翌朝、麗景殿の女御はひと月ぶりに夢を見たと言って、涙ながらに喜んでいた。
「千早さん、ありがとうございました」
「いいえ、それがしも歌合せなどという雅な景色を見せて頂き、ありがとうございました」
「早速吉兆を占っていただきます。本当に嬉しいわ」
こんな風に喜んでもらえると、頑張った甲斐があるというものだ。そして、麗景殿の女御のうわさを聞き付けた他の女御たちからも、自分の夢を紡いでほしいと帝経由で頼まれ、千早は夜の後宮を、帝に付き添われて女御の許へ通った。
今夜は弘徽殿の女御の所だ。御簾越しに帝に引き合わせてもらい、夢を接ぎに来たことを伝えると、冷たい対応を取られてしまった。
「主上のお心づかいは嬉しいですが、お前のような下賤のものが近くに居たのでは、見られる夢も見られませんよ」
「す、すみません……」
「ああ、お前、臭いにおいがしますね? もっと遠くで控えなさい!」
「は、はい」
御簾越しにきつい言葉が跳ぶ。千早は身を小さくして弘徽殿の廊下の一番端に控えた。
しんしんと冷える如月の夜、平民の千早が近くに居ることをぶつぶつ言っていた弘徽殿の女御も、やがて眠りにつき、千早はその無意識下に忍び込んだ。しかし。
「あれっ? おかしいな。弘徽殿の女御さまも、夢を見れなくなったとお伺いしたのに……」
千早の目の前に広がっているのは、弘徽殿の女御を中心とした主上との恋物語の絵巻物で、それは弘徽殿の女御が夢を見ていることを示していた。
「穴も開いてないし、夢にほころびは見られないんだけどな……」
なぜ弘徽殿の女御は、夢が見られないなどと言ったのだろう。取り敢えず夢から出て、翌日の主上への報告をしようと思った。しかし。
「わたくしは昨日も夢を見ませんでした。その下賤のものが嘘を言っているのです」
翌朝、主上に質された女御は、千早の報告を聞いた主上にそう言った。
「女御さま。昨日、主上との恋の夢をご覧になったではないですか」
「お前、わたくしが嘘を言っているというのですか?」
ぴしゃりと言葉を遮られてしまうと、千早はそれ以上ものを言えなかった。黙った千早に帝が問う。
「千早。女御が見たという夢の証拠はあるか」
証拠、と言われても困ってしまう。夢は手に持って外に出られないのだから。
「ええと、夢の中で女御さまは梔子色(くちなしいろ)の唐衣に萌黄の表着、白地の藤模様の単をお召しになっていらっしゃいました。今のお召し物と違うので、もし女御さまのお召し物の中にその模様の着物がございましたら、証拠になるかもしれません」
「典侍、着物を出せるか」
突然指名された典侍が狼狽えた。主人と帝のはざまに立たされてしまったのだ。いえ、その……、と言葉を濁す典侍に対し、女御はそんなものございません、とはっきり断言する。二人の様子を見た帝が、ならば、と御簾の中に入ろうとした。
「主上! 何をなさるのです!」
「着物を改めるだけだ。なに、持っていないものは出てこないだろう」
そう言って主上は部屋の中を改めようとした。途端に悲鳴のような声が上がる。
「お待ちください、主上! 藤模様の単、お持ちになっております!」
「典侍!」
女御が厳しく声を飛ばしたにもかかわらず、典侍は几帳の奥から白地の藤模様の単を出してきた。
「あっ、これです! この単です!」
典侍が出してきた着物は、確かに女御の夢の中で見た単だった。千早の声に、女御がきまり悪そうな顔をする。
「な、仲間外れが嫌だったのですわ。他の女御たちはみんな、夢が見れないと騒いでいて、わたくし一人、のうのうと夢を見て安らいでいたなんて、のけ者も良い所ではございませんか。わたくしは寂しかったのでございます」
「寂しいというだけで俺を悩ませたのか」
主上の言葉に女御がぐっと黙る。そして俯いて少し考えたのち、こう言った。
「主上がもっと後宮にいらして下されば、わたくしとてこのようなことは致しませんでした」
「もうよい。千早、行くぞ」
帝はさっさと弘徽殿を出ていく。御簾の後ろから帝を呼ぶ声がして、気まずくなりながらも千早は帝を追った。