夢接ぎ少女は鳳凰帝の夢を守る

目の前でふう、と瞼を持ち上げる老人を見守る。開いた目はぱちぱちと瞬きをし、それから傍に座っていた千早を見た。

「夢が……」

ぼそりと呟く彼に、にこりと笑って問う。

「夢は見れましたか?」

千早の問いに、老人は起き上がってゆっくりと頷いた。

「……ばあさんに、会えた……」

「そうですね。一緒にお花見をしていましたね」

千早の言葉に、老人は驚いたような顔をする。

「お前さん、儂が見た夢が分かるんか……?」

「分かりますよ。だって、接ぎましたからね」

「ああ、そうやったな。だから、お前さんに夢を見させたくれって、頼んだんやった……」

納得がいった、という顔をして、老人は頷いた。

「そうです。ご覧になった夢は吉を運ぶ夢でした。この先、お健やかにお過ごしください」

老人が千早の接いだ夢をちゃんと見られたのなら、千早がここにとどまる理由はない。依頼の仕事をやり終え、千早が老人の家を出ようとすると、老人が代金を払おうとする。

「いいですよ。そのお金で、おばあさんの墓前に供える好物でも買ってください」

千早はそう言って、老人の家を出ようとした。その時。

「夢接ぎの千早とやらは、ここにいるか」

老人の家の前に、なにやら立派ないで立ちの人がいた。ここらは都の中でも貧しい者たちが住まう場所。袍をまとうものが訪れることはまずない。

「千早はそれがしにございますが」

千早が応じると、訊ねた主(ぬし)はじろっと千早を値踏みするように見やり、それから朗々と声を発した。

「恐れ多くも主上がお呼びである。至急、内裏へ来るように」

は?

千早の生活と全く結びつかない言葉を発されて、千早はぽかんとした。



新年あけてひと月の如月。町に迎えに来た官吏に連れられて内裏に来た千早は、前を行く蔵人に遅れまいと、広い内裏の廊下を歩いていた。左近の桜が咲くにはまだひと月ほど早く、固いつぼみを内包した枝ぶりが寒々とした様子だ。

此度、即位された凰鱗帝は、その不思議な力で未来を見るという。千早は桜の寒々しい様子以上に身震いした。

(帝が私なんかをわざわざお召しになるなんて、一体どういうおつもりだろう)

千早は一介の平民だ。凰鱗帝の見た未来視によって、これから一体何の罪を問われるのだろうか、と恐怖しながら紫宸殿に連れてこられた千早は、御座に対してぬかづいた。御顔を隠すように降ろされた御簾の向こうから、千早に対して良く響く声が掛かる。

「おぬしが、『夢接ぎ』と呼び声高い千早か」

歌うように問うた帝に対して、千早は一層頭を下げた。しんしんと冷える空気に、良い畳のにおいが香る。

「はい。いかにも、夢を接ぐことはそれがしの生業でございます」

『夢接ぎ』とは、言葉通り、夢を接ぐ仕事である。主に夢を見た筈なのに覚えていない人の為に、その人の無意識下に潜り込み、見た筈の夢の欠片を接ぎ合わせて、もう一度夢を見させるという仕事だ。夢を扱うという特性上、夢解きのようなこともしてはいたが、そっちはそっちでちゃんとした職業として市井で成り立っている為、千早が夢解きをした回数は少ない。したとしても、もっぱらさっきみたいに貧しい人に対しての夢解きだった。だから、生業と言える仕事は夢接ぎだけ。その生業が、法律違反だったりしたのだろうか。

首を落とされる未来が見えて、ぞっとする。身を震わせた千早をどう思ったのか、凰鱗帝は声に労わりを載せて言葉を発した。

「おぬし、新年の初夢は見たか?」

帝の言葉は千早の懸念を一切載せていなかった。それどころか、緊張している千早に対して世間話だろうかという内容だ。

「は……、初夢、でございますか? 確か、茄子の汁を食う夢を見ましてございます……」

「ほう、良い夢だな。ところがだ」

帝が不意に、声を潜める。何事を言われるのかと身構えていると、御簾の下からちょいちょいと手招きをされる。千早が困惑してその場に座ったまま動けないでいると、「なにをしている。近くに寄れ」と怒られてしまった。命令なら致し方ない。平伏したまま膝で御座ににじり寄ると、目の前に参じた千早に対して帝は思わぬことを告げた。

「新年が明けて以来、後宮の女御たちが夢を見れなくなったというのだ」

ひそやかな声に、千早は喉を鳴らした。

「ゆ、夢は、ご覧になっても、覚えてない場合がございますが……」

恐る恐る問う千早に、そのようなことがひと月も続くか? と凰鱗帝は言った。

「一年の吉兆を占う初夢だけでなく、その後も夢が見れぬと泣いている。おぬしも夢に係わる仕事をしているのなら、夢が見れぬことの重要性を理解しているだろう?」

確かにそうだ。日々見る夢の吉兆を陰陽寮の人たちに占ってもらい、夢見悪しと出れば、物忌みとして住まいから出ないのが殿上人たちの行いだ。ましてやゆくゆくの後(のち)、帝のご寵愛を受ける筈の後宮に控える女御たちならば、自分の行動を決められないということの不安さは、想像に難くない。

「は、はい……。軽率な発言でした……」

「いや、分かってくれたのであれば、良い。そこで『夢接ぎ』とかいう珍妙な技を持つおぬしを呼んだのだ。夢が見れなくなってからというもの、女御たちの不安は増すばかり。おぬし、女御たちの不安を解(と)いてやってはくれまいか」

成程、見たのに覚えていなかった夢を、接ぎ合わせて見せてやってくれ、という事か。それならば、帝がわざわざ市井から千早を探し出して召し上げた理由が分かる。凰鱗帝はおやさしいのだな、と思い、千早は深くこうべを垂れた。

「は。必ずや、女御さまたちの夢を紡いでみせます」

「その言葉、偽りないか」

凰鱗帝は、口の端(は)に笑みを浮かべて御簾越しに千早を見やった。千早は帝の問いに、はい必ずです、と、額を畳にこすりつけて答えるよりほかない。しかし帝は、なおも千早を問い質した。

「本気を示すなら、それ相応の態度があるだろう」

態度……、とは。

帝が何を言いたいのか分からず、千早が固まっていると、凰鱗帝はあろうことか千早の手首を握ると、ぐいっと御簾の中に引き寄せた。

「……っ!」

高貴な人は顔を晒さないことが美徳なのではなかったのか? そんな疑問も吹き飛ぶほどに、目の前に晒された凰鱗帝のご尊顔は美しかった。切れ長で涼しげな瞳、筆ではいたような眉、すっと通った鼻梁。怜悧な印象に見えるそれらに加えて、一見やさしく見える筈の、月の弧を描いている薄い唇もやはり、正反対の印象を与える。鋭い眼光に晒され、千早は怖気づいた。

「本気を語る時は、相手の目を見て物を言うことだ。千早とやら」

じっと千早の目を見つめてくる凰鱗帝に、そうまで言われて引けるはずもなく、千早は凰鱗帝の目を見返すと、腹に力を入れてもう一度答えた。

「必ずや、女御さまたちの夢を紡いでみせます」

「はは。それで良い。期待しているぞ」

力を籠めた顔が説得力を持ったのか、帝は高らかに笑った。ぱっと無造作に離された手首に、痛いほど脈が打っている。きっと、高貴な方を間近で見たからだ。




夜になると、凰鱗帝が自ら千早を後宮に案内してくれた。帝直々、千早を麗景殿の女御に御簾越しに引き合わせ、夢が見られたら報告するようにと女御に言いつけると、後を千早に任せて帰って行ってしまった。麗景殿を去っていく帝の後姿をぽかーんと見つめていると、御簾越しに気を遣った女御から声が掛かった。

「主上が冷たいことには慣れております。主上はご即位されてまだ間もないですから、まつりごとにお忙しくて、後宮にわたくしたちをお召しになったのも、きっとしぶしぶなのですよ」

「しぶしぶ……、と言いますと」

「つまり、政局の調和を取る為に、後宮を利用していらっしゃるだけなのですわ。現に、凰鱗帝陛下の御世になってから入内したわたくしたち女御へのお渡りは、今まで一度だってなかったのですから。それを思うと夢占(ゆめうら)の為とはいえ、この部屋に主上がお渡りになってくださったことは、ありがたいことです」

なんと、即位から一度も後宮に足を踏み入れたことがなかったとは知らなかった。

「……女御さまは、それでお幸せなのですか……?」

千早の問いに、麗景殿の女御は、おかしなことをおっしゃるのね、と笑った。

「まつりごとの駒とはいえ、わたくしたちも女。主上に愛されたいと思うことに、何の不思議がありましょうか。父からも主上のご寵愛を得るよういわれておりますし、後宮はそういう女性ばかりですよ」

頼りなく笑う女御の言葉に、千早は平伏した。

「もっ、申し訳ございません。出過ぎた口をききました」

「いいのよ。千早さんは主上のお傍に居られて、よろしいわね。羨ましいわ」

女御はそれだけを言ってしまうと、休みますと言って几帳の向こうで横になった。

暫くすると女御は寝入ったようで、すうすうと寝息が聞こえるようになった。千早が廊下に座ったまま意識を女御の夢の中に滑り込ませると、そこには真っ暗な空間が広がっていた。

夢を見ている人の無意識下に入れば、自分ならその夢を俯瞰するような形で共有することが出来るのだが、今、千早の目の前に広がっているのは、どこまでも真っ黒い空間だ。それは、確かに夢を見ている人のものではなく、女御が夢を見られなくなった、という凰鱗帝の言葉が正しいことを示している。

ふと遠方を見ると、何かが点々と散らばっているのが分かって、千早は空間に浮いていた体を地面に降ろして、落ちているものを手に取って確かめた。紙のようなそれには、後宮の風景や、女御同士の歌合せの様子などが描かれており、これが麗景殿の女御が見る筈だった夢なのだと千早は理解した。

「しかし、この状態は酷い……。破れたというより、裂かれたように見える……」

今まで夢を見て忘れてしまった人の夢の断片を見てきたが、こんな無残な断片は見たことがない。これではまるで、獣に食い荒らされてしまったかのようだ。

(兎に角、この断片だけでも紡ぎ直さねば……)

千早は懐から針を取り出し、沢山集めた断片の端と端を丁寧に接ぎ直すと、穴あきではあるが、一枚の絵に仕立てることが出来た。それは麗景殿の女御が、昨日見る筈だった夢だった。紡ぎあがった夢を女御の無意識下に置いて、千早は麗景殿の女御の無意識下から出た。意識が千早の体に戻り、辺りを確認すると、几帳の向こう側で麗景殿の女御が安らかな寝息を立てて眠っている。今日はいい夢が見れると良いなと思いながら、千早は麗景殿を後にした。



翌朝、麗景殿の女御はひと月ぶりに夢を見たと言って、涙ながらに喜んでいた。

「千早さん、ありがとうございました」

「いいえ、それがしも歌合せなどという雅な景色を見せて頂き、ありがとうございました」

「早速吉兆を占っていただきます。本当に嬉しいわ」

こんな風に喜んでもらえると、頑張った甲斐があるというものだ。そして、麗景殿の女御のうわさを聞き付けた他の女御たちからも、自分の夢を紡いでほしいと帝経由で頼まれ、千早は夜の後宮を、帝に付き添われて女御の許へ通った。

今夜は弘徽殿の女御の所だ。御簾越しに帝に引き合わせてもらい、夢を接ぎに来たことを伝えると、冷たい対応を取られてしまった。

「主上のお心づかいは嬉しいですが、お前のような下賤のものが近くに居たのでは、見られる夢も見られませんよ」

「す、すみません……」

「ああ、お前、臭いにおいがしますね? もっと遠くで控えなさい!」

「は、はい」

御簾越しにきつい言葉が跳ぶ。千早は身を小さくして弘徽殿の廊下の一番端に控えた。

しんしんと冷える如月の夜、平民の千早が近くに居ることをぶつぶつ言っていた弘徽殿の女御も、やがて眠りにつき、千早はその無意識下に忍び込んだ。しかし。

「あれっ? おかしいな。弘徽殿の女御さまも、夢を見れなくなったとお伺いしたのに……」

千早の目の前に広がっているのは、弘徽殿の女御を中心とした主上との恋物語の絵巻物で、それは弘徽殿の女御が夢を見ていることを示していた。

「穴も開いてないし、夢にほころびは見られないんだけどな……」

なぜ弘徽殿の女御は、夢が見られないなどと言ったのだろう。取り敢えず夢から出て、翌日の主上への報告をしようと思った。しかし。

「わたくしは昨日も夢を見ませんでした。その下賤のものが嘘を言っているのです」

翌朝、主上に質された女御は、千早の報告を聞いた主上にそう言った。

「女御さま。昨日、主上との恋の夢をご覧になったではないですか」

「お前、わたくしが嘘を言っているというのですか?」

ぴしゃりと言葉を遮られてしまうと、千早はそれ以上ものを言えなかった。黙った千早に帝が問う。

「千早。女御が見たという夢の証拠はあるか」

証拠、と言われても困ってしまう。夢は手に持って外に出られないのだから。

「ええと、夢の中で女御さまは梔子色(くちなしいろ)の唐衣に萌黄の表着、白地の藤模様の単をお召しになっていらっしゃいました。今のお召し物と違うので、もし女御さまのお召し物の中にその模様の着物がございましたら、証拠になるかもしれません」

「典侍、着物を出せるか」

突然指名された典侍が狼狽えた。主人と帝のはざまに立たされてしまったのだ。いえ、その……、と言葉を濁す典侍に対し、女御はそんなものございません、とはっきり断言する。二人の様子を見た帝が、ならば、と御簾の中に入ろうとした。

「主上! 何をなさるのです!」

「着物を改めるだけだ。なに、持っていないものは出てこないだろう」

そう言って主上は部屋の中を改めようとした。途端に悲鳴のような声が上がる。

「お待ちください、主上! 藤模様の単、お持ちになっております!」

「典侍!」

女御が厳しく声を飛ばしたにもかかわらず、典侍は几帳の奥から白地の藤模様の単を出してきた。

「あっ、これです! この単です!」

典侍が出してきた着物は、確かに女御の夢の中で見た単だった。千早の声に、女御がきまり悪そうな顔をする。

「な、仲間外れが嫌だったのですわ。他の女御たちはみんな、夢が見れないと騒いでいて、わたくし一人、のうのうと夢を見て安らいでいたなんて、のけ者も良い所ではございませんか。わたくしは寂しかったのでございます」

「寂しいというだけで俺を悩ませたのか」

主上の言葉に女御がぐっと黙る。そして俯いて少し考えたのち、こう言った。

「主上がもっと後宮にいらして下されば、わたくしとてこのようなことは致しませんでした」

「もうよい。千早、行くぞ」

帝はさっさと弘徽殿を出ていく。御簾の後ろから帝を呼ぶ声がして、気まずくなりながらも千早は帝を追った。


「お前の手なみは、なかなかのものだな。夢の中の品まで当ててしまうし、そういえば最初に見てもらった麗景殿の女御は、お前に夢を接いでもらった翌日、早速陰陽師に夢の吉兆を占わせていた。たとえその結果が凶でも、占うことが出来ることの喜びを味わっていたな」

「それがしが主上と女御さまたちのご懸念を取り除けたのでしたら、この上ない幸せにございます」

紫宸殿で、千早は帝と向き合っていた。

「しかし、あのような夢の断片は、見たことがございませんでした」

千早の言葉に帝が、というと? と興味深げに尋ねる。千早は女御たちの夢の状態を帝に説明した。

「普通、夢を見たのに忘れてしまっただけでしたら、忘れられた夢は時間の経過分は穴が開き、断片になりますが、それでも欠片を繋ぎ合わせれば、ほぼ一枚の巻物のように修復することが出来るものなのです。それが、弘徽殿の女御さまを除いた女御さまたちの夢は、細かくばらばらにちぎられていて、断片を接ぎ合わせても原型にはほど遠かった。あのような夢の断片は見たことがございません」

千早の言葉に、帝は、ほう、と、手を顎に当てて聞いていた。

「先ほどもお前は弘徽殿の女御の夢を立証した。お前の能力は間違いなく夢を見て、接ぐことなのだろうな」

その言葉で帝が、女御たちの夢を接いでもなお、千早の異能に疑問を持っていたことが分かった。

「はい……。夢は形として目に映せないもの。信じて頂けないのも、ご無理はございませんが……」

「いや。先程の弘徽殿での話でようやく信じる気になったぞ、千早。であれば、もう一つ、頼みたいことがある」

「は。何でございましょうか」

応えれば、やはり御簾の下から手招きをする。この帝は臣下でもない平民を、傍に寄せつけ過ぎではなかろうか。千早はやや躊躇ったが、初日のことを思い出して、膝行で御座に近寄る。御引直衣に焚き染められた香の良いかおりが鼻孔をくすぐると、その帝との距離の近さに、体にぶわっと熱がこもった。

「もっとこっちへ来い。耳打ちも出来ん」

「は、はい……」

恐縮しながら半身を御簾の下から潜らせて、帝の前に出る。帝は千早の上体の横に左手を付き、千早の耳に口を寄せると、小さな声で呟いた。

「今宵、俺の夢を見定めろ」

凰鱗帝の、夢を? もしかして、帝も夢を見れなくなったのだろうか。

「俺の未来視は夢で見る。その夢が、新年あけてから見ることが出来なくなった。俺はこの力(未来視)によって、荒廃したまつりごとを正すために、天に求められてこの地位に就いた。官人はよく働いてはくれるとは思うが、夢が見れぬのでは、悪事を正そうにも情報が足りなさすぎる」

ちなみに、この話は俺とおぬししか知らん。つまり、俺が未来視を見れないことが誰かに伝わったら、その時はおぬしが俺を裏切ったとみる。

しれっと脅しまで付けて、帝は含み笑いをした。つまり、出来るか、と千早に聞いているのだ。

「……分かりました。今夜、主上の夢を拝見させて頂きます」

千早のいらえに、帝は鷹揚に頷いた。



夜。千早は清涼殿に入り、二間でこれから休む凰鱗帝の傍に侍った。そして帝が寝入ったのを見計らって帝の無意識下に入った。真っ黒な闇の中に降り立った千早は、そこに先の女御たちのような、夢の欠片のひとつもないことに驚いた。

「なにこれ……。まったく夢を見てない人の中みたいだ……」

それでも何か手がかりを掴めないかと、真っ暗な空間を歩いていると、足元に女御の夢の断片よりももっと細かく千切られた夢の断片を見つけた。粉々になってしまっている夢の断片は、数も少なく、また大きさも、繋げて絵巻物を作るには頼りないほどに小さい。

「ひどい……。これでは接ぐことも出来ない……」

誰が、どんな目的で、どうやってこんなことをしているのか。千早には分かりかねたが、兎に角主上に報告だけはしなければと思って、無意識下から出た。丁度同じころに帝も目を覚まし、二間に居た千早を見つけて、どうだったか、と尋ねた。

「酷い有様でした……。女御さまたちの夢の状態の比ではなく、夢の断片というより、小さな貝の欠片かと思う程にちぎられておりました……」

「そうか……。時に今、眠っていた間にお前の姿を見たが、あれは夢ではないな」

驚いた。無意識下に入った千早を見ることが出来る人がいるとは思わなかった。今まで誰にも指摘されたことのないことだった。

「はい。私が主上の無意識下に入っただけです。それにしても、今まで誰にもご自分の夢に私が居たことを指摘されたことはございませんでしたが、流石主上ですね」

感嘆の念で述べると、帝は不敵に笑った。

「俺を誰だと思っている。お前たち人間とはわけがちがうのだぞ。自分の身に自分でないものが紛れ込めば、簡単に分かる。それに、鳳凰(俺)が司る力は『破壊と創成』。つまり、悪やまやかしを跳ね除け、物事を正しく成していくことが、俺に求められていることだ。下手なごまかしは効かない」

帝はそこまで言うと、言葉を切って、笑みを弱くした。

「……しかし、夢を見れない今、まつりごとを……、世の中をどう導くべきなのか、判断に迷いが生じる。そもそもお前以外の誰が、夢の中に入ったのかという事さえ、分からないのだ。眠るときは未来を見るとき。結界を敷いてあったにもかかわらず、それは破られ、結果、夢を見られなくなった。誰が破ったのか。あるいは指示したのか。陰陽師にも探らせてはいるが、全てを明るみに出すには情報が足りなさすぎる。未来視の出来ない俺は、こんなにも無力だったのかと思い知らされる……」

出会ってから常に自信に満ちた目をしていた凰鱗帝が視線を項垂れ、覇気なく背中を丸めた。その、大きな子供のような様子に、千早の手が伸びる。

ぽんぽん。

「…………」

「……」

すう、と視線を上げた帝と間近で目が合い、慌てた千早が帝の頭を撫でた手を引っ込める前に手首を握られた。

「……っ!! も……っ、申し訳ございません!! つ、つい……!!」

ずさっと帝から距離を取ろうにも、右の手首を握られたままだ。何処にも逃げられない。いや、帝は千早を逃がそうとしないばかりか、千早の手首を握ったままじりじりと近寄り、部屋の柱まで千早を追い込むと、逃げられないように両手を千早の顔の両側についた。

(は?)

正面に皐月の風の如く爽やかなご尊顔。両腕は千早の体の自由を制限し、背後は太くて丸い柱が刺さっており、身動きできない。間近で美しい瞳に見つめられて、心臓が走り出してしまう。ぎゅっと目をつぶると、耳元で低い声が囁いた。

「千早。俺といるときは、まっすぐ前を見て、俺を正面に捕らえろ。決して逃げるな」

「な……、何故でございますか……」

怖くて目が開けられない。ごまかしを許さないその目で、千早の嘘を見抜こうというのか。

「俺に手を触れた。それが理由だ。目を開けろ、千早」

厳しい声で促されて、千早は恐る恐る目を開ける。するとそこには声とは打って変わって、やさしい目をした帝が居た。

「大丈夫だ、千早。お前の行いを、誰にも咎めさせない」

穏やかな声で千早の耳元でささやく声にどきりとする。顔がほてってくる。赤くなっているのだろうか。

「俺がお前を守る。俺たちは共同戦線を張る必要があるだろう? その相手を罪に問うことなどしない」

しかし続いた言葉に、千早は己を律することを決めた。

「……いいえ、主上。それがしが内裏に呼ばれたのは主上のお役に立つためです。主上に守られては意味がございません。それがしは主上の片棒をしっかり担ぎ、夢のなぞ解きを立派に勤めてみせます」

言われた通り、帝を正面に見据えて宣言した。だのに帝は面白そうに笑うばかりだ。

「はは、立派にか。それならば、まずはしっかり体を休めるがいい。顔が赤いぞ。熱でもあるのではないか?」

そう言ったと思ったら、こつん、と千早の額に帝の額が当たっていた。至近距離の帝の麗しい顔に仰天して、ますます顔に熱が集まってしまう。

「お、主上! 私は子供ではありません!」

「はは。子ども扱いしたつもりはないのだがな。そら、一人で眠るのが怖いのであれば、俺が添い寝をしてやろう」

帝はそう言って、千早を横抱きに抱き上げた。

「わっ! お、主上!」

「はは、暴れるな。思ったより軽いな。羽根のようじゃないか」

「お、女扱いしないでください! それがしは立派な……」

「ああ、分かっているとも。お前はまごうことなき男だ。それでもだな」

帝は千早を茵(しとね)の上に横たえて、自らも横になった。起き上がろうとする千早を制すると、穏やかな声で千早の名を呼び、手を握る。奥深い瞳に見つめられると、心臓が跳ねあがってしまう。

(ううう、心臓静まって……。こんな動悸がしれたら、主上に男色を疑われてしまう……!)

千早がそんな風に困惑しているのに、帝はやさしく千早の手を取った。

「この傷だらけの手だけで、お前がどんな過酷な状況下で生き抜いてきたかが分かる。俺は、傍に置く臣下をこれ以上酷な環境に置きたくないのだよ。その気持ちは分かってくれ」

……こんなに臣下を大切にする彼を悩ませる主(ぬし)を、にくく思う。

「夜も夢の中に入って仕事をし続けた。眠っていないのだろう、今は寝ろ」

「し、しかしここは主上の寝所……」

「男同士だ。何も気を使うことはない」

「ですが……っ」

(ひ~ん! 主上がこんなに近くに居て、平静でいられる人間なんて、知らないよぅ~!)

そんな千早の動揺もどこ吹く風。帝は穏やかに千早を見つめている。

「お前が寝ている間は、俺が守ってやる。安心しろ。それと」

ぽんぽん、とやさしく千早をあやしてくる。そんなことをされたのは、記憶もくたびれてしまった遠い過去のことで。

「俺のことは、伊織と呼ぶと良い」

「伊織、……さま……」

千早はやさしい律動に、懐かしい記憶に引きずられながら眠りについた。



都も遠い農村に千早は生まれた。幼い頃から意識せず人の夢に入り込んでいた為、しばしば昼間の農作業中に居眠りをしてしまっていた。その上、家族の夢に入り込んだ翌朝、うっかり夢の内容を口にしてしまって以来、千早は化け物を見るような目で見られた。

『なんだい、この子は! 人の頭ん中を覗けるのかい!? ああいやだ、近づくんじゃない! これ以上頭ん中を見られて、たまるもんかね!』

家族は直ぐに千早を避けだした。また、十にもなると、あやされる年頃ならともかく、半人前として仕事をこなさなければならなかった。しかし夢を渡ることを制御も出来ず、結局昼間に集中できずに仕事がはかどらない日々が続いた。

『なんだろうね、この仕事の出来なさは! 働かないお前が食う飯は今日もないよ!』

食事を与えられない日々が続き、それゆえ力仕事に従事することが困難になってくる。農具を振り上げた時にその重さにふらついて倒れると、いよいよ戦力外とみなされた。家族が多かっただけに、使い物にならないと判断されると、切り捨てられるのは早かった。

『全員を食わせていくには収穫が少なすぎるから、千早は人買いに売っちまおう。丁度、港町の廓(くるわ)に集める女の子を探してるって話だよ』

廓というところで男に買われる女の話は聞いたことがある。千早はそんなところへ行くのは嫌だと思い、その夜、一人で家を出た。

しかし道中でも女を食い物にしようとする輩が居ることに気付き、逃げ込んだ先の寺で、千早は男として生きることを決意した。たかが髪を切るだけだ。もともと男とも女とも分からないようなぼろの着物を着ていたし、髪を切ることにためらいを覚えなければ、なんということはなかった。その時に、寺に居た若い入道がこう言った。

『子供。男の成りをしても、人としてのつつましさを忘れてはいけない。お前のたぐいまれなる力は、きっと人の役に立つ。まずは自分を律し、好奇で人の夢を覗かぬよう、努めるのだ。さすれば、夢接ぎとして道が拓けるだろう』

入道はそう言って、はさみを貸してくれた。それ以降、千早は男として、ひとり過ごしてきた。誰かのやさしさを感じたのなんて、あの入道に諭された時くらいだった。だから。

(おやさしい伊織さまの為に。私は働きたい。きっと役に立ってみせる……)



「弘徽殿の女御さまだけ、夢をご覧になっていたのはおかしいと思うんです」

夢を見ていない振りまでして。

清涼殿に呼ばれた千早が伊織の求めに応じて自らの見立てを述べると、伊織はそうだなあ、と視線を斜め上に上げた。

「弘徽殿の女御さまをこっそり調べるわけにはいかないのですか?」

伊織の役に立ちたい、という思いが、千早の口を動かす。すると伊織はこう言った。

「そうなると、俺の懐に裏切者が居るということになるのだが」

女御たちを『懐』と表現した伊織に、ハッとして恐縮した。

「す、すみません! 出過ぎたことを申しました」

「いや、実は調べさせているのだが、まだ何も釣果がない状態だ」

「そ、そうでしたか……」

千早の浅はかな考えなど、何の役にも立たない。しょんぼりしていると伊織が、お前、もうひと頑張りしてくれないか、と話を持ちかけてきた。

「未だ夢を見ることが出来ない俺の中に潜って、何かおかしなところがないか、もう一度確認して欲しいのだ。先だって出来たことは女御たちの夢を接ぐことだけだろう? それでは夢の修復は出来ても、俺の夢が接ぐどころではないという問題の解決には至らない。夢が破られる原因に繋がる手がかりを探してきてほしいのだ」

帝の依頼に否やを唱える筈もない。千早は大きく頷いて、早速その夜眠る伊織の無意識下に入った。やはりそこは以前と同じような真っ暗な空間で、千早は浮いた体を地面に降ろした。

地面にはやはり細かく砕かれた夢の残骸が散らばっている。本当に誰がこんなことを……、と思っていると、背後に気配を感じた。はっと振り返ると、サッと影が頭上を横切った。

(大きい……。なんだろう……、人間ではなさそうだ……)

影は真っ暗な暗闇の中で千早を窺っているようだった。夢と同様に食い散らかそうとしているのかもしれない。千早は懐から針を出して、身構えた。

「…………」

息をひそめて構えていると、ぐいんと影がその面積を伸ばして千早に襲い掛かった。

「……!」

千早は寸でのところで影に飲み込まれるのを避け、針を影に突きさした。ぶすっと影の端を地面に縫い付け、手早く地面と縫合すると、影はギュイイイと咆哮を上げてもがき暴れたのちに、バリっと千早が地面に縫い付けた一端だけを残して引きちぎり、千早の前から逃げて行った。

千早が地面と縫合した影の残骸は、毒々しく呪詛が籠っており、触れることも出来なかった。

「こんな恐ろしい呪詛を……」

誰が、何の目的で。

千早は報告をしに、伊織の中から出た。

「夢を引きちぎった主(ぬし)かもしれない影の一端を、伊織さまの中に縫い付けてきました。これで伊織さまから主を追えるでしょうか」

千早がそう言うと、伊織はでかした! と千早を抱き締めた。

「い、伊織さま!」

ふわりと香る、焚き染められた爽やかな香の香りが心臓に悪い。伊織さま、初対面の時の印象から、まるで変ってしまった。

「早速、陰陽師たちに探らせよう。敵の尻尾が掴めたこと、まことに喜ばしい」

「いえ、それは良いのですが、放して頂けませんか? 功績を上げるたびに臣下を抱き締めていたら、伊織さま変態認定されますよ?」

「一国の主に対して、大層な物言いだな、千早。それに、何も誰彼構わずこんなことをしているわけではない」

? というと? 疑問顔で伊織を見れば、目の前の瞳がやさし気に細められた。

「お前にしか、していない、ということだ。千早」

(!?)

そ……、それはつまり……。

「い、伊織さま。やはり男色の趣味がおありだったのですか……?」

身を引いて問うと、伊織は意味ありげに笑って千早を見た。

「さあ? どうだろうな?」

くつくつと笑う伊織を前に、背中に冷や汗しか流れない。

(女だってこと、まさかバレてないよね!?)

バレてたら、主上を騙した罪として、即刻投獄されてもおかしくないし、そうされてないってことは、バレてないってことだと思いたい。だけどくつくつ笑う伊織の真意が測れなくて、どんどん悪い方へと想像が転がっていく。千早は微笑む伊織の前で固まっていた。