
 撫子は鏡台に向き直ると、次々と変化していく自分の姿を見つめながら期待で胸が弾むのだった。

 「お待たせしました、桜河様」
 撫子は身支度が整え終わると玄関で待っていた桜河に声をかけた。
 「準備はでき……」
 桜河がこちらを振り向き着飾った撫子を見た瞬間言葉が途切れた。
 何も発さずただじっと見ている桜河に首を傾げる。
 「あの……?」
 先ほど鏡で全身を確認したときにはどこも変な箇所はなかったはず。
 戸惑っていると桜河はゆっくりと近づき撫子を腕の中に包み込んだ。
 「お、桜河様?」
 綺麗に結い上げている髪や着物が崩れないように、いつもよりも優しく壊れ物を扱うような抱きしめ方に胸が高鳴る。
 「撫子があまりにも美しくて見蕩れていた。とても素敵だよ」
 色香漂う声が耳元で囁かれ一気に頬に熱をもつ。
 「ありがとうございます……」
 小さく礼を言うと桜河は額に唇を落とした。
 じんわりと伝わる温かさに恥ずかしくなり唇が触れた箇所を手で押さえる。
 頬を紅潮させた撫子を見て愛おしそうに桜河は笑った。
 「唇にすると紅がとれてしまうからな。今は我慢するよ」
 「……っ」
 熱を含んだ瞳に耐えきれず視線を逸らすと抱きしめていた腕を解き、撫子の手をとった。
 「さあ、そろそろ時間だ。茶会へ行こう」
 「は、はい!」
 撫子は速まった鼓動を落ち着かせるように深呼吸をするとまっすぐ前を見つめ、歩き出したのだった。