「それじゃあ行ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃいませ」
 散歩から帰宅後、準備を済ませた桜河は撫子や使用人達に見送られながら出掛けて行った。
 この見送りも毎日欠かせない。
 桜河に対しての恋の感情を自覚してからは、より一つ一つが大切なものとなった気がする。
 ただ出掛けるだけの見送りでも少しだけ切なくて、でも執務を頑張れますように……と祈りも込める。
 それは桜河も同じ気持ちだと表情を見れば分かった。
 離れがたそうにしている瞳も行ってきますと呟く唇も自分に向けられていることが嬉しい。
 愛してくれる桜河に応えられるよう頑張らなくてはと思いながら廊下を歩き自室へ向かう。
 天界や神様達についての勉強も桜河や百合乃の教えのおかげで基礎的な部分は理解出来た。
 龍神の花嫁に相応しくあるよう日々勉強は頑張っている。
 花嫁になると自然と社交場に赴くことも増えてくるだろう。
 その時の為に座学以外でも食事のマナーや立ち居振る舞いなども習った。
 撫子はあまり容量が良い方ではない。
 どちらかといえば姉の真紀の方が器量・容量が良いと思う。
 撫子が何度も間違いや失敗をしても桜河達は怒ったり責めたりしなかった。
 そういう時は厳しく指導しても良いと思うのだけれど周囲の人々はとことん撫子に甘い。
 他の神達の花嫁もこんな感じなのだろうか。
 少し気になりつつも自室に到着した撫子は書物を開き勉強を始めたのだった。

 「撫子様、お入りしてもよろしいでしょうか?」
 勉強を始めて暫く経った頃、襖の外から声がかかる。
 「はい、どうぞ」
 返事をすると百合乃がお茶とお菓子を盆に載せ部屋に入ってきた。
 「そろそろ休憩になさいませんか?」
 百合乃の言葉で勉強を始めてからかなりの時間が経過しており身体にも少し疲労が溜まっていることに気がつく。
 まだ撫子は病み上がりの状態。
 あまり無理をしてはまた倒れて桜河達に迷惑をかけてしまう。
 「はい、ありがとうございます」
 書物を閉じて隅に寄せると机に甘露茶と水羊羹が置かれる。
 お茶の良い香りが鼻を通り抜け疲れた気持ちを落ち着かせる。
 水羊羹も初夏の季節にぴったりな涼しげな見た目でとても美味しそうだった。
 一口、お茶を含めば旨味と渋みが程よく感じられ、水羊羹は上品な甘さが広がり疲れた心と身体を癒す。
 「美味しいです、百合乃さん」
 「喜んでいただけて何よりですわ。……そういえば!一度失礼します」
 撫子がお茶と水羊羹を堪能している姿を見て百合乃が嬉しそうに眺めていると、ふと何かを思い出したように両手をパンと合わせる。
 するとお辞儀をして足早に部屋を出て行った。
 (何だろう?)
 不思議に思っているとすぐに百合乃が戻ってきた。
 手には一通の封筒がある。
 「こちら蘭姫様から御手紙が届いております」
 「蘭姫様から?」
 蘭姫は花の神、桐斗の妹で桜河の元婚約者。
 以前、撫子の前に現れ、覚悟がなければ桜河の花嫁を辞退してほしいと言われたことがある。
 しかし撫子が桜河への想いと花嫁としての覚悟を伝えたところ蘭姫は納得してくれた。
 彼女とはそれ以来会っていない。
 手紙が送られてくるのは初めてで百合乃からそれを受け取るとまじまじと見つめる。
 (とりあえず開けてみよう)
 そっと封を開けると一枚の便箋を取り出す。
 そこには美しい文字でこう綴られていた。
 “撫子様、兄から貴女が倒れたと伺いました。その後体調はいかがですか?体調管理も花嫁の務めですから気をつけてくださいね。
 話は変わりますが一ヶ月後に私が主催する茶会が光結町で開かれます。他の神々とその花嫁が集まり交流を深めるのです。もし体調が回復してご興味がありましたら是非ご参加ください。きっと撫子様にとっても良い学びとなります。”
 「お茶会……」
 「茶会の招待状でしたか。いかがなされます?」
 龍神の花嫁としていつかは社交場に参加する機会があるだろうと思ってはいたがついにその時がきたと若干、便箋を持つ手が震えた。
 しかしきっとそこなら他の神や花嫁達を見て何か自分の成長に繋がる部分があるだろう。
 目の前にいる百合乃にパッと視線を向ける。
 「このお茶会に参加します。百合乃さん、お返事用の便箋と封筒をいただけますか?」
 「かしこまりました」
 そうして撫子にとって初となる社交場、茶会の参加が決まったのだった。